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第二十四話 万物残留
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「エーイチ様に、そのようなお考えが——?」
「螺旋迷宮が、成長すれば……エーイチ様の元いた世界に……魔物が送られる?」
「ああ。聞いた話ではそうらしい。悪いな、隠すつもりはなかった。オレたちの目的は完全に一致した、ってことだ」
「一致……。エーイチ様と……同様の目標に向かえるのは…………とても嬉しく思います」
「ワタシも同じ思いです、けれど。よいのですか? 元々、エーイチ様は元の世界に戻るべく……恩を返すのだと」
「いいさ。あの災害を未然に防ぐことができたなら、オレを置いてくれた家の人たちにも、まあ恩は返せたはずだ」
二度と元の世界に、地球に戻れなくとも構わない。その結実を、この目で見届けることができなくとも構わない。
取り戻せないはずの、零れていってしまった無数のもの——
たくさんの命を、取り戻すことができるのならば。
「そういうわけだから、これからも頼りにしてるぞ。ギルドがあの調子なら、迷宮はオレたちが踏破するほかなさそうだしな」
「わかり……ました。末永く……おそばに」
「もとより、そのつもりです!」
永一の両隣に、銀の髪の姉妹が並ぶ。
それを、黒い眼差しが不快そうににらみつけた。
「忠告と警告を、俺は確かに送ったはずなのだがな。セレイネスの生き残り。君たち姉妹の復讐が叶う時は決して来ない」
「いいえ、ワタシたちはきっと成し遂げます! ワタシたち姉妹だけでなく、エーイチ様もいてくださるのですから」
「わたしは復讐を……遂げる。絶対。あなたに……無理だなんて言われる筋合いは……ない」
「いいやあるとも。なぜなら、その復讐を頓挫させるものは迷宮の魔物たちではない。この、俺だからだ」
アワブチはすっと、音もなく腰の剣を引き抜いた。それは小ぶりかつ細身の、黒色の柄も相まって小太刀のような印象を与える剣だった。
目を引くのは柄に埋め込まれた、赤い色の宝石だ。いかにも質実さを好んでいそうなあの男にしては、獲物の耐久性をいたずらに下げるだけであろう装飾に永一はわずかな疑問を覚える。
「アワブチ様。刃を抜いたということは、戦うつもりですか。このような往来で」
「問題はない、一般市民はわざわざ迷宮の付近にまで来ないさ。こちらとしては、迷宮にさえ手を出さないのであれば見逃してやってもよかったが……」
白刃の切っ先を永一へと向け、あくまで平静と、冷淡にアワブチは続ける。
「エーイチ君の目的は俺たちの利益とあまりに相反する。危険なタカイジンの芽は、この場で摘んでおくとしよう」
「悪党が。自分たちギルドの報酬のために迷宮を生かすなんて、許されるはずがない。お前たちが早々に迷宮を殺していれば、助かった命は数多くあるんじゃないのか!」
「そんな義務を課せられる謂れはないな。悪だと……? 自分の居場所を守る行いのどこが悪だ。善人を名乗ることはできなくとも、糾弾される覚えはない!」
——どの口が言っている。
反論を噛み殺し、無言の殺意へと換えながら永一もナイフを鞘から引き抜いた。
「また連戦だが、いけるな。ふたりとも」
「当然……です。わたしたちの……道を阻むのなら……誰であれ、容赦はしない」
「それに。元をたどればギルドに非があるわけではないとわかっていても、それでも——あそこまで開き直られると、流石に思うところもありますっ」
シンジュの憤りももっともだ。
セレイネスの里を襲う大泛溢も、冒険者ギルドが螺旋迷宮を殺していれば起こることはなかった。
冒険者ギルドは、故意に迷宮を生かしている。そうして、各地に被害が出るたび冒険者を派遣して報酬を得ている。
永一の目には、それはひどく利己的なマッチポンプに見えた。
無論彼らなりの言い分もあるのだろう。本格的に迷宮の踏破を目指せば人的被害も多大だろうし、このラセンカイから魔物が消えた時、冒険者たちが路頭に迷うこともあるのかもしれない。
しかし、魔物がいる限りその脅威は消えない。今こうしている間にも、世界の各地で魔物は泛溢し続けている。ともすると、その魔の生物たちに命を奪われている者もいるかもしれない。
シンジュやコハクの、同じ里の仲間たちのように。
あるいは。永一の家族のように。
(金のために他者を見殺しにしておいて……なにが覚えはないだ!)
