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第十七話 その希望の名は
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「大丈夫ですか、先輩っ! あの動き……まるで動きをすべて読まれているような」
「……聖眼凝視」
「え?」
「あのひとの聖寵だ。人体に関して俺は詳しくないが、なんでも筋肉っていうのは体を流れる『精気』によって動作すると考えられているそうだ。あのひとの移植眼球は、その流れを見極め、さらには解析までこなす」
「精気の解析……? 相手がどう動くかわかる、ってことですか?」
「ああ。まともに近接戦闘を仕掛けて、あのひとに勝てる人間はいない。……死体から奪った五つの異能なんて、あの未来を視るに等しい聖寵に比べれば誤差みたいなものだ」
「——」
初めて見せるヨシュアの苦しげな表情に、アイラは声もなく驚いた。
元々巨躯で力の強いドルヴォイにとって、聖眼凝視の聖寵はまさに鬼に金棒だった。相手を第二視野の視界にさえ収めていれば、その動きはすべて筒抜けになる。となれば、接近戦において負ける要素は皆無だと言われるほど、現役時代のドルヴォイは名高かった。
ただそれゆえに慢心があったのか。視界外からの一撃でドルヴォイは右腕を失い、烙印祓いの座から退いた。
「そっか……だからわたしが鉄杭を避ける方向も読まれたんだ。なにか、対抗手段はないんですか?」
「俺にはない。さっき司教も言っていただろ、俺はあのひとに勝ったことは一度たりともない。今は五本の腕と異能を備えているが……あれがなくとも、たとえ隻腕だろうともあの聖寵があれば、俺は司教には勝てん」
「そ、そんなっ」
異世界転生者の異能は、烙印を励起させていなければ使えない。それゆえに烙印祓いは、烙印励起をする前に転生者を仕留める、奇襲や暗殺こそが望ましいと教育を受ける。
そんな烙印祓いの中でもずば抜けて優秀とされたドルヴォイが、反対に能力の及ばない第二視野の外から不意を突かれ、腕を失ったのは皮肉な話だ。異能と聖寵が根源を同じくする以上、異世界転生者と烙印祓いもまた、その弱みは同じだったということかもしれない。
ただ、腕を失い、そして新しい腕を何本生やそうとも、その聖寵は変わらない。
ヨシュアにとって、突き詰めてみれば五本の腕も五つの聖寵もどうだってよかった。
ドルヴォイを相手取るにあたり、最も厄介なのはその聖寵。半生をともにする、動物精気——異世界転生者の生まれた世界におけるルイージ・ガルヴァーニの科学的発見に基づいて訂正するならば動物電気、その中でも脳から発せられ神経を伝い筋肉に届く微弱な電気信号——を解析し意図を読み取る移植眼球。
「だから、きみに頼りたい」
「……え? わっ、わたしですか!?」
「ああ。ドルヴォイ司教の聖寵を超えるには、アイラ君の力が不可欠だ」
「む、ムリです、ムリですって! 先輩でもどうしようもないのに、わたしなんかが——」
「あの路地で。きみはたぶん、聖寵を使ったはずだ」
「——えっ?」
アイラにその自覚はなかったのか、碧色の片目を丸くする。
「路地で……確かにわたし、聖寵を使おうとしました。でも、なにも起きなくて……」
「なにも起きていなかったわけじゃない。使えないなら、今、使えるようになってくれ」
「ええっ、そんなムチャわたしには……」
「時間は俺が稼ぐ。きみが頼りだ、任せたぞ」
ヨシュアはナイフを取り出し、まだなにか言いたげなアイラをその場に残してドルヴォイへと突っ込んでいく。
