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しおりを挟む「このクソ犬!」
ソイが制止の声を上げたと同時に、ぎゃんっとジハが鳴いた。掴んで地面に叩きつけられたのだ
この時、ソイの体は燃えるような怒りに包まれた。ジハを追ってなにかする前に背中に飛びつき、体重をかけ「ぎゃああ離せ!!離しやがれ!」耳に思い切り噛み付いた。ジハが逃げる時間を稼がなければならないが、力の差は歴然。
男は耳が引きちぎれそうになるのも構わずソイを剥がし、殴った。
男の注意が逸れている今のうちに逃げて欲しいが、ジハは起き上がり、払うように身体をブルブルと震わせてから突進してきた
「ジハ!!だめだ!!」
酔っ払いといえど兵士だ、同じ手に2度はかからない。男は剣を抜いて待ち構える
その顔はニヤニヤと笑っていた
「やめろ!ジハ…!!」
上から降ってきた血に、ソイは一瞬絶望したがすぐにジハのものでないと気付く。
この血は、この男のものだ
肋あたりからは剣が突き出ていた
呻き声を上げながらゆっくりと倒れた男の背後には、「…っ」あの若者が立っている
しかし、既に満身創痍で今にも倒れそうだ。今も流し続けているのだろう、身体は血にまみれている
「ぁ…!」
ソイはジハを胸に抱え駆け寄ろうとしたが、それと同時に若者が地に伏した。悲鳴混じりに名前を呼びそうになるのを堪え、地面に膝を着いて顔を覗き込むと、若者は悔しげに眉を寄せていた
「…なんで隠れなかった」
「ごめんなさ、ごめんなさいっ、どうしようっどうすれば…!」
そこかしこから溢れ出てくる血を手で抑えながら、ソイは情けなく泣いた。この青年を救う為に今出来ることはなんだろう、何を優先させればいいのだろう
ソイは心の中で己を叱咤する。先に傷口を縛ろうと衣類の裾を破いた
ジハも鼻を鳴らす。生き物はとても敏い、狼なら尚更
「…逃げろ」
「どこにも行きません!ここにいます!」
「…違う、逃げろ…!」
若者の強い視線とジハの激しい唸り声に振り返ると、伏したはずの先程の男が、ゆらりと背後に立っていた。その手にはキラリと光る剣が握られていた
ソイは反射的にジハごと、若者に覆いかぶさった。
「やはり、飼い犬ごときに結構な事だ」
「え…」
何の痛みも衝撃もやってこず、代わりに聞き覚えのある声が耳を刺す
「…ガ…ッ」
「…、!」
恐る恐る振り返ると、男が口から剣を生やしていた。その体はすぐにずるりと後ろに引き倒され、ぴくぴくと動いている
「ソイ」
こちらを見ろ、とでもいうように教えてもいない名を呼ぶ男。アラヘルド
この村の全てを無茶苦茶にした張本人。
「言ったはずだ、チャンスは与えたと」
チャンス。
そうだ、そう、あの時もしソイが逃げ込んだ男2人の事を素直に話せば、こんな事にはならなかった。優しい村人の代わりに、ソイ1人が決断すれば皆が死なずにすんだ。
ソイが、判断を誤ったから、村が
がしり
強く腕を掴まれ視線を下げる
「…アンタは…何も悪くない」
浅い呼吸を続ける若者が、伝えようとしている事を、ソイは解すことが出来ない。
「…ぁ…」ボロボロと、涙が止まらない。泣いていても無駄なのに、どうすればいい どうすれば
「最後にチャンスをやる」
アラヘルドの言葉に、ソイはゆっくり顔を上げた。
「その男も、地下に隠れている女子供も見逃してやる。地上にのこのこと出てきた女共を犯すのもやめさせてやる。そこの飼い犬も、好きにすればいい」
「……なにを、すれば…」
「お前が欲しい」
ソイの頭がガツンと殴られたようになった。
何故、この男が自分を欲しているかなどを分かるはずもない。
だが、この村はソイ1人の為にここまで蹂躙されたのかもしれない。でなければ、目的の男2人を殺した時点でこんな田舎の小さな村、時間をかける意味も無い筈だ
それが気まぐれか、いたぶりか、その何方であったとしてもこの男には容易い事だろう
「選択しろ。みな死ぬか、その足で私を選び村を救うか」
