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第2部2章プロローグ 恋するアンチノミー
第118話 『恋は盲目』
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戦闘は、前方の窪地で起きているようだった。
冷酷な薄笑いを顔に貼り付け、レツェリはそちらに歩き出す。選択権のないベルチャーナはそれに追従する——ただ彼女自身も、気にはなっていた。地底世界で言うところのイモータルに対するエクソシストのような、アンゴルモアに対する王冠狩りの戦闘について。
しかし、窪地までたどり着くより先に、戦闘は終了した。遠目に見た限りでは、幸いにして人類の勝利に終わったらしい。
そして黒い侵略者たちの姿が消えても、歓声ひとつ上がらないのは、きっと犠牲者が何人か出たためだろう。職業柄、ベルチャーナにもそういった状況は覚えがある。
「何体かいた、あのクイーンのアンゴルモア……確かに武器らしきものを使っていたな。資料にはなかったはずだが。進化——と見るべきか?」
方舟の狩人たちに着目したベルチャーナとは対照的に、レツェリはアンゴルモアの方を気にしているようだった。スタンスの違いだ。
そして、レツェリが思索に耽っていると——
突然ベルチャーナが、弾かれたように頭上を見上げた。
「なに……あれ!?」
「む……」
曇天。空高くに、なんの予兆もなく。
黒い孔が、現れていた。
「天の窓か。狙いすましたかのようなタイミングだな」
「ポー、タル?」
「アンゴルモアの投入口のようなものらしい。『星の意志』仮説に則るのなら、この星はよほどに方舟の連中を殺したいようだな。案外、余裕のなさの裏返しかもしれんが」
どこか愉しむような口調で、レツェリも虚空に浮かぶ門を見つめる。
そこからは既に、武装した多数のクイーンが投下され始めている。窪地の一帯は、瞬く間に総勢二十八体の黒い彫像に囲まれた。
何体かは、レツェリたちにほど近い位置に落下した。ベルチャーナは自然と、己の黄金色の天恵を意識する。
「下がっていろ、ベルチャーナ君」
「……そうさせてもらいますよぉ」
身構えようとしたのを止め、ベルチャーナは数歩後ずさる。
レツェリがやると言っているのだから、任せればいい。終末の使者であろうが、どうせあの眼にかかれば寸断されるのが運命だ。
窪地のふちに立つレツェリに、クイーンの一匹が両手剣を振り上げて襲いかかる。ベルチャーナの想像にたがわず、そのクイーンは黒い刃を標的に届かせる前に、胴体を真っ二つにされて消滅した。
「——レツェリ!!」
窪地の下から、声が届く。
「今の……」
今の、声は。
ベルチャーナは戦闘に巻き込まれないようにしつつ、窪地の底が見える位置まで近づいてみる。
そこで、くらりとめまいのするようなモノを見た。
やはりイドラは方舟にいた。戦闘員として、方舟の狩人に連なり、今度は不死の怪物ではなく終末の使者を相手取っていた。
そんなイドラは——窪地の底で、倒れたソニアを起こそうとしている。
ソニアはいずれイドラの足を引っ張る。そんなレツェリの言葉が耳奥で響く。
「だめ」
あれは、だめだ。
見るからに憔悴した二人。ソニアを支えるイドラ。あれこそがすべてだ。二人が歩む道筋の象徴だ。
先の戦闘で、ソニアの力不足により、イドラに負担がかかっている光景が目に見えるようだった。想像すれば、ソニアが不覚を取り、そのフォローで無茶な援護をして自身も手傷を負うイドラの姿が簡単に頭に浮かんだ。
破綻すべき絆。ベルチャーナは天啓のように理解した。天恵を空から賜るように、自らが行うべきことを悟った。
ソニアは只人になり下がる。しかし、ならば、だけれど。
——わたしなら、もっとうまくできるはず。
レツェリの言っていることは正しかったのだ、とベルチャーナは心から信じた。それは彼女にとって救いある答えだった。
片腕を切り落とされるような失態は演じず、戦死者も出さなかった。仮にソニアではなくベルチャーナがイドラの相棒であれば、そうなっていた可能性はある。
だが、イドラの隣にいるのはソニアだ。日ごとに不死の残滓を失い、弱くなる一方の少女だ。
釣り合わない。釣り合うはずがない!