ヨシュアではドルヴォイに勝てない。それは五本の右腕と異能を抜きにしても覆せない、ヨシュアの中での前提だった。
だが、策はある。自身にではなく、怖がりな新米の——しかし勇気を持った、有望な彼女の手の内に。
その箱の中に。
「自分から向かってくるとはな、大した度胸だヨシュア君」
「転生者に臆するわけにはいきませんから」
「おっと、私は転生者ではないぞ? 一応はまだキミの上司なのだがね」
「その右腕を持つ時点で、あなたは転生者と同じだ。無事で済むとは思わないでください」
「ガハハッ、烙印を追う狂犬め!」
ヨシュアの返答に、ドルヴォイはニィと表情を歪ませた。かつて幾多の異世界転生者たちを怯えさせた、獰猛な捕食者の笑みだ。
牽制とばかりに、第一右腕が輝き、黒い杭が放たれる。ヨシュアは走りながら、ナイフと逆の手に持つピクシスを後方に向けた。
右目で飛来する鉄杭を。移植眼球で先ほど自分が衝突して破壊された、長椅子の木片を注視する。
視差転移。厳かな礼拝室の壁が貫かれるのを引き換えに、ヨシュアは鉄杭をやり過ごす。
(俺に稼げるのは、せいぜい数分……。先輩として情けない限りだが、アイラ君にすべてを託すしかない)
ドルヴォイは杭がやり過ごされることなど想定済みの動きで、『蜘蛛』の異能を使って地を這いながら急速に近づいてくる。一手の失敗が死に直結する緊張感の中で、ヨシュアは余計な思考を削ぎ落とす機械としての駆動を開始した。
距離が詰まるや否や、第三右腕の『剛腕』が振るわれる。ヨシュアはドルヴォイの周囲を回るようにして、多腕による殴打の雨、そしてその中に本命として混ぜられる第三右腕の致命的一撃をなんとか避け続ける。
反撃に転じる択を捨て、防戦に徹するからこそ作れる拮抗だ。とはいえそれもいつまで続くか。ドルヴォイは左手で自身のピクシスを持ち、その表面に埋め込んだ眼球で常にヨシュアのことを捉え続けている。
「ガハッ、ハハハハ! よく避けるものだなぁヨシュア君、まるでハエのようじゃないか!」
反駁の余裕などヨシュアにはない。ドルヴォイはなにが楽しいのか狂ったように哄笑し、時折『鉄杭』に切り替えながらも『剛腕』を振るう。
空振る拳の風圧で青い髪が揺れ、一秒前まで背にしていた壁が貫通して砕かれる。一瞬その穴から廊下に誘い込めないかと考えるも、アイラの方に狙いを変更される危険性からすぐに却下し、ヨシュアは猛獣じみた圧に顔色ひとつ変えず敵の懐へ飛び込んだ。
「はっ!」
腰に下げる、右腕切断用の大鉈を振り抜く。持木幸雄との戦闘で刃は若干曲がっているが、肉を削ぐくらいの威力はある。
「効かんなァ。そんな見え見えの動きが、今の私に通じると思わないことだ」
「異能の障壁、か」
ガラスじみた壁に弾かれ、ヨシュアは即座に後ずさる。
『障壁』の異能。しかしそれも、『聖眼凝視』の異能によってヨシュアが鉈で切りつけてくることを予期しての防御だ。
「力の差はわかっただろう、そろそろ終わりにしようじゃないか! ヨシュアァ!」
後退するヨシュアを追って、ドルヴォイがその巨体を躍らせる。その第五の腕には黄金の輝き。
「上……!?」
蜘蛛の異能の力の一端か、ヨシュアをはるかに飛び越えて跳躍する敵を視線で追う。その先には壁があるのみで、アイラを狙うにしても見当外れだ。
困惑するヨシュア。そのわずかな動転をよそに、ドルヴォイは突起のひとつもない壁に触れ——
そのまま、壁を這って走り出した。
「壁面を——しまった、『蜘蛛』にはあれがあった……!」
