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第2章:城塞都市「ナラキア」編

第12話:覚醒ののろし

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 最初にその違和感に気づいたのはあかねだった。

丈嗣たけつぐ君……おかしいよ」
「ああ、そりゃそうだ! 強制的に決闘モードに移行するなんて、聞いたことない!バトルエリアに転移もしないし、システムアラートだって鳴ってる。どう考えても異常事態だ」
「そう。それがおかしいの」

 オウムのように同じことを繰り返す彼女に、僕は少しだけいら立った。

「そんなことは分かってる。だから早く豪を叩き起こして、今すぐにでも脱出を――」 

 焦って顔を赤くする僕だったが、ツカサの嘲笑がそれを遮った。

「ここを出る? それは無理な話だ」

 手で口を覆いながら、クツクツと笑い声を上げている。

「見ての通り、ルールはデスマッチ。どちらかが死ぬか、あるいはこの僕が解除しない限り、通常モードへは移行しない」

 彼の言葉を耳にし、ようやく胸に引っかかっていた疑問が1つ解消された。

「……なるほどな、この力で強制的に決闘モードを開始して、園子さんを殺したってことか。
 だが、今回こっちには3人いるし、全員闘い慣れしている。それに、システムアラートが出現するほど無茶な力を使ったんだ。今すぐにでも運営が飛んできて――」
「だから、それが変なの!」

 茜の叫び声に、僕は思わず彼女を振り仰いだ。彼女の顔には驚愕と恐れが凝集ぎょうしゅうし、その感情は空気を伝って僕の首元に絡みつく。

「な、何がおかしいんだ? 流王さんだって言ってたじゃないか! 無茶な力の使用は身体への負荷はもちろん、運営の介入を招くことになるって」
「遅すぎるの!」

 彼女の返答に理解が追いつかず、言葉が続かない。
 怪訝そうに眉をひそめた僕だったが、続く茜の言葉は僕の想定を根底から突き崩した。

「こんな大騒ぎ、運営が見逃すはずない。彼らが問題発生の現場に姿を現すのに、1秒もいらないはずよ」
「え……それって」
「……運営は、この事態を黙認してる。そうとしか考えられない」

 ……馬鹿な。
 自由度が高いからこそ、TCKにおける運営の存在は絶対だ。目立つチートなんて使えば、即座にBANされる。それはこの電子世界の絶対的な理であり、"サンプル"である僕らも例外ではない。
 多少は目をつむってもらえると聞いていたが、今回はそんな可愛い話では済まない。アラートが発生するほどの障害に対して、彼らは何の手立ても打たないというのか?

 運営を当てにしていたわけじゃない。
 しかし、頼りにしていた糸の1本がぷつりと音を立てて切れたのは確かだった。

「どうやら、僕はとてもラッキーみたいだね」

 とぼけた表情でぬけぬけとそう言い放つツカサを僕はぎろりとにらみつけた。

 当然、この男だって運営の介入を想定していなかったはずがない。
 だがこの態度から推察するに、仮に運営からの介入があったとしても阻止できる方法があったのだろうか。いや、それより、そもそも介入されないことが分かっていた、という方がしっくりくる。
 
 やはり、この男は危険だ。
 もう、相手を下に見るような愚かな真似はしない。
 豪の親友だか何だか知らないが、3人で一気にカタをつけてやる。

 僕はツカサから目を外さないまま、地面に根を張ったように動かない茜に声をかけた。

「豪君を呼んできてくれ」
「え?」
「こいつは危険だ。僕1人じゃ太刀打ちできないかもしれない。万全を期すんだ」
「な、何言ってるの丈嗣君、私も――」
「今はあいつの力が必要なんだ! どこかに行ってしまったあいつを呼び戻してくれ!」

 ためらいが漂っている。
 仲間を盾に、この場から退くことへのためらいが。
 人の気持ちに人一倍敏感な彼女だからこそ、仲間を置いていくことに強い抵抗があるのだろう。

 しかし、その香りを嗅ぎ取れたのはほんのわずかな間だった。背後の気配が遠ざかっていく。返事はなかったが、今更そんなものは必要ない。

 茜は――茜なら、きっとやってくれる。

「ハンパだなぁ」

 目の前の男は、かすかな笑みを浮かべながら、唇をちろりと舐めた。
 その様に色香が感じられた気がして、全身が泡立つような嫌悪感に襲われた。こんなおぞましい気持ちになったのは、生まれて以来初めてかもしれない。

「どうせなら、『僕が闘っている間に、君たちは逃げろ!』くらい言えなかったのかい。今から豪ちゃんなんか呼んできたって、役になんか立ちゃしないのに」

 せせら笑うような口調に、意図せず語気が荒くなる。

「ツカサとか言ったね。豪君の親友ってのは本当か。以前君の話を聞いたことあるが、とても信じられない」
「ふふ、信じられない、か。感情的な決めつけは興がそがれるけど、案外的外れでもないかもね」
「どういう意味だ」
「まあ、捉え方次第さ。あの中天にに浮かぶ月だって、見た目は円だけど、実際には球体だ。僕と豪ちゃんの関係ってのは、まあそんな感じだよ。豪ちゃんは僕を見てるけど、それはあくまで断面図に過ぎない。それは――本当の僕じゃない」
「……何言ってるのかサッパリだけど、言いたいことは分かった」

