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奥州藤原氏は巴御前を仲間に加える
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闇夜に乗じて、藤原秀衡の屋敷の門を叩いたのは巴御前である。
二人は座敷で向かい合った。
「秀衡殿以外に、もう頼る居場所がございません。どうぞお許しを。」
「いやいや、まさか巴殿がこんな北の果てまでおいでになるとは。」
秀衡は巴御前の顔を知らなかった。
しかし、未だに殺気の抜けきらない雰囲気を漂わせた白い顔の女性を見て、鎌倉武士を一時に何十人も倒した巴御前に違いないと秀衡は見定めた。
この日のうちに、武田十蔵の率いる鎌倉武士隊が何者かによって殲滅させられた事件は、秀衡の耳に入っていた。
その張本人を目の前にして、なるほど、この人ならそんな離れ業をやりかねないと、その身体から発せられる生気を強く感じて得心した。
『この生命力の強さなら、我らが望みが叶うかもしれない。』
秀衡は、巴御前に希望を見出そうとした。
まずはお休みなさいませと、下女二名が手伝って、巴御前に入浴させた。
そして夜着に着替えさせると、巴御前はまるで自分の家のように安心しきってぐっすり寝てしまった。
長い間ろくに寝ずに、鎌倉武士と戦って来たせいであろう。
翌朝、巴御前は一族の者と挨拶を交わした。
巴御前の美しさに、男たちは目を見張った。
まず秀衡が、泰衡を紹介した。
「これが、次期当主となる泰衡でございます。」
と呼ばれて、泰衡が「泰衡でございます。」と会釈をしたのに対し、
「木曽義仲の妾、巴でございます。」
と、巴が名乗ったのには、皆驚いた。
巴の正直な物言いに、未だに源義仲のことを慕い続けているのだと、一同感心もした。
しかしこの時、巴が少し怪訝な顔つきをしたのを、秀衡は見逃さなかった。
巴は、国衡が次期当主と思い込んでいたのだった。
それは、国衡が年長だからだけではない。どう見ても国衡の方が、当主に相応しい器量の持ち主と感じたからだ。
「国衡は母親が側室なので...」
と、秀衡は国衡を紹介した。
国衡と巴は軽く挨拶を交わしただけだが、国衡はずいぶん汗をかいていた。
さらに秀衡の息子たち、忠衡、高衡、通衡、頼衡が紹介された。
また、泰衡の母の父親として藤原基成が紹介された。つまり秀衡の義理の父である。しかし、基成と秀衡の歳はさほど変わらない。
ここで秀衡は声の調子を落として、
「ここだけの話であるが、昨日武田十蔵の手勢を殲滅させたのは、巴殿の仕業である。この件、鎌倉の手の者には気付かれぬように。他言無用である。」
と、一同に告げた。
皆の者は、驚きの表情と羨望の眼差しをもって、巴の顔を改めて見つめた。
巴は少し恥ずかしがった。
「お供の者は、どうされたのでしょうか。討ち死にされたのですか。」
と、忠衡が無遠慮に聞いた。
「ほっ、お一人じゃよ。巴殿、お一人で打ち負かしたのじゃよ。」
と、秀衡が嬉しそうに巴に代って答えた。
皆の者は、再び巴の顔を見つめたが、彼らの顔に愛想は無くやけに神妙であった。
「国衡殿とどちらがお強いのでしょう。」
と、頼衡が無邪気に聞いた。国衡は、
「お話になりません。」と、即答した。さらに、
「足元にも及びません。」
と、重ねて言った。
巴はますます恥ずかしがった。
なぜ藤原氏の男たちは、巴の強さについてしつこく聞いたのか、巴は後になってその理由を知ることになる。
誰も巴の目的を聞こうとしなかったが、巴の決意は読み取れていた。
巴の念願は、義仲の敵を討つべく、頼朝、範頼、義経を殺すことであった。
そのために巴は、頼朝に唯一抵抗している藤原秀衡の元に飛び込んだのであった。
翌日、巴は藤原氏の女性たちとも挨拶をした。
女たちは、男たちよりも無遠慮に、巴の武勇伝を聞きたがった。
巴は多くを語りたがらなかったが、女たちは勝手に話を大きくして盛り上がっていた。
巴がやっと解放されて、自分の部屋に下がった時、下女が密かに巴に囁いた。
「国衡殿は、泰衡殿のお母上を嫁にされたのでございますよ。」
「え?」
国衡と泰衡は、秀衡を父とする兄弟である。その泰衡の生みの母親が、国衡の妻となっている?
