不死殺しのイドラ

彗星無視

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第2章 鮮烈なるイモータル

第17話 少年少女

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 穏やかに眠っていたソニアの容体が急激に変化したのは、夜中のことだった。
 外で眠る以上、睡魔に呑まれていようが警戒を完全には手放さないのが旅人のルールだ。突如聞こえた叫び声にイドラは一瞬にして目を覚ます。

「ァ——あァ、ああぁぁあああああぁァアあアアッ!」
「っ! なにかあったのか、ソニア——……ソニア?」

 飛び起きると、地面に倒れたソニアが苦しげにもがき叫ぶ光景が視界に映り、さしものイドラも困惑した。
 時刻は真夜中、ちょうど日付が変わる辺りだろうか。夜空で半分の月が煌々《こうこう》と輝き、生い茂る枝葉の隙間から地面をほのかに照らす。またイドラたちから数メートル離れたところでは、まだ小さく燃えている焚き火が周囲を赤い光で濡らしている。

「ああアッ、ああっ、アアァアアア! う、あああアアあッ!!」

 夜の森の静寂を裂くようにソニアは叫びのたうつ。手には力が入り、土が爪の間に挟まるのも厭わず地面を抉って握り込む。かすかに窺えた表情は、なにか絶大な痛みに耐えるかのごとく苦しげだった。

「——。どうした! どこか痛むのか!?」

 突然の出来事に呆けたのはわずか一、二秒程度。イドラはすぐに我を取り戻し、眠気も忘れてソニアに駆け寄った。

「とにかく落ち着け、僕がなんとかする! 怪我なら簡単に治せるんだ! 病なら……病なら、僕は」

 どれだけ深い怪我をしていようが、マイナスナイフは即座に完治させてしまう。時を戻すかのように。
 その恩恵をこの三年、幾度となく受けてきた。魔物にイモータルに、肩を腕を胸を背を脚を何度も何度も裂かれ、切られ、噛まれ、傷を負わされ続けてきた。そしてそのたびに、青い刃を上から突き刺してなかったことに変えた。
 だからソニアがどんな怪我をしていても、イドラであれば治しきれる。どんな医者よりも手際よく、簡潔に——痛みはするかもしれないが、確実に傷を塞ぎ痕も残さない。

 しかし病気はどうしようもない。それは、既に旅中で実証されていた。
 傷病しょうびょうのうち、青い水晶の刃が打ち消せるのは外傷のみ。病にはなんの効果もなく、風邪のひとつも治せない。
 怪我と疾患に明確な線引きをするのは難しいのかもしれないが、ともかく、イドラに与えられたギフトが治せるのは傷だけだ。ゆえに、もしソニアが苦しんでいる要因が怪我ではなくなんらかの重い病気だった場合、イドラになにができるだろう。
 なにもできはしない。
 強いて言えば、看取ることだけだ。

「ぁ、ァ、い——イドラ、さ」
「っ! ソニア、わかるか! 僕だ! しっかりしろ、一体どうしたんだ!?」

 曇天の庭。恩人の死にさえ立ち会えなかった、あの橙の花の咲く赤い花壇の光景が脳裏に蘇りかけた時、ソニアの目が確かにイドラの顔を捉える。
 できないことや、できなかったことを考えても仕方がない。余計な思考を捨て、イドラはとにかくソニアの状態を確認しようとする。

「……その、目」

 しかし、ソニアの顔を間近に見て、またも動きを止めてしまった。
 理由は彼女の目。見開かれ、痛みのせいか涙がにじんで潤んだ瞳。
 昼間、確かにオレンジがかった色をしていた一対のそれらが、今は輝くような黄金色を湛えていた。
 黄金の、眼。真っ白い髪。
 否が応でもイドラは、その二色を見て真っ先に連想してしまう。この三年、求め、誰かの墓標に手向けるかのように狩り続けた、死なずの化け物を。不死殺しと呼ばれるまでになったイドラにとって、イモータルのことは忘れようにも忘れられない。
 そんなイドラの、反射的な硬直の真意を感じ取ったのかは定かではないが、ソニアはまだこわばった顔のまま、なんとか笑みを形作ろうとして言った。

