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しおりを挟むとある国の伯爵家に生まれたシータ・ヴァルマという令嬢は、ドジっ子として、有名だった。小さい頃に手のひらをガラスで切って数針縫う大怪我をしたのが一番酷い怪我で、それからはそんなに酷い怪我をしたことはない。
「きゃっ!」
「シータ、大丈夫?」
「いたたたたっ、」
「ほら、掴まって」
大怪我はしなくなったが、日に何度も何もないところでよく転ぶようになってしまったシータ。
まるで、転ぶことがシータの日常に組み込まれたかのように転ばない日はなくなった。
それに呆れた声など出すことなく、すぐに手を貸してくれるのは、シータの姉のジャイニ・ヴァルマだ。誰よりも側にいる姉だけが、妹のドジに呆れることなく、いつも側にいた。
助けてくれているようにも見えるが、転ぶ時に巻き込まれないように器用にジャイニは避けるのも、よくある。ジャイニがシータに巻き込まれて転んだことは一度もないない。
逆にジャイニか転びそうなのに巻き込まれてシータか転んだことがあるが、それを見ていた者はいない。いたとしても、比率が圧倒的にシータか転ぶのが多すぎて、転ぶのはいつもシータの方だと周りに思われていた。
その辺の訂正も、ジャイニはしたことがない。そんな姉が、妹の側に常にいた。
「また、やっているわ」
「ジャイニ様も、大変よね」
「私なら、あんな身内、見て見ぬふりしてほっとくわ」
そんなことを周りに言われるほど、ジャイニはシータの世話に追われているように見えた。
ただ歩いているだけで、なぜかシータはよく転んだ。そのせいで、擦り傷が絶えたことがない。
これが、わざとしているのなら、とんでもない。毎回笑われるのに痛い思いをなぜしなくてはならないのか。
シータは、何かを狙ってやっているつもりはない。何かに得体の知れないものの上に足を置いたせいで転ぶのだが、それが何なのかが分かったことはない。何かが足元を掬うのだが、きょろきょろしても、それが見えたことはない。
そうなるとその感覚も、全てはシータの気のせいなのだろう。そもそも、その話をシータは誰かにしたことはない。したところで、頭をおかしくしたと思われるのがオチだ。この状況で、シータが話したことがないのは、シータの味方をしてくれる人が、いないからだ。
姉も、この通りだ。真剣に聞いてくれはしない。妹の側に常にいるだけで、心にまで寄り添ってくれていたことは、これまでないのだ。
いつも笑われて馬鹿にされているのは、シータは当たり前になりすぎていて、他に話題はないのかと思うくらい異常な日々を送っていた。
「……お姉様」
「気にしなくていいのよ。それより、怪我は?」
シータは、姉を呼んだ。すると姉は、わかっているとばかりにそんなことを言ったが、周りに言い返してくれたのを見たことはないし、聞いたこともない。
気にするなと言うばかりで、気にしないわけがないと思うが、姉は昔からこういう人だ。
聞こえないふりをしても、言われ続けることに変わりはないというのにその場しのぎのことしか姉は妹に言うことはなかった。
「大丈夫です」
「なら、あなたのクラスまで送るわ」
「……」
擦り傷くらい、大したことはない。こんなのシータには怪我に入らない。こんなところに長居したくなくて、いつもシータは大丈夫と言った。
膝をついたから、青痣になっているだろう。痛い思いばかりして、それを見ている人たちに笑われて、踏んだり蹴ったりの日々をずっと送っていた。いつまでに送れば終わるのかと思わずにはいられなかった。
家どころか、シータは部屋から出たくなくなっているが、それをジャイニが毎朝連れ出すようになった。
それこそ、学園に行かずに家庭教師を雇ってもらって勉強すればいいのだが、そうしてもらおうとジャイニは言わないのだ。
「シータが行かないなら、私も行かないわ」
「……」
家で勉強すればいいと言ってくれれば済むのに家にいるのなら、姉も一緒にサボるのを付き合うみたいに言うのだ。
そうなるとまたシータが、わがままを言っているのに振り回されて姉が学園に来なくなったかのように言われ、シータはそれにげんなりした。
この姉は、シータのためと言いながら、側にいるだけしかしない人で、他のことを考えてくれることがないのだ。
そのせいで、シータは両親から、こんな風に思われていた。
「わがままを言うな」
「そうよ。いつまで、姉だからってジャイニに頼っているのよ」
