不死殺しのイドラ

彗星無視

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最終章 忘れじの記憶

エピローグ

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『星の意志』を打倒するという方舟の作戦は、無事に成功を迎えることができた。
 レツェリというイレギュラーはあったものの、イドラとソニアの活躍により、彼も倒され、『星の意志』は完全に消滅した。
 かといって地上からアンゴルモアがすぐに消えるわけではないが、それでもこれ以上数が増えるようなことはない。
 人類の長い戦いは、いよいよ終わりを迎えつつあった。

「ううー、本当に帰っちゃうんすね、イドラさん」
「あ、ああ……」

 そんな中。廊下でばったり出くわしたスズウミが涙目になるものだから、イドラは困惑していた。
 あの作戦から一週間ほど経ち、いくらか状況も落ち着いた。万に一つの奇跡かそれとも人の結束が恐怖の大王を上回ったのか、あの日タワー周辺のアンゴルモアを抑えてくれていた戦闘班たちにも戦死者は幸いおらず、彼らはそろって方舟本部への帰還を果たした。
 もちろん負傷者は多数で、今でも医療棟のベッドから動けない者はいたが。

「……元々、僕はこっちの世界の人間じゃない。それにまだ、向こうでやり残したことも残ってるから」
「それは……きっとそうっすよね。わかるっす。でもでも、あたしさみしいっすよー!」

 相変わらず感情表現の激しいスズウミは、もうさめざめと泣いていた。
 そこまで別れを惜しんでくれるというのは、イドラとて悪い気はしない。
 悪い気はしない、のだが。

(……そんなに仲よかったか!? 僕たちは!)

 スズウミとは、例の活力を継ぎ足すアンプルをヤナギに渡してもらった日、総裁室で初めて出会った。まだ数日の関係で、そこまで深い仲には至っていないはず。
 しかしイドラにも不安になる部分はあった。
 なにせ今のイドラの記憶には、いくつもの穴が空いている。
 もしかすると、スズウミとはなんらかの出来事があったのかもしれない。知り合ってからの時間の短さを補って余りある、互いを理解し合えるようななにかが。
 だが——
 その出来事イベントを思い出す方法は、イドラにはなかった。

 *

「あ。イドラさん」

 スズウミとの惜別の挨拶を済ませたイドラは、今度は医療棟の廊下でソニアと出会った。
 どうやら待っててくれていたらしい。
 肩を並べ、目的の部屋に進む。

「邪魔するぞ」
「お邪魔します……!」

 そうして、病室に足を踏み入れる。
 出迎えたのは、「はいよ」とぶっきらぼうな声。

「容体、よさそうだな」
「まーな。はっ、こんなところにいたんじゃ体が鈍っちまう」

 退屈そうにベッドに寝そべる、精悍な顔立ちの男。
 先日の作戦で大きな傷を負いながら生還してみせた、チーム『片月』のリーダー。カナヒトだ。

「カナヒトさんが目を覚ましてくれて、本当によかったですっ。もう『星の意志』も倒したんですから、この機会にゆっくり休んでもいいんじゃないんでしょうか……?」
「ンなことねえさ。確かにあれ以来、観測班が天の窓ポータルの出現を観測したことはないそうだが、それでも地上からアンゴルモアが消えたわけじゃねえ」

 カナヒトの瞳には、未だ消えない闘志が宿っている。
 先に逝った仲間たち。幾重にも積み上げられた代償に報いる、彼の戦いはまだ終わってはいなかった。

「まあ、カナヒトはその意気の方が傷の治りも早いんじゃないかな」
「わかってんじゃねえか。実は、俺が復帰するタイミングでチーム『山水さんすい』を復活させるって話も出ててな。夢のやつはいなくなっちまったが……その穴は芹香が埋める。悪くない案だって、俺も思ってる。物事はなんだって移り変わるモンだ」
「そうなのか……。確かに今のセリカなら大丈夫だろう。適任だと思う」
「相手も『星の意志』じゃなく、アンゴルモアの残党だしな。今さらそんなのに遅れを取るようなら——俺がもっかい鍛え直してやる。イチからな」
「はは……」

