上 下
14 / 21

14

しおりを挟む
 しばしの沈黙の後、コツコツと規則正しい足音が脇を通り過ぎ、やがて遠ざかって行った。
 ほうっと気が抜け、膝から崩れ落ちそうになる私をルアが支える。

「ルア、ごめんなさい……契約を破って私的なことに巻き込んでしまいました……申し訳ありません、どうか許してください……」

 ボロボロと溢れる涙もそのままに、私はただひたすらルアに詫びた。
 なんの気なくルアへの手紙に書き添えた『よかったら今度ダリアを見にきてください』という社交辞令のような言葉。まさかこんな絶妙なタイミングで来てくれるとは思わなかった。
 けれど……私的なことには立ち入らない、巻き込まない――そんな大切な取り決めを破ってしまうことになってしまった。
 もう契約を破棄されても文句など言えない。
 今はただルアに申し訳ない気持ちと、クロードに傷つけられた心が痛くて苦しくて胸が張り裂けそうだった。
 ルアは泣きじゃくる私を抱き締めると、トントンとあやすように背を撫でてくれた。

「ごめ、ごめんな、さい……っく」
「本当に申し訳ないと思うなら、早いとこ泣き止んでください」

 溜息混じりの酷く素気ない口調だった。
 決して私を気遣い慰める類の言葉では無い。
 でも――今は近すぎず遠すぎないこの距離が不思議と心地よかった。
 私は大きく深呼吸をして、昂った心を沈める努力を試みる。
 そうしてルアの温もりと鼓動を直に感じているうちに、いつしか涙もすっかり乾いていた。

「お見苦しいところをお見せして……本当にお詫びの言葉もありません……」
「原因の一端は俺にもあるのでしょう。契約面に関してはそれで相殺にしませんか」
「え……いいのですか?」

 驚いて顔を上げると、ルアは猫のように目を細めた。

「ええ、クロード殿の邪魔をするのも中々面白そうですから」

 冗談めかした口調ながら、揶揄われているのか本心なのか相変わらずよく分からない。

「私がクロードの手を取ることは決してありません。だから本気で邪魔をするおつもりなら、徹底的にお願いしますね」

 ぎこちないながら、ようやく私にも笑う余裕が生まれた。
 ルアは指先で涙の跡を拭うと、触れるだけのキスをする。

「クロード殿に関することで俺を利用することは許しましょう。名でも体でも好きに使ってくれていい」
「ルア……ありがとうございます……なるべくご迷惑はお掛けしないようにしますね」
「迷惑……そうですね、あなたはひとまず着替えた方が良さそうです」

 ハッとマントを掴んで前を隠す。ワンピースは無惨に裂かれコルセットが剥き出しになっており、只事では無い状況は一目瞭然だ。
 クロードがあんな暴挙に及ぶだなんて……怖かったし、とてもショックだった。
 でも、まだあまり実感が湧かない。まるで夢の中の出来事のようで。

「歩けますか」

 ルアが腰を抱いて私の体を支える。

「申し訳ありません、お手を煩わせて……」
「好きに使えと言ったでしょう。抱き運んだほうがいいですか?」
「い、いえ、大丈夫です! 歩けますから!」

 ルアの手を借りながらなんとか自室へ戻り、クローゼットの中から適当なワンピースを選んで着替えた。
 ルアはソファに座りつつその様子を無遠慮に眺めている。
 帰れとも言えず、さりとて招いた以上放置するわけにもいかず、どうしようかと思案する。
 そこでどうせ断られるだろうと予想しながら食事に誘ってみることにした。

「あの……よかったら夕食でも一緒に如何ですか?」
「それは光栄ですね」

 まさか本当に応じてくれるとは思わなかった。
 私は内心の動揺を隠しながらすぐにレミを呼び、厨房への指示を任せる。
 レミは私のワンピースを見てなにか言いたそうな顔をしていたけれど、今は全て飲み込み「承知いたしました」と厨房へ向かった。
 夕食まではしばらく時間があったので、私はルアを花壇へ案内することにした。
 赤、紫、白、黄……改めて見るとダリアの花は色も形状も様々だ。どれもが美しく調和するよう庭師が計算して植えてくれているのだろう。
 ランタンの明かりに照らし出されたダリアは、いずれも夜の女王のように高雅で美しかった。

「美しいですね」
「ええ……あの、ルアが花言葉に詳しいだなんて意外でした」
「女性が好みそうなことはなんでも知ってますよ」

 サラッとなんでも無いことのよう告げられたけれど、この時私は何か違和感を感じた。
 これまでの言動から、世評通り好色な男とは思えなくなっていたからだ。

「私のほうが何も知らずお恥ずかしい限りです」
「クロエは……そうですね、風変わりですから」
「そう……かもしれませんね」

 私はお洒落に疎く社交下手なうえ出不精だから、ルアの周りにいる華やかな令嬢達とは全く異なる人種だろう。
 こんな私といてもつまらないだろうに、ルアは嫌な顔ひとつせず付き合ってくれているのだからひたすら感謝の念しかない。

