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奥州合戦前夜

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泰衡は、奥州軍の総大将として、
「多賀城において鎌倉勢を迎え撃たん。」
と、主張した。

多賀城と言っても、戦国時代のような高い石垣と広い堀によって守られた堅固な城では無く、当時の城は城柵である。
すなわち、高い木の柵で囲った砦のようなものである。
鎌倉の大軍に攻められたら、柵を破られあっという間に皆殺しにされてしまう。

多賀城籠城作戦は、柵に囲まれていたら敵の攻撃に耐えられると勘違いをしている、戦を知らない泰衡の妄想でしかなかった。

国衡と巴、それと義経は、阿津賀志山を決戦場に選んだ。

阿津賀志山は、鎌倉から北上して白河の関を越えたところ、福島盆地の北端に位置する。
東山道沿いに奥州へ通るためには、必ずこの地を通らなければならない交通の要衝である。
阿津賀志山の標高は289メートルで小高い程度の山である。

国衡たちは、阿津賀志山の南麓に陣地を構えることにした。

「この場所なら、投石器を放つのにうってつけでございますな。」
と、それなりに広さのある丘陵地を見て、国衡は満足げに義経に微笑んだ。
「それでは、働き手の動員をお願いいたします。この顔では、誰も命令を聞いてくれませんでしょうから。」
と、義経の要請によって、国衡が動員の指示を出した。多くの木こりや材木の運び手が駆り出された。
そして阿津賀志山から、投石器作成のための材木が運び出された。また投石用の岩や石も運び出された。

さらに、投石器を作成するための大工や職人が駆り出された。
図面の作成、投石器作成の指示は義経が主導して行なった。

「あの御仁は、まるで義経殿のように投石器に精通しておられる。あんな御仁はいつからいらっしゃったのだろう。」
「うむ、確かにまるで義経殿のようだ。しかしあの御仁は、義経殿と違って大そうな大力の持ち主だ。あのような優れた方がいらっしゃたのはわしも知らなんだ。」
奥州の武士達は、顔は全く違うが義経のような能力を持つその人を尊敬した。

もうすぐ、鎌倉軍が奥州に向かって出発して来る。
奥州軍の作業は、大急ぎで進められた。

「この丘陵地は、確かに投石のためには有利でありますが、坂東武者が騎馬で駆け上がってきたら、あっという間に踏みにじられてしまいますな。」
と、国衡が心配顔で義経に言った。
「その通りです。三人で合力して、ここに堀を作りましょう。」
と、義経が顔を輝かせて、国衡と巴に提案した。

そこで三人は数時間の断食を行なった。
もう空は薄暗くなっていた。大工などの作業員は既に家に帰っている。

それから三人は、長い祈りを行なった。
奥州の平安のため、日本国が悪魔に支配されないように懸命に祈った。

その後三人はひざまずき、氣を体中に漲らせて掌底で地面を叩いた。

『ズズズズッー』

奥州軍の陣地の回りの土地が崩れ落ち、幅10数メートル、深さ3メートルほどの深い堀が出来上がった。
堀は奥州軍から見て急こう配になっており、この深さだと、騎馬隊は登れない。
堀から出た土は、堀の外側に積もってそれは土塁を形成した。

「鎌倉の大軍を迎え撃つには、この長さでは不十分でござる。」
と、義経の主張により、この堀は3キロメートル余りほどの長さまで掘られた。

翌朝、奥州軍は一夜にして作られた堀を見て仰天してしまった。

「神は我らを守ってくださっている。皆の者、奥州は守られるぞ!」
と、国衡が大声で叫び、奥州軍は鬨の声を上げた。

その日、義経は更に内側に堀が必要であると提案した。
「一重堀では心もとのうござる。堀は二重にすべきと心得る。」
そこで前夜と同じように、今夜は内堀の作成が行われた。

内堀から出た土は、堀の外側と内側に積もられ、それぞれ土塁を形成した。

これで、二重の堀と三重の土塁が出来上がった。

これだけの大土木工事を二晩で成し遂げたのである。
「我らの錬金術も、相当腕を上げたと思いませぬか。」
と、国衡が誇らしげに言うと、義経も巴も同意した。
「日に日に力が増し加わっていることを、実感いたします。」
と、巴が晴れやかな顔をして言った。巴が自慢げに言葉を発するのは珍しいことである。
「我ら一人ずつでも、相当な力を出せるようになりましたな。」
と、国衡がにこにこしながら二人の顔を見ながらそう言ったが、もうすぐ国衡は命を落とすことを知っているので、巴と義経は微笑みながらも切ない気持ちになった。

また次の朝、奥州軍は堀が二重になっているのを見て、またまた仰天するとともに感嘆の声を上げた。

その後奥州軍は、内土塁の内側に簡易的な柵を設けた。
これは最終防御線と言うよりも、味方が退却する時の助けとなる程度のものである。

決戦の日は近づいてきている。

一方、後白河院が、これ以上の戦乱は無用であると頼朝の奥州征伐を止めたのにもかかわらず、頼朝はどんなことがあっても奥州に戦争を仕掛けたがった。

それは己の欲のためである。民のことなどこれっぽっちも考えていない。

院が反対なので、頼朝は大義名分を失った形になった。そのため頼朝に躊躇があった。
ここで悪魔の手先が現れる。
大庭景義の『軍中は将軍の令を聞き、天子の詔を聞かず』という進言により、文治五年(1189年)7月19日、頼朝は院の勅許を待たず、鎌倉を発して泰衡追討に向かった。

実に都合の良い理屈である。否、屁理屈である。
屁理屈で道理を引っ込めて、無用な戦争を起こして無駄に命を奪う。
いつの時代も、このような悲劇が無くならない。

しかしここで、頼朝は今までしてこなかったことをした。

それは、戦場に出陣することである。
最初に石橋山の合戦で大敗して以来、どんなに平家が劣勢になっても、頼朝は鎌倉に居座ったままで命令だけを飛ばし、戦場には出てこなかった。

木曾義仲との戦いでも、平家の時と同様、戦は範頼と義経に全く任せっきりで、頼朝は戦場に出ていない。

それなのに、奥州征伐では意気揚々と出陣している。何かおかしい。
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