 イドラとソニアは今日、地底世界へ戻る運びになっていた。
 ゆえにそうなれば、今度はチーム『片月』が解散となるのだろう。なにせイドラとソニアがいなくなってしまえば、残るのはカナヒトとセリカだけだ。流石に二人だけでは分隊にもなれない。 

「そういうわけで、俺もいつまでも入院ってわけにもいかん。腕が錆びついちまう前に……そろそろ訓練室にでも行ってみるか」
「それは早すぎるだろっ、やめとけカナヒト!」
「安静に、まだしばらく安静にしておいた方がいいと思います……!」
「あぁ? なんだ、そこまで止めるこたぁねえだろ……」
「頼むから休んでてくれっ、ていうか立って歩くことすら考えないでくれ」

 カナヒトはあの作戦から、意識の戻らない状態が丸二日続いていた。腹部をごっそりとレツェリの『箱』に切り取られ、あまりの出血に重度のショック症状を起こしていたのだ。
 そこから生還できただけでもまさに奇跡。
 幸いだったのは、レツェリの天恵による切り口はあまりに鋭く、切り取られた腹部を丸ごと再接着できたことだろう。
 しかし、まだまだ絶対安静のはずだった。

「あれ? ふたりとも、先に来てたんだ」

 その時ドアが開き、廊下からセリカが入ってくる。

「セリカさんっ、おはようございます」
「おはよー。リーダー、もうすっかり元気そうだね。よかったよかった」
「ま、互いにな」

 セリカもあの作戦では無傷というわけではなく、入院こそしなかったものの、数日は自室で療養していた。だが、その怪我ももう癒えたようだ。以前と同じ快活さでイドラたちの隣に並ぶ。
 それから『片月』の四者は、しばしの歓談を楽しんだ。
 別れを前に——
 この場にはいない、いなくなってしまった五人目の仲間のことも話しながら。

「……ま、なんだ。気が向いたら、いつでも戻ってこいよ」

 解散の間際。壁の方に顔を背け、カナヒトは小さな声でイドラとソニアにそう告げる。

「意外と照れ屋だよな、カナヒトって」
「うるせえ……!」

 ソニアとセリカがくすくすと笑う。

「こっちの旅がひと段落したら、また戻ってくるよ。リーダー」
「はい……! わたしも、みなさんにまた会いたいですから!」

 別れはあくまで一時のもの。そう誓うからこそ、四人の間に陰はない。
 ぶっきらぼうな男の横顔に、わずかな笑みが浮かんでいた。

 *

 病床にいるカナヒトとの別れを済ませると、イドラとソニアは荷物の整理をしに自室へ戻る。
 とはいえ、いつでも戻ってこられるよう、ふたりの部屋は空けておいてくれるそうだった。そのため、整理と言っても簡単にで構わないとの話だ。
 ソニアは早々に自分の部屋を片付け終えたらしく、イドラの様子を見に部屋へやってくる。

「イドラさん?」

 そして、明かりも点けずに佇んでいるイドラを見て、不思議そうな顔をしながらとてとてと近づく。

「あ……ソニアか」

 近くにまで来て、イドラはようやくソニアの存在に気が付いた。
 部屋の整理はあまり進んでおらず。イドラの手には、一枚の薄い円盤ディスクがにぎられている。
『魔法塊根ネガティブ☆ナタデココ』。大切な仲間がくれた、アーカイブから複製した情報が保存された記録媒体。

「これ、なんだったっけ?」

 それについての記憶は、あの日、コンペンセイターによって焼き尽くされていた。

「それは……」

 トウヤのことを忘れたわけではない。イドラは彼が大切な仲間だったことを覚えている。
 ただ、その彼との仲を深める契機となった出来事を忘れてしまっただけ。
 ソニアはその瞳に悲しげな感情をよぎらせながらも、微笑んで言った。

