GRAVITY OF LOVE

狗嵜ネムリ

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GRAVITY OF LOVE・15 終

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「なんかさ、空気がピリピリしている。まさに嵐の前の静けさ、って感じ」
 人通りの少ない朝の東楽通りを歩きながら、大和が言った。午前八時半。殆どの店はまだシャッターが下りていて、スタッフが出勤している気配もない。
 Gヘブンも本来の出勤時刻は九時半だが、今日は出勤前に大和とやらなければならないことがある。自分から言い出したくせに、俺は既に後悔し始めていた。朝が弱い俺にとって「午前八時」と言ったら、本当ならまだ夢の中だ。眠くて仕方のない目を擦り擦り、俺は隣の大和を見上げて言った。
「大和、対応は全部お前に任せたからな」
「全部なんて無理に決まってるだろ。ていうかこれって、空気的にチカが対応しなきゃいけないパターンじゃねえの。俺が対応して、もし相手に不満げな顔されたら立ち直れねえんだけど」
 大丈夫、と何の根拠もなく軽く答えて、俺は棒付きの丸い飴玉を口に咥えた。
 大和の腕には、右も左も大量の紙袋がぶら下がっている。一つ一つは小さいものの数が半端じゃないから、歩くのもかなり大変そうだ。
 袋の中は全て、近隣店舗のスタッフや客達へのバレンタインのお返しだ。
 三月十四日。
 俺にとって、「初めて」のホワイトデー。
「チカも持ってくれってば」
「いいけど、俺まだ目が覚めてねえから転びそう。それに大和の昼飯も持ってやってるし」
「……じゃあいい。俺が持つ」
 俺はポケットから取り出した棒付き飴の袋を毟り、大和の口の前に持っていった。釣られて口を開けた大和にそれを咥えさせ、含み笑いする。
「それ、俺のホワイトデーのお返し。大和にはいつも世話になってるから」
 口の中でコロコロと飴を転がしながら、大和が片眉を吊り上げた。
「駄菓子じゃん」
「でも、俺の気持ちが詰まってるぞ。大和はイチゴ味好きだろ」
「嬉しいけど、……駄菓子じゃんか」
 明らかにテンションを下げている大和を横目に見て、俺はもう一度笑った。
 大和をからかうのは面白い。俺も大概、嘘つきだ。
「そんじゃ。着いたら取り敢えず先に荷物置いて、それから客の分とスタッフの分とを仕分けして、開店前にでも隣の店から持ってくか。……ちゃんとチカも来いよ」
「ん」
「オー、お前ら」
 Gヘブンのシャッター前には、今日も白鷹が座っている。今朝になって大和が電話し、無理矢理この時間に来てもらったのだ。
「柄違いのパーカなんか着やがって。僕達ゲイです、ってアピールしてるようなモンじゃねえか。ムカつくから俺も今日ダルメ買う」
「白鷹くんおはよう。機嫌悪そうっすね」
「当然だろ、いきなり電話で起こされてよ。今何時だと思ってる」
「だって今日は、白鷹くんが店の鍵持ってる日だから。昨日電話しても繋がらなかったし」
 咥え煙草の白鷹が、咥え飴の俺達を見上げて眉根を寄せる。
「俺は男といる時は携帯切ってんだよ」
「束縛の強い彼氏だな……」
「まだガキだからな。言っとくけど俺は、二十歳より上の奴には興味ねえから。チカも来年は俺の射程外だ、残念ながらな」
 嘘つけ、と笑う大和の横で、俺も苦笑いを浮かべた。
「それよりお前、何だその荷物」
「飴です。余分に買ったから、欲しいなら一つあげますけど」
「くれるならくれ」
 俺もポケットから棒付き飴を取り出し、白鷹の前に「どうぞ」と差し出した。
「お。チカちゃんもくれるのか、大和のより百倍嬉しいわ」
「白鷹さんにも、世話になったんで」
 俺がこんな台詞を笑顔で言うと、逆に厭味っぽいだろうか? だけど白鷹は目を細めて俺を見上げ、「いいってことよ」と手を振っている。
「だって俺、これからもチカちゃんの世話しちゃうかもしれねえし……」
「もちろん仕事的な意味で、だけどな」
 すかさず大和に切り込まれて、白鷹が軽く舌打ちをした。
「大和がムカつくから、もう店開けようっと」
 どっこいしょと立ち上がった白鷹がシャッターを開け、だるそうに歩きながら店の中へと入って行く。
「白鷹くん、姿勢悪すぎ。高校の頃は背筋真っ直ぐだったじゃないですか」
「それはお前も同じだろ。ていうか俺、段取ってから殆ど部活出てねえし」
「つっても、それ初段でしょ。俺は二段取りましたけど」
「マジかよ。チカは?」
「俺も二段」
 お前らウザい、と白鷹が珍しく負け惜しみを言うものだから、その背後で俺達は顔を見合わせて笑ってしまった。
 俺達は何も変わらない。
 大和は今日も白鷹に文句を言い、白鷹は今日も大和をからかう。俺は今日もそんな二人を生温かく見守りつつ、結局それを楽しんでいる。
「そろそろエレクトロ飽きた。たまには違う曲かけていいか」
「飽きたって、あんたが選曲してるんでしょ」
 思えばこの一カ月、本当に色々なことが起きた。
 一体俺は何度泣いて、何度怒っただろう。
 ……そして何度、大和のことを想っただろう。
「白鷹くん、金庫の鍵ください」