つまり秀衡は、自分の妻を自分の腹違いの息子の嫁にしたということだ。
相手が亡くなった今も、一人の男を一途に慕い続ける巴には、この関係はにわかには理解できなかった。
下女は、余計なおしゃべりをしたのではない。秀衡の指示で、さりげなく巴に藤原氏の事情を伝えたのである。
それは、巴が藤原氏の仲間であることを表す行為であった。
「それに国衡殿のお母上は、蝦夷の出でございます。そういう私も蝦夷の出でございます。」
と、下女は屈託のない様子で言った。
「わらわも、木曽の山中の出でございます。」
と、巴は笑顔で返した。
一方貴族である藤原基成の娘を母に持つ泰衡には、公家の血が入っている。
ここ奥州では、公家の血筋なぞ意味の無いように思えた。
しかし、藤原氏の次期当主は泰衡である。
「しばらく平泉の街を見物なさるが良い。ただし最近は鎌倉武士を自由に入れてしまってるので、巴殿とは悟られぬようにお気を付けなされ。」
秀衡は、皆の者に街中では決して巴の名を言わぬように徹底した。
平泉の街は、本当に金装飾で飾られていた。
二人のお供に連れられて、巴はこの世のものとは思えぬ景色の街並みを楽しんだ。
街ゆく人々の衣装は、大陸風のものも多かった。平泉では流行っているようだ。
本物の異国の人達もちらほらいた。話す言葉もそうだが、やはり何となく雰囲気で分かる。
北方貿易の影響で、奥州には他の地域とは違う文化、風俗が少なからず広まっていた。
平和な人々の様子を目の当たりにして、巴はここは極楽浄土のようだとしみじみと感じた。
二人は座敷で向かい合った。
「秀衡殿以外に、もう頼る居場所がございません。どうぞお許しを。」
「いやいや、まさか巴殿がこんな北の果てまでおいでになるとは。」
秀衡は巴御前の顔を知らなかった。
しかし、未だに殺気の抜けきらない雰囲気を漂わせた白い顔の女性を見て、鎌倉武士を一時に何十人も倒した巴御前に違いないと秀衡は見定めた。
この日のうちに、武田十蔵の率いる鎌倉武士隊が何者かによって殲滅させられた事件は、秀衡の耳に入っていた。
その張本人を目の前にして、なるほど、この人ならそんな離れ業をやりかねないと、その身体から発せられる生気を強く感じて得心した。
『この生命力の強さなら、我らが望みが叶うかもしれない。』
秀衡は、巴御前に希望を見出そうとした。
まずはお休みなさいませと、下女二名が手伝って、巴御前に入浴させた。
そして夜着に着替えさせると、巴御前はまるで自分の家のように安心しきってぐっすり寝てしまった。
長い間ろくに寝ずに、鎌倉武士と戦って来たせいであろう。
翌朝、巴御前は一族の者と挨拶を交わした。
巴御前の美しさに、男たちは目を見張った。
まず秀衡が、泰衡を紹介した。
「これが、次期当主となる泰衡でございます。」
と呼ばれて、泰衡が「泰衡でございます。」と会釈をしたのに対し、
「木曽義仲の妾、巴でございます。」
と、巴が名乗ったのには、皆驚いた。
巴の正直な物言いに、未だに源義仲のことを慕い続けているのだと、一同感心もした。
しかしこの時、巴が少し怪訝な顔つきをしたのを、秀衡は見逃さなかった。
巴は、国衡が次期当主と思い込んでいたのだった。
それは、国衡が年長だからだけではない。どう見ても国衡の方が、当主に相応しい器量の持ち主と感じたからだ。
「国衡は母親が側室なので...」
と、秀衡は国衡を紹介した。
国衡と巴は軽く挨拶を交わしただけだが、国衡はずいぶん汗をかいていた。
さらに秀衡の息子たち、忠衡、高衡、通衡、頼衡が紹介された。
