上 下
92 / 99
第3章

22

しおりを挟む

「刺繍ですか? ぜひ、私にも教えてください」


フィオレンティーナはハンカチではなく、もっと大きなものに刺繍をしようと思った。前世の祖母が手掛けていた庭だ。子爵家の庭は、考えると未だに悲しくなってしまうため、眠っている間に見た風景を忘れる前に刺繍で残したかった。

材料などの話をクラリスにすると教えてほしいと言われたので、フィオレンティーナは頷いた。

そのうち、リディアーヌや他の夫人たちも話を聞いて自分たちも教えてほしいと言うので、知っている人たちばかりなら、そこには親方と庭師の妻たちもいても大丈夫だろうと声をかけたのは、フィオレンティーナだ。

すると噂を聞きつけて、他の貴族の夫人たちも自分たちも、ぜひ!というので、フィオレンティーナは……。


(ここに来れる人たちなら、大丈夫かな)


そんな風に思って頷いた。それがまずかったようだ。

庭師たちの妻たちは、フィオレンティーナに教わるのは慣れたことのようにしていたが、それでも他の貴族がいるというので緊張していた。

そんな平民がいることに微妙な顔をする夫人がいたのだ。あからさまに嫌がる者はいなかったが、それでもわかりやすいところがあった。

物凄く嫌がって抵抗する者たちは、フィオレンティーナの側どころか。養父母となった公爵家にすら近づけなかったようだが。

妖精たちは、そわそわしながら邪魔にならないようにしていた。もっとも、公爵家の庭は、フィオレンティーナが住むようになって、フォントネル国で一番賑やかになっているが、フィオレンティーナにはそれが全く見えないままだった。


「フィオレンティーナ様。婚約者の方々に何かお作りになっては?」
「え?」
「あら、それはいいわね」


親方の妻に言われて、クラリスは目を輝かせた。リディアーヌやペトロニーユも賛同した。

フィオレンティーナは、全く別の大作を作る気でいたため、驚いてしまった。

あの花の刺繍のハンカチをもらった者たちは、素晴らしい案だとしたが、それを全く知らない他の夫人たちは……。


「ご自分で持つ程度の刺繍では?」
「え?」


花の守り手と言っても、所詮は人間の娘。大した事などないと思われているようだ。そんな態度と声音だった。フィオレンティーナの気のせいではないはずだ。

つまるところフィオレンティーナに教わるというより、花の守り手とお近づきになりたくて、ここに来ているだけのようだ。


「私たち、フィオレンティーナ様に習って、この程度ですが、フィオレンティーナ様はもっと素晴らしい刺繍をなさいますよ」


そう言って庭師の妻たちは、この程度と言ったのを見せた。先程の言葉にカチンときたようだ。


「っ、!?」
「まぁ、皆さん、フィオレンティーナ様に随分前から習っているのよね? なんて、素晴らしいのかしら」
「本当に。……私にも、できるかしら?」


馬鹿にしたように言った夫人は、刺繍を見て黙ってしまったが、クラリスたちは身分など気にせずに先に習っていた方々として、和気藹々としていた。

フィオレンティーナは、蔦を見ていた。周りに人がいるから大人しめにしているが、一喜一憂していることがよくわかった。


(婚約者に贈るって、してみたかったけど。ここでの普通は、どこまでなんだろう……?)


奇想天外なことをして、婚約者に恥をかかせるわけにはいかない。ただですら、目立つことになっているはずだ。そう考えると楽しそうだと思っていた気持ちも複雑なものに変わってしまった。

ただ、懐かしい風景を覚えているうちに刺繍したかっただけなのだが、ピリピリした雰囲気に和やかに刺繍をする気持ちは、どこかに消えてしまっていた。


(みんながいるところでは、この刺繍をするのはやめよう。大事な思い出が、台無しになりそうだし。益々、おばあちゃんに会いたくなる)


帰れるものなら、あそこに帰りたくなっていた。

そんなことをあれこれ考えていることに気づいているのは、蔦のみだった。

言葉にしていれば、妖精たちもそれで騒いでいただろうが、それをしていなかったことでフィオレンティーナが沈んだ気持ちになっていることだけが、よく伝わっているのは婚約者たちのみだった。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