激情がその胸で渦を巻く。隣に立つのにふさわしいのは、ソニアではなく。
「イドラ。やはり、方舟にいたか」
レツェリもまた宿敵の姿を一瞥する。
しかしその赤い眼の脅威に、格別の対処が必要だと感じたのか。次第にクイーンたちは方舟の狩人たちから離れ、レツェリひとりに集中し始める。
レツェリは殺到するクイーンの対処を強いられた。もっともそれも、特筆するべきこともない、赤い眼による一方的な虐殺として、数分後には完了した。
落ち着いたところで、ベルチャーナは無言で窪地のふちに歩み寄る。
視線の先には、イドラ。そして、そうするのが当然だとでも言わんばかりに、その隣に並び立つソニア。
「どうだ、ベルチャーナ君。見るべきものは見られたかね?」
「……うん。司教の、言う通りだった。ソニアちゃんはふさわしくない」
我が意を得たりとばかりに、レツェリが唇を歪める。
隣に立つべきは。イドラの隣は。その場所に、自分が立つためには。
心の中の燃えたぎるように熱を持つ想いとは別に、ソニアを見つめるベルチャーナの視線には、凍土のような冷たさが乗る。
資格もないのにイドラの隣に居座り、なに食わぬ表情を浮かべるその顔が。自分がこんな思いをしているのに、なにげなく過ごすその姿が。
憎い。
「それで、今が『機会』?」
「いや、まだだ。イドラのギフトが以前のままであれば、私とて手こずる。加えてあれだけ方舟の戦闘員がいる。むざむざ不利な戦いを仕掛ける必要もあるまい」
一度、レツェリはイドラに敗北を喫している。それゆえの慎重さだった。
イドラのマイナスナイフは、レツェリにとって天敵と呼ぶべき能力を有していた。
とはいえベルチャーナのように、イドラのギフトも以前とはまったく違う性質に変じ、結果としてレツェリの脅威とはならなくなっている可能性はある。だが一方で、レツェリのように、そのギフトの有り方に大きな差異がない可能性もある。
賽が投げられた後でも、自棄にはなれない。はずれを引くことを嫌ったのだ。
「ふうん。ま、いーよ」
「そうむくれるな。遠くない未来、場を用意する」
「頼んだからね」
あのままでは、自分が、イドラのそばにいられない。
違う。実力不足のソニアが隣にいたのでは、かえって二人に危険を招く。互いにとってよくないはずだ。
そうだ。あれさえいなければ、あの時、透明な箱の中で、伸ばした手をにぎってもらえたのは自分だったはずなのだ。
だから自分は、あれのことを——
恋と嫉妬がどろどろと溶け合い、入り混じり、ねっとりとした熱を持つ。
ベルチャーナたちはその場を離れ、窪地を迂回する。既に迷いは取り除かれ、体の痛みさえ感じない。
標を失った旅人が、夜空に瞬く北極星を見つけたときのように。その赤い凶星は、確かにベルチャーナを導いた。
くらくら揺れていた心は、もう、片側でぴたりと定まっていた。
そう、少女は、悪魔の囁きに身を委ね——喜んで、自らの目を閉じたのだった。
第二部二章プロローグ 『恋するアンチノミー』 了
冷酷な薄笑いを顔に貼り付け、レツェリはそちらに歩き出す。選択権のないベルチャーナはそれに追従する——ただ彼女自身も、気にはなっていた。地底世界で言うところのイモータルに対するエクソシストのような、アンゴルモアに対する王冠狩りの戦闘について。
しかし、窪地までたどり着くより先に、戦闘は終了した。遠目に見た限りでは、幸いにして人類の勝利に終わったらしい。
そして黒い侵略者たちの姿が消えても、歓声ひとつ上がらないのは、きっと犠牲者が何人か出たためだろう。職業柄、ベルチャーナにもそういった状況は覚えがある。
「何体かいた、あのクイーンのアンゴルモア……確かに武器らしきものを使っていたな。資料にはなかったはずだが。進化——と見るべきか?」
方舟の狩人たちに着目したベルチャーナとは対照的に、レツェリはアンゴルモアの方を気にしているようだった。スタンスの違いだ。
そして、レツェリが思索に耽っていると——
突然ベルチャーナが、弾かれたように頭上を見上げた。
「なに……あれ!?」
「む……」
曇天。空高くに、なんの予兆もなく。
黒い孔が、現れていた。
「天の窓か。狙いすましたかのようなタイミングだな」
「ポー、タル?」
「アンゴルモアの投入口のようなものらしい。『星の意志』仮説に則るのなら、この星はよほどに方舟の連中を殺したいようだな。案外、余裕のなさの裏返しかもしれんが」
どこか愉しむような口調で、レツェリも虚空に浮かぶ門を見つめる。
そこからは既に、武装した多数のクイーンが投下され始めている。窪地の一帯は、瞬く間に総勢二十八体の黒い彫像に囲まれた。
何体かは、レツェリたちにほど近い位置に落下した。ベルチャーナは自然と、己の黄金色の天恵を意識する。
「下がっていろ、ベルチャーナ君」
「……そうさせてもらいますよぉ」
身構えようとしたのを止め、ベルチャーナは数歩後ずさる。
レツェリがやると言っているのだから、任せればいい。終末の使者であろうが、どうせあの眼にかかれば寸断されるのが運命だ。