「殺して、ください」
「は……なにを言って」
「いいんです、もう。わたし、きっと——きっともう、長くないんです。おかしいんです、とっくに。このまま、だと、っ……本当に駄目になるか、死んじゃうかです。だから、もう、いっそ」
「殺せるわけがないだろう!! キミみたいな子どもを……イモータルでもなんでもない、ただの女の子を!」
「ううん、わたしはやっぱり不死憑きですよ。……意識が保てない時間、日に日に増えてます。夜になると、うッ、発作、が——ァあ、ぅっ」
「ソニア!」

 ソニアは両手で自身の腹部を抑えて目をつぶり、痛みかなんらかの衝動か、想像もできない大きなものを堪えている。
 イモータルではないはずだ。イモータルは人の形をしていない。人になったり、人に憑いたりするなんてことは聞いたことさえない。

(……そうだ、目も髪も関係ない! ソニアはソニアだ。まだ出会って間もなくとも、この子は絶対に報われるべき子じゃないのか!)

 間違った噂によって偶然出会った、不死の怪物と同一視され閉じ込められていた少女。だが半日を過ごしてイドラは、ソニアが本当はもっと表情豊かで、どこにでもいる子どもと同じだということを断片的に知っている。
 自由になったと喜び、くるりとその場で回ってみせ。熱心に魚を食し。寝息を立てて、安らかに眠る。
 当たり前のことを当たり前に楽しんで生きることさえ許されないなんて、それこそ許されるべきではない。本心で死にたいなどと思ってもいないのに、殺してなんてやれるはずがない。

「最期に少しだけ外へ出られてよかったです。歩くだけで楽しくって、川の水も冷たくて。あの場所から連れ出してくれただけでもう、十分ですから。だから、早く……はや、く、イドラさん」

 黄金の両目が必死に訴えかける。無言でイドラが自らの腰に手を伸ばし、ナイフをケースから取り出すと、ソニアは願いを聞き届けてくれたと思ったのかふっと表情を和らげる。ほっとしたような、諦めたような、そんな顔だった。
 それを視界の端に収めながらも、イドラの目は別の場所に向けられている。黄金色の瞳に気を取られていたが、不思議なのはそれだけではない。

(この光り方は——)

 乱れた彼女の服の裾から、おぼろげな光が漏れ出ている。
 妙な確信があった。あるいは既視感があった。
 ソニアはイモータルじゃない。それは前提として、しかしこの光は、イモータルのそれと同じものだ。やつらの白い毛や肌が照り返す光や、黄金の瞳が帯びる輝きと同じだ。

「悪いなソニア、キミの頼みは聞いてやれない。僕はキミを絶対に助けたいし、あいにくこのナイフは命を切れないんだ」
「えっ——ひゃぁっ!?」

 さっきの叫び声とは違う、ある種素っ頓狂な悲鳴。それは左手でソニアの服を引っぺがし、肌を露わにしたことによるものだった。胸の手前まで強引に裾をまくり上げると、漏れていた光の正体が明らかになる。
 へその少し上。腹部の皮膚に、白い肌よりなお白い、クモの巣に似た模様が入っている。

「んっ」

 見方によってはホワイトタトゥーのようでもあるそれは、わずかに光を発しており、触れてみるとソニアがびくんと肩を震わせる。神経が敏感になっているらしい。
 ここだ。
 三年の不死狩りで培った勘が告げる。ここがきっと、ソニアをこの体にした元凶だ。

「約束する。痛みはするが、キミを傷つけることはしない。だから最後に、もう一度だけ耐えてくれ!」

 確証があるはずもなかったが、どのみちほかに彼女の苦痛を取り除く手などない。
 もう二度と、なにもせず誰かを失うのは嫌だった。イドラは手の内でナイフを半回転させ、その柄を逆手に握る。当然それは腰の左右に備えた二本のうち、イドラが天から受け取ったギフトの一本。
 同時に軽く振り上げると、青い水晶の刃に冴え冴えとした月光が被さった。

「————治れッ!!」

 あの庭から三年の年月を経て。神に祈るのではなく、自身の経験に願いを込めて、イドラは青い負数を振り下ろす。

「ぁ——っ、づぁ、うッ!?」

 マイナスナイフの刀身は、するりと少女の腹部に突き刺さった。
 傷を治し、そして不死を断つ刃。ソニアは息を詰まらせ、小さな体を何度か大きく痙攣させる。
 だがしばらくすると、それも治まった。

「…………ぁ。わたし……楽に、なってる?」

 息こそ荒げているもののソニアの表情から苦痛が消え、また黄金色の瞳は元の、昼間と同じ橙に戻っている。
 腹部の模様も、心なしか光が弱まった。それを確認するとイドラはマイナスナイフをゆっくりと引き抜く。いつもと同じで、刺傷などは一切ない。

