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「おはよう、遊隆くん。その子が昨日言ってた新人さん?」
「そうっす、十八歳の。ほれ雪弥、みんなに挨拶して」
遊隆に促され、俺は背筋を伸ばしてから事務所にいるスタッフ達に頭を下げた。
「市川雪弥です、遊隆の紹介で来ました……。よろしくお願いします!」
その場にいたスタッフ達からおお、と声が上がる。
「可愛いなぁ!」
「いいね、若いねえ」
興奮したスタッフ達に肩を撫でられたりほっぺたをつねられている俺を、遊隆は横でニヤニヤしながら見ている。
「言っただろ、雪弥。みんな歓迎してくれてる」
俺は苦笑して肩をすくめた。
だがそんな中、ガラス戸の向こうのベランダで煙草を燻らせているあの男──雀夜だけは、つまらなそうな顔で俺を見ていた。「若いってだけで威張ってんじゃねえよ」。そんな顔だ。
それから俺は遊隆と別のスタッフに部屋の隅へ連れて行かれ、昨日遊隆に説明されたこと以外もあれこれと教えてもらった。福利厚生も色々と充実していて、月に一度性病の検査も受けさせてもらえるらしい。遊隆の住むあのアパートも用意されたものだそうだ。
緊張した面持ちで契約書にサインをすると、スタッフがそれを持って別室へ消えた。
そのスタッフと入れ替わるようにして、俺の正面に顎髭を生やした渋い感じのスタッフが腰を下ろした。
「新人か」
「あ、雪弥。この人が監督兼社長の松岡さんだ」
「えっ、あ、よろしくお願いします、市川雪弥です!」
「ん。──遊隆、今日の予定確認するから雀夜と二人でこっち来てくれ」
素っ気ない態度をとられた上に遊隆を連れて行かれそうになり、俺は軽くパニックになった。慌てて遊隆の袖を引き、小さく問いかける。
「俺、今から何すればいい?」
「そうだな、最初はプロフィール用の写真撮影からだから、準備しねえと」
遊隆の言葉に反応したかのように、細い体をしたお洒落なスタッフが近付いてきて俺の前で軽く頭を下げた。
「ヘアメイク担当の浩司です、よろしく!」
「よ、よろしくお願いします。雪弥です」
浩司さんに鏡の前に座らされて後ろから髪をいじられながら、俺はソファに座っている遊隆と雀夜を鏡越しに見つめた。
「遊隆は雪弥の撮影を手伝うとして、その間に雀夜は……」
松岡さんが二人に指示を出している。
「雀夜、桃陽がまだ来てねえんだよ。何時頃になるとか聞いてるか?」
腕時計を確認しながら松岡さんが問うと、雀夜は苛立ったように膝を揺らして舌打ちをした。
「知らねえ。あのガキ電話しても出ねえし」
「桃陽がいなきゃ雀夜の撮影できねえからな……」
どこの業界でも無断欠勤する奴はいるんだな、なんて思っていると、浩司さんがワックスで俺の髪を整えながら笑った。
「雪弥くんて髪質もいいし、肌も綺麗だねぇ。羨ましいよ」
「そんなことないですって」
鏡の中の俺は彼の手によってどんどん変化してゆく。
毛先を跳ねさせたりわざと崩したり、普通の若者なら日常的にやっているようなことも俺にとっては初めての経験なのだ。なんだか恥ずかしくてむず痒くて、俺は鏡の中の浩司さんに向かって問いかけた。
「あの……浩司さん、撮影って髪型とかもいちいち変えるんですか?」
「そうだよー。だって常に綺麗な姿で映してあげたいからね。雪弥くんは顔が可愛いから、元気な感じのスタイルがいいと思うんだ」
「……可愛いとかって、男としてどうなんですか。仕事で需要あるんですか?」
俺が唇を尖らせると、浩司さんは大袈裟なほどに声をあげて笑った。
「あるに決まってるよ、むしろ需要がない子なんていないんだから。雪弥みたいな可愛い子と、遊隆みたいなヤンチャなのと、雀夜みたいなワイルドなのと。みんなそれぞれ役割ってのがあるんだよ」
遊隆はここではヤンチャ扱いされてるのか。なんだか意外だった。
「中年のおじさんだって、もちろん僕みたいなナヨナヨしたのだって需要はあるよ!」
その時──ゲラゲラ笑う俺達の後ろの方で、突然雀夜の怒号が響いた。
「てめぇ、連絡もしねぇで遅刻して何考えてんだ!」
俺も浩司さんも驚いてその場で跳ね上がり、揃って背後を振り向いた。部屋の入り口付近、雀夜にすごまれて怯えた表情をしている少年がいる。
「すいません。携帯の充電忘れてて、アラーム鳴らなくて、寝坊しちゃって……」