「勘違いしないでください」

 ダリアの花弁を撫でながら、ルアが優美な唇を綻ばせる。

「他の令嬢達とは一線を画すあなたを、俺は好ましく思っています」
「一線を画す? そんなつもりはないのですが……」

 どう反応して良いか分からず困っている私を見て、ルアがクスクスと笑いだす。

「大分気分も解れたようですね。夜は冷えますからそろそろ戻りましょう」
「ええ、そうですね」

 あまりに自然に差し出された手を握る。
 何故だろう、今のルアはいつもと違って見えた。
 殺気のような険がないからか、妙な緊張を強いられることもない。
 こんな穏やかな心持ちでルアと接するのは初めてのことだ。クロードとあんなことがあったばかりだから、気遣ってくれているのだろうか。

「ルア……ありがとうございます」
「何に対しての礼ですか」
「そうですね……ひとつひとつ説明していたら夜が明けてしまいそうです」
「何一つ心当たりなどありませんが」

 素気なく流されてしまったけれど、ルアが私の意図を理解していないはずがない。
 やっぱり食えない人だと、私は内心苦笑いを浮かべた。





「お嬢様、クロード坊ちゃんからお手紙が……」

 翌日、執務室で溜まっていた書類を片付けていたところ、レミがおずおずと手紙を差し出してきた。

「……ありがとう」

 若干身構えつつ開封すると、目に飛び込んできたのはよく見慣れたクロードの文字だった。
『昨日は傷付けるような真似をしてすまなかった。でも僕は後悔していないし君を諦めるつもりもない。君を手に入れるために、僕は今日アスローザへ発つ。しばしお別れだ、元気でクロエ』
 私は手紙を食い入るように凝視する。
 どういうこと?
 私を手に入れることとアスローザへ発つことはなにか関係があるというの?
 ダメだ、情報が少なすぎる。こんな意味深な手紙を残してクロードはいったい何をしようとしているのか……
 心臓がドクドクと嫌な音を立てる。
 クロードに対して何もしてあげられることはない。
 でも不吉な予感ばかりが頭を過って不安で仕方がない。
 どうか危険なことだけはしないで、無事に帰ってきてクロード――
 私は逸る気持ちを抑えながら、依頼書を書いてベンを呼んだ。

「これをすぐ情報ギルドに……出来るだけ急いで、お願い」
「かしこまりました」

 ベンは私の切羽詰まった様子に何かを察してくれたようだ。顔を引き締め足速にギルドへ向かった。
 今ギルドが掴んでいる情報はどの程度だろう。アスローザは二つほど国を隔てた遠国だから、あまり正確性は期待はできないかもしれない。ひとまず安心できる情報が欲しい。
 ソワソワと仕事は手につかず、さりとて外出をする気にもなれない。
 クロード……
 気持ちを受け入れることはできないけれど、大切な人であることに変わりはない。
 あんなことをされたって嫌うことも憎むこともできない。
 だってあなたは――

「お嬢様、遅くなり申し訳ありません」
「ベン! 待ってたわ!」

 いつになく慌てた様子で戻ってきたベンを労いつつ、報告書を受け取りすぐに封を開く。

「……ありがとう、助かったわ。少し一人にしてくれる?」
「はい、何かありましたらすぐにお呼びください」
「ええ」

 申し訳ないと思いつつも一人でじっくり報告書を見たくて、ベンに部屋から出てもらった。
 そして再び報告書に目を落とす。
 そこにはクロードの、留学先での女性達との華やかな交友が記されていた。
 高位貴族令嬢、中でもアスローザ王女の名が挙げられていることに驚く。
 これはどういうことだろう。
 もしここに書かれていることが全て真実だとしても、クロードは理由もなく身を持ち崩すような人ではない。
 高位貴族令嬢ばかりが対象なのは偶然なのか、それともなんらかの意図を持ってのことなのか……何か重要な事実を突きつけられているような気がする。後者であった場合は特に……
 ああ、なんてもどかしさだろう。
 いつか彼の口から真実が語られる日がくるのだろうか。
 まだあの日の暴挙が整理できず、私はクロードに返事を書くことができずにいた。
 暫く会えないのはいい冷却期間なのかもしれない。
 今はただ旅の無事を祈ることしかできない。
 どうか危ないことはしないで。
 あなたは未来永劫私の大切な人なのだから――


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

前世魔性の女と呼ばれた私

アマイ
恋愛
侯爵令嬢リーティアは、兄妹のように仲の良かった婚約者に捨てられた。その衝撃で魔性の女と呼ばれた前世を思い出す。そんな彼女が真実の愛に辿りつき、幸せになるまでのお話。※主人公カップルは大体イチャイチャしてます。※ムーンライトノベルズ 様にも掲載させて頂いてます。※本編完結済、番外編不定期更新予定です。 ※改題しました。

