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その後も、トレイシーは王太子となっているものと思っていたのに亡くなっていることを知ったショックから、立ち直れていないというのに熱が下がったのだからと両親に学園に行くように言われることになった。


「何しているの?」
「遅刻するだろ。さっさと行け」
「……」


トレイシーの食欲が戻っていなくとも、熱がないのだからと高い授業料を払っている分くらい勉強して来いと言われて家から出された。

そんな親だが、自分たちが熱を出すとこの世の終わりのようになり医者すら呆れるほど、大したことがないのに騒ぎ立てる人たちだった。

だが、トレイシーが風邪をひいたわけでもなく、ショックからの精神的なものならば、大したことはないかのように言うのだ。

娘のことは他人と同じような扱いをする両親だった。それには流石の使用人たちもトレイシーのことを可哀想やら、大丈夫かと心配はした。

でも、それをナヴァル子爵夫妻にわざわざ言う者はいなかった。つまりは、トレイシーのことを心配していても、その程度で自分の身が可愛いのだ。

そんなことにトレイシーも、慣れていた。いつものことだ。トレイシーは、未だに立ち直れていなくとも、学園に行って授業を受けて帰宅しては部屋に閉じこもる日々をしばらく過ごした。

そのうち、学園に行くたびにトレイシーは面倒に巻き込まれるようになった。その頃には、少しずつでも食事を取るようになっていた。落ち込みすぎても、あの人は戻っては来ないし、会えるわけではない。


(こんな風に倒れて、あちら側に逝くなんてことになる会い方はしたくない)


そんな再会をしても、あの人は笑ってはくれない。むしろ、見たくない顔を見ることになる。そう思ってトレイシーは必死に生きようとした。

そんなトレイシーの心の内など誰もわかってくれていなかった。特に学園ではマーセイディズが、お妃教育のストレスなのか。当たり散らしやすいのか。トレイシーに異様に声をかけて来ていた。

この日も、そうだった。


「あら、こんなところにいたのね。人間の服を着ていたから気づかなかったわ」
「……」


トレイシーは、嫌味なことしか自分に言わなくなったマーセイディズやその取り巻きに会うたび、猿、猿と馬鹿にされていた。


(こればっかりね。相手にするのも、煩わしい。王太子の婚約者として、相応しいことをしていればいいのに)


トレイシーは、そんなのを相手にする元気もなかった。ましてや相応しいことをしていると言う気にもならなかった。


「また、やってるのか?」
「あんなに落ち込んでいるのによくできるな」
「それにしても、あれが本性だったのか。親にそっくりだな」
「そんなに似てるのか?」
「あぁ、ちょっとでも失敗すると散々なまでに言われるそうだ」


それを見かけるたび、子息たちはそんなことを周りで言うようになっていた。すっかりマーセイディズは、評判を落とすだけ落としていた。

彼らだけではなかった。令嬢たちも……。


「あの性格を隠していたってことね」
「最悪よね」
「フィランダー殿下も、せっかく話したのに見抜けなかったみいね」
「見抜くも何も一番意気投合したらしいわよ」
「あんなのと?」
「お似合いってことでしょ。じゃなきゃ、彼女をあの中からは選ばないわよ」


他の候補者も、あれよりはマシだったはずなのにと憤慨していた。だからと言って、選ばれたかったわけではない。

それでも、マーセイディズにだけには負けるわけがないと選ばれたトレイシー以外の令嬢たちは、ずっと思っていたのだ。それがマーセイディズに負けたとなって、腸が煮えくり返るほど怒りを覚えていたが、王太子と並ぶ姿を見て……。


「お似合いね」
「本当にそうよね。とっても、お似合いで、私では太刀打ちできなかったわ」
「私もです」


候補だった令嬢たちは、マーセイディズと王太子を見ながら、そんなことをよく言うようになった。

それは嫌味でしかなかったが、マーセイディズは言葉通りに捉えていたようで、それを耳にするたび鼻を高くして嬉しそうにしていた。それが影で笑われているとも知らなかったようだ。

そんな令嬢たちは、良縁に恵まれて逆に選ばれなくてよかったと言うまでになっていたが、王太子と婚約したマーセイディズには自分が一番の良縁を掴まえたと思っているようで、候補になっても王太子の婚約者になれなかった令嬢たちの本音までわかることはなかった。

