ヤンキーDKの献身

ナムラケイ

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プロローグ

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「おかえり」
 三沢空乃そらのが帰宅すると、珍しく姉の琴子が家にいた。
 キャミソール姿でソファに座り、まだ昼間だというのに片手にはシャンパングラスときた。
 姉のあられもない姿を見慣れている空乃は「たでーま」とだけ返した。

「あんた学校は?」
「だりいからフケた。着替えたら遊びに行ってくる」
 空乃は学ランを脱いで、ハンガーにかけた。
 ここは姉が借りているアパートなので、空乃は居候扱いだ。
 脱いだ服をソファの背もたれに放り投げようもんなら、ゲンコが飛んでくる。
「いい加減、不良みたいな真似やめなさいよ」
「いや、俺どちらかと言えば不良枠だろ」
「見た目ヤンキーなのに成績は良い、嫌なタイプのね」
 琴子はすいっとグラスを空にした。
 姉に服従を強いられている弟の習性で、頼まれる前にシャンパンを注ぎ足す。
 モエ・エ・シャンドンのボトルだ。祝い事でもあったのだろうか。

「姉さんこそ珍しいじゃん、家にいるの」
「会社辞めたから」
 姉はさらっと言い、あんたも飲めばと新しいグラスに酒を注いだ。
「どっちが不良だよ」
 混ぜっ返しながらも、空乃は遠慮なくご相伴に預かる。
 空乃は16歳だが、三沢家は食卓で子供達にも当然のようにワインが供する家だったので、未成年の飲酒に抵抗がない。
「辞めたって、もしかして転職?」
「びんぽん!」
 琴子は陽気に答えた。
「この度、めでたくシンガポール航空のCAに採用されました!」
 ソファの上で胡坐をかいてふんぞり返っている。未婚女性にあるまじきはしたない恰好はともかく、相当嬉しそうだ。
「すげえじゃん。おめでと」
 空乃はグラスを合わせた。
 琴子は日系LCCのCAだが、かねてより国際エアラインで働きたがっていた。不規則なシフトの合間を縫って試験勉強に励んでいたことを、空乃は知っている。
「ありがと」
 琴子は仕事で鍛えられた完璧なスマイルを浮かべ、そして爆弾発言をした。
「ついては、私はシンガポールに引っ越すから。ちょうど更新時期だし、あんた、今月末までにここ出てってね」
「……は?」
 姉弟の実家は都内にあるが、それなりに資産家なこともあり、何かと堅苦しい家だ。奔放な琴子は、就職と同時に両親の反対を振り切って一人暮らしを始めた。
 空乃の方も、わざと実家から遠い高校に進学し、姉のアパートに転がり込んだ。家賃はタダだが、家事を一切引き受ける条件で。
「え、俺、どーなんの?」
 実家に戻るのだけはご免こうむりたい。
 別のアパートを探して一人暮らしを続けたいところだが、今は3月。引越ハイシーズンに、良い物件が見つかるとは思えない。

 慌てる空乃に、姉はぴらりとチラシを差し出した。
「引越先なら、デキるお姉さまが探しておいてあげたから」
 最小限のコストで刷られたであろう白黒のチラシだ。
 空室アリ〼。コーポアマノ。202号室。2DK。築51年。リフォーム済。日当たり良好。
 51年前って。
「何時代だよ」
「昭和時代でしょ。リフォーム済だから問題ないわよ。大家さん、家賃は敷金なしの2万円でいいって言ってくれてるから」
「2万って、事故物件じゃないだろうな」
「失礼ね。その大家さん、機内で発作起こされたのを介抱して以来、私の大ファンなのよね。あんたの話したら、是非住んで欲しいですって」
 琴子は内弁慶だ。家ではだらしない暴君だが、外面は過剰に良い。
 誰もが振り返る美女というわけではないが、癒し系のキレイなお姉さんという風情がモテるらしい。
「エロじじいめ」
 空乃は毒づくが、悪友共の家やバイト先で寝泊まりするのも限界がある。
 姉の顔を潰すのにも抵抗があるし、とりあえずここに住んで、物件巡りをするのが得策だろう。
 空乃はポニーテールにした金髪をがしがしと掻いた。
「わーったよ。とりあえずここに住めばいいんだろ」
 とりあえずどころか、コーポアマノの解体まで住み続けることを、まだこの時、空乃は知らない。
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