上 下
8 / 20

8

しおりを挟む

暑い。
エルが心配で視線を下げると、案の定舌を出して呼吸が苦しそうだ
馬は穏やかに歩いているわけではないので、落ちないように布で包むしか無く、風を感じることもほぼ出来てないかもしれない。
ソイ自身馬に乗った経験は片手が余るほどしかなく、下手に動かしてエルが落ちでもしたらと抱く手を緩める事も出来ない

そもそもアラヘルドの大きな手ががっしりと腹に回っているので、身動ぎも叶わないが
「エル、大丈夫?ごめんね」
後どれくらい走るのだろう、アラヘルドがエルの為に兵達を止めるとは思えない。
ソイは空を見上げた。日差しが強い
「エル、」

ばしゃり

ソイは面食らった。
アラヘルドがソイの腹に回す手に手綱を持ち変えたかと思うと、自身のレッグポーチから小さな水筒を出しエルに水をかけたのだ。
「エ、エル」
プルプルと頭を振ったエルだが、濡れた毛に受ける風はささやかであろうと涼しいはずだ。ソイはアラヘルドを見上げた。
旅の道中というのはどんな時であれ水は貴重な筈で、それをエルのために使ったことが信じられない。
礼が出そうになるが、そもそもこんな事になっているのはこの男が原因なのだ。
迷いながらも見つめていると、視線を感じたのか冷たい目でちらりと見下ろされた
「前を向け。姿勢を崩すな」














足がまともに動かず、馬から降ろされた瞬間ペタンと座り込んでしまった。
アラヘルドは問答無用で抱き上げ、地面に直接敷いた布の上にソイを座らした。
「夜明けには出発する。今度こそ眠れ」
エルが代わりに返事をするかのようにきゃんっと吠えた。水を貰ってから元気そうだ
今日も野営だが、前回のように立派な天幕ではなく簡易テントだ。それでもソイには十分立派だが

「これに付いていろ」
「畏まりました」

前回天幕で控えていた婆が、同じスピードで着いてきていたことに驚く。
明らかに高齢であるのに丸1日馬を走らせ続けたのか
「何かお持ちしましょうか、お食事は」
「あの…俺は大丈夫ですから、休んでください」年寄り扱いするのは失礼かとも思ったが、やはり心配だ。山で過ごしていたので、都会人より体力はある方だと思っていたソイでさえこの有様。
いつかのように首をぶんぶんと振った婆に、ソイは眉を下げた。
「…何も、入りません。少し横になります」
下手な事をすれば罰せられるのはこの婆かもしれないのだ。ソイは申し訳なく思いながらも、婆が少しでも休めるように背を向けて横たわった







そうして、ソイはいつの間にか眠っていたようだ。
意識が浮上し周囲を見渡すと
「…エル…?…エル!」
エルがいない。
腕に抱いていたはずだが、まだ子犬だ
じっとしているはずが無い
まさか眠ってしまうなんて、とソイは立ち上がった。
「エルを知りませんか…!子犬です!」
「え、えぇ…食料は全部今日の担当に渡されますから…」
婆にとってエルは見張りの範囲外らしい。
ソイの顔色が真っ青になった。

引き止める婆の声を無視し、村を襲った兵達が野営の準備に取り掛かる中を縫うように走り回った。
その中心から外れた場所で、男達が何かを囲んでいる。その真ん中からは焚き火の煙がもくもくと上がり
「…ッエル!!」
「うお、なんだぁ?」

男達を押し退け身体をねじ込ませると、目の前には驚きの光景が広がっていた


























「おーしよしよし、腹がきもちいーのかそうそうかヨシヨシヨシ」
「なぁおい、そろそろ返してやれよ。」

「ぁ、どうも…」
男たちに囲まれたエルは腹を見せてひっくり返っていた。盛大に尻尾を振りながら
ソイにだって、ここまで懐いていない
大きな手で抱かれたソイはまるで大きめのネズミか何かに見える
引き渡され、大事に抱えると途端「…お前ね、」腕をガブリと噛まれた。
相も変わらず痛くは無いがガックリときてしまった。
「今日俺達が当番だったから良かったものの、他ならこうはならんぜ。ちゃんと見ときな」
「おうおう、他の奴らは腹と本能がこれ以上ねぇくらい直結してやがるからな。」
「あの…あ、りがとう」
やはり、アラヘルドにもだが村を無茶苦茶にした男達に礼を言うのは喉にトゲが刺さったようになる。人とは皆が皆同じではない。善も悪も、どんな極悪非道な国でも存在するだろう。だがこれから先いくら親切にされた所で絆されるなんてことは無い。あってはならない。

「いや、そういうのを殺すのはもう沢山なんだよ」
「そうだな、あれはキツかった。」
「まぁ、生きて連れていかれても地獄だ」

「連れていかれる…?」
兵達の言葉を疑問に思った時



「ここで何をしている」
バッとその場に居た人間が一斉に振り返った。この男はいつだって足音が無いのだ
ソイはアラヘルドの背後にいる婆を見て、察した。「……エルが逃げ出してしまって」
「躾をしろと言った筈だ。」怒りを沈ませながらゆっくりと歩いて来たアラヘルドに、ソイの体は硬直していく。
調理担当の兵達は下っ端中の下っ端だ。まさかこんな所にアラヘルドが来るとは思わず、汗をたらりと流す。