赤い地獄のことを想起する。迷宮の頂上に至り、その核を破壊すれば、地球に起こるあの災害さえなかったことにできるのだ。
魔物の根絶。それは怪獣の根絶でもあり、たくさんの悲劇を回避することにつながる。
それを——それにもっとも近い場所にありながら、手を伸ばさないアワブチのことを、永一は認めるわけにはいかないのだ。
あの赤い地獄の中で。家族の中で。ただひとり助かってしまった、今ものうのうと生を貪る浅ましき生存者として。
「き、気ぃつけてくださいアワブチさん! そいつは……そいつの転生特典は不死身です! 死ぬたびに怪我が全部治って生き返る、バケモンです!」
「へえ? たまには役に立つじゃないか、ラクト。なるほど、死ぬ都度に全快……ならば殺さないよう気を付けながら、手足を落として無力化しようか」
畏れからか、ラクトが永一の情報を伝える。その声を合図にしたかのように、アワブチは一気に身を沈めて駆けだした。
事実、アワブチの口にした対処法は永一の唯一の弱点を突いていた。
不死の力。それは、死ぬことがトリガーとなって発動する。逆に言えば、永一を殺さないようにすればその手傷が癒えることはないのだ。
恐るべきはそれを言葉ひとつから理解する洞察力だろう。アワブチとて、伊達に14の夏から15年もこの螺旋そびえる異世界で過ごしてきたわけではなかった。
「たったひとりで向かってきたところで……! させませんっ、『血を巡るもの。力あるもの。形を成し、打ち付ける杭となれ』!」
迎撃すべく、シンジュがその詠唱により術式を成す。魔力によって編まれた真っ黒く巨大な杭が、アワブチに向けて撃ち放たれた。
しかしその長衣の男は、一切避ける素振りさえ見せない。シンジュが狙いを過つこともそうそうなく、黒杭はアワブチの頭蓋を無慈悲に打ち砕く——
直前。先細りする死の鉄槌は、急ブレーキをかけたかのように静止した。
「止まっ……!?」
「公平を期すわけではないが教えておいてやる。俺の転生特典は『固定』——認識する物体をその場に留める能力だ」
魂に宿るその力が、シンジュの生んだ杭を宙に固定している。ぴたと止まるそれに一瞥もくれず、アワブチはそのそばを通り過ぎた。
あと数歩で剣の間合いだ。そうはさせまいと、今度は永一が前へ出る。その背へそっと、コハクの手が伸ばされた。
「『血を巡るもの。循環するもの。留まらぬもの。調和を乱し、偏在せよ』。エーイチ様……援護いたします」
「ワタシもっ、まだまだ……! 『血を巡るもの。形を持たぬもの。戒めるべく、黒き束縛の帯となれ』!」
コハクによる片月と、シンジュによる若月の援護。前者は永一の瞳に紫の輝きを宿らせ、後者は敵を阻害せんと帯を伸ばす。
特に、シンジュの詠唱によって生み出され、その足元から放たれる帯の数は四本。多大な魔力を込めている証拠であり、連戦に次ぐ連戦で底を尽きつつある血中魔力に無理をさせる芸当だ。
「無駄だ。視えている以上、俺には通じない!」
しかしそのすべてが、アワブチの黒い目に見咎められた途端、地面に縫いつけられるように動きを止める。
同時に多方向から攻めれば対処しきれないのではないか——
おそらくはそんな思惑だったのであろうシンジュの意図は、あっさりと覆された。アワブチの転生特典の対応力の高さを証明した形だ。
「なら、この手で叩き斬ってやる」
「——!」
そこへ、片月のバフを受けた永一が飛び込む。流石に手に握っているナイフの動きまでは止められないのか、不意打ち気味に振り抜いた一撃をアワブチはその細い剣で受け流した。
「はっ! はぁッ!」
「く、馬鹿のひとつ覚えのように……!」
留まることなく、湾曲した刀身を何度も叩きつける。我が身を顧みないその無理やりとも言える特攻は、姉妹のさらなる援護を信じてのことだった。
そして従属を誓う彼女らは、決して主の期待を裏切らない。
「螺旋迷宮が、成長すれば……エーイチ様の元いた世界に……魔物が送られる?」