「てめぇ仕事ナメてんだろ。何度目の遅刻だ、コラ!」
「ご、ごめんなさいっ」
雀夜のあまりの剣幕に、誰もがお喋りや仕事の手を止めていた。室内は水を打ったように静まり返っている。確かに遅刻は悪いことだけど、何もそこまで怒鳴らなくたっていいんじゃないかと思った。だけどスタッフの誰も、遊隆でさえもその少年を庇う素振りを見せない。
「ごめんなさい……もう二度と遅刻しません……」
両手を擦り合わせながら俯いてしまう少年は恐ろしく睫毛が長く肌は真っ白で、まるで童話に出てきそうな「王子様」な雰囲気を醸し出している。
その今にも泣きそうになっている王子様に、雀夜が舌打ちして吐き捨てるように言った。
「次やったらそのツラぶっ飛ばすからな」
「はい……」
雀夜が苛立ったようにソファへ腰を下ろす。そうして空気が元に戻り、スタッフ達はまたそれぞれの仕事を再開させた。
怒られた少年が上着を脱ぎながら小走りで俺の方に寄ってくる。そして浩司さんに脱いだ上着を渡し、独り言のように呟いた。
「うー。怖かったですなぁ~。雀夜のバカチンコ」
「………」
全く反省してない様子だ。
浩司さんが受け取った上着をハンガーにかけて苦笑する。
「桃ちゃん、雀夜との撮影の時は遅刻しちゃ駄目だって分かってるだろ。人一倍時間にうるさいんだから」
「へいへい。あれっ、もしかしてきみ、新人くん?」
俺は椅子から立ち上がって彼に頭を下げた。
「雪弥です、遊隆の紹介で今日から……」
「そっかそっか、よろしくね。俺は桃陽だよ!」
さっきまで泣きそうになっていたのに、今はもうニコニコしている。どうやら彼は相当な役者らしい。
浩司さんが言った。
「雪弥は桃ちゃんの一個年下だね。一番歳が近いから、仲良くしてもらうといいよ」
「そうなんですか。よろしくお願いします、桃陽さん……」
「めんどいから敬語使わなくていいよ! 桃陽って呼んで!」
時間にルーズなのはともかく人の良さそうな桃陽の笑顔に安堵し、俺も小さく笑みを浮かべた。
と、その時。
「雪弥、準備できたか?」
「遊隆」
髪型が変わった俺を見て、遊隆が満足げに頷く。
「かっこ良くなったな。さすが浩司」
「素材が良かったからだよ」
遊隆に誉められた浩司さんは顔を赤くさせている。
「そうっす、十八歳の。ほれ雪弥、みんなに挨拶して」
遊隆に促され、俺は背筋を伸ばしてから事務所にいるスタッフ達に頭を下げた。
「市川雪弥です、遊隆の紹介で来ました……。よろしくお願いします!」
その場にいたスタッフ達からおお、と声が上がる。
「可愛いなぁ!」
「いいね、若いねえ」
興奮したスタッフ達に肩を撫でられたりほっぺたをつねられている俺を、遊隆は横でニヤニヤしながら見ている。
「言っただろ、雪弥。みんな歓迎してくれてる」
俺は苦笑して肩をすくめた。
だがそんな中、ガラス戸の向こうのベランダで煙草を燻らせているあの男──雀夜だけは、つまらなそうな顔で俺を見ていた。「若いってだけで威張ってんじゃねえよ」。そんな顔だ。
それから俺は遊隆と別のスタッフに部屋の隅へ連れて行かれ、昨日遊隆に説明されたこと以外もあれこれと教えてもらった。福利厚生も色々と充実していて、月に一度性病の検査も受けさせてもらえるらしい。遊隆の住むあのアパートも用意されたものだそうだ。
緊張した面持ちで契約書にサインをすると、スタッフがそれを持って別室へ消えた。
そのスタッフと入れ替わるようにして、俺の正面に顎髭を生やした渋い感じのスタッフが腰を下ろした。
「新人か」
「あ、雪弥。この人が監督兼社長の松岡さんだ」
「えっ、あ、よろしくお願いします、市川雪弥です!」
「ん。──遊隆、今日の予定確認するから雀夜と二人でこっち来てくれ」
素っ気ない態度をとられた上に遊隆を連れて行かれそうになり、俺は軽くパニックになった。慌てて遊隆の袖を引き、小さく問いかける。
「俺、今から何すればいい?」
「そうだな、最初はプロフィール用の写真撮影からだから、準備しねえと」
遊隆の言葉に反応したかのように、細い体をしたお洒落なスタッフが近付いてきて俺の前で軽く頭を下げた。
「ヘアメイク担当の浩司です、よろしく!」
「よ、よろしくお願いします。雪弥です」
浩司さんに鏡の前に座らされて後ろから髪をいじられながら、俺はソファに座っている遊隆と雀夜を鏡越しに見つめた。
