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【1】白雪りんごのチキンステーキ
第2話 ましろとりんごおじさん
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マンションに向かう道を歩きながら、ましろはりんごおじさんに尋ねる。
「りんごおじさんは、いつからここでレストランをしてるんですか? 外国にいたんじゃなかったんですか?」
「果物の『りんご』の発音じゃなくて、小鳥の『インコ』とか、ゲームの『ビンゴ』とかの発音なんですが……。まぁ、そのままにしておきましょうか」
りんごおじさんは、笑いながらごろごろとキャリーバッグを引き、その上にましろのランドセルを乗せた。
そして時々、おとぎ商店街の人たちに、「こんにちは」、「姉の子なんです」と挨拶をするので、ましろも合わせてペコリと頭を下げる。
りんごおじさんは、商店街の人たちと仲が良いらしい。これまでご近所とさえもあまり付き合いがなかったましろにとっては、新鮮な感じと不思議な感じがしてならない。ましろが知っていた人は、マンションの管理人さんと学校の友達くらいだった。
「僕がおとぎ商店街に来たのは二年前です。ここは、食べ物を司る神様に守られた素敵な町ですよ」
りんごおじさんは、八百屋のおばさんに手を振りながら口を開いた。
「少し上がれば、世界遺産にもなっている神社やお寺。少し下がれば、桜のきれいな川や紅葉のきれいな自然公園。西と東には、若者の集まるショッピング街。その真ん中にちょこんとあるのが、おとぎ商店街です。のんびりしていて、いい所なんです」
「へぇ~。観光地だから、もっとガヤガヤしてるのかと思ってました」
おとぎ商店街は、りんごおじさんが言う通り、たしかにのんびりとした雰囲気だ。
ましろが通って来た隣の筋の童話商店街は、もっと派手で賑やかで、若者がいっぱい歩いていたけれど、ここにはゆっくり歩く子連れのお母さんや、散歩をしている老夫婦なんかが目につく。
ましろは余計なお世話とは思いつつ、「お客さんは来ているのかな、レストランの売り上げは大丈夫なのかな?」と、心配になってしまった。
そして、おとぎ商店街を抜けてしばらく歩くと、きれいなマンションの前に出た。各部屋はそれほど大きくなく、夫婦や一人暮らしの人が多く住んでいると、りんごおじさんは教えてくれた。
「僕たちの家は、304号室です。で、ここがましろさんの部屋ですよ」
りんごおじさんに案内され、ましろはおずおずと部屋に入った――が、そこはましろが前の家で使っていた勉強机やベッド、本棚、他には服の入った段ボール箱なんかがぎゅうぎゅうに運び込まれていて、なんだかジャングルにたいになっていた。
うっ! 迫力がすごい!
自分の荷物は極力減らしてきたつもりだが、思わず圧倒されてしまった。
「すみません。もっときれいに並べられたら良かったんですが……。荷ほどきはお手伝いしますよ! 収納グッズなんかも買い足しましょう!……」
「いっ、いいです。十分です!」
すまなそうに謝るりんごおじさんに、ましろはコクコクと大きくうなずき、「ありがとうございます」とお礼を言った。
ましろは、ただでさえ自分を引き取ってくれた優しいりんごおじさんに、これ以上お金や時間を使わせることが、とても申し訳なく感じてしまったのだ。
「そうですか……。じゃあ、僕はひとまず戻りますね。何かあったらお店に電話してください」
りんごおじさんは少し寂しそうに眉毛をハの字にしながら、「お昼ご飯はリビングのカウンターに置いてあるので、食べてくださいね」と言い残して出て行った。
「分かりましたよーっと」
ましろはりんごおじさんを見送ると、自分の部屋のベッドに倒れこんだ。なんだかどっと疲れてしまったようで、体がベッドに沈み込んで動かない。まるで鉛のようだ。
「もう、全部めんどくさい」
荷物の片付けも、学校の準備も、やらなきゃいけないことはたくさんあるのに、何もやりたくなかった。というか、お母さんがいなくなってからは、やりたいことなんて一つもなくなってしまった。
遊びも、勉強も、ご飯も、全部全部やりたくない……。何も、楽しくない……。
そんなことを考えているうちに、ましろのまぶたはゆっくりと重たくなっていった。