何もかも優位に立たれ腹が立つ。そもそもこんな状況にしたのはこの男じゃないか、とソイは眉を寄せた。
だが、躾は本当に必要だ。エルはジハのようにはいかない。恐らく人型にもなれない種族で言語のやり取りは今後も不可能だろう。1歩間違えばエルは死んでいたかもしれない。今回は本当に運が良かった 












簡易のテントの中で横になると、心臓が縮む思いをする。
身を固くするソイに、アラヘルドは表情を崩すこと無く淡々と告げる
「明日、本拠地に到着する。今日は身体を休めろ」
気を使っているつもりか、それは明日の夜抱くと言っているようなものではないのか。
アラヘルドはソイの腰を背後から抱き込むようにして抱え、項に鼻先を埋める
ソイは悲鳴を飲み込んだ。これではより一層眠れなくなる

因みに、エルを外で寝かせるなら自分も外で寝ると訴え、アラヘルドをいらつかせながらもエルをテントの中に入れることに成功した。
既に気持ちよさそうに柔らかな布の上で眠っている。
ジハはどうしているだろうか、エルよりは大きいがまだまだ子供だ。
寂しくて鳴いているかもしれない
森の中を自由に走らせた事など無いのに、村から母の場所まで迷わずに無事に辿り着けるのか。危険な動物に襲われたりはしてないだろうか  



きっといつかアラヘルドがソイに飽きる時がくる。客観的に見て、顔も権力も持ったこの男が田舎者のソイを欲したのはほんの気まぐれに過ぎないとソイは確信していた。もはやそれだけが希望だ

ジハに会いたい、と願ってソイはアラヘルドに気取られぬように唇を噛み締めた
































森や平地の時とはうってかわって鉄を叩く音や馬の嘶き。男達の訓練の雄叫びが鳴り響く。
ここはソイの住む国の首都だった
我がもの顔でアラヘルド達は門を通過し、都に住んでいたであろう人々は怯えて家の中にいるのだろう。女子供の姿は一切無く、石畳の道は武装した男達が辺りを埋めている

ソイは卒倒しそうだった、知らぬ間にソイの住む国は落とされていたのだ
「アラヘルド!よく来られたり!」
城に繋がる橋には煌びやかな服に身を包んだ背の低い男が立っていた。

アラヘルドは舌打ちをすると、ソイに自身の砂避けのマントを被せた。「わっ、」「静かにしていろ」

「これは殿下。馬上からのご無礼をお許しください、我らが到着するまで3日足らず。既に制圧済とはお見事です」
「そうであろうとも!このような弱小国相手では無かった!…なんだそれは」
「前回の班が取り逃した内1匹でしょう。運良く捕らえましてな」
「ほほう!どれ」
「お手を触れませぬよう。既に兵士の腕を1本とりましたぞ」
「ひっ」

アラヘルドが殿下と呼ぶこの男。
女王の2番目の息子だった
1番目の兄が戦死してからというもの、王座に欲を出し、アラヘルドの出陣する場所を大金を払って先回りしては手柄を横取りにするようになった。
だがそれは通りすがりに落としていくような小さな国ばかりで、この男が如何に小心者かを証明しているだけである
更に言えば、この国の王族は既に民を捨てて亡命している。今現在、アラヘルドの国と密かに協定を結んでいた伯爵が実質国の運営を取り仕切っていた。

アラヘルドの国は基本は世襲制であるが、女王の子が無能だった場合は例外だ
そして、1番目の王子が死んだ今まさにその例外が適用されようとしている。
王族や国民から次の王と名高いのはアラヘルドなのだ。
それまで国の金で遊び呆けていた2番目の王子には女王も興味が無かった。

遠縁ではあるが、王族の血が流れているアラヘルドはこの男と幼少期からの付き合いだが、その時からアラヘルドの物を欲しがる傾向にあり、ソイが見つかればややこしいことになるだろう

だがまさか、こんなに早く到着するとは思っておらずアラヘルドは心底苛立った。
いつか戦に紛れて殺してやろうと思っているが、肝心の本人が戦場に出ないのだからどうしようもない。

長くなりそうな話を上手く切り上げ、アラヘルドと隊は城内に入った。

















ソイは圧倒されていた。
城の中はどこもかしこも輝いており、床は顔が映るほどだ。
気が遠くなりそうな程高い天井を見上げているとエルが吠えた。
「わ、こら!」鳴き声が洞窟のように響きソイは驚く。
誰かと話していたアラヘルドがこちらをちらりと見た
また何か言われるかもしれないとそっぽを向くが、やはりこちらまで歩いてくるのが靴音で分かる
「お前の部屋に連れて行ってやる」
「俺の…?」
だが、思ってもみないことを言われて目を合わせてしまう。