また、泰衡の母の父親として藤原基成が紹介された。つまり秀衡の義理の父である。しかし、基成と秀衡の歳はさほど変わらない。
ここで秀衡は声の調子を落として、
「ここだけの話であるが、昨日武田十蔵の手勢を殲滅させたのは、巴殿の仕業である。この件、鎌倉の手の者には気付かれぬように。他言無用である。」
と、一同に告げた。
皆の者は、驚きの表情と羨望の眼差しをもって、巴の顔を改めて見つめた。
巴は少し恥ずかしがった。
「お供の者は、どうされたのでしょうか。討ち死にされたのですか。」
と、忠衡が無遠慮に聞いた。
「ほっ、お一人じゃよ。巴殿、お一人で打ち負かしたのじゃよ。」
と、秀衡が嬉しそうに巴に代って答えた。
皆の者は、再び巴の顔を見つめたが、彼らの顔に愛想は無くやけに神妙であった。
「国衡殿とどちらがお強いのでしょう。」
と、頼衡が無邪気に聞いた。国衡は、
「お話になりません。」と、即答した。さらに、
「足元にも及びません。」
と、重ねて言った。
巴はますます恥ずかしがった。
なぜ藤原氏の男たちは、巴の強さについてしつこく聞いたのか、巴は後になってその理由を知ることになる。
誰も巴の目的を聞こうとしなかったが、巴の決意は読み取れていた。
巴の念願は、義仲の敵を討つべく、頼朝、範頼、義経を殺すことであった。
そのために巴は、頼朝に唯一抵抗している藤原秀衡の元に飛び込んだのであった。
翌日、巴は藤原氏の女性たちとも挨拶をした。
女たちは、男たちよりも無遠慮に、巴の武勇伝を聞きたがった。
巴は多くを語りたがらなかったが、女たちは勝手に話を大きくして盛り上がっていた。
巴がやっと解放されて、自分の部屋に下がった時、下女が密かに巴に囁いた。
「国衡殿は、泰衡殿のお母上を嫁にされたのでございますよ。」
「え?」
国衡と泰衡は、秀衡を父とする兄弟である。その泰衡の生みの母親が、国衡の妻となっている?
つまり秀衡は、自分の妻を自分の腹違いの息子の嫁にしたということだ。
相手が亡くなった今も、一人の男を一途に慕い続ける巴には、この関係はにわかには理解できなかった。
下女は、余計なおしゃべりをしたのではない。秀衡の指示で、さりげなく巴に藤原氏の事情を伝えたのである。
それは、巴が藤原氏の仲間であることを表す行為であった。
「それに国衡殿のお母上は、蝦夷の出でございます。そういう私も蝦夷の出でございます。」
と、下女は屈託のない様子で言った。
「わらわも、木曽の山中の出でございます。」
と、巴は笑顔で返した。
一方貴族である藤原基成の娘を母に持つ泰衡には、公家の血が入っている。
ここ奥州では、公家の血筋なぞ意味の無いように思えた。
しかし、藤原氏の次期当主は泰衡である。
「しばらく平泉の街を見物なさるが良い。ただし最近は鎌倉武士を自由に入れてしまってるので、巴殿とは悟られぬようにお気を付けなされ。」
秀衡は、皆の者に街中では決して巴の名を言わぬように徹底した。
平泉の街は、本当に金装飾で飾られていた。
二人のお供に連れられて、巴はこの世のものとは思えぬ景色の街並みを楽しんだ。
街ゆく人々の衣装は、大陸風のものも多かった。平泉では流行っているようだ。
本物の異国の人達もちらほらいた。話す言葉もそうだが、やはり何となく雰囲気で分かる。
北方貿易の影響で、奥州には他の地域とは違う文化、風俗が少なからず広まっていた。
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