魔法のせいだからって許せるわけがない

ユウユウ
ファンタジー
 私は魅了魔法にかけられ、婚約者を裏切って、婚約破棄を宣言してしまった。同じように魔法にかけられても婚約者を強く愛していた者は魔法に抵抗したらしい。  すべてが明るみになり、魅了がとけた私は婚約者に謝罪してやり直そうと懇願したが、彼女はけして私を許さなかった。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

私ではありませんから

三木谷夜宵
ファンタジー
とある王立学園の卒業パーティーで、カスティージョ公爵令嬢が第一王子から婚約破棄を言い渡される。理由は、王子が懇意にしている男爵令嬢への嫌がらせだった。カスティージョ公爵令嬢は冷静な態度で言った。「お話は判りました。婚約破棄の件、父と妹に報告させていただきます」「待て。父親は判るが、なぜ妹にも報告する必要があるのだ?」「だって、陛下の婚約者は私ではありませんから」 はじめて書いた婚約破棄もの。 カクヨムでも公開しています。

思わず呆れる婚約破棄

志位斗 茂家波
ファンタジー
ある国のとある夜会、その場にて、その国の王子が婚約破棄を言い渡した。 だがしかし、その内容がずさんというか、あまりにもひどいというか……呆れるしかない。 余りにもひどい内容に、思わず誰もが呆れてしまうのであった。 ……ネタバレのような気がする。しかし、良い紹介分が思いつかなかった。 よくあるざまぁ系婚約破棄物ですが、第3者視点よりお送りいたします。

【完結】英雄様、婚約破棄なさるなら我々もこれにて失礼いたします。

ファンタジー
「婚約者であるニーナと誓いの破棄を望みます。あの女は何もせずのうのうと暮らしていた役立たずだ」 実力主義者のホリックは魔王討伐戦を終結させた褒美として国王に直談判する。どうやら戦争中も優雅に暮らしていたニーナを嫌っており、しかも戦地で出会った聖女との結婚を望んでいた。英雄となった自分に酔いしれる彼の元に、それまで苦楽を共にした仲間たちが寄ってきて…… 「「「ならば我々も失礼させてもらいましょう」」」 信頼していた部下たちは唐突にホリックの元を去っていった。 微ざまぁあり。

私のお父様とパパ様

ファンタジー
非常に過保護で愛情深い二人の父親から愛される娘メアリー。 婚約者の皇太子と毎月あるお茶会で顔を合わせるも、彼の隣には幼馴染の女性がいて。 大好きなお父様とパパ様がいれば、皇太子との婚約は白紙になっても何も問題はない。 ※箱入り娘な主人公と娘溺愛過保護な父親コンビのとある日のお話。 追記(2021/10/7) お茶会の後を追加します。 更に追記(2022/3/9) 連載として再開します。

婚約破棄は結構ですけど

久保 倫
ファンタジー
「ロザリンド・メイア、お前との婚約を破棄する!」 私、ロザリンド・メイアは、クルス王太子に婚約破棄を宣告されました。 「商人の娘など、元々余の妃に相応しくないのだ!」 あーそうですね。 私だって王太子と婚約なんてしたくありませんわ。 本当は、お父様のように商売がしたいのです。 ですから婚約破棄は望むところですが、何故に婚約破棄できるのでしょう。 王太子から婚約破棄すれば、銀貨3万枚の支払いが発生します。 そんなお金、無いはずなのに。  

【本編完結】ただの平凡令嬢なので、姉に婚約者を取られました。

138ネコ@書籍化&コミカライズしました
ファンタジー
「誰にも出来ないような事は求めないから、せめて人並みになってくれ」  お父様にそう言われ、平凡になるためにたゆまぬ努力をしたつもりです。  賢者様が使ったとされる神級魔法を会得し、復活した魔王をかつての勇者様のように倒し、領民に慕われた名領主のように領地を治めました。  誰にも出来ないような事は、私には出来ません。私に出来るのは、誰かがやれる事を平凡に努めてきただけ。  そんな平凡な私だから、非凡な姉に婚約者を奪われてしまうのは、仕方がない事なのです。  諦めきれない私は、せめて平凡なりに仕返しをしてみようと思います。

処理中です...