前世魔性の女と呼ばれた私

アマイ

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10女の戦い

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「シグルド、今日はミシアを紹介したいの」

さる公爵家の夜会へ向かう馬車の中、私はシグルドの膝の上に乗せられていた。何度抗議しても離してくれないので、最近ではもう諦めていた。

「ティアの学友だったか?」

「ええ、親友なの」

自然と口元が緩んでしまう。シグルドは器用に片眉を吊り上げると、私の顎を捕らえた。

「ティアにそんな顔をさせるなんて……妬けるな」

「バカね、ミシアは女性よ」

私が吹き出すと、シグルドはグロスのたっぷり乗った唇に躊躇うことなく口付けた。私はもう、と呆れながら、淫らに濡れたシグルドの唇をハンカチで拭う。

「……今日は我慢して」

「約束はしない。が、善処はする」

不敵に笑うシグルドに、私は額に額をコツンとぶつけてバカ、と呟いた。







「ティア!」

主催の公爵様へ挨拶を終え、ホールの中央へ歩きかけたところで、誰かに呼ばれた気がした。

「……ミシア!」

振り返るとミシアがにこやかに手を振っていた。私は嬉しさのあまり駆け寄る。

「早々に会えて良かったわ」

「ええミシア」

思わず抱き付きそうになるところを、ぐっと腰を引かれて我に返る。

「紹介するわね、婚約者のシグルドよ。シグルド、こちらが友人のミシア」

「シグルド・ロジーヌです。お会いできて光栄ですミシア嬢」

「ミシア・トゥルーグと申します。ティアからお噂は兼々……お会いできて嬉しいですわ。ティア、こちらも紹介させてね。婚約者のカラムよ」

「カラム・ハウスローと申します。ミシアからよく話を伺ってますよ。お会いできて光栄です」

カラム様はニッコリと微笑んだ。メガネの奥の瞳はとても理知的で、柔和な雰囲気が漂う好青年だ。

「リーティア・ロジェと申します。こちらこそお会いできて光栄ですわ」

ふと見上げると、カラム様の視線はシグルドに向けられていた。シグルドは何やら怪訝な顔をしている。

「お二人は、お知り合いですか?」

「いえ、ロジーヌ先輩は有名人だったので、私が一方的に知っているだけですよ」

カラム様はニッコリと微笑む。

「シグルドが有名人?」

「ええ、剣術で敵う者はおらず、隙あらば勝負を挑むもの、弟子にしてくれと拝み倒すもの……本当にロジーヌ先輩の周りには常に人が絶えませんでした」

「まあ……」

チラリと見遣ると、シグルドは興味もなさそうに明後日の方を向いていた。

「そんなシグルドも、見て見たかったですわ」

私が笑うとシグルドは眉を顰めた。

「カラム・ハウスロー、少し話がしたい」

シグルドが庭園の方を顎でしゃくると、カラム様は頷いてシグルドに従う。そして壁際に控えていた騎士を呼んで、私達を警護するよう指示した。

「というわけでティア、少し席を外す。ミシア嬢、すみませんがカラムを借りますね」

そう言い残すと二人は人混みに紛れて消えた。

「シグルド、どうしたのかしら?」

「さあ、きっと男同士色々あるのでしょう」

「そういうもの、かしらね?」








給仕から飲み物を受け取り、私とミシアは休憩用のソファに腰掛け、談笑していた。

先に気付いたのはミシアだった。急に硬い表情で前方を凝視したので、私はその視線を追う。

「まあ!セレイス様」

「ご機嫌よう、リーティア様」

初めて会った時とは打って変わって、セレイスは優美に微笑んだ。

「今日はユージンは一緒では?」

「知り合いの方に会われて、少し話をされたいようですわ」

セレイスは寂しげに目を伏せた。その頼りない風情に、何やら放っておけないような妙な気分にさせられる。これがユージンを夢中にさせた庇護欲というものだろうか。

私がおかしな感慨に耽っていたのを打ち破ったのはミシアだった。

「ねえセレイス様、そんな作り物の表情は要らないわ。本性見せてくださって構わないのよ?」

不敵に笑うミシアを、セレイスは首を傾げて不思議そうに見ていた。

「何を仰られているのか……」

「ああ、そういうのは男性の前だけでいいわ。今は女だけ、いい機会だし腹を割って話さない?」

扇子で口元を隠しながら、セレイスの表情が変わる。楚々とした可憐な風情は失われ、その瞳にはドス黒い炎が浮かんだ。

ああ、こんな本性を隠していたのか。気付けなかった私は何と迂闊な……
そしてふと感じる既視感。セレイスの憎悪に塗れたこの瞳は――かつての私はこんな瞳をしていなかっただろうか?