それを見ていたトレイシーは……。


(あの嫌味に気づいてくれていたら、私だけに当たり散らしてないんだろうけど。……これは、私も褒めておくべき? いや、でも、そんな嘘をわざわざつきたくない)


それをわざわざ話したところで、トレイシーが言うことだ。マーセイディズが鵜呑みにするはずはない。もっとも、それを暴露する気もトレイシーにはなかった。

そこまでして、マーセイディズが当たり散らす矛先を変える気はなかった。そちらの令嬢たちにあったとしても。


「信じられない。これだけ言っても、気づかないなんて」
「何をしても、みんなトレイシー様を八つ当たりする方向にしかいかないわ」


その令嬢たちは、お妃教育のストレスが一番酷いのは見ていてわかったようだ。だからこそ、自分たちにも当たり散らさせようと嫌味を言っていたが、マーセイディズは褒め言葉にしか聞こえないようで、それに呆れ返っていた。


「なんて、おめでたい頭をしているのよ」
「トレイシー様と仲良くしたかったのにあの方が、いつも友達面しているから、親しくなる機会がなかったのをこれほど後悔する日が来るなんて……」
「私もよ。でも、頭が良すぎて話についていくのがやっとな時もあったのよね」
「私もですわ。ケロッとしたお顔で難問に答えてしまわれるのですもの」


トレイシーは、誤解していた。遠巻きにされていたのは、嫌われていたからではなかったことを。候補の中に上った令嬢たちですら、絶対に勝てないと思われていたことを。


「それにしても、どうしてトレイシー様はあそこまで落ち込まれておられたのでしょうね」
「……どういうこと?」
「だって、あの方の婚約者になるのですよ? お会いになって、びっくりなさっていたようですし、どんな方か知らなかったのかなと」
「幻滅しすぎたにしては、妙ですものね」


トレイシーが何かに物凄く落ち込む姿はさながら失恋した乙女のように見えたが誰もが、あの王太子に手酷くされたからだとは思えなかった。

そんなトレイシーを見かねた者は多くいた。どう見ても、無理をしているのだ。大丈夫なことなど何一つないように見えるのに学園に来て、マーセイディズに当たり散らされているのだ。


「無理して来なくとも、トレイシー様なら成績の心配もないはずなのに」

「しっかり休まれた方がいい」


他からも、トレイシー嬢が心配だと言われたようで、両親もあまりにも周りから言われるようになり、気にし始めたようだ。もっとも両親の心配ごとは世間体だけだ。


「全く、どういつもこいつも、またをゆっくり休ませてやれと言ってくる」
「私もです。ただですら、候補に落ちた者たちは次々と婚約しているというのに。トレイシーだけが、婚約できていないのにゆっくりさせろだなんて」
「所詮は他人事なのだろう」
「全く、あの夫婦だけでも忌々しいのに。周りにまで、ここまで言われることになるとは」
「全て、トレイシーが令嬢らしからぬことをしていたからだ」


トレイシーの両親は、欠片も娘を心配などしてはいなかった。

学園でもマーセイディズとその取り巻きに色々言われ、家では機嫌の悪い両親にあれこれと嫌味を言われて、トレイシーの気が休まるわけがなかった。

周りは、トレイシーのためと思っていても、それが理解できない両親がいたことで更に疲れた顔をしていることまでは、気づく者はいなかった。誰も彼も、トレイシーの両親がそこまで酷いとは思っていなかったのだ。

王太子の評判も、その婚約者となった令嬢の評判も、あまりよろしくないのだが、そんなのに選ばれずに他の者と婚約させた方がマシだと陰口を言われ始めているというのに。トレイシーの両親は、それが耳に入らず、あの家族に負けたことだけを根に持っていた。

その辺は、マーセイディズの両親も似ていた。周りに何を言われようとも、王太子の婚約者になったのは娘なのだ。周りに何か言われていても、負け惜しみだと思って余裕でいた。

その余裕な態度がまたトレイシーの両親は気に入らないとばかりにしていて、そんな両親だ。娘を気に掛けることなどできるわけもなかった。


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