***
ましろが気がつくと、窓の外は夕焼け色に染まっていた。どうやら、いつの間にか寝てしまっていたらしい。
少し体が冷えていたので、キャリーバッグからレモン色のカーディガンを引っ張り出してから、ましろはそろそろとリビングに移動した。
「おなか、空い……」
独り言を言いかけて、ましろはびっくりしてしまった。
なんと、リビングは泥棒に入られたかのように散らかり放題な状況だったのだ。
「なっ、なにこれ!」
床には取り込んだまま放ったらかしの洗濯物、ソファにはたくさんの料理の本、棚の引き出しは半開き、テーブルにはノートが積み重なっている。
「うわぁ。りんごおじさんって、見かけによらず、だらしない人なんだ!」
スマートで真面目で賢そうなおじさんだったのに意外である。残念イケメンってやつかなの、ましろは思わず顔をしかめてしまった。
いろんな意味で、わたし、ここで生活できるか心配になってきた。
ましろは、あきれながら洗濯物の山を一生懸命に部屋のはしっこに寄せ、ようやくカウンターテーブルにたどり着くことができた。
すると、そのカウンターテーブルと、そこと対面しているキッチンだけは物がスッキリと片付けられていて、とてもきれいなことに気がついた。
「お料理を作って食べるのは大好きってことなのかな?」
レストランやってるくらいだもんね……と、そんなことを思いながら、ましろはカウンターテーブルの上にサンドイッチを見つけた。レタスとトマトの入ったハムサンドと、ゆでたまごとマヨネーズを混ぜたたまごサンドだ。
おいしそう。
なのに、手がのびない。食べたくない。
最近は、ずっとそうだった。
ましろは、ちゃんとした食事をとる気になれず、ずっとお菓子を食べていたのだ。
「お茶だけもらおう」
ましろはキッチンの食器棚からコップを借りると、冷蔵庫からお茶のボトルを取り出す。そして自分の荷物の中にあったクッキーの箱を持ってくると、ビリビリと破いて中身を出した。
サクッ
いい音がする。
サクサクッ
クッキーがおなかに入っていく。
サクサクサクッ
でも、味が分からない。食べてる感じがするだけ。
チョコレートも、おせんべいも、プリンも、みんないっしょだった。
でも、食べないと死んじゃうから。
あれ、だけど、死んだらお母さんに会えるんじゃない?
ふと、そんな考えがましろの頭に浮かび、クッキーをつかむ手が止まってしまった。
「お母さん……。なんでわたしを置いていっちゃったの……?」
その時、玄関のドアがガチャリと開き、「休憩時間なので帰ってきましたよ~」と、のんびりした声が響いた。りんごおじさんが帰って来たのだ。
ましろは慌ててクッキーを隠そうとしたが、間に合わなかった。
りんごおじさんは、サンドイッチを食べずにクッキーを手に持っているましろを見て、「ましろさん……!」とハッ驚いた顔をした。
「りんごおじさん、ごめんなさい! わたし、サンドイッチ食べてなくて……」
ましろは用意してもらったものを食べなかったことを怒られると思い、今更クッキーを背中に隠したが遅かった。
りんごおじさんは、ずいずいと近づいて来て──。
「つらかったですね、ましろさん。我慢していたんですね……」
りんごおじさんは、怒っていなかった。
ましろの頭を自分の胸に優しく引き寄せて、ギュっと抱きしめていた。
「おじさん? 大丈夫だよ。わたし、平気だよ⁈」
「平気だったら、どうして泣いているんですか⁈」
りんごおじさんに言われて、ましろは初めて自分の目から涙が零れていることに気がついた。
「えっ! わたし、なんで……」
驚いて目をこすったが、ぽろぽろと出て来る涙は止まる様子がない。
「うっ。うぅっ……。ご、めんなさい。こんな子、嫌ですよね。でもわたし、ひとりだとダメで……。おじさん、わたし……」
ひとりにしないで。
嫌いにならないで。
置いていかないで。
ましろの心の叫びは、涙といっしょにどんどん溢れてくる。
悲しくて、寂しくて、寒くて、何もかもが遠くてよく見えない。どうしたらいいのか、分からない。
そして、それをりんごおじさんは、黙ってうなずきながら受け止めてくれた。
「お店に……、《りんごの木》に行きましょう」
しばらくして、りんごおじさんは静かに口を開いた。
「いっしょにご飯を食べましょう」
「ご飯⁈」