「ガハハッ、流石はツークォーター級! 中々に面白い使い勝手の異能じゃないか!!」
まさしく巨大な蜘蛛のごとく、ドルヴォイは六本の腕を操り、重力による落下を無視して壁面を駆ける。そしてそのまま、アイラの方へ向かって壁面を蹴って再び跳躍した。
「アイラ君!」
あからさまに前へ出るヨシュアに、逆にアイラになにかあると気づいたのか。狙いを変更したと見て、ヨシュアは急いでアイラを助けるために駆け出す。
アイラは言われた通りなんとか聖寵を使おうとしているのか、周囲が見えないほどに集中した様子でピクシスをぎゅっと抱いている。あれでは避けることもできまい。
足を急がせるヨシュア。
それがドルヴォイの罠だった。
「かかったな、ヨシュアァ……!」
「なッ」
空中にあるドルヴォイの体が、ダンッと地を蹴るような音とともに一瞬静止する。そして見えないなにかを足がかりに、一気に方向をヨシュアの方へと転換して弾丸のように撃ち出された。
その五本の右腕で輝きを放つのは、第四の腕。
ヨシュアは遅きに失する思考でなにが起きたのかを理解する。『障壁』の異能で生成した壁を蹴ることで、なにもなかったはずの空中で方向を変えたのだ。
足に急制動をかけるヨシュア。そのすぐ目前に、礼拝室を揺らすほどの衝撃でドルヴォイが着地する。輝きの黄金は既に第三右腕へ移っている。
(回避、は……不可能か!)
聖眼凝視を前に、無傷での回避など許されはしない。ならばとばかりに、ヨシュアは自分から左腕を前に出して振り抜かれる拳を受けた。
「ぐうッ、あぁ!」
勢いを乗せた『剛腕』の右腕が、礼拝室の奥の、椅子と同じ木でできた講壇のそばまでヨシュアを吹き飛ばす。体の芯で受けていれば再起不能になるほどの威力だ。
それを受けた左腕がへし折れるのも、自明の理と言えた。
「避けられんことを察知して、ある程度の負傷を引き換えにあえて左腕で受けたか……! ガッ、まったく素早い状況判断だが、その右腕を切断するための鉈を後生大事に握り、ピクシスの方を手放したのは失策ではないかね!?」
ヨシュアの無事な右手には、まだ一振りの大鉈がある。だがそれだけだ。
左腕は完璧に折れ、骨が皮膚を突き出てくることこそなかったものの、もはや動かせる状態にはない。そんな手でピクシスを持ち続けるのも難しく、眼球を移植した立方体はもはや側方の壁の近くまで飛ばされてしまっていた。
(……ピクシスの位置は悪くないが……向きがよくないか)
機械と定義した肉体が、痛みと負傷にきしみを上げる。
ドルヴォイは片腕で打倒できる相手ではない。時間を稼ぐのも、ここいらが限界だろう。
それでも駄目ならば……いちかばちかで特攻を仕掛けるくらいしかできない。今の状態では、隠し持ってきた奥の手も使えない。
覚悟を決めて立ち上がり、ヨシュアはアイラの方に視線を向ける。
彼女は額に汗を浮かべながらも、目を合わせてこくりと頷いた。
「まだ立ち上がるか……! しぶとい男だ、あの夜キミを拾ったのは間違いだったな。人殺しがうまいだけの、人間の形をした伽藍堂めが!」
「……はっ」
「なにがおかしい。なぜ笑う!」
痛みも忘れ、笑みがこぼれる。
——大したものだ。
ヨシュアは賭けに勝利した。
この土壇場で、アイラはピクシスという漆黒の箱の奥へ手を伸ばし、底に残るものをすくい上げた。
すなわち聖寵。忌むべき転生者の悪しき異能が形を変えたものであっても、その黄金は確かに、今のヨシュアたちにとっての希望だった。
「わたしは、卑しささえも肯定してみせる。『眼球盗用』」
金髪の少女の唇が、彼女だけの聖寵の名を紡ぐ。希望というにはいささか浅ましく、盗人じみてはいるけれど。