 僕は腰から木刀を引き抜き、盾を構えると、つるぎの切っ先をツカサの喉元のどもとに向けた。

「豪君が光り輝く月だとすれば、君は性格のねじ曲がった地を這うスッポンだってことだろ」

 返事を待たず、僕は亀のように正面を盾で覆ったまま、ツカサに向かって「ぶちかまし」た。

 剣による「点」や「線」での攻撃でなく、突進と盾による「面」でなら、逃げられる前に痛烈な初撃を見舞えるはず――仮にクリティカルヒットとは言わずとも、精神的な揺さぶりをかけることも副次的効果として見込んでいた。

 だが次の瞬間、気づくと僕は地面に転がっていた。

 おかしい。「ぶちかまし」たのは僕の方だったはずなのに。
 あべこべだ。まるで、巨像に突進されたかのような衝撃だった。現実世界なら、間違いなく病院送りになっているくらいの一撃。

 何故地面が、すぐそばまで迫っている――。

 HPを示すバーの減りが、今受けたダメージが無視できないものであることを伝えている。

 本能がうずく。
 見えずとも、聞こえずとも、第六感が伝えてくれている。
 上から何かが降ってくる。氷柱のように鋭く、溶解した鉄のごとき熱い何かが。

 一拍で身体を起こし飛び退いたのとほぼ同時に、先ほどまで横たわっていた場所に巨大な爪が突き刺さった。ツカサの腕から伸びたその腕は、数秒後に音もなく空気中に溶けていく。後には土の焦げた臭いが、緊張のため開いた鼻孔に流れ込んでいく。

とやるじゃないの。悪くない動きだ」
「冗談じゃなく、生き死にがかかってる。当たり前だろう」

 軽口を叩きながらも、頭の中は混乱を極めていた。脳に酸素を送ろうと、気取られぬよう呼吸を深くする。

 決めたはずの「ぶちかまし」を返された。
 そして間髪入れずにもらったあの攻撃――あれは何だ。
 能力自体の違和感ではない。むしろ、あの類は一般プレイヤーが使う魔術にとても似ている。

 違和感の正体は、チートの本質が見えないこと。
 まるで脈絡のない2種類の攻撃に、僕はすっかり面食らってしまっていた。

 こいつ……一体どんなチートを使うんだ。

 僕の表情から動揺をかぎとったのか、ツカサの顔が邪悪に歪んだ。

「見えるよ。君の奥で震える兎が。分からないんだろう? 僕の後ろにいるのが虎なのか、ただのドラ猫なのか。
 『未知』は恐怖の源泉だ。知っていること――それは武器だ。
 君は、この世界のことを、そして僕のことを、果たしてどれだけ知ってるのかな」

 言うが早いか、ツカサは両手をパンと合わせる。

 何か、くる。

 投影した「王都の大盾」を、僕はとっさに前面に構えた。

 ほぼ同時に、目がくらむばかりの光がツカサから放たれる。僕は盾に頭を押し付けたまま、本能的に目を閉じた。
 ダメージはない。恐らく、目くらましの魔法――。

「尻が出ているよ、きじさん」

 背後からそんなつぶやきが聞こえ、戦慄が頭を麻痺させる。

 まさか、あの距離から一瞬で――?

 がら空きの背中に、マシンガンのような連撃が降り注いだ。一撃一撃が重たく、ツカサの拳が背に突き刺さる度、身体が綿のつまったぬいぐるみのように跳ね上がる。
 あの華奢きゃしゃな身体からは想像もつかないほどの、巨大な拳。

 やばい。
 このままじゃ、蹂躙じゅうりんされる。

「ウオッ」

 雄叫びを上げながら、僕は必死に剣を振り回した。イメージを投影することも忘れ、脆弱な木刀を滅茶苦茶に突き出す。

 しかし、ツカサは踊るようにそれらをかわす。

 瞬時に距離を取ると、今度はこちらに向けて炎球ファイア・ボールを矢継ぎ早に繰り出してきた。次々に使う魔法が切り替わり、慣れることもままならない。

 少しでも気を抜くと、今度は恐ろしいほどのスピードで距離をつめられ、接近戦に持ち込まれる。

 体術も剣術も能力チートも、全てが圧倒的だった。
 ミルゲと闘った時のように、相手を沈める暇もない。
 HPはさっきから減っていく一方だ。なのに、こちらの攻撃は一度も当たらない。集中力が途切れ、イメージを保つことができない。

 ああ、当たらない。避けれない。防げない。

 強すぎるだろ。何だよこいつ。


 ……死ぬのかな、僕。


 不意に、途轍とてつもない恐怖が全身を雷のように駆けめぐる。

 嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。
 死にたくない。絶対に。
 怖い。逃げたい。全てを放り出したい。

 ふと、茜と豪の顔が頭に浮かぶ。

 茜、今どんな顔してるんだろう。
 豪君は大丈夫だろうか。

 何で……何でこんな時に、他人の心配なんか。おかしいだろ、僕。

 ……やっぱり嫌だ。
 何とかして、こいつを倒す。ここを乗り切って、皆でナラキアに向かうんだ。

 ああ。頭が熱い。何だろう、この懐かしい感覚は。

 頭蓋が燃えている。
 小気味良い乾いた音を立てながら、眼球の裏で火花が散る。

 気分が悪い。世界がぐるぐると回って、もう立っていることだって――。

「結局、仲間は間に合わなかったね。信じて待って、挙句の果てにはこの空っぽの世界に殺される。虚しいな……実に虚しい」

 ツカサが何やらつぶやいているが、もうどうだって良かった。
 
 ああ、脳が燃えている。
 胃液がせり上がってくる。口から吐き出される吐しゃ物は、一体何バイトで表現されているんだろうか。

「さよならだ」

 その瞬間、頭の奥で何かがふつりと切れる音がした。
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