「どうやら……賭けに勝ったみたいだ。よかった」

 発作とやらはなくなってくれたようだ。軽く息をつき、イドラはマイナスナイフを腰のケースに仕舞う。
 しかし、これでソニアの発作が二度と起こらなくなった、とは考えない方がいいだろう。マイナスナイフはやはり、病に対し無力だ。むしろ今回役に立ったのは、傷を治す性質よりもイモータルを殺す性質の方——もしかすると両者の本質は同じなのかもしれないが——だとイドラは考えていた。
 クモの巣、あるいは亀裂のようなあの模様の光も、弱まっただけでなくなってはいない。夜ごとに発作が起こるのであれば……その都度、今のようにマイナスナイフで鎮める必要があるのかもしれない。

「頭が軽い……ぼやぼやしたのも消えて、すごくすっきりします。な、なにをしたんですか? ナイフを刺して、わたしてっきり、殺してくれるんだって……」
「僕のギフトは傷を治すのとイモータルを殺す以外に能がなくてね。人や物を傷つけることはできないし、紙さえ切れない。昔は友だちにもザコギフトだなんて呼ばれたもんだよ……ほら、手、つかまって」
「あ。ありがとうございます」

 村を出て以来出会っていない、赤い髪の友人のことを懐かしみながら手を差し伸べる。ソニアは橙色の丸い目を二回ほど瞬かせると、そっとその手をつかんだ。
 引っ張ると、ソニアは特に労する様子もなく身を起こした。腹を刺した痛みもおおかた引いたようだ。

(——錠の痕が消えている)

 その際、イドラは彼女の手首に、昼間は存在したはずのあざが消えていることに気づいた。
 暗くて見間違いをした、ということもあり得る。しかしそうではないだろう。イドラは既に、ある程度その理由になんとなく察しが付いている。

「さっきも言ったけど、僕はキミを助けたい。そのためには、キミのことをもっと知らなくちゃならないと思う。……率直に訊くけれど。あの白く光る模様は、なんなんだ?」

 詳しいことを問いかけるのは、また明日にすべきかとも考えた。が、すっきりしたというのは本当のようで、さっきよりはるかにソニアの容体はよさそうだ。目の焦点もしっかりと合い、頬はまだ上気して赤らんでいるが、表情は平静そのもののように窺える。
 見るからにマイナスナイフが効いている。しかし、あの青い刃が効果を発揮したということは——

「……わかりません。でも、なにかを、されたんです」
「内臓を損傷したとか、そういうのじゃないんだよな」
「はい。一年くらい前に、突然男のひとに連れ去られて……それで、わたしのお腹を破って、その内側、に——っ」
「無理して思い出さなくていい。いや、十分だ。わかった。要するに、キミは——誰かに、体をイモータルみたいにされた、のか」
「……っ、はい」

——彼女には、不死が憑いている。
 なんということだろう。これでは不死憑きという蔑称は、完全に否定できるものではない。
 ソニアの体の内側には、その肉体を不死の怪物へと近づける『なにか』がある。その働きを、おそらくはマイナスナイフが無力化……否、抑制したのだ。そしてそれは一時的なものに過ぎないに違いない。

「わたしは……ちょっとずつ、イモータルに近づいてるんです。毎晩、お腹の中から痛みが広がって、意識が遠くなって、自分がおかしくなっていくのがわかるんです。……みんなが言う通り、わたしは不死憑き、なんです」

 何者かに連れ去られた出来事か、それ以来のことか。あるいはその両方か。思い出すことも苦しいらしく、平静に見えたソニアの顔がみるみる血の気が引いて青白くなる。

「そんなことが……」

 にわかには信じがたい話ではあった。
 彼女自身はイモータルではない。イモータルそのものではない、それは見ればわかる。
 しかし、イモータルに近づく? 体を改造されて?
 ありえるのだろうか、そんなこと。数々のイモータルを殺してきたイドラでさえ、そんな方法はまるでわからない。聞いたこともなければ、考えて浮かびそうにもない。

(だが、この子が嘘をついているわけもない)