「やべえ、Gヘルに忘れてきた。ちょっと向こう行って取ってくるわ」
「ゆっくりでいいですよ。どうせなら一時間くらいかけてもらえると」
「あ、白鷹さん。どうせならついでに、Gヘルのスタッフ達にも俺の飴、持ってってください」
「お前らどうせ、俺がいない間にイチャつく気だろ。二十秒で戻って来るからな」
「しませんて」
 誰かを許すこと。受け入れ、受け入れられること。
 愛することの素晴らしさ。それから、対話をすることの大切さ。四年も付き合ってきた俺達が、たった一カ月でそれらを一気に学んだのだ。
 大和はこれからも誰かに嫉妬し続けるだろうし、俺もきっと、ことあるごとに意地を張って不貞腐れる。白鷹だって今度は純粋な意地悪で、俺達の仲を引っかき回そうとするだろう。
 だけどもう大丈夫。この先何が起きたとしても、俺達は俺達のままでいられる。
「政迩、嬉しそうな顔してる」
 休憩室に荷物を置いた後、パソコンの電源を入れながら大和が言った。
「最近お前、よく笑うようになったよな。ひと月前とは比べ物にならねえ、まるで別人みたいな笑顔になってる」
「そうかな……。顔では笑ってても、心の中ではどんな腹黒い計算してるか分かんねえかもよ」
「何を計算してるんだ?」
「大和をショック死させることとか」
「え。何だよそれ、怖すぎる」
「昨日の休み、大和一人で出掛けたじゃん」
 俺が言うと、大和が「そうだよ!」と思い出したように捲し立てた。
「だってチカ誘っても来ねえしさ。しかも、『しばらく帰って来んな』とか言われてさぁ。朝から大喧嘩したじゃん。俺、結局あれからネカフェで時間潰して、昼も夜も一人でラーメン食ったんだぞ」
 大和が子供みたいに頬を膨らませ、俺を振り返る。
「政迩、俺に隠れて何かやってたんだろ。帰ったら帰ったで、台所はぐちゃぐちゃだし、なんかネバネバしたのがこびり付いてて……掃除大変だったんだからな」
「そ、そこまで言いながら、まだ分からねえのかよ?」
「だから何が」
 俺はうずうずしながら大和の目を見て、満面の笑みを浮かべた。
「教えねえ」
「なんか怪しいな」
 大和が俺の背後を覗き込もうとして、俺は咄嗟に身を引いた。だけどすぐに、大和が反対側から覗こうとしてくる。
「何持ってんだよ後ろで。そのコンビニの袋、なんだ」
「教えねえ。ていうか昼飯だよ、俺と大和の」
「いいから、どうせバレるんだから。早く政迩。俺らもう、隠し事しねえって約束しただろ」
 もっともっと焦らしていたい。大和のこの顔を、ずっと見ていたい。
「大和が俺にキスして、何か甘い言葉を囁いてくれたら、考えてやる」
「なんだ、そんな簡単なことでいいのかよ」
 よほど自信があるのか、したり顔で大和が俺の両肩に手を置いた。
「……ん」
 大和の体温を唇に感じながら、後ろ手に持った袋を少しだけ揺らしてみる。
ビニールが擦れ合う音に混じって、袋の中からカラコロと可愛い音がした。歪な形の甘い宝石の欠片が、箱の中でぶつかり合う音だ。
「マジで好きだよ、チカ」
 もう聞き飽きた。笑って言おうとして、俺は口元を弛ませた。
「……俺も好き」
 これが俺の、大和への最後の隠し事。
 さあ、いつ打ち明けようか――。
「オラ、とっくに戻ってんぞ。お前ら、さっさと開店準備しろ」
 ドアから顔を覗かせた白鷹が、つまらなそうに俺達を見て言った。
「白鷹くん早過ぎ。せっかくいい雰囲気だったのにぶち壊しだぜ」
「お前らの邪魔をすることが、今後の俺の生き甲斐だからな」
「まあ適度に邪魔があった方が燃えるってのは、俺ら経験済みだけどね」
 大和と白鷹が顔を見合わせて笑う。ニコニコしてはいるけれど、互いに殺気はダダ漏れだ。
 俺はそんな二人の間に割って入って、MP3プレイヤーのスイッチをオンにした。いつものエレクトロニカが流れた瞬間、笑顔で睨み合っていた大和と白鷹が、パブロフの犬のごとく瞬時にして仕事の顔に切り変わる。
「よーし、じゃあ店開けるぞォ! 大和とチカは店頭配置。俺はレジ金の準備と在庫の補充。入荷のトラックが来るまでに終わらせるからな!」
「了解っ!」
 とは言ったもののまだ時間が早過ぎて、買い物客なんて全くいない。静かな朝の東楽通り、Gヘブンだけが周りから浮いている。
「チカ。ヒョウとゼブラ、どっちのパーカが売れるか勝負な」
「いいよ。どうせ俺が勝つけど」
 俺と大和はラックやワゴンを引っ張りながら、同時に空を見上げて眩しさに目を細めた。
「ああ、すげえいい天気!」
 春風が桜の花弁を優しく揺らし、俺達の頭上を鮮やかに彩っている。浮遊する一枚の花弁が右へ左へ揺れながら、やがて大和の掌に落ちて動きを止めた。
 これまでの四年間、そしてこの先に続いている途方もない日々。ヘコんだり笑ったりを繰り返しながら、結局は俺もこの桜のように、最後には大和の強い力に引き寄せられるのだ。
「政迩、見てみろ」
 その時は二人手を繋いで、また新たな空へと飛び立とう。
「綺麗だな」
 三月十四日。
 薄桃色の世界の中、俺は空を見つめる大和の頬にそっと唇を押し付けた。


 終
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