窪地のふちに立つレツェリに、クイーンの一匹が両手剣を振り上げて襲いかかる。ベルチャーナの想像にたがわず、そのクイーンは黒い刃を標的に届かせる前に、胴体を真っ二つにされて消滅した。
「——レツェリ!!」
窪地の下から、声が届く。
「今の……」
今の、声は。
ベルチャーナは戦闘に巻き込まれないようにしつつ、窪地の底が見える位置まで近づいてみる。
そこで、くらりとめまいのするようなモノを見た。
やはりイドラは方舟にいた。戦闘員として、方舟の狩人に連なり、今度は不死の怪物ではなく終末の使者を相手取っていた。
そんなイドラは——窪地の底で、倒れたソニアを起こそうとしている。
ソニアはいずれイドラの足を引っ張る。そんなレツェリの言葉が耳奥で響く。
「だめ」
あれは、だめだ。
見るからに憔悴した二人。ソニアを支えるイドラ。あれこそがすべてだ。二人が歩む道筋の象徴だ。
先の戦闘で、ソニアの力不足により、イドラに負担がかかっている光景が目に見えるようだった。想像すれば、ソニアが不覚を取り、そのフォローで無茶な援護をして自身も手傷を負うイドラの姿が簡単に頭に浮かんだ。
破綻すべき絆。ベルチャーナは天啓のように理解した。天恵を空から賜るように、自らが行うべきことを悟った。
ソニアは只人になり下がる。しかし、ならば、だけれど。
——わたしなら、もっとうまくできるはず。
レツェリの言っていることは正しかったのだ、とベルチャーナは心から信じた。それは彼女にとって救いある答えだった。
片腕を切り落とされるような失態は演じず、戦死者も出さなかった。仮にソニアではなくベルチャーナがイドラの相棒であれば、そうなっていた可能性はある。
だが、イドラの隣にいるのはソニアだ。日ごとに不死の残滓を失い、弱くなる一方の少女だ。
釣り合わない。釣り合うはずがない!
激情がその胸で渦を巻く。隣に立つのにふさわしいのは、ソニアではなく。
「イドラ。やはり、方舟にいたか」
レツェリもまた宿敵の姿を一瞥する。
しかしその赤い眼の脅威に、格別の対処が必要だと感じたのか。次第にクイーンたちは方舟の狩人たちから離れ、レツェリひとりに集中し始める。
レツェリは殺到するクイーンの対処を強いられた。もっともそれも、特筆するべきこともない、赤い眼による一方的な虐殺として、数分後には完了した。
落ち着いたところで、ベルチャーナは無言で窪地のふちに歩み寄る。
視線の先には、イドラ。そして、そうするのが当然だとでも言わんばかりに、その隣に並び立つソニア。
「どうだ、ベルチャーナ君。見るべきものは見られたかね?」
「……うん。司教の、言う通りだった。ソニアちゃんはふさわしくない」
我が意を得たりとばかりに、レツェリが唇を歪める。
隣に立つべきは。イドラの隣は。その場所に、自分が立つためには。
心の中の燃えたぎるように熱を持つ想いとは別に、ソニアを見つめるベルチャーナの視線には、凍土のような冷たさが乗る。
資格もないのにイドラの隣に居座り、なに食わぬ表情を浮かべるその顔が。自分がこんな思いをしているのに、なにげなく過ごすその姿が。
憎い。
「それで、今が『機会』?」
「いや、まだだ。イドラのギフトが以前のままであれば、私とて手こずる。加えてあれだけ方舟の戦闘員がいる。むざむざ不利な戦いを仕掛ける必要もあるまい」
一度、レツェリはイドラに敗北を喫している。それゆえの慎重さだった。
イドラのマイナスナイフは、レツェリにとって天敵と呼ぶべき能力を有していた。
とはいえベルチャーナのように、イドラのギフトも以前とはまったく違う性質に変じ、結果としてレツェリの脅威とはならなくなっている可能性はある。だが一方で、レツェリのように、そのギフトの有り方に大きな差異がない可能性もある。
賽が投げられた後でも、自棄にはなれない。はずれを引くことを嫌ったのだ。
「ふうん。ま、いーよ」
「そうむくれるな。遠くない未来、場を用意する」
「頼んだからね」
あのままでは、自分が、イドラのそばにいられない。
違う。実力不足のソニアが隣にいたのでは、かえって二人に危険を招く。互いにとってよくないはずだ。
そうだ。あれさえいなければ、あの時、透明な箱の中で、伸ばした手をにぎってもらえたのは自分だったはずなのだ。
だから自分は、あれのことを——
恋と嫉妬がどろどろと溶け合い、入り混じり、ねっとりとした熱を持つ。
ベルチャーナたちはその場を離れ、窪地を迂回する。既に迷いは取り除かれ、体の痛みさえ感じない。
標を失った旅人が、夜空に瞬く北極星を見つけたときのように。その赤い凶星は、確かにベルチャーナを導いた。
くらくら揺れていた心は、もう、片側でぴたりと定まっていた。
そう、少女は、悪魔の囁きに身を委ね——喜んで、自らの目を閉じたのだった。
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