「ああ。聞いた話ではそうらしい。悪いな、隠すつもりはなかった。オレたちの目的は完全に一致した、ってことだ」
「一致……。エーイチ様と……同様の目標に向かえるのは…………とても嬉しく思います」
「ワタシも同じ思いです、けれど。よいのですか? 元々、エーイチ様は元の世界に戻るべく……恩を返すのだと」
「いいさ。あの災害を未然に防ぐことができたなら、オレを置いてくれた家の人たちにも、まあ恩は返せたはずだ」
二度と元の世界に、地球に戻れなくとも構わない。その結実を、この目で見届けることができなくとも構わない。
取り戻せないはずの、零れていってしまった無数のもの——
たくさんの命を、取り戻すことができるのならば。
「そういうわけだから、これからも頼りにしてるぞ。ギルドがあの調子なら、迷宮はオレたちが踏破するほかなさそうだしな」
「わかり……ました。末永く……おそばに」
「もとより、そのつもりです!」
永一の両隣に、銀の髪の姉妹が並ぶ。
それを、黒い眼差しが不快そうににらみつけた。
「忠告と警告を、俺は確かに送ったはずなのだがな。セレイネスの生き残り。君たち姉妹の復讐が叶う時は決して来ない」
「いいえ、ワタシたちはきっと成し遂げます! ワタシたち姉妹だけでなく、エーイチ様もいてくださるのですから」
「わたしは復讐を……遂げる。絶対。あなたに……無理だなんて言われる筋合いは……ない」
「いいやあるとも。なぜなら、その復讐を頓挫させるものは迷宮の魔物たちではない。この、俺だからだ」
アワブチはすっと、音もなく腰の剣を引き抜いた。それは小ぶりかつ細身の、黒色の柄も相まって小太刀のような印象を与える剣だった。
目を引くのは柄に埋め込まれた、赤い色の宝石だ。いかにも質実さを好んでいそうなあの男にしては、獲物の耐久性をいたずらに下げるだけであろう装飾に永一はわずかな疑問を覚える。
「アワブチ様。刃を抜いたということは、戦うつもりですか。このような往来で」
「問題はない、一般市民はわざわざ迷宮の付近にまで来ないさ。こちらとしては、迷宮にさえ手を出さないのであれば見逃してやってもよかったが……」
白刃の切っ先を永一へと向け、あくまで平静と、冷淡にアワブチは続ける。
「エーイチ君の目的は俺たちの利益とあまりに相反する。危険なタカイジンの芽は、この場で摘んでおくとしよう」
「悪党が。自分たちギルドの報酬のために迷宮を生かすなんて、許されるはずがない。お前たちが早々に迷宮を殺していれば、助かった命は数多くあるんじゃないのか!」
「そんな義務を課せられる謂れはないな。悪だと……? 自分の居場所を守る行いのどこが悪だ。善人を名乗ることはできなくとも、糾弾される覚えはない!」
——どの口が言っている。
反論を噛み殺し、無言の殺意へと換えながら永一もナイフを鞘から引き抜いた。
「また連戦だが、いけるな。ふたりとも」
「当然……です。わたしたちの……道を阻むのなら……誰であれ、容赦はしない」
「それに。元をたどればギルドに非があるわけではないとわかっていても、それでも——あそこまで開き直られると、流石に思うところもありますっ」
シンジュの憤りももっともだ。
セレイネスの里を襲う大泛溢も、冒険者ギルドが螺旋迷宮を殺していれば起こることはなかった。
冒険者ギルドは、故意に迷宮を生かしている。そうして、各地に被害が出るたび冒険者を派遣して報酬を得ている。
永一の目には、それはひどく利己的なマッチポンプに見えた。
無論彼らなりの言い分もあるのだろう。本格的に迷宮の踏破を目指せば人的被害も多大だろうし、このラセンカイから魔物が消えた時、冒険者たちが路頭に迷うこともあるのかもしれない。
しかし、魔物がいる限りその脅威は消えない。今こうしている間にも、世界の各地で魔物は泛溢し続けている。ともすると、その魔の生物たちに命を奪われている者もいるかもしれない。
シンジュやコハクの、同じ里の仲間たちのように。
あるいは。永一の家族のように。
(金のために他者を見殺しにしておいて……なにが覚えはないだ!)
