精霊綺譚

深水千世

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精霊の吟遊詩人

咎の報い

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 セシリアは失われた視力の闇に、心の目をこらしながら、人間界を彷徨い続けた。
 人間界では、どの精霊も彼女を遠巻きに見るだけだった。闇の匂いをまといながら、精霊でも人間でもない傀儡が不気味だったのだろう。
 セシリアが話しかけても、精霊たちは逃げて行く。決して近寄らず、こわごわ遠くから見ているだけだった。彼女は魂を探すのに、精霊の力はあてに出来ないことを知った。
 かといって、人間たちもなんの助力にならない。あの魂を宿した者の姿どころか、名前すらわからないのだ。まるで砂浜の中から一粒の砂金を探すような、そんな旅だった。

 やっと微かな魂の気配を感じ取ったとき、既に人間界では忌まわしきあの日から十二年の月日が流れていた。生まれた子が無事に育っていれば、十一歳になっているはずだ。
 だが、セシリアが見つけたのは、魂が落ちた場所……つまり、ナディアの両親の屋敷だった。あの魂を持った少女は既に施設に移され久しいと噂に聞き、セシリアは思わずため息を漏らした。
 タニアの予感は的中してしまった。彼女は精霊の魂を持ちながら、人間として生を授かってしまったのだ。
 その行方を探るうち、セシリアは一人の人物と出逢った。それは乳飲み子のナディアを育てた乳母だった。彼女はナディアがいなくなった途端に暇を出され、今では夫と子どもと質素に暮らしていた。
 訪れたセシリアがナディアの名を口にすると、彼女は「あぁ」と呻きながら泣き出したのだった。

「あの子は可哀想な子でした」

 乳母は少し思慮が足りないが、純粋な女だった。ナディアの遠い親戚だと名乗ったセシリアになんの疑いも持たず、椅子をすすめながら言った。

「確かにちょっと変わった子ではありました。どこかをじっと見つめていたり、不思議と知るはずのないことを言い当てたり。奥様にはそれが不気味で仕方ないようでした」

 恐らく、彼女は精霊の声を聞いていたのだろう。やはり、彼女は両親から愛されず、施設に送り出されてしまったのだ。そう思い、彼女は罪悪感に押しつぶされそうだった。
 あのとき魂を手放さずにいればよかったのだ。『生の鳥』なら、たとえ己の命を失ってでも、守らなければならなかったのに。そう唇をきつく噛みしめた。
 乳母は施設の場所を教えてくれたが、別れ際にこう言った。

「あの施設を運営している男は蛇のような男です。ナディアが無事でいるように、私は毎晩神に祈っているんですよ」

 セシリアは彼女に礼を言って去った。神になど祈っても、彼らは何もしてくれない。今、祈るべきなのはナディアの心に強さがあることだけだ。そう思いながら、施設への道を進んだ。
 頬を撫でる風は冷えていき、次第に夜の匂いが鼻をくすぐり出す。彼女は森の中へ入り、野宿の用意をした。
 明日の朝一番に施設へ向かおうと、心に決めていた。だが、どうやって施設から彼女を助け出せばいいのだろう。
 セシリアは懐の袋をまさぐる。帝王が手渡してくれた金の粒は、十二年の歳月の中で残り少なくなっていた。その価値がよくわからぬ頃は、随分と足元を見られたこともあった。この量では施設長との駆け引きには役に立たないかもしれないと、肩を落とす。
 セシリアはたき火の前に座り、その音を聞いていた。『生の鳥』として生きていたときは意識していなかったが、確かにたき火の音は鳥の声に似ていた。
 鳴きながら魂を運んだ日のことを思い出しながら、彼女は楽器をつま弾いた。
 どうか、間に合いますように。パーシヴァルと出逢うまでに、彼女の心に強さを授けられますように。
 そう願った瞬間、セシリアは顔を上げる。誰かがこちらへ向かって来る気配がした。そして、それこそ彼女が長年求めていたものだった。
 月長石のような輝きをした、あの魂がそこにあった。
 そうして、彼女はナディアと再会したのだった。

 再び自分の目の前に現れた魂は、ナディアという少女として生まれついていた。気丈ながら、まだまだ子どもらしい考えの持ち主だと思った。
 行動を共にしながら、セシリアは彼女がどんな暮らしをしてきたかを知った。寝床でナディアがうなされるたび、自分が恨めしかった。
 もう少し早く出逢えていたら、こんな思いをさせることはなかったかもしれないのに。あのとき、魂を手放ずにいたら。もっと早く出逢えていたら。そんな後悔の連鎖が罪悪感の重みに拍車をかける。
 セシリアはこの罪がはれるまで、ナディアを愛そうと心に決めていた。彼女が求めていた両親の愛情がどんなものかはわからない。なにせ、彼女には造り手はいても、両親などいないのだから。
 それでも、見守り、慈しみ、助けることはできる。罪の意識が重ければ重いほど、深い愛情を注ぐことが、自分にできる罪滅ぼしだと思えた。
 だが、心のどこかでは怯えていた。
 セシリアの使命はナディアを強く育てることだ。愛することを知り、愛されることを感じ、そうして自分を強く保てるように。その使命が終われば、セシリアは傀儡としての生を終えるのだ。自分が愛すれば愛するほど、ナディアがセシリアを愛すれば愛するほどそのときは近くなる。喜びとともに、別れの予感に怯える日々だった。

「セシリア、私たちずっとこうしていられるかな?」

 彼女からすがるように問われるたび、セシリアの心は泣いた。
 使命を果たすことを光栄にも思う。だが、そのとき一人残されるナディアが不憫でならなかった。彼女は人間と馴染もうとしないのだ。残されれば、また孤独な日々が訪れるだろう。それすらも自分のせいなのだと、セシリアは消え入りたい気分だった。

 ナディアが十四歳のある日だった。
 セシリアは自分の体が焼け石のように熱いのを感じ、この傀儡から魂が離れようとしているのを悟った。
 使命は果たされたのだ。ナディアは一人で生きていけるようになってしまった。誰かに言葉の槍を向けず、じっと耐えることができる強さを身につけてしまった。
 だが、短気なところがある彼女を一人にしておくのは心残りだった。案の定、医者を探し求める彼女は言い寄って来た男を叩き潰してしまった。
 だが、セシリアの心配をよそに、『死の鳥』は無情にもやって来た。そして高らかにさえずる。

「なに、心配いらないよ。彼女はもう大丈夫だ」

 『死の鳥』のはばたきが聴こえる。
 セシリアはナディアに語りたいことが沢山あったが、時間は残されていなかった。
 ナディアが泣いている。

「お前はきっと、この世で最も幸せな女になる」

 若き日の闇の王を思い出し、セシリアは静かに言った。あの闇色の瞳が、きっといつかナディアを守ってくれる。

「最後の教えだ。精霊には用心なさい。お前を好く精霊もいれば、妬んだり陥れようとする精霊もいるだろう。いろんな奴がいるという点では、彼らも人間と変わるまい」

 ナディアは未来の女帝であるが故に、精霊から慕われもするし、妬まれもするだろう。

「闇に呑まれるなよ」

 そしてなにより、この言葉を贈りたかった。セシリアはこれを言うために来たのだ。どんなに挫けそうになっても、その言霊で誰かを傷つけないように。
 彼女は最後の力で手を伸ばした。ナディアがその手をとり、頬に当てる。涙は冷たかったが、その頬は柔らかく、温かかった。
 セシリアは心の中で笑う。そうだな、『死の鳥』よ。これは私の杞憂かもしれない。だって私はこの子がどんなに情け深くて優しいか知っている。愛しい子。そして、私の……愛しい女帝。
 セシリアの魂が『死の鳥』に掴まれたとき、ナディアの叫びを聞いた。

「お願い! 戻ってきて!」

 セシリアは『死の鳥』に運ばれながら、神隠しの闇で泣き崩れていた。

 彼女が魂の姿でタニアの元へ戻ったとき、既にセシリアの体は冥界に戻っていた。ダグラスは伝令の王に傀儡の使いを人間界に送り、墓から回収するように指示していたのだ。
 今まで自分の体だったものが目の前にあるというのは、不思議な光景だった。タニアがセシリアを優しくねぎらった。

「お疲れ様でした。お前はよく天命を果たしていますね」

 だが、セシリアは魂の姿で思わず泣きむせた。

「あまりに酷い天命でございます。一つ目の生で私は重い咎を背負いました。二つ目の生ではあの子が愛しくなるほどに罪悪感に苛まれました」

 千切れそうな思いで、彼女は訴える。

「三つ目の生はどのようなものか、恐ろしゅうございます」

 だが、彼女は毅然として言った。

「それはお前が選ぶものですよ。私の天命は避けられぬ定め。だが、その定めにどう立ち向かっていくのかが、その人生を決めます」

 そして、こう続けた。

「さぁ、選びなさい。お前は私の天命にどう足掻くのか。決めるのですよ。最後の生は誰のために生きるのかを。自分を強く持ち、何にも媚びず生きろとナディアに教えたのはあなたです。あなたは天命に媚びず、どう生きるのかしら?」

 迷うことなどなかった。自分の生きる道は、もう心に浮かんでいたのだ。

「タニア様、私をどうか時の女帝ナディアの使者の鳥に。私はこの生を彼女のために尽くしたいのです」

 春風のような笑みを漏らし、タニアが頷いた。

「そう言うと思っていました。ダグラスが既に傀儡を用意していますよ」

 そして、セシリアは再び白い鳥の姿に魂を宿した。
 時の女帝の使い鳥は『生の鳥』によく似ている。だが、その目は三つあり、尾は長かった。
 魂をこめられたセシリアに、ダグラスが微笑む。

「まったく、精霊使いの荒い妻だよ」

 そして、三つ目の瞳を閉じるように指示した。

「人間界には三つ目の鳥などいないからね。お前がセシリアだとナディアに知れるまで、この目は閉じて羽で隠しておきなさい。傀儡は話せるものだが、それも内緒にしておくといい。ナディアに私たちのことが知れてしまうだろうから」

 セシリアは高らかに鳴き、羽ばたいた。目指すは愛しいナディアの肩だ。金色の髪をなびかせ、矢車菊の色をした彼女の女帝の元へ。

 セシリアがナディアの元へ戻ったとき、彼女は鳥に『セシリア』の名を授けた。それは、自分がいかに彼女から愛されているかを知ったときだった。
 セシリアは身を震わせ、思わず語りかけたくなった。だが、それは許されないことだった。
 そして時折、彼女はナディアの元を離れ、タニアとダグラスの元へ向かった。ナディアの様子を伝えるだけでなく、冥界で食事を摂る必要があった。
 食べ物を口にするということは、その世界に属するという契約を結ぶことになる。人間界の食べ物を口にしてしまうと、その世界に従い老いの流れを身に受けることになるのだった。
 きっと、ナディアが精霊になったら妙な気分がするだろうと、セシリアは思っていた。人間たちはあっという間に老いるのに、自分は成長が止まったように感じるときがある。
 だが、精霊もゆっくり老いていく。だからこそ、帝王と女帝も移り変わるのだ。

 ナディアは一人でもよくやっていた。だが、時折枕を濡らすような夜には、居たたまれなかった。
 愛し、愛される存在を求める意識が日に日に強くなっていく。
 そして、十五になった夜、その想いはパーシヴァルに届いたのだ。彼の授けた加護が解けていくのを、セシリアは目を細めて見ていた。
 火山の街と砂漠での闇に、ナディアは怯えていた。だが、セシリアはそんな彼女に、どうか『闇に呑まれるな』という言葉を思い出して欲しいと願っていた。
 時の女帝の力に流されるな。闇の力に媚びるな。それはお前が従えるものだから。そう伝えたかったが言葉にできず、もどかしさに項垂れる日々だった。

 そんなある日、パーシヴァルが人間界にやって来た。
 セシリアは身震いした。やっと、ナディアに安らぎを与えてくれる者が現れた。そして、あの若き闇の王もじっと孤独を耐えて、彼女を選んだのだ。
 彼は、ナディアにもう一度『闇に呑まれるな』と伝えたいセシリアのために、夢を渡る手助けまでしてくれた。
 セシリアは母のような思いで、二人が心を通わせていくのを見つめた。その距離が縮まっていくたびに、心からナディアの魂を運んでよかったと思えるようになっていた。
 この二人を見守ることができるなら、ナディアのために生を全うできるなら。悔いることはない。心からそう思うのだった。
 そして、セシリアはこの経緯をナディアに話すとき、自分の生まれた意味を悟るのだろうと信じていた。
 天命とは決められた道の果てではない。どう生きるかで運命は変わる。偶然は必然かもしれないし、どこからどこまでが運命かなど、わからないのだ。
 だが、だからこそ希望や未来があるのだ。そして、セシリアには、金緑石の玉座で微笑むナディアの姿がはっきりと目に浮かぶのだった。
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