私はこの時初めてセレイスに興味が湧いた。今の彼女となら話してみたい、そう思った。

「セレイス様、二人で話がしたいわ」









「謝罪は必要ですか?」

人気のないバルコニーでセレイスと差し向かう。 不敵に笑うセレイスは、どこか楽しげですらあった。

「いいえ、口先だけの言葉に何の意味もないわ」

「その通りですわね」

セレイスは謝意がないことを隠しもしない。

「あなたはあなたなりに制裁を受けているでしょう。社交界は居心地のいいものではない筈」

「そうですわね。でもそんなこと、わたくしにとってはどうでもいいことですわ」

「中々豪胆なのね」

「ユージン様に頑張って頂くより他ありませんもの」

「あなたユージンを愛しては……いないのね」

 セレイスは毒々しい笑みを深めた。

「ユージン様に見初められて、端からわたくしに拒否権などあるはずもないわ」

私は黙ってセレイスを見詰めた。セレイスが片眉を吊り上げる。

「まさかわたくしを憐れんでいるの?」

「そんな義理はないわ。ただ、何故そんなに自身を憎んでいるのかと」

セレイスが目を瞠り、鋭く私を見据える。私は黙ってその視線を受け止めた。先に視線を逸らしたのはセレイスだった。

「……これはわたくしの独り言です」

ポツポツと明かりの灯された庭園を見下ろしながら、セレイスは静かに語り出した。



わたくしは伯爵家の一人娘。無能で欲深い両親は、上流貴族が好む女となるよう、幼少の頃からわたくしを徹底的に仕込みました。
可憐で愚かで不安げに。男性の庇護欲をそそる愛らしく従順な女であるようにと。

結果はご覧の通り。外面は完璧に、中身は歪んだわたくしが出来上がりました。

わたくしは生娘ですが、閨の手管は相当仕込まれたのですよ。殿方の身も心も虜にするようにと。実の親のすることとは思えませんわね。

わたくしは両親を憎んでいますが、他の生き方を知りません。それ故彼らの傀儡であるしかないわたくし自身が何より憎いのよ――




ぎりりと噛みしめるセレイスの唇からは血が滲んでいた。私がハンカチで血を拭うと、セレイスはそのハンカチを握りしめた。

「願えば叶う……あなたのご両親の執念は凄いわね、おめでとう」

私が微笑むと、セレイスは唇を吊り上げた。

「リーティア、あなたが嫌いだわ」

「気が合うわね、私もよセレイス」

私達は不敵に微笑み合った。



私は元婚約者に捨てられた「哀れな令嬢」だ。表向きは同情されつつも、陰では様々な侮辱を受けたことだろう。

そういった暗部に直接触れずに済んだのはシグルドのお陰だ。

彼が私を守り、目に見える溺愛を示すことによって、蔑みは嫉妬に変わった。哀れな令嬢から、有望な男へ鞍替えする強かな淫婦、といったところか。

何にせよ私は被害者の立場なのでまだいい。加害者であるユージンに向けられる目は当然優しいものではない。

ロジーヌ家は私への償いとして、多額の慰謝料とユージンの爵位継承権、相続権の一切を放棄させた。

実質公爵家の後ろ盾を失ったユージンを、まともな男性達が相手にするはずもない。特に女性からの風当たりは相当強いだろう。ユージンが失ったものの大きさは計り知れない。

セレイスの両親が真実欲深いならば、今後婚約破棄も有り得る。何にせよ彼は次期伯爵として、これから命がけで名誉と信頼とを取り戻さねばならないのだ。このセレイスと共に――


「結婚までその本性が知られないよう祈っているわ」

「見抜けなかった間抜けなあなたに言われたくないですわ」

私はふっと頬を緩めると、踵を返して歩き出した。同情なんてするつもりは欠片もない。けれど、嫌いだと言いながら胸の裡を曝け出したセレイス。ああ……全く自分でもうんざりする。

「……あなたのこと、嫌いじゃないわ」

セレイスに届かないことを知りながら、私はポツリと呟いた。










一方人気のない庭園の片隅にて――


「学園時代のこと、ティアの前では一切触れるな」

「構いませんが……その頃のあなたをリーティア嬢は全く知らないのですか?」

「……ああ」

「まあ……あの頃に比べて今は大分丸くなられましたね」

「かもな」

「あの頃のお前は正に狂犬だったもんなぁ」

突然の招かれざる客に、シグルドとカラムは同時に振り返る。

「ルクス……なんでお前がここに」

「なんか面白そうだったから見に来たんだ」

「お前……ティアに余計なこと言うなよ」

狂犬シグルド・ロジーヌが歩いた後には雑草も生えない、と言われたあの頃のことか?」

「ルクス」

ロジーヌ先輩の笑顔が怖い、とカラムは青褪める。

「黙っててやってもいいけど……そうだな、夜会で会う度リーティアとダンスを踊る権利をくれるなら」

「お前は……いい加減さっさと嫁貰え!」

「ふ……それでどうなの?許してくれるの?」

「くっ……ティアが許可した時に限りだ!くそっ!」

リーティアがユージンと婚約した直後、シグルドは荒れた。学園で狂犬と呼ばれるほどに。そんな彼の強さに惹かれて多くの男達が勝手に集い、むさ苦しい一大派閥を作り上げた。

シグルドはそんな黒歴史をリーティアに知られたくはなかった。シグルドのおよそ彼に似つかわしくない、繊細な男心だった。
渋面するシグルドを、ルクスは何やら含む笑顔で楽しげに見詰めていた。
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