「王妃が使っていた部屋だ。この程度の城でも、幾分かマシだろう」

何を言われているのか分からない。
ソイが想像していた自身の扱いは決して、部屋を与えられるようなものでは無いのだ








案内された部屋は黄金の家具とこれでもかと装飾の着いたカーテンや寝具
エルはソイの腕から抜け出すとベットの下に入ってしまった。
「趣味の悪い部屋だ」
呆然とするソイを横切って部屋に入ったアラヘルドはカーテンを自ら開ける
するとどこからともなく現れたメイド達が慌てて残りのカーテンを開けていった。
そこから見えた景色に、ソイは息をのみ部屋に足を踏み入れた。
綺麗に磨かれた窓の向こうに、それは美しく、荘厳な山々が見えるのだ
「…すごい、」
あれはきっと、ソイ達が住んでいた山よりも更に遠い。丁度サランの家族がいる場所があの山の麓にあたるだろう

目を輝かせるソイの背後にアラヘルドが立ち、そっと腰に腕を回してくる
「私の国に来れば更に高く、過酷な山がある。美しい海も」
「…海」
ソイは生まれてから1度も山から出た事がない。話で聞いただけの海とは、塩辛く巨大な水溜まり。美しいとは信じ難い
それなら山の川の方がずっとずっと美しいのではないか、塩辛くては生き物が生きられないのではといつも疑問だった
「海には巨大な魚がいる。大木程あるその体で、自由に泳ぎ回っているのだ」
「大木…!」
なんという大きさか、まるで物語の中の話だ。「お前が望むなら、いつか船に乗せてやる。」
アラヘルドは機嫌が良かった。
話せば応答する。そこに怯えも憎しみもなく、ただ好奇心でキラキラと輝く瞳で真っ直ぐアラヘルドを見てくる

直ぐに抱くつもりだった。だが、そうすればこの瞳はまた別のものを滲ませるだろう。
それはとても惜しい
それからアラヘルドは、部下に呼ばれるまで世界の広さをソイに語った



























しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

完結・虐げられオメガ側妃なので敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン溺愛王が甘やかしてくれました

美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

【完結】もふもふ獣人転生

  *  
BL
白い耳としっぽのもふもふ獣人に生まれ、強制労働で死にそうなところを助けてくれたのは、最愛の推しでした。 ちっちゃなもふもふ獣人と、攻略対象の凛々しい少年の、両片思い? な、いちゃらぶもふもふなお話です。 本編完結しました! おまけをちょこちょこ更新しています。 第12回BL大賞奨励賞、読んでくださった方、投票してくださった方のおかげです、ほんとうにありがとうございました!

Ωの不幸は蜜の味

grotta
BL
俺はΩだけどαとつがいになることが出来ない。うなじに火傷を負ってフェロモン受容機能が損なわれたから噛まれてもつがいになれないのだ――。 Ωの川西望はこれまで不幸な恋ばかりしてきた。 そんな自分でも良いと言ってくれた相手と結婚することになるも、直前で婚約は破棄される。 何もかも諦めかけた時、望に同居を持ちかけてきたのはマンションのオーナーである北条雪哉だった。 6千文字程度のショートショート。 思いついてダダっと書いたので設定ゆるいです。

キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。 小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。 田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。 そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。 純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。 しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。 「俺になんてもったいない!」 素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。 性描写のある話は【※】をつけていきます。

親衛隊は、推しから『選ばれる』までは推しに自分の気持ちを伝えてはいけないルール

雨宮里玖
BL
エリート高校の親衛隊プラスα×平凡無自覚総受け 《あらすじ》 4月。平凡な吉良は、楯山に告白している川上の姿を偶然目撃してしまった。遠目だが二人はイイ感じに見えて告白は成功したようだった。 そのことで、吉良は二年間ずっと学生寮の同室者だった楯山に自分が特別な感情を抱いていたのではないかと思い——。 平凡無自覚な受けの総愛され全寮制学園ライフの物語。

ヤバい薬、飲んじゃいました。

はちのす
BL
変な薬を飲んだら、皆が俺に惚れてしまった?!迫る無数の手を回避しながら元に戻るまで奮闘する話********イケメン(複数)×平凡※性描写は予告なく入ります。 作者の頭がおかしい短編です。IQを2にしてお読み下さい。 ※色々すっ飛ばしてイチャイチャさせたかったが為の産物です。

夢見がちオメガ姫の理想のアルファ王子

葉薊【ハアザミ】
BL
四方木 聖(よもぎ ひじり)はちょっぴり夢見がちな乙女男子。 幼少の頃は父母のような理想の家庭を築くのが夢だったが、自分が理想のオメガから程遠いと知って断念する。 一方で、かつてはオメガだと信じて疑わなかった幼馴染の嘉瀬 冬治(かせ とうじ)は聖理想のアルファへと成長を遂げていた。 やがて冬治への恋心を自覚する聖だが、理想のオメガからは程遠い自分ではふさわしくないという思い込みに苛まれる。 ※ちょっぴりサブカプあり。全てアルファ×オメガです。

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

処理中です...