ともかくその瞬間から、ドルヴォイの移植眼球は彼の視神経に一切の情報を送らなくなった。
「さあ——反撃開始だ」
「……聖眼凝視」
「え?」
「あのひとの聖寵だ。人体に関して俺は詳しくないが、なんでも筋肉っていうのは体を流れる『精気』によって動作すると考えられているそうだ。あのひとの移植眼球は、その流れを見極め、さらには解析までこなす」
「精気の解析……? 相手がどう動くかわかる、ってことですか?」
「ああ。まともに近接戦闘を仕掛けて、あのひとに勝てる人間はいない。……死体から奪った五つの異能なんて、あの未来を視るに等しい聖寵に比べれば誤差みたいなものだ」
「——」
初めて見せるヨシュアの苦しげな表情に、アイラは声もなく驚いた。
元々巨躯で力の強いドルヴォイにとって、聖眼凝視の聖寵はまさに鬼に金棒だった。相手を第二視野の視界にさえ収めていれば、その動きはすべて筒抜けになる。となれば、接近戦において負ける要素は皆無だと言われるほど、現役時代のドルヴォイは名高かった。
ただそれゆえに慢心があったのか。視界外からの一撃でドルヴォイは右腕を失い、烙印祓いの座から退いた。
「そっか……だからわたしが鉄杭を避ける方向も読まれたんだ。なにか、対抗手段はないんですか?」
「俺にはない。さっき司教も言っていただろ、俺はあのひとに勝ったことは一度たりともない。今は五本の腕と異能を備えているが……あれがなくとも、たとえ隻腕だろうともあの聖寵があれば、俺は司教には勝てん」
「そ、そんなっ」
異世界転生者の異能は、烙印を励起させていなければ使えない。それゆえに烙印祓いは、烙印励起をする前に転生者を仕留める、奇襲や暗殺こそが望ましいと教育を受ける。
そんな烙印祓いの中でもずば抜けて優秀とされたドルヴォイが、反対に能力の及ばない第二視野の外から不意を突かれ、腕を失ったのは皮肉な話だ。異能と聖寵が根源を同じくする以上、異世界転生者と烙印祓いもまた、その弱みは同じだったということかもしれない。
ただ、腕を失い、そして新しい腕を何本生やそうとも、その聖寵は変わらない。
ヨシュアにとって、突き詰めてみれば五本の腕も五つの聖寵もどうだってよかった。
ドルヴォイを相手取るにあたり、最も厄介なのはその聖寵。半生をともにする、動物精気——異世界転生者の生まれた世界におけるルイージ・ガルヴァーニの科学的発見に基づいて訂正するならば動物電気、その中でも脳から発せられ神経を伝い筋肉に届く微弱な電気信号——を解析し意図を読み取る移植眼球。
「だから、きみに頼りたい」
「……え? わっ、わたしですか!?」
「ああ。ドルヴォイ司教の聖寵を超えるには、アイラ君の力が不可欠だ」
「む、ムリです、ムリですって! 先輩でもどうしようもないのに、わたしなんかが——」
「あの路地で。きみはたぶん、聖寵を使ったはずだ」
「——えっ?」
アイラにその自覚はなかったのか、碧色の片目を丸くする。
「路地で……確かにわたし、聖寵を使おうとしました。でも、なにも起きなくて……」
「なにも起きていなかったわけじゃない。使えないなら、今、使えるようになってくれ」
「ええっ、そんなムチャわたしには……」
「時間は俺が稼ぐ。きみが頼りだ、任せたぞ」
ヨシュアはナイフを取り出し、まだなにか言いたげなアイラをその場に残してドルヴォイへと突っ込んでいく。
ヨシュアではドルヴォイに勝てない。それは五本の右腕と異能を抜きにしても覆せない、ヨシュアの中での前提だった。