「……大切なものですよ。イドラさんにとって大事な、トウヤさんとの思い出です」
「トウヤ? ああ……そう、か。そうだったのか。だから妙に気になってたんだな」

 理解はしても実感は伴ってくれない。
 それはきっと悲しむべきことだ。だというのに、その悲しみさえ湧いてこない。

「なら、これはここに保管しておくことにするよ」
「はい。わたしも、それがいいと思います」

 ディスクを置く。
 失ったものは決して還らず。それでも道は続き、生の完結には未だ長い猶予がある。
 ならば、失いながらも進んでいくしかない。いくら故人を偲ぼうとも、低きへと水が流れていくように、時は移ろうものなのだから。

 *

 チーム『鳴箭めいせん』の面々や、ヤナギ、それにスドウたちとも別れを済ませる。
 湿っぽくはならない。たとえ地底に戻ろうとも、イドラとソニアは方舟の一員であり。この別れはあくまで、また会う日までの別離なのだから。
 それに地底世界で時間の進む速度は、この現実世界の三十二倍だ。
 イドラとソニアはともかく、方舟の者たちにとっては、そう長い別れにもならないだろう。

「準備、完了しました」

 方舟の制服を着た研究員が、そばのヤナギに告げる。ヤナギは「そうか」と深くうなずいた。
 そこは医療棟の特別な一室で、ふたつ並んだベッドのそばに巨大な機械が置いてある。その機械は、ヘッドギアのような形状をしたまた別の機械がふたつ、つながれている。
 SEABEDシーベッドと呼ばれるそれは、古い時代に一世を風靡した同名ゲーム機の技術を応用した、地底世界へのダイブを行うためのものだった。
 地底へ精神を送り出す機械。かつて、ウラシマもこれを用いてかの異世界に赴いた。

「では——改めて礼を。それから、方舟最大の仲間である君たちの旅に、どうか幸多からんことを」

 イドラとソニアを見て、ヤナギは告げる。普段は厳めしいその表情も、今ばかりは和らいでいた。

「私からも言わせてちょうだい。あなたたちはこの地上を救ってくれた。そしてなによりも——」

 スドウは、隣で微笑を浮かべる黒髪の女性をちらりと見る。

「——私の、無二の友人を救ってくれた。本当に、本当にありがとう」

 以前に比べれば疲労の色が抜けた顔でそう言って、深々と頭を下げた。
 その様を見て、言及された『友人』はくすりと笑う。

「相変わらずの生真面目さだね。それじゃあ別れが湿っぽくなるじゃないか」
「う……」

 笑われたスドウは顔を上げ、わずかに顔を赤くした。ごまかすように眼鏡の位置を直す。

「もう準備もできたそうだから、ワタシから多くは語らない」

 復帰した『山水』のリーダー——
 ウラシマは、復調した二本の足でリノリウムの床に立ちながら、優しい眼差しでイドラとソニアを見つめる。
 濡れた瞳は、三年前。イドラの生まれ故郷である村にいた時と、なんら変わらない。

「また、会おう」

 イドラとソニアは、「はい!」と声を重ねる。
 その溌剌はつらつさを見て、やはりウラシマは優しげに微笑むのだった。
 いよいよ、ダイブの時が来る。
 イドラとソニアはそれぞれのベッドに寝そべると、機械を頭から被せられる。