突然何を言い出すのかと、ましろは戸惑った。けれど、りんごおじさんはいたって真面目な顔をしていて、強くましろの手を握り、そのまま家を飛び出した。
「りんごおじさんは、いつからここでレストランをしてるんですか? 外国にいたんじゃなかったんですか?」
「果物の『りんご』の発音じゃなくて、小鳥の『インコ』とか、ゲームの『ビンゴ』とかの発音なんですが……。まぁ、そのままにしておきましょうか」
りんごおじさんは、笑いながらごろごろとキャリーバッグを引き、その上にましろのランドセルを乗せた。
そして時々、おとぎ商店街の人たちに、「こんにちは」、「姉の子なんです」と挨拶をするので、ましろも合わせてペコリと頭を下げる。
りんごおじさんは、商店街の人たちと仲が良いらしい。これまでご近所とさえもあまり付き合いがなかったましろにとっては、新鮮な感じと不思議な感じがしてならない。ましろが知っていた人は、マンションの管理人さんと学校の友達くらいだった。
「僕がおとぎ商店街に来たのは二年前です。ここは、食べ物を司る神様に守られた素敵な町ですよ」
りんごおじさんは、八百屋のおばさんに手を振りながら口を開いた。
「少し上がれば、世界遺産にもなっている神社やお寺。少し下がれば、桜のきれいな川や紅葉のきれいな自然公園。西と東には、若者の集まるショッピング街。その真ん中にちょこんとあるのが、おとぎ商店街です。のんびりしていて、いい所なんです」
「へぇ~。観光地だから、もっとガヤガヤしてるのかと思ってました」
おとぎ商店街は、りんごおじさんが言う通り、たしかにのんびりとした雰囲気だ。
ましろが通って来た隣の筋の童話商店街は、もっと派手で賑やかで、若者がいっぱい歩いていたけれど、ここにはゆっくり歩く子連れのお母さんや、散歩をしている老夫婦なんかが目につく。
ましろは余計なお世話とは思いつつ、「お客さんは来ているのかな、レストランの売り上げは大丈夫なのかな?」と、心配になってしまった。
そして、おとぎ商店街を抜けてしばらく歩くと、きれいなマンションの前に出た。各部屋はそれほど大きくなく、夫婦や一人暮らしの人が多く住んでいると、りんごおじさんは教えてくれた。
「僕たちの家は、304号室です。で、ここがましろさんの部屋ですよ」
りんごおじさんに案内され、ましろはおずおずと部屋に入った――が、そこはましろが前の家で使っていた勉強机やベッド、本棚、他には服の入った段ボール箱なんかがぎゅうぎゅうに運び込まれていて、なんだかジャングルにたいになっていた。
うっ! 迫力がすごい!
自分の荷物は極力減らしてきたつもりだが、思わず圧倒されてしまった。
「すみません。もっときれいに並べられたら良かったんですが……。荷ほどきはお手伝いしますよ! 収納グッズなんかも買い足しましょう!……」
「いっ、いいです。十分です!」
すまなそうに謝るりんごおじさんに、ましろはコクコクと大きくうなずき、「ありがとうございます」とお礼を言った。
ましろは、ただでさえ自分を引き取ってくれた優しいりんごおじさんに、これ以上お金や時間を使わせることが、とても申し訳なく感じてしまったのだ。
「そうですか……。じゃあ、僕はひとまず戻りますね。何かあったらお店に電話してください」
りんごおじさんは少し寂しそうに眉毛をハの字にしながら、「お昼ご飯はリビングのカウンターに置いてあるので、食べてくださいね」と言い残して出て行った。
「分かりましたよーっと」
ましろはりんごおじさんを見送ると、自分の部屋のベッドに倒れこんだ。なんだかどっと疲れてしまったようで、体がベッドに沈み込んで動かない。まるで鉛のようだ。
「もう、全部めんどくさい」
荷物の片付けも、学校の準備も、やらなきゃいけないことはたくさんあるのに、何もやりたくなかった。というか、お母さんがいなくなってからは、やりたいことなんて一つもなくなってしまった。
遊びも、勉強も、ご飯も、全部全部やりたくない……。何も、楽しくない……。
そんなことを考えているうちに、ましろのまぶたはゆっくりと重たくなっていった。
***
ましろが気がつくと、窓の外は夕焼け色に染まっていた。どうやら、いつの間にか寝てしまっていたらしい。
少し体が冷えていたので、キャリーバッグからレモン色のカーディガンを引っ張り出してから、ましろはそろそろとリビングに移動した。