赤い地獄のことを想起する。迷宮の頂上に至り、その核を破壊すれば、地球に起こるあの災害さえなかったことにできるのだ。
魔物の根絶。それは怪獣の根絶でもあり、たくさんの悲劇を回避することにつながる。
それを——それにもっとも近い場所にありながら、手を伸ばさないアワブチのことを、永一は認めるわけにはいかないのだ。
あの赤い地獄の中で。家族の中で。ただひとり助かってしまった、今ものうのうと生を貪る浅ましき生存者として。
「き、気ぃつけてくださいアワブチさん! そいつは……そいつの転生特典は不死身です! 死ぬたびに怪我が全部治って生き返る、バケモンです!」
「へえ? たまには役に立つじゃないか、ラクト。なるほど、死ぬ都度に全快……ならば殺さないよう気を付けながら、手足を落として無力化しようか」
畏れからか、ラクトが永一の情報を伝える。その声を合図にしたかのように、アワブチは一気に身を沈めて駆けだした。
事実、アワブチの口にした対処法は永一の唯一の弱点を突いていた。
不死の力。それは、死ぬことがトリガーとなって発動する。逆に言えば、永一を殺さないようにすればその手傷が癒えることはないのだ。
恐るべきはそれを言葉ひとつから理解する洞察力だろう。アワブチとて、伊達に14の夏から15年もこの螺旋そびえる異世界で過ごしてきたわけではなかった。
「たったひとりで向かってきたところで……! させませんっ、『血を巡るもの。力あるもの。形を成し、打ち付ける杭となれ』!」
迎撃すべく、シンジュがその詠唱により術式を成す。魔力によって編まれた真っ黒く巨大な杭が、アワブチに向けて撃ち放たれた。
しかしその長衣の男は、一切避ける素振りさえ見せない。シンジュが狙いを過つこともそうそうなく、黒杭はアワブチの頭蓋を無慈悲に打ち砕く——
直前。先細りする死の鉄槌は、急ブレーキをかけたかのように静止した。
「止まっ……!?」
「公平を期すわけではないが教えておいてやる。俺の転生特典は『固定』——認識する物体をその場に留める能力だ」
魂に宿るその力が、シンジュの生んだ杭を宙に固定している。ぴたと止まるそれに一瞥もくれず、アワブチはそのそばを通り過ぎた。
あと数歩で剣の間合いだ。そうはさせまいと、今度は永一が前へ出る。その背へそっと、コハクの手が伸ばされた。
「『血を巡るもの。循環するもの。留まらぬもの。調和を乱し、偏在せよ』。エーイチ様……援護いたします」
「ワタシもっ、まだまだ……! 『血を巡るもの。形を持たぬもの。戒めるべく、黒き束縛の帯となれ』!」
コハクによる片月と、シンジュによる若月の援護。前者は永一の瞳に紫の輝きを宿らせ、後者は敵を阻害せんと帯を伸ばす。
特に、シンジュの詠唱によって生み出され、その足元から放たれる帯の数は四本。多大な魔力を込めている証拠であり、連戦に次ぐ連戦で底を尽きつつある血中魔力に無理をさせる芸当だ。
「無駄だ。視えている以上、俺には通じない!」
しかしそのすべてが、アワブチの黒い目に見咎められた途端、地面に縫いつけられるように動きを止める。
同時に多方向から攻めれば対処しきれないのではないか——
おそらくはそんな思惑だったのであろうシンジュの意図は、あっさりと覆された。アワブチの転生特典の対応力の高さを証明した形だ。
「なら、この手で叩き斬ってやる」
「——!」
そこへ、片月のバフを受けた永一が飛び込む。流石に手に握っているナイフの動きまでは止められないのか、不意打ち気味に振り抜いた一撃をアワブチはその細い剣で受け流した。
「はっ! はぁッ!」
「く、馬鹿のひとつ覚えのように……!」
留まることなく、湾曲した刀身を何度も叩きつける。我が身を顧みないその無理やりとも言える特攻は、姉妹のさらなる援護を信じてのことだった。
そして従属を誓う彼女らは、決して主の期待を裏切らない。
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