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第二章 朱南国

心の奥の本音(下)

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 地に足を滑らせながら、摩擦で体を止める。
 口の端に垂れた血を、手の甲で乱暴に拭きながら光蘭を睨みつけた。

「葉季。お前のセンナは、本来なら程なく限界を迎える。だが、漆黒の牙ニゲルデンスのセンナが微量だけ混ざっているおかげで、幾分か延びている状況だ」

「限界……死ぬ、ということか。漆黒の牙ニゲルデンスのセンナが混ざったおかげで生き延びたが、そのせいで朱己を攻撃しておるのだな」

「ああ。だが、朱己はお前を死なせないために戦っている。お前は、朱己のために何ができる?」

 目を見開く。
 朱己のために、何ができるか。
 朱己のためなら、この身など。
 そこまで考えて、反射的に頭を横に振った。

 違う。それでは、朱己を一人残すことになる。
 先程まで、わしは朱己を失う恐怖と戦っていた。今は、朱己のためなら命など惜しくないと……というところまで考えて、はたと気づく。わしは、まさか。
 思わず光蘭を見つめれば、光蘭は頷いて発言を促してきた。

「わしは、朱己を残して自分が死ぬことも、恐れているのか? 光蘭、お主のように、朱己を残して逝くことが、また朱己に同じ傷をつけることが……恐ろしいのだ」

 目の前の光蘭に告げると、光蘭は目を細めて微笑んだ。

「そうだよ。お前は、それを恐れている。だが足りない。もっと深くから掘り起こせ」

「もっと深く……」

 なんだ。もっと深く。
 光蘭は樹木を何本も生やし、わしを攻撃する。ここが深堀できなければ、わしは光蘭に勝てぬということなのだろう。
 なんだ、わしが真に恐れていることとは。
 置いて逝くこと……ということは、わしが先に死ぬということ。つまり、わしが敵に負けるのだ。敵に負ける……劣等感?

 そこまで考えて、気配を感じ顔をあげると剣が振り下ろされた。間一髪避けたが、千草色の髪が少しだけ地面に散った。

「わしは、わしでは……負ける、朱己に守られ続けることが、自分の劣等感だ。そして守られ続けることをどこかで良しとするわし自身に心底辟易していた」

 鉄扇を握り直して、光蘭と対峙する。
 深呼吸しながら自分の心を整理した。

「そしてそれは、お主の死を見て……。極論、朱己を生かすためという大義名分をかざして死ぬことが名誉だと、自分の本音を上塗りした。朱己より劣る自分が、唯一役に立てる方法など、命を賭すしかないと」

 そうか。
 だから、お主だったのか、光蘭。
 朱己より劣る自分への劣等感。
 朱己を守るためならと、大義名分を振りかざすことを自分の中で良しとしようとしていた。
 朱己の、わし等に対する生きてほしいという思いを、叶えられるだけの力量が無いかもしれないことを、言い訳するための。
 遺される側の苦しさを、わしはよく知っている。そして、それは朱己も同じだ。弱いという劣等感を感じながらも、辛さがわかるからこそ、遺してなど逝きたくない。朱己と共に生きたいのだ。わしは。

「生きてくれ、葉季。遺される側の辛さを、お前は知っている。そして、朱己と共に生きたいと願っていることに、気づいてくれた……感謝する」

「光蘭……お主……」

「朱己を、頼む」

 わしの深層心理が生み出した、光蘭。
 だがこんなにも、本人だ。思わずこみ上げる涙が、溢れて頬を伝った。

「光蘭……わしは、すまぬ。すまぬ、どこかでずっと力量不足の言い訳に、お主のようにと……なんと馬鹿な」

「いいんだ、それに気づいてくれたことで、葉季はもっと