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しおりを挟むそれは、トレイシーが王太子の婚約者候補になったばかりだったからだ。
「……何を見ておられるのですか?」
「これ」
少し年上の子息が、しゃがみこんでいた。具合でも悪いのかとも思ったが違うようだとなり、トレイシーは気になって声をかけた。
「これ……? あぁ、蟻ですね」
「うん。蟻だね」
トレイシーも横に並んで蟻を見た。何やら冷たい視線をほうぼうから感じるが、それはどうでもいい。
トレイシーが気になったのは別のことだ。
「……蟻の何を熱心に見ておられるのですか?」
「え?」
身なりのいい子息は、トレイシーの言葉に驚いたかのように初めて、トレイシーの方を見た。淀みない瞳をその子息はしていた。澄み切った瞳なのに寂しそうにも見えた。
「? おかしなことを言いましたか? 観察なさっておられたのではなくて、考察中でしたか?」
「……」
「私も、やっていました。何に注目されておられたのですか?」
「……」
「1列に並ぶことですか? 巣の中で働くのと外で働く蟻の違いについてですか? あ、蟻ってよく働くのが2割で、働くのが6割、働かないのが2割いるそうですよ」
「え? そうなの?」
「はい。2割はサボっているそうです。その分、よく働くのがいるから、全体的に働いているように見えるようですよ」
「そうなんだ。よく知ってるね」
「いえ、ある人に質問攻めにして教えてもらいました」
「いい先生がいたんだね」
「そうですね」
(蟻のことに詳しくなって、どうするのかとは聞かれなかったのよ。ただ、蟻と人間は仕事っぷりは似ているのかと聞いた時は、思案していたようだけど)
そんなトレイシーをその子息が興味深そうに見ているとも知らず、久々に蟻を眺めていた。
そんなことをしているところにその子息を探していた人が駆け寄って来た。
「坊ちゃま、ここにおられましたか」
「うん。蟻を眺めてた」
「はぁ、またですか。おや、そちらのお嬢さんは?」
「面白い子だよ」
「は?」
「初めまして、トレイシーと申します。すみません。私の話し合いてになってもらっていました」
「え? 坊ちゃまと話を?」
「はい。あ、いえ、好き勝手に話していたから、それも違うのかな」
この場合、何て言うのだろうかとトレイシーは悩み始めた。
「ね? 面白いだろ?」
「はぁ」
探して来た方は、坊っちゃんにそっくりだとは言えなかったのだろう。
トレイシーは、まぁいいかと思ったようで、立ち上がると子息に声をかけた。
「それでは、失礼します」
「うん。またね」
ひらひらと子息は手を振ってきたので、トレイシーもにこっと笑って手を振り返した。
その会話だけで、探しに来た方は更に驚いた顔をした。
そこに別の男性が近づいて来た。
「パーシヴァル。出かける約束をしたはずだぞ?」
「父上。すみません。面白い子に会って、有意義な時間を過ごしていました」
「面白い子?」
父親も、その後、息子の横で蟻を眺めながら息子の話を聞いて、それは面白いと話していた。
そんな親子に時間がないからと急かす執事は大変そうにしていたが、親子は楽しげにしていた。
「そうか。私も会って見たかったな」
「またねと言っておきました。なので、会えるようにしてください」
「ん? お前がか?」
「はい」
「それで、令嬢は?」
「何も。でも、手は振り返してくれました」
それを聞いて、もう一度名前を聞いた。すると父親は、眉を顰めた。
「……すぐには、無理だ」
「なぜですか?」
「その令嬢は、王太子の婚約者候補の1人だ」
「候補は、他に何人いるのですか?」
「5人だ」
「……遅かったようですね」
「パーシヴァル」
「無理はしないでください。彼女が望んでいるなら、なおさら」
「それでよいのか?」
「はい。彼女には幸せになってほしいので」
「そうか。そこまでか。なら、益々、嫁に……」
「父上」
「……わかった。何もせん」
執事は、時間通りに動かないのは予測していたが、それでも間に合わないのではと思うほどの親子に胃を抑えていた。
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