だが、策はある。自身にではなく、怖がりな新米の——しかし勇気を持った、有望な彼女の手の内に。
その箱の中に。
「自分から向かってくるとはな、大した度胸だヨシュア君」
「転生者に臆するわけにはいきませんから」
「おっと、私は転生者ではないぞ? 一応はまだキミの上司なのだがね」
「その右腕を持つ時点で、あなたは転生者と同じだ。無事で済むとは思わないでください」
「ガハハッ、烙印を追う狂犬め!」
ヨシュアの返答に、ドルヴォイはニィと表情を歪ませた。かつて幾多の異世界転生者たちを怯えさせた、獰猛な捕食者の笑みだ。
牽制とばかりに、第一右腕が輝き、黒い杭が放たれる。ヨシュアは走りながら、ナイフと逆の手に持つピクシスを後方に向けた。
右目で飛来する鉄杭を。移植眼球で先ほど自分が衝突して破壊された、長椅子の木片を注視する。
視差転移。厳かな礼拝室の壁が貫かれるのを引き換えに、ヨシュアは鉄杭をやり過ごす。
(俺に稼げるのは、せいぜい数分……。先輩として情けない限りだが、アイラ君にすべてを託すしかない)
ドルヴォイは杭がやり過ごされることなど想定済みの動きで、『蜘蛛』の異能を使って地を這いながら急速に近づいてくる。一手の失敗が死に直結する緊張感の中で、ヨシュアは余計な思考を削ぎ落とす機械としての駆動を開始した。
距離が詰まるや否や、第三右腕の『剛腕』が振るわれる。ヨシュアはドルヴォイの周囲を回るようにして、多腕による殴打の雨、そしてその中に本命として混ぜられる第三右腕の致命的一撃をなんとか避け続ける。
反撃に転じる択を捨て、防戦に徹するからこそ作れる拮抗だ。とはいえそれもいつまで続くか。ドルヴォイは左手で自身のピクシスを持ち、その表面に埋め込んだ眼球で常にヨシュアのことを捉え続けている。
「ガハッ、ハハハハ! よく避けるものだなぁヨシュア君、まるでハエのようじゃないか!」
反駁の余裕などヨシュアにはない。ドルヴォイはなにが楽しいのか狂ったように哄笑し、時折『鉄杭』に切り替えながらも『剛腕』を振るう。
空振る拳の風圧で青い髪が揺れ、一秒前まで背にしていた壁が貫通して砕かれる。一瞬その穴から廊下に誘い込めないかと考えるも、アイラの方に狙いを変更される危険性からすぐに却下し、ヨシュアは猛獣じみた圧に顔色ひとつ変えず敵の懐へ飛び込んだ。
「はっ!」
腰に下げる、右腕切断用の大鉈を振り抜く。持木幸雄との戦闘で刃は若干曲がっているが、肉を削ぐくらいの威力はある。
「効かんなァ。そんな見え見えの動きが、今の私に通じると思わないことだ」
「異能の障壁、か」
ガラスじみた壁に弾かれ、ヨシュアは即座に後ずさる。
『障壁』の異能。しかしそれも、『聖眼凝視』の異能によってヨシュアが鉈で切りつけてくることを予期しての防御だ。
「力の差はわかっただろう、そろそろ終わりにしようじゃないか! ヨシュアァ!」
後退するヨシュアを追って、ドルヴォイがその巨体を躍らせる。その第五の腕には黄金の輝き。
「上……!?」
蜘蛛の異能の力の一端か、ヨシュアをはるかに飛び越えて跳躍する敵を視線で追う。その先には壁があるのみで、アイラを狙うにしても見当外れだ。
困惑するヨシュア。そのわずかな動転をよそに、ドルヴォイは突起のひとつもない壁に触れ——
そのまま、壁を這って走り出した。
「壁面を——しまった、『蜘蛛』にはあれがあった……!」
「ガハハッ、流石はツークォーター級! 中々に面白い使い勝手の異能じゃないか!!」
まさしく巨大な蜘蛛のごとく、ドルヴォイは六本の腕を操り、重力による落下を無視して壁面を駆ける。そしてそのまま、アイラの方へ向かって壁面を蹴って再び跳躍した。
