前世魔性の女と呼ばれた私

アマイ

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19過去の面影②

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「ティア、結婚に際して不安や不満はないか?」

公爵は気遣わしげに眉を曇らせた。連れられた先は公爵の広い執務室で、思いのほか整然と片付いている。

「全くない、と言ったら嘘になります。次期公爵夫人としての責任や重圧は、やはり並ではありませんものね。でも……シグルド個人に対して不安や不満は無いんです、本当に」

安心させるように微笑むと、公爵はホッとしたように頬を緩めた。

「そうか。ユージンとの事についてはロジェ侯爵から直々にお怒りの言葉を頂いた。それなのにシグルドとの事を許してくれて……本当に感謝してもし切れない」

「おじさま……」

 こんなにも私を気遣い、心を砕いて下さっていることが嬉しくて、胸が詰まった。

「ありがとうございます。私は幸せ者だわ」

「ああ、君の憂いは出来る限り取り除くよう、我々も尽力しよう」

優しい空気に包まれ、公爵と笑みを交わしていたその時、唐突なノックと共に勢いよく扉が開かれた。

「団長、失礼する」

「シン……お前は返事も待てんのか」

「申し訳ない、急いでいたもので」

現れたのはクーベンヌ閣下だった。
シン・クーベンヌ――元は平民出身と言われているが、陛下の覚え目出度く、若くして近衛騎士団長にまで上り詰めた実力者だ。

先日は咄嗟に思い出せなかったけれど、彼は異端児として有名なのだ。なにせ王宮へ上がる前の一切が謎に包まれているのだから。

「客人でしたか、すぐ失礼……ん、君は」

「閣下、先日は大変失礼致しました。改めてリーティア・ロジェと申します」

「シン・クーベンヌだ。あなたとは妙なところで会う巡り合わせのようだな」

閣下は猛禽を思わせる鋭い眼差しを僅かに和らげて微笑した。

「なんだ、知り合いか?」

「先日偶然ですが……ロジーヌ卿も一緒だったな」

「そう、でしたね。おじさま、私はそろそろお暇します」

「そうか……今度またゆっくり遊びにきてくれ」

公爵が寂しそうに微笑んだ。

「ええ、是非。それではおじさま、閣下、失礼致し――」

「私の用はすぐ済む。良かったらその辺までお送りしよう」

「そんな、申し訳な……」

「ああ、そうしてくれるかシン。ティア遠慮するな」

結局押し切られる形で私と閣下は共に公爵の執務室を辞した。









「先日はお見苦しい所を……申し訳ありませんでした」

「いや……」

そう言ったきり閣下は押し黙る。でも何故だろう、私はこの沈黙が嫌では無かった。そっと閣下の横顔を見上げる。

歳は30中頃だろうか。男らしくも整った美貌、容易に踏み込めないストイックな雰囲気――何だろう、この感覚は。懐かしい?一体何が?

「植物は、お好きですか?」

考えるよりも先に口が動いた。私は一体何を言っているのだろう。閣下も少し面食らったように目を見開く。

「いや、全く。花の名すら知らないな」

「突然おかしなことを、申し訳ありません。閣下が古い知り合いに少し……似ていたもので」

ああ、そうか。シン・クーベンヌは似ているのだ。前世の私の最後の男に――

「そうか。植物の好きな男なのか?」

「……ええ。研究者だったと、思います」

私を食虫植物と男は言った。自分は喜んで身を差し出す哀れな虫なのだと。

「嗜好は全く似ていないようだな」

「ふふ、そのようですね」

「その男に……何か特別な感情でも?」

「え……?」

特別な感情などあっただろうか?たまたま最後の男になった、それだけの男――

「何も……」

自然と込み上げる笑みは酷く苦いものだった。

「あるのは……僅かばかりの記憶だけです」

「……そうか」

閣下はそう言ったきり口を噤んだ。
過去に寄せる感傷など些かも湧かなかった。今の私にとって過去は過去、全ては終わったことだ。

「申し訳ありません、シグルドに用がある事を失念しておりました。執務室の場所を伺っても?」

「ああ、通り道だ。案内しよう」

「感謝いたします、閣下」










躊躇いがちに扉をノックをすると、入れ、とシグルドの声がした。
そろそろと扉を開く。仕事中に突然訪れることの非常識さは理解している。けれども、どうしても今シグルドの顔を一目見たかった。

シグルドは執務机で書類に目を通しているようで、下を向いたままだった。

「今手が離せない。書類ならその辺に――」

「シグルド……」

シグルドが弾かれたように顔を上げた。

「ティア!?」

「忙しいのに突然ごめんなさい」

「いや、君ならいつでも構わない。どうした?」

シグルドは側まで駆け寄ってくると、私の肩を抱いて顔を覗き込んだ。
気遣うような優しい眼差しに、ああ、と安堵する。私の愛はここにあるのだと。

「帰る前にあなたの顔を見たかったの」

「ティア……見るだけで良いのか?」

すっと目を細めながらシグルドの指先が星型のピアスを優しく撫でる。

私はシグルドの首筋からシャツの下に繋がるチェーンをすっと引き上げた。
ペンダントトップに光る翡翠。私はそこに口付ける。

「いいわ、私はいつでもあなたの側に居るから」

「ティア……」

シグルドの指先が私の顎を捕らえ、至近で視線が絡み合う。透き通るアイスブルーの瞳には、誘うように半ば唇を開きかけた私が映り込んでいた。

 ――食虫植物

そう言った男の気持ちが分かる気がした。だって今の私は喰われる側――

シグルドの唇が柔らかく私を食む。深く、浅くゆっくりと味わうように。掌はドレスの上から腰を、胸を弄り這い回る。

そう、シグルドはいつだって捕食者だった。私を捕らえて喰らって離さない。

私はシグルドの頭を抱いて、口付けを深いものにする。淫らにもつれ、絡み合う舌先が脳に甘い痺れをもたらした。
息が上がり、堪らず私はシグルドにしがみ付く。口付けだけで軽く達ってしまったようだ。

「シグルド、愛してるわ……」

「ティア……俺は君が思うよりもずっと──」

愛してる、と吐息交じりに耳元で囁く。私達は鼻先を触れ合わせて微笑んだ。
前世の私が得られなかった愛が私リーティアにはある。それを確かめたかった。

「ごめんなさい、顔を見に来ただけなのに」

「そんな可愛いこと言われて簡単に離せる訳ないだろ?」

「離れたくなかったのは私の方。見透かされたのかしら」

ふふっと笑みを零すと、シグルドは私を抱き寄せピアスに口付けた。そしてそのまま首筋をチクリと吸い上げる。

「この痕が消える前に会いに行く」

「無理しないで……なんて言わないわ。待ってる」

「ティア……」

名残惜しげな別れの口付けを受けながら、不意に遠い過去に見た食虫植物が脳裏を掠めた。袋状のそれは、囚われたら逃れられない、柔らかな牢獄のように見えた。

ねえ、この牢獄に囚われたのはシグルド?それとも――私?

シグルドの瞳に映る私が、誘うように艶やかに笑んでいた。
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