アラヘルドにとって、何よりも重要なのはソイ自身に選ばせることだ
心理学にも長けたこの男は、それを生かし多くの人間を掌握してきた。
だからこそ、ソイに一目で心を奪われた自覚も強く、それを癪だとも感じている。何の変哲もない、政治的価値も無い、傍に置いても何の役にも立たないこの男に、自身の手綱まで渡すつもりはなかった。
ソイは、何処か当然のように立ち上がった
「…やめろ、ソイ…言うことを聞くな…!」
若者が、血反吐を吐きながらソイを止めている。更に、ガタンと家の中で大きな音がした。「待って!行ったあかん…!あかんよ!」
音を立てては行けないと言ったのに、男に襲われている時ソイには聞こえていた。
男からソイを助けようと、床下から出るためにもがいていた音が。
髪をボサボサにしながら、重たいテーブルを退かして体力も底を尽きたろうに
「あかん…あかんよぉ…!」
走ってきた妹に泣きながら手を握られ、1度握り返し、やんわりと解いた
アラヘルドが本当にソイ1人の為に行動を変える確証は無い。ソイには、美しさも教養も強さもないのだ。
だが、自分の身1つで村を守れるかもしれない
縋らずにはいられなかった
「ジハを、頼みます」
アラヘルドはソイが歩いてくるのを確認すると、軽やかに馬に股がった。
馬上から大きな手を差し出し、ソイに取らせる。
迷うように、ゆっくり伸ばされた手がアラヘルドの硬い掌に乗った瞬間。
「ぁ…!」
ぐい、と腕を引き馬上に引き上げる。
逞しい胸の中にソイを抱いたアラヘルドは、すかさずソイの小さな口を噛み付くように塞いだ。
「んっ…!う、…!」
まるで、これがお前の選択だとソイに分からせる為だけに行われたそれはすぐに終わる
「全隊、引け!」
アラヘルドの強い号令に兵達がアリの大軍のように動き始めた。こんなにも沢山の兵が居たのか、とソイはアラヘルドの腕の中から悔しげに唇を噛んだ
「そこの男は手足を燃やして森に捨ておけ」
ゾッとした。既に虫の息であるソイを犯そうとした男は、他の兵達に引きずられていく。
手足を燃やす刑は、切断よりも残酷なのだ。
血の流れが遅く、死ぬ迄に時間がかかる
それを命令したアラヘルドの声音も表情も、まるで何でもないようだ
そして、とうとう馬を走らせたアラヘルド。
背後では変わらず若者と、その若者を支える妹がソイを呼んでいた。
そして、ジハ。
鳴きながらソイの後を追ってくる。
馬の足に勝てるわけなど無いのに
小さな体で必死に着いてくる姿にソイは嗚咽を漏らした
「ジハ…いい子だから…っお願い…」
この男の向かう先が一体どんな所なのか、見当もつかない。自分がどんな扱いをされるのかも、ジハには森が必要だ
「ジハ…母さんの所に行って…!ジハ…!」
馬の蹄で立ち上がった砂煙がどんどんジハの姿を隠し、引き離した
地面に次々と現れる人間たちは皆血だらけで、倒れており、敵も味方も生きているかの判別はつかない。
その中に、見知った顔もいた
村からは無事だった女が沢山出てきて、倒れた男にすがりついて泣く者や、毅然と生死を確認する者、治療をする為指示をする者。
皆余りにも強い、その女達の殆どが、着衣を乱していた。兵に乱暴をされたに違いないのに
ぐんっ、と体をひかれる
「乗り出すな。お前が望むならあの犬も連れて行ってやってもいいが」
まるで歩み寄ってやったとでも言わんばかりのこの男に腹が立つ。
ソイは首を振り、アラヘルドを見上げた
「…どこに行くんです」
「お前が知ることでは無い、飛ばすぞ」
返事など待たず、力強くソイを抱いたアラヘルドは馬を更に走らせた。
「食べろ」
天幕の中で繰り広げられる攻防に、アラヘルドの侍従として控えている婆は内心ヒヤヒヤとしている。
口も聞かずふい、と顔を背けるソイに、アラヘルドは僅かに眉間を寄せた。
「無理やり押し込まれたいか」
「…っ、食べたくない」
「明日は丸一日馬を走らせる事になる。その貧弱な体では食わねばもたん。」
「なら、俺はその辺に捨ておいてください」
ああいえばこう言う。アラヘルドは不毛なやり取りは嫌いだ。
ガシャン、と食器が動く音に婆は肩をビクリとさせた。
アラヘルドは腕の中にソイを引き込み、顔を掴んで上を向かせた。
「私が食えと言えば食い、眠れと言えば眠れ。お前は反抗できる立場に無い」
「…ッ」その通り。アラヘルドの一言で村がまた襲撃される可能性だってあるのだ
「お前が決めた事だ、ソイ。いいな」
そう言い残して、アラヘルドは天幕から出ていった。
取り残された二人の間には長い沈黙が起き、暫くしてソイから切り出された言葉に婆は青ざめながら首を振った
「……これ、食べますか?」
ソイは天幕の隅でうずくまった
自分のせいで村に起きた事を未だ受け止めきれずにいる。多くの人間が死んだはずだ
あの村でソイとジハに優しくなかった人間などいない。ジハと遊んでくれていた子らの父親も、奪ってしまったかもしれない
あの時、ソイが判断を誤らなければ
いっそ、刺し違える覚悟でアラヘルドに向かおうか。何度もこの考えを繰り返すが、結論はいつもジハがいる、だ
ソイまで死んだら、ジハには家族が居なくなってしまう。その辛さをソイが1番知っているはずだ
例え微かな望みであっても、息子の所に生きて帰る道を探さねばならない。
「少しでも食べないと…」
婆が控えめに声をかけてくるが、本当に食べたくないのだ。
今現在生死の境をさまよっている村人が居るかもしれないのに、食事をするなんて
ジハはちゃんと母の所に行けるだろうか
食べる物を考えると、今の村の状態では満足に得られないだろう
心配で堪らない、不安で目が回る
「…!ソイ様!」
目が覚めた事で、ソイは自分が眠っていた事に気付く。今までの人生でもっとも上質な布の上で、ゆっくりと肘をついて上体を起こそうとすると「眠っていろ」
側のテーブルにはアラヘルドがいた。
初めて見る、炭や鳥の羽以外のペンで何かを書いているようだ
ソイを一瞬流し見てから、自身の撫で付けた髪を解すようにしながら歩いていきた
「寝惚けているのか」
夜だからか、ほんの少し柔らかさを帯びた声と、伸びてきた手にソイはビクリとする。
「さ、触るな…ぁ!」
「反抗するな。2度言わせるなよ」
拒否しようとした腕を骨が軋むほど強く掴まれ、ソイは微かな悲鳴をあげる
「足を見せてみろ」
「…?」
戸惑うソイを無視して、裾をたくし上げ足を露出させる。びっこを引いている方だ
「骨が折れたのか。曲がったままついてしまっている」
これではもう一度折らねば治らんな
そう言われてソイの顔は一気に青ざめる。
自分の足を守るようにゆっくり動かし、アラヘルドの手から逃れようとするが逆に引っ張られてしまい、起こした上体が寝具の上に倒れる。「お前をどうしてやろうか、ソイ」
自分の上にゆっくりと覆いかぶさってくる大きな体に、様々なものが蘇ってくる
強烈なのはやはり、狼達
「やめろ…っ…いやだ…!」
未だ拒絶をやめない様に、アラヘルドは体に覚えさせればいいとソイの首に顔を埋めた。
今までに抱いた女も男も星の数ほどいるが、たかが人間の皮膚にここまで吸い寄せられたことは無い。
ソイ自身の匂いが余りにも清く無垢に感じ、帝都の女共がこぞって欲しがる香水があるとしたらきっとこの匂いだとアラヘルドは思う。
「やめて…やめてください…」
しゃくりをあげながら体を震わすソイだが、アラヘルドは人が絶叫しながら拷問をうける瞬間も冷めた目で見るような男だ。
当然、効き目は無い
服の裾を一気にたくし上げられ、熱い手が肌を這う。ソイはすすり泣くしか無かった
抵抗と言う抵抗は出来ないのだ
アラヘルドの言う通り、これはソイが決めた事だ。
『お前が欲しい』
この言葉に応えたのならば当然の結果と言える。耐えろと唇を噛み締めると、それを解すようにアラヘルドに口付けられる
火傷しそうな程熱い舌が口内に侵入し、ソイはシーツを握り締めた。
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