「遊隆は雪弥の撮影を手伝うとして、その間に雀夜は……」
松岡さんが二人に指示を出している。
「雀夜、桃陽がまだ来てねえんだよ。何時頃になるとか聞いてるか?」
腕時計を確認しながら松岡さんが問うと、雀夜は苛立ったように膝を揺らして舌打ちをした。
「知らねえ。あのガキ電話しても出ねえし」
「桃陽がいなきゃ雀夜の撮影できねえからな……」
どこの業界でも無断欠勤する奴はいるんだな、なんて思っていると、浩司さんがワックスで俺の髪を整えながら笑った。
「雪弥くんて髪質もいいし、肌も綺麗だねぇ。羨ましいよ」
「そんなことないですって」
鏡の中の俺は彼の手によってどんどん変化してゆく。
毛先を跳ねさせたりわざと崩したり、普通の若者なら日常的にやっているようなことも俺にとっては初めての経験なのだ。なんだか恥ずかしくてむず痒くて、俺は鏡の中の浩司さんに向かって問いかけた。
「あの……浩司さん、撮影って髪型とかもいちいち変えるんですか?」
「そうだよー。だって常に綺麗な姿で映してあげたいからね。雪弥くんは顔が可愛いから、元気な感じのスタイルがいいと思うんだ」
「……可愛いとかって、男としてどうなんですか。仕事で需要あるんですか?」
俺が唇を尖らせると、浩司さんは大袈裟なほどに声をあげて笑った。
「あるに決まってるよ、むしろ需要がない子なんていないんだから。雪弥みたいな可愛い子と、遊隆みたいなヤンチャなのと、雀夜みたいなワイルドなのと。みんなそれぞれ役割ってのがあるんだよ」
遊隆はここではヤンチャ扱いされてるのか。なんだか意外だった。
「中年のおじさんだって、もちろん僕みたいなナヨナヨしたのだって需要はあるよ!」
その時──ゲラゲラ笑う俺達の後ろの方で、突然雀夜の怒号が響いた。
「てめぇ、連絡もしねぇで遅刻して何考えてんだ!」
俺も浩司さんも驚いてその場で跳ね上がり、揃って背後を振り向いた。部屋の入り口付近、雀夜にすごまれて怯えた表情をしている少年がいる。
「すいません。携帯の充電忘れてて、アラーム鳴らなくて、寝坊しちゃって……」
「てめぇ仕事ナメてんだろ。何度目の遅刻だ、コラ!」
「ご、ごめんなさいっ」
雀夜のあまりの剣幕に、誰もがお喋りや仕事の手を止めていた。室内は水を打ったように静まり返っている。確かに遅刻は悪いことだけど、何もそこまで怒鳴らなくたっていいんじゃないかと思った。だけどスタッフの誰も、遊隆でさえもその少年を庇う素振りを見せない。
「ごめんなさい……もう二度と遅刻しません……」
両手を擦り合わせながら俯いてしまう少年は恐ろしく睫毛が長く肌は真っ白で、まるで童話に出てきそうな「王子様」な雰囲気を醸し出している。
その今にも泣きそうになっている王子様に、雀夜が舌打ちして吐き捨てるように言った。
「次やったらそのツラぶっ飛ばすからな」
「はい……」
雀夜が苛立ったようにソファへ腰を下ろす。そうして空気が元に戻り、スタッフ達はまたそれぞれの仕事を再開させた。
怒られた少年が上着を脱ぎながら小走りで俺の方に寄ってくる。そして浩司さんに脱いだ上着を渡し、独り言のように呟いた。
「うー。怖かったですなぁ~。雀夜のバカチンコ」
「………」
全く反省してない様子だ。
浩司さんが受け取った上着をハンガーにかけて苦笑する。
「桃ちゃん、雀夜との撮影の時は遅刻しちゃ駄目だって分かってるだろ。人一倍時間にうるさいんだから」
「へいへい。あれっ、もしかしてきみ、新人くん?」
俺は椅子から立ち上がって彼に頭を下げた。
「雪弥です、遊隆の紹介で今日から……」
「そっかそっか、よろしくね。俺は桃陽だよ!」
さっきまで泣きそうになっていたのに、今はもうニコニコしている。どうやら彼は相当な役者らしい。
浩司さんが言った。
「雪弥は桃ちゃんの一個年下だね。一番歳が近いから、仲良くしてもらうといいよ」
「そうなんですか。よろしくお願いします、桃陽さん……」
「めんどいから敬語使わなくていいよ! 桃陽って呼んで!」
時間にルーズなのはともかく人の良さそうな桃陽の笑顔に安堵し、俺も小さく笑みを浮かべた。
と、その時。
「雪弥、準備できたか?」
「遊隆」
髪型が変わった俺を見て、遊隆が満足げに頷く。
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