「おなか、空い……」
独り言を言いかけて、ましろはびっくりしてしまった。
なんと、リビングは泥棒に入られたかのように散らかり放題な状況だったのだ。
「なっ、なにこれ!」
床には取り込んだまま放ったらかしの洗濯物、ソファにはたくさんの料理の本、棚の引き出しは半開き、テーブルにはノートが積み重なっている。
「うわぁ。りんごおじさんって、見かけによらず、だらしない人なんだ!」
スマートで真面目で賢そうなおじさんだったのに意外である。残念イケメンってやつかなの、ましろは思わず顔をしかめてしまった。
いろんな意味で、わたし、ここで生活できるか心配になってきた。
ましろは、あきれながら洗濯物の山を一生懸命に部屋のはしっこに寄せ、ようやくカウンターテーブルにたどり着くことができた。
すると、そのカウンターテーブルと、そこと対面しているキッチンだけは物がスッキリと片付けられていて、とてもきれいなことに気がついた。
「お料理を作って食べるのは大好きってことなのかな?」
レストランやってるくらいだもんね……と、そんなことを思いながら、ましろはカウンターテーブルの上にサンドイッチを見つけた。レタスとトマトの入ったハムサンドと、ゆでたまごとマヨネーズを混ぜたたまごサンドだ。
おいしそう。
なのに、手がのびない。食べたくない。
最近は、ずっとそうだった。
ましろは、ちゃんとした食事をとる気になれず、ずっとお菓子を食べていたのだ。
「お茶だけもらおう」
ましろはキッチンの食器棚からコップを借りると、冷蔵庫からお茶のボトルを取り出す。そして自分の荷物の中にあったクッキーの箱を持ってくると、ビリビリと破いて中身を出した。
サクッ
いい音がする。
サクサクッ
クッキーがおなかに入っていく。
サクサクサクッ
でも、味が分からない。食べてる感じがするだけ。
チョコレートも、おせんべいも、プリンも、みんないっしょだった。
でも、食べないと死んじゃうから。
あれ、だけど、死んだらお母さんに会えるんじゃない?
ふと、そんな考えがましろの頭に浮かび、クッキーをつかむ手が止まってしまった。
「お母さん……。なんでわたしを置いていっちゃったの……?」
その時、玄関のドアがガチャリと開き、「休憩時間なので帰ってきましたよ~」と、のんびりした声が響いた。りんごおじさんが帰って来たのだ。
ましろは慌ててクッキーを隠そうとしたが、間に合わなかった。
りんごおじさんは、サンドイッチを食べずにクッキーを手に持っているましろを見て、「ましろさん……!」とハッ驚いた顔をした。
「りんごおじさん、ごめんなさい! わたし、サンドイッチ食べてなくて……」
ましろは用意してもらったものを食べなかったことを怒られると思い、今更クッキーを背中に隠したが遅かった。
りんごおじさんは、ずいずいと近づいて来て──。
「つらかったですね、ましろさん。我慢していたんですね……」
りんごおじさんは、怒っていなかった。
ましろの頭を自分の胸に優しく引き寄せて、ギュっと抱きしめていた。
「おじさん? 大丈夫だよ。わたし、平気だよ⁈」
「平気だったら、どうして泣いているんですか⁈」
りんごおじさんに言われて、ましろは初めて自分の目から涙が零れていることに気がついた。
「えっ! わたし、なんで……」
驚いて目をこすったが、ぽろぽろと出て来る涙は止まる様子がない。
「うっ。うぅっ……。ご、めんなさい。こんな子、嫌ですよね。でもわたし、ひとりだとダメで……。おじさん、わたし……」
ひとりにしないで。
嫌いにならないで。
置いていかないで。
ましろの心の叫びは、涙といっしょにどんどん溢れてくる。
悲しくて、寂しくて、寒くて、何もかもが遠くてよく見えない。どうしたらいいのか、分からない。
そして、それをりんごおじさんは、黙ってうなずきながら受け止めてくれた。
「お店に……、《りんごの木》に行きましょう」
しばらくして、りんごおじさんは静かに口を開いた。
「いっしょにご飯を食べましょう」
「ご飯⁈」
突然何を言い出すのかと、ましろは戸惑った。けれど、りんごおじさんはいたって真面目な顔をしていて、強くましろの手を握り、そのまま家を飛び出した。
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