「アイラ君!」
あからさまに前へ出るヨシュアに、逆にアイラになにかあると気づいたのか。狙いを変更したと見て、ヨシュアは急いでアイラを助けるために駆け出す。
アイラは言われた通りなんとか聖寵を使おうとしているのか、周囲が見えないほどに集中した様子でピクシスをぎゅっと抱いている。あれでは避けることもできまい。
足を急がせるヨシュア。
それがドルヴォイの罠だった。
「かかったな、ヨシュアァ……!」
「なッ」
空中にあるドルヴォイの体が、ダンッと地を蹴るような音とともに一瞬静止する。そして見えないなにかを足がかりに、一気に方向をヨシュアの方へと転換して弾丸のように撃ち出された。
その五本の右腕で輝きを放つのは、第四の腕。
ヨシュアは遅きに失する思考でなにが起きたのかを理解する。『障壁』の異能で生成した壁を蹴ることで、なにもなかったはずの空中で方向を変えたのだ。
足に急制動をかけるヨシュア。そのすぐ目前に、礼拝室を揺らすほどの衝撃でドルヴォイが着地する。輝きの黄金は既に第三右腕へ移っている。
(回避、は……不可能か!)
聖眼凝視を前に、無傷での回避など許されはしない。ならばとばかりに、ヨシュアは自分から左腕を前に出して振り抜かれる拳を受けた。
「ぐうッ、あぁ!」
勢いを乗せた『剛腕』の右腕が、礼拝室の奥の、椅子と同じ木でできた講壇のそばまでヨシュアを吹き飛ばす。体の芯で受けていれば再起不能になるほどの威力だ。
それを受けた左腕がへし折れるのも、自明の理と言えた。
「避けられんことを察知して、ある程度の負傷を引き換えにあえて左腕で受けたか……! ガッ、まったく素早い状況判断だが、その右腕を切断するための鉈を後生大事に握り、ピクシスの方を手放したのは失策ではないかね!?」
ヨシュアの無事な右手には、まだ一振りの大鉈がある。だがそれだけだ。
左腕は完璧に折れ、骨が皮膚を突き出てくることこそなかったものの、もはや動かせる状態にはない。そんな手でピクシスを持ち続けるのも難しく、眼球を移植した立方体はもはや側方の壁の近くまで飛ばされてしまっていた。
(……ピクシスの位置は悪くないが……向きがよくないか)
機械と定義した肉体が、痛みと負傷にきしみを上げる。
ドルヴォイは片腕で打倒できる相手ではない。時間を稼ぐのも、ここいらが限界だろう。
それでも駄目ならば……いちかばちかで特攻を仕掛けるくらいしかできない。今の状態では、隠し持ってきた奥の手も使えない。
覚悟を決めて立ち上がり、ヨシュアはアイラの方に視線を向ける。
彼女は額に汗を浮かべながらも、目を合わせてこくりと頷いた。
「まだ立ち上がるか……! しぶとい男だ、あの夜キミを拾ったのは間違いだったな。人殺しがうまいだけの、人間の形をした伽藍堂めが!」
「……はっ」
「なにがおかしい。なぜ笑う!」
痛みも忘れ、笑みがこぼれる。
——大したものだ。
ヨシュアは賭けに勝利した。
この土壇場で、アイラはピクシスという漆黒の箱の奥へ手を伸ばし、底に残るものをすくい上げた。
すなわち聖寵。忌むべき転生者の悪しき異能が形を変えたものであっても、その黄金は確かに、今のヨシュアたちにとっての希望だった。
「わたしは、卑しささえも肯定してみせる。『眼球盗用』」
金髪の少女の唇が、彼女だけの聖寵の名を紡ぐ。希望というにはいささか浅ましく、盗人じみてはいるけれど。
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