「では、実行してもよろしいでしょうか?」
「あ——待ってっ、待ってください」
「はい?」
「ソニア?」

 直前でソニアがストップをかけ、部屋の空気が弛緩する。ソニアは一度、SEABEDを頭から取り外しながら、申し訳なさそうに言った。

「あの……このベッド、近づけることってできますか? その、隙間のないくらいに」
「まあ、可能ですけれど……?」

 研究員の男は、意図がわかりかねると怪訝な表情をする。
 だがウラシマにはわかったようで、

「そういうことなら、ワタシも手伝おう」

 と、率先してベッドを持ち上げてくれる。
 そしてソニアのベッドがイドラの隣に並び、まるでキングサイズ。

「じゃあ、改めて機械の装着をお願いします」
「はいっ、すみません無理を言って……!」

 先よりも近づいた距離で、イドラとソニアは再び寝そべる。
 そのベッドのちょうど境界の上に、ソニアの手が差し出された。

(……なるほど)

 遅れて意図を理解する。イドラはそこへ、そっと自らの手を重ねた。
 SEABEDを被っているから、視界はどのみち真っ暗だ。だがこの手から伝わる体温があれば、どれほどの暗闇であれ不安はない。あのタワービルの、長い階段を上った時のように。

「今度こそ、実行します」
「はいっ」
「ああ」

 この世界に来る時、箱舟の中でそうしたように、小さな手をにぎりしめ。
 大切な人々に優しく見守られ。
 イドラは、目を閉じた。
 そして——その精神が、生まれた場所へと送信される。
 この世の果ての、奥の奥。下へ下へと潜っていく。
 地底世界アンダーワールド
 終末の使者に蹂躙された地上で、無意識下に希望を願う人々の祈りによって創られた箱庭。
 あらゆる人々に恵みが与えられる、あまねく希望ギフトの降る世界。

 *

——鬱蒼とした森の中を進みながら、イドラは払っても払っても行く手を阻む木の枝たちにげんなりとした。

「く……進みづらい……!」

 わっしゃわっしゃと枝を払い、しるべなき道を進んでいく。足元は石が転がっていたり木の根が出っ張っていたりするので、転倒には十分注意が必要だ。
 町を発ったのが朝早くだったので、今ごろは昼前といったところだろうか。頭上に被さる枝葉は日光を遮り、まるでもう陽が落ちてしまったかのような錯覚をもたらす。
 先導しつつも文句をこぼすイドラの背に、後ろから声がかけられた。

「でも——こっちの方が近道だって言い出したの、イドラさんじゃないですか」
「言ったけど! 言ったけど……こうも木々が繁茂してるなんて想定外だ! ソニア、ワダツミでこの枝なんとかならないか!?」
「ワダツミは枝切りばさみじゃないですよー。ウラシマさんから持って行ってもいいって託してもらった、大事なコピーギフトなんですから! そんなことには使えませんっ」
「ぐぬぬ……」

——なんだか最近、ソニアが気丈になっている気がする。
 おそらく気のせいではないであろう感覚に、イドラはうれしく思いながらも今だけは複雑な心境だった。
 やはり現実世界でのあれやこれやで、一回りも二回りも成長したということだろう。
 精神面のみならず、実際に背も少しばかり伸びてきている。それに髪も近頃は、根本は真っ白ではなく、その瞳と同じ綺麗な橙色のものが生えてきていた。
 ソニアが親から譲り受けた本来の髪色。イモータルの影響が抜け、見た目の変化も元通りになりつつあるようだった。

「ほら、急いでくださいイドラさんっ。森の向こうの窪地で、イモータルが出たって話なんですから」
「ああ……くそ、こんなことならふつうに迂回しておけばよかった。方舟にいた時みたいに無線があればなぁ」
「それってウラシマさんの指示オペレーティングが恋しいってことですか?」
「なぜ先生に限る……!?」

 背後から妙な圧力を感じ、イドラは逃れるように先を急ぐ。
 目的は近隣の町で情報をつかんだ、近頃暴れまわっているというイモータルの討伐だ。
『星の意志』が消えようとも、地上にアンゴルモアが残存しているように。この地底世界にもイモータルは残り、それを殺せる者はイドラのほかにいない。
 久方ぶりの『不死殺し』。腰のナイフケースには、地底世界に帰ったことで、世界の融合を止めた補整器ではなく、負数を帯びた青い水晶の刃を持つ天恵が収まっている。
 なんだか、ひどく懐かしかった。
 マイナスナイフを携え。隣にはソニアがいて、イモータルを狩る。