冷遇側妃は魅了された王太子の呪いを解いて溺愛される

日々埋没。
恋愛
「君は側妃だが先に伝えておく。正妃を差し置いて君を愛することはない」  男爵令嬢のリスベルテスは王命により、なぜか正妃との間に世継ぎを作りたがらない王太子ルドリエの側妃として嫁ぐことになった。  リスベルテスに与えられた役目は正妃に代わって保険で子を設けること。  とはいえ最初は冷たく拒絶される彼女であったが、ルドリエが実は魅了魔法によって正妃の虜になっていることを見抜き、ある方法でその魅了を解除した。  すると正妃に対する嘘の恋心がなくなったルドリエは、今度は自分を解放してくれたリスベルテスを本心から溺愛するようになり――。

冷徹義兄の密やかな熱愛

橋本彩里(Ayari)
恋愛
十六歳の時に母が再婚しフローラは侯爵家の一員となったが、ある日、義兄のクリフォードと彼の親友の話を偶然聞いてしまう。 普段から冷徹な義兄に「いい加減我慢の限界だ」と視界に入れるのも疲れるほど嫌われていると知り、これ以上嫌われたくないと家を出ることを決意するのだが、それを知ったクリフォードの態度が急変し……。 ※王道ヒーローではありません

初恋に見切りをつけたら「氷の騎士」が手ぐすね引いて待っていた~それは非常に重い愛でした~

ひとみん
恋愛
メイリフローラは初恋の相手ユアンが大好きだ。振り向いてほしくて会う度求婚するも、困った様にほほ笑まれ受け入れてもらえない。 それが十年続いた。 だから成人した事を機に勝負に出たが惨敗。そして彼女は初恋を捨てた。今までたった 一人しか見ていなかった視野を広げようと。 そう思っていたのに、巷で「氷の騎士」と言われているレイモンドと出会う。 好きな人を追いかけるだけだった令嬢が、両手いっぱいに重い愛を抱えた令息にあっという間に捕まってしまう、そんなお話です。 ツッコミどころ満載の5話完結です。

ヤンデレ幼馴染が帰ってきたので大人しく溺愛されます

下菊みこと
恋愛
私はブーゼ・ターフェルルンデ。侯爵令嬢。公爵令息で幼馴染、婚約者のベゼッセンハイト・ザンクトゥアーリウムにうっとおしいほど溺愛されています。ここ数年はハイトが留学に行ってくれていたのでやっと離れられて落ち着いていたのですが、とうとうハイトが帰ってきてしまいました。まあ、仕方がないので大人しく溺愛されておきます。

山に捨てられた元伯爵令嬢、隣国の王弟殿下に拾われる

しおの
恋愛
家族に虐げられてきた伯爵令嬢セリーヌは ある日勘当され、山に捨てられますが逞しく自給自足生活。前世の記憶やチートな能力でのんびりスローライフを満喫していたら、 王弟殿下と出会いました。 なんでわたしがこんな目に…… R18 性的描写あり。※マークつけてます。 38話完結 2/25日で終わる予定になっております。 たくさんの方に読んでいただいているようで驚いております。 この作品に限らず私は書きたいものを書きたいように書いておりますので、色々ご都合主義多めです。 バリバリの理系ですので文章は壊滅的ですが、雰囲気を楽しんでいただければ幸いです。 読んでいただきありがとうございます! 番外編5話 掲載開始 2/28

7年ぶりに帰国した美貌の年下婚約者は年上婚約者を溺愛したい。

なーさ
恋愛
7年前に隣国との交換留学に行った6歳下の婚約者ラドルフ。その婚約者で王城で侍女をしながら領地の運営もする貧乏令嬢ジューン。 7年ぶりにラドルフが帰国するがジューンは現れない。それもそのはず2年前にラドルフとジューンは婚約破棄しているからだ。そのことを知らないラドルフはジューンの家を訪ねる。しかしジューンはいない。後日王城で会った二人だったがラドルフは再会を喜ぶもジューンは喜べない。なぜなら王妃にラドルフと話すなと言われているからだ。わざと突き放すような言い方をしてその場を去ったジューン。そしてラドルフは7年ぶりに帰った実家で婚約破棄したことを知る。  溺愛したい美貌の年下騎士と弟としか見ていない年上令嬢。二人のじれじれラブストーリー!

交換された花嫁

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
「お姉さんなんだから我慢なさい」 お姉さんなんだから…お姉さんなんだから… 我儘で自由奔放な妹の所為で昔からそればかり言われ続けてきた。ずっと我慢してきたが。公爵令嬢のヒロインは16歳になり婚約者が妹と共に出来きたが…まさかの展開が。 「お姉様の婚約者頂戴」 妹がヒロインの婚約者を寝取ってしまい、終いには頂戴と言う始末。両親に話すが…。 「お姉さんなのだから、交換して上げなさい」 流石に婚約者を交換するのは…不味いのでは…。 結局ヒロインは妹の要求通りに婚約者を交換した。 そしてヒロインは仕方無しに嫁いで行くが、夫である第2王子にはどうやら想い人がいるらしく…。

処理中です...