 わずかな思考の末、荒唐無稽とも取れるソニアの言葉を、イドラは全面的に信じることに決めた。彼女を助けたいと思うなら、そうするべきだ。
 それに所詮、不死殺しは殺すばかりしか能がない。研究者でもあるまいし、現象の機序を解き明かすなど、頭の回る誰かがやるべきことだ。自分は可能不可能の判断を下せる者ではない、とイドラは自戒する。
 イモータルに近づいている——イモータル化。なら夜中の発作は、それが進行している証だろうか。

「そっか。一年も前から、あんな風に辛い生活を強いられてたんだな、ソニア」
「信じてくれるんですか? わたし、おかしなことを言ってます。わかってます、自分でも。もう……記憶も、とっくに壊れてヘンになってるんじゃないかって、わたし——」
「信じるよ。言っただろ、僕はキミを助けたい。キミの言葉は嘘でもなければ、誤りでもない。僕はそう信じる」
「助けたい、って、どうしてですか? わたしは不死憑き、恐ろしいイモータルに取り憑かれた化け物です! イモータルと同じです! みんな、みんなそうやってわたしを……遠ざけてきたのに、どうしていまさらそんな……!」

 彼女に味方はいたのだろうか。
 きっといなかった。あの集落の者たちは皆、ソニアの白い髪や、発作を起こすと金色になる瞳やその症状を目にして、コミュニティの輪から容赦なく排斥した。
 そして、意識の明瞭さを失うことは、自身の内にさえ疑念の目を向けねばならないことを意味する。
 どんな気分だったのだろう。周囲に疎まれ、あんな暗く狭い閉所に押し込まれ、記憶の正常さに担保のない日々を過ごすのは。イドラには想像もできない。けれど、想像もできない苦悩にでも、寄り添うことはできる。

「それも言った。僕の旅のモットーは、人に優しくだ」

 そう返すと、ソニアはぽかんと口を開けて言葉を失う。よっぽど予想外だったのだろうか、その反応にイドラは小気味よいものを感じながら続けた。

「キミは確かにふつうじゃないかもしれないが、それでも決してイモータルなんかとは違う。僕のマイナスナイフがその証拠だ。イモータルを殺す刃を受けて、キミの肌は傷つかなかった。それこそ、ソニアが人間であるなによりの証明だよ」
「人間……わたし、まだ人間ですか? こんな見た目でも、人間のまま生きていていいんですか?」
「当たり前だ。だってキミは、少し変わった、でもどこにでもいる、なんてことないただの女の子だ」

 不死憑きであっても。髪が白くとも。たまに目が金色になろうとも。
 それはあの、暴虐と破壊を形にしたようなあの不死の化け物とは、絶対に違う存在だ。

「いいの? わたし、生きてても……死ななくても——」
「おそらくはこの世で一番、イモータルを見てきた不死殺しが保証しよう。キミは、人間だ」
「あ……っ、ぅ」

 橙の瞳に涙が浮かび、それはすぐにあふれ出る。

「ぁああああんっ、う、あっ、あああああぁぁぁ——」

 堰を切ったようにソニアは泣き崩れた。子どもらしく声を上げ、ぽろぽろと流れる大粒の涙で頬を濡らして。これまで耐えてきたものを、すべて吐き出す。
 地面に落ちるその涙に、しんと静まった森へ響くその声に、思う。
 この幼く傷つきやすい心を、今日まで保ってきた努力が報われますように。この子のこれからが、これまでの痛みを塗りつぶせるくらいに、希望に満ちたものでありますように。

(……そうなれば、僕も。あの日取りこぼしたものを、取り戻せるんだろうか)

 遠い日の言葉が、イドラの耳の奥で反響する。

『こんな世界で旅をするのは簡単なことじゃないから、目に映るすべての人を助けるなんてのは、きっと神でさえできないことよ。でも、だからこそ——本当に助けたいと思った相手だけは、なにがなんでも助けなさい』

 幾度となく死線を越える過酷な旅をしていても、忘れられない母の言葉。同時にそれは、交わしたその日に守れなかった約束でもある。
 本当に助けたかったひと。憧れたひと。優しかったひと。——好きだったひと。
 一番に大切なものを失くしたのに、どうしてまだ、破綻した約束にこだわって、『人に優しく』だなんて嘯いているのか。考えてみればわかる気もしたが、考えたくなかった。

 いつの間にか月はなく。一時の雲に覆われ、暗闇が森に満ちる。
 少女が泣き止むのをしばし待つ間、それでもイドラは空を見上げた。濃く静かな闇と、重なり合う枝葉と、分厚い雲たちの向こうに、今も輝く星があるのだと信じるように。
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