「……」
頼っているつもりは欠片もない。姉が、変な方向で優しすぎるから、こうなっているのだ。それだけだ。
もっとも、ここに優しさがあるのかと疑問に思うところだが、妹のために姉は頑張っているかのようになっていた。
何ならシータが学園に入ってから、いつの間にか毎日、シータのことを無事にクラスに届けることがジャイニの日課になっていた。もちろん、帰る時もジャイニがシータを迎えに来た。
それも、シータが頼んだからではない。姉が、当たり前のようにやるのだ。何を言っても、ジャイニはそれをやめてくれることはなくて、シータはどんどん疲れてきていた。
シータは知っていた。姉にこんなことを言っている者が後を絶たないことを。
「ジャイニ様、いい加減に妹さんに時間を割くのをやめたら、どうですか?」
するとジャイニは、不思議そうに首を傾げた。
「なぜ、やめなければならないの?」
「だって、迷惑でしょう?」
それを言った令嬢だけでなくて、それを聞いていた周りの令嬢も、その通りとばかりに頷いた。そう見えるのだ。自分たちなら、そう思うからというのも大きかった。
「いいえ。私の大事な妹だもの。迷惑なんて、思ったことは一度もないわ」
そんなことを言うジャイニは、にっこりと笑った。とても綺麗な笑顔で、さも当たり前のようにそう答えていた。
それこそ、姉の鏡とも言える回答だ。ドジな妹のためにそばに寄り添い続ける優しい姉がそこに存在した。優しさに偏りがあることを見ている人は、ほとんどいない。
そのせいで、姉の評価や評判が下がったことがない。
「姉だからって、あそこまでやるなんて、流石よね」
「いくら、何でも、あのままじゃジャイニ様が自分を犠牲にしすぎるわ」
「本当にはた迷惑な妹がいたものよね」
妹が周りに迷惑にならないように姉としては、そのことで必死なのだろうと言う者もいた。
それを最近はこれみよがしにシータの耳に届くように話すのだ。しかも、ジャイニがいない時にされるシータの気持ちなど、誰もわかってくれはしなかった。
シータが、姉にそんなことをしてほしいと頼んだことは、これまで一度もない。何なら、やめてほしいと再三言ってもやめてくれず、1人でどうにかすると言っても、側から離れないだけなのだ。
そもそも、姉が側にいても、いなくても転ぶのはシータだ。それなら、いなくてもいい。どちらにしても、痛い思いをするのは、シータだ。言いたい放題にされるのも、シータだ。
姉が、そんなこと言わないでと言ったのをシータが聞いたことはなかった。まぁ、言ったところでやめてくれはしないのだろうが、何にせよ。この状況にシータは、胃がキリキリ痛んで仕方がなかった。
「……1人になりたい」
シータは、そんなことを思うようになった。
姉として必死に寄り添って守ろうとしていると周りは思っているようだが、シータは関わらないでほっといてほしいといつの頃からか、そんなことを思うようになっていた。
そんなシータの気持ちに気づいてくれる人たちは少なかった。みんな、見たままを誤解している者がほとんどだったからだ。
怪我の手当は、シータは部屋でこっそりとしていた。姉は大丈夫かとか、怪我は?と言ってくれても、怪我の手当をしてくれたことはない。
ただ、側に居続けてくれるだけのジャイニ。学園に行って勉強をさせようとするばかりの姉は、シータが本当に何をしたいのかを理解してくれることはなかった。
両親は、周りの人たちと同じく、シータの存在が邪魔だと思っていて、迷惑ばかりかけていると思っていた。
家でも、外でも、シータは針の筵の状態だった。
「どうやったら、1人になれるのかな」
そんなことを考えない日は、なくなった。1人の時間をシータは欲してやまなかった。
その答えは、学園にあった。
それこそ、家庭教師に家で見てもらっていたら、思いつかなかったことを先生に言われたことで、家を離れられるかも知れないとなったのだ。頭の良さを抑えているように見える人たちが現れたのだ。
だが、それが上手く進むまでシータは自分の我慢が保てるかがわからなくなっていた。
それでも、できることをやる努力を怠ることはなかった。それも、ジャイニに気づかれず、周りに気づかれずにやるのは中々大変だったが、自分を試すのはとても楽しかった。
でも、そんな楽しみが増えたことに姉や周りが気づくことはなかった。
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