「がんばってください、イドラさん。疲れたら代わってあげますから」
「いいや、平気だよ。今は僕の方が力もあるんだ、ゆっくり休んでてくれ」
「む……そこまで衰えてるかはわかりませんよ。今度、勝負しましょう。腕相撲ですっ」
「乗った。勝った方はなにかもらえるのか?」

 けれど、以前と同じではない。ソニアは背が伸びたし、髪色も変わりつつあり、今もその肉体はあるべき形への変化と成長を続けている。
 イドラもまた、変化を経た。
 記憶の一部を失くし、物の名前がわからないことが増えた。そのたびに老人の気分だとため息をつき、ソニアに助けてもらっている。
 味覚と嗅覚のほとんどを失い、料理の味はまるでわからない。イモータルの影響が抜け、味覚が回復したソニアとはまるで逆だ。
 痛覚もなく、他の皮膚感覚も希薄。そして右目は未だ赤く、その視力は著しく低下した。
 支払われた代償は戻らず——
 すべては時とともに移ろい、変わっていく。同じ瞬間は二度と訪れず、変化のないものはない。

「そうですね……負けた方の頭をなでるというのはどうでしょう」
「……それ、わざと負けるつもりだろ」
「うっ」

 図星だとばかりに目をそらすのが、後ろを振り向かずともイドラにはわかった。
 いよいよ森を抜ける。
 開けた視界には、一体なにが映るのだろう?

「そうと決まれば行こう、ソニア。早いとこ片付けて宿に戻りたい」
「任せてください。いつでもわたしが、そばについていますから!」

 遠くで咆哮を上げる、白と金の怪物。
 準備は万端で、隣には信頼する少女がいる。恐れる理由はどこにもなかった。
 忘れられない旅路は続く。
 旅の果てはまだ遠く、大切な人たちからもらったものを胸に、どこまでも歩み続ける。
 失ったものはある。覆せないこともある。けれど、幾度の別離があろうとも、臆することなく進んでいける。
 なぜならこれは——不死殺しと謳われる少年の、別れと再会の物語。



最終章 『忘れじの記憶』 了
『不死殺しのイドラ』 完










 長いはしごを上り、きしむ音を立てるハッチから外へ出て、その少年は初めて見る地上の世界に感嘆を漏らした。
 海沿いの街並みは何十年も前に終末の使者アンゴルモアによって破壊し尽くされていたが、それでも、海そのものまでは壊せない。
 雄大な海の青が、地下しか知らない少年を包む。
 潮の香りを含んだ風と、祝福するような昼の日差し。

「……あ!」

 だがすぐに少年は我に返る。彼には仕事があった。
 すなわち、地上の調査。
 地上はどうなっているのか? まだアンゴルモアはうろついているのか?
 住めるところは。食べ物は。空気は。環境は。
 シェルターの人々にとって、親のない子どもというのは、そうした諸々を調べさせるのに都合がよかった。なにせ後腐れがないし、口減らしにもなって一石二鳥。

「ええと……周りは」

 少年はきょろきょろと周囲を見渡す。
 山がちな地形。人が消えたのをいいことに、地上は植物たちの楽園と化している。
 けれど町まで降りてみれば、今や住む者もいないだろうが、使えるものも見つかるかもしれない。
 単純な興味に惹かれるように、少年はその山のふもとにある丘を降りて、町の残骸へと小さな足で向かっていく。
 その最中——
 当然のように、死の影が目の前を覆った。

「わッ……!?」
「——————————ッ」

 真っ黒い体表に赤い眼を持つ、獣の姿をしていながらも無機質な殺戮機械じみた印象の怪物。
 大型のハウンド。アンゴルモアだ。
『星の意志』は先日、この星から消え去った。しかし既に地上に投下されたアンゴルモアたちは、未だそのプログラムに忠実に従い続けている。
 すなわち、人類の撲滅!

「ひぃッ——」

 突如眼前に躍り出た恐怖の大王に、少年は目をつむる。
 言ってしまえばそれは、なにもしないのと同じことだ。
 なんの抵抗にもなってはおらず、順当にいけば少年は首かどこかを喰いちぎられるか切り裂かれ、もう二度とそのまぶたを開く機会は失われるだろう。

「——?」

 だが幸い、今回は順当にはいかなかったようだ。
 いつまで経っても体に伝わるはずの痛みはやってこず、少年はおずおずと目を開いてみる。
 そこには、黄金色の太い鎖で四肢を縛られ、無様にもがく怪物の姿があった。

黄金連環オーメン

 ジャリリリリリリリリ————
 もう一本、地面から鎖が放たれる。それはアンゴルモアの首に絡みつくと、そのままバキリと頸椎をねじ切った。

「大丈夫? まさか本当に方舟の外に生き残りがいたなんてねぇ、どこから来たの? びっくりしちゃった」

 消滅するアンゴルモア。暗黒の侵略者にして終焉の象徴、人類が地上を棄てて地下に引きこもらねばならなくなった要因を、現れた人物は赤子の手をひねるように殺してみせた。

「ぼ、ぼくは……ええと、地下シェルターから来て……」
「しぇるたぁ?」
「……今のシェルターは、いくつもの派閥が出来て、みんなして物資をめぐって争ってる。だからぼくは……みんなが助かる道を探すために、地上に」
「ふぅん?」

 その人物は、わかったのかわかってないのか、小首をかしげる。
 すると。その拍子に、長い浅葱色の髪が揺れた。

「まあ、なんにしろひとりでいるのは危ないよ。地上はアンゴルモアでいっぱいだからね。今はわたしが守ってあげるから安心していいけどさ!」

 方舟から遠く北東。いるかもわからない生存者を探しつつ、彼女はアンゴルモアを殺害して回っていた。
 それはまるで、想い人の旅路に似て。
 彼が白と金の怪物イモータルを殺すように、彼女は黒と赤の怪物アンゴルモアを狩り続ける。
 その恋慕が叶うことはないだろう。想いが届くことさえないかもしれない。
 されど——その贖罪が実を結ぶことは、決してありえない話ではない。
 たった今こうして、ひとりの少年の命を助けたのだから。

「お、お姉さんは……誰なの?」

 少年の誰何すいかを受け、彼女は目を丸くする。
 まだ名乗っていなかったことに今さら気付いたらしい。

「わたしは、ベルチャーナ。旅人のベルチャーナだよ」
「ベル……チャーナ?」

 花が咲くような笑顔で、ベルチャーナは名を告げた。少年には馴染みのない名前だろう。

「じゃあ、今度はキミの名前を教えてくれる?」
「あっ、うん。ぼくの名前は——」
 
 ベルチャーナは、少年の告げたその名前を聞いて、思わずふっと笑ってしまう。
 滅びから再生へと向かう、とある世界の片隅で。
 地底世界の果ての果て、小さな村で、ある日少年と旅人の女性が出会ったように——ひとつの出会いが、人知れず起きていた。

 道行きは長く、やはり果てまではまだ遠く。
 不死を追う旅と、いつかまた、道が重なる日も来るだろう。
 彼女らの旅は、まだ続いている——
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感想 1

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みんなの感想(1件)

2022.08.17 ユーザー名の登録がありません

退会済ユーザのコメントです

彗星無視
2022.08.18 彗星無視

感想ありがとうございます!
まだまだ物語は続いていくので、わずかでも楽しんでいただけたら幸いです。

解除

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