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第二章 朱南国
偲の願い
しおりを挟む眩い光に包まれ、しばらく目を閉じてしまった。
気がつけば音もない空間にいて、手の中にあったはずの偲様のセンナは、どこにも見当たらない。
「センナが……! どこに!?」
あたりを見渡すが、そもそも誰もいない。
そして、この感覚。私は以前にも来たことがある。
「ここは……深層心理……?」
「そうよ、朱己。はじめまして」
突如聞こえた声に、振り返る。姿は見えない。
女性の、柔らかい声。とても落ち着く声だ。
しばらくすると、ぼんやり人影が見えてきた。
「朱己。私は、あなたの父の姉、偲。驚かせてごめんなさいね」
「さ……偲、様……」
段々とはっきりしてきた彼女の姿は、とても柔らかい笑顔の、しかし病弱そうな、儚い印象だった。
彼女は私の近くまで歩みを進めると、笑顔で口を開いた。
「会えて嬉しいわ」
「わ、私もです。光栄です……」
私は何故こんなに吃っているのだろう。
思えば私が偲様のセンナを握り潰そうとしていたのだから、今ここで漆黒の牙に襲われてもなんら不思議なことではない。
目の前の偲様が、偽物である可能性だって十分に有り得る。
そんな私の考えがわかるのか、偲様は微笑んだまま語り始めた。
「怯えないで。でも、怯えるのも仕方ないわよね。私のセンナは漆黒の牙よ」
「……!! いつ、ご存知に……いや、そもそも何故ご存知に……?」
少しだけ悲しそうに微笑む偲様は、懐かしむように視線を上げた。
「隠密室の前を通りかかったときに、父と隠密室が話していたの。漆黒の牙のセンナは、生きているのが何人で、格納庫にあといくつと」
「……でも、それだけでは……」
それだけで、自分が漆黒の牙だなどと確信が持てるだろうか。と、言い掛けて辞めた。
自分自身のことも落ち着けようとしているかのように、偲様に信じられないということを伝えようとするが、上手く言えない。我ながら度胸が足りないことに辟易する。
「朱己、良いのよ。大丈夫。私にはずっと声が聞こえていたのよ、彼の。……貴女は朱色の雫だから、こうやって深層心理に簡単に来れるでしょう? 私も、良く深層心理で会っていたの。漆黒の牙と」
「深層心理で……漆黒の牙と!?」
ほほえみながら頷く偲様は、どこか儚げで、寂しそうに目を細めた。
「最初はそれが普通だと思っていたけど……誰も、そんな経験はしていなくて。段々と違和感を覚えるようになったある日、父様と隠密室の話を聞いて、気がついたの。私は漆黒の牙で、ここに居てはいけないんだって。だって、ここでいつも見ていたセンナは、真っ黒なんですもの」
「そんな……では、自害されたのは」
漆黒の牙であることを悟り、お一人で背負われたというのか。自分の生を終わらせ、センナを砕くことで漆黒の牙に一矢報いようとしたのだろうか。驚きを隠せないまま呆然としていると、目の前で偲様が自身の胸に手を当てたと同時に、背後に大きな漆黒の球体が現れた。光をも飲み込む、吸い込まれそうな漆黒の球体が。
「これが、私のセンナ。朱己、私は自らのわがままで、自害の道を選んだ。だけど、自らの力でセンナを壊すことはできなかった」
「……壊せる可能性は、あったんですか?」
「あったと思ってるわ。だけど、そもそも私は魂解きができないから、無理だったのかもしれないわね」
偲様と視線は交わらない。だが、偲様の思っていることはわかる。今この瞬間も、壊したいのだ。自らのセンナを。
私はずっと気になっていたことを、偲様に尋ねてみることにした。
「偲様は、なぜ漆黒の牙が悪だと……思ったのですか? 自らを悪だとするのは、辛くはないですか」
「ふふ。朱己、貴女は優しいわね。漆黒の牙が悪かと言われれば、相対的に、としか言えないわ。だけど、少なくとも……」
偲様が、視線を上げて、私に合わせて来た。彼女の瞳がとても美しくて、言葉を失いそうになる。
「私は、漆黒の牙の味方をしたくないと思ったから。長き戦いに、すべての元凶に、終止符を。私のように、……時雨や、双子たちが辛い思いをしなくて済むように」
「偲様……」
気がつけば、近くで柔らかく微笑む偲様は、いつ何時でも美しかった。
「朱己、時雨を止めてほしいの。私は、私の願いは、漆黒の牙の完全復活を阻止すること、この世界を守ること。朱色の雫である貴女の力が必要よ」
「ですが時雨伯父上は、偲様を生き返らせたいと……思っているのではないでしょうか」
「わかっているわ。だからこそ、止めてあげて」
偲様を見つめると、偲様が不意に胸を抑え、その場にうずくまった。
「偲様!? どうされました!!」
「く……、もう、時間がないの……私の意識が、いつまで保てるか……っ」
「まさか、漆黒の牙……!!」
「ええ、漆黒の牙の本体は、私を遠隔で操作しようとしているから……今までは漆黒の牙の力が復活していなかったから抵抗できたけど、そろそろ無理みたいね」
偲様の額から滴る汗が、偲様の抵抗を如実に表していた。偲様の背をさすりながら、今できることを必死に探す。
「朱己。戻りなさい、そしてセンナを……壊して頂戴。貴女にしか、お願いできないことなの」
「偲様……わかりました」
「さあ、行って! 私の、意識があるうちに」
一度頷き、立ち上がると偲様に一礼して走り出した。
偲様。皆の原点。まさか漆黒の牙だっただなんて。そして、ご存知だったなんて。
皆の想いが複雑に絡み合って、誰かを救っても誰かが救われない。皆が救われる方法はないのだろうか。
いや、皆の想いを救う方法は、ある。
「偲様の願いを、伝えなければ」
早く深層心理から帰らなければ。
偲様の想いを、願いを伝えるために。
漆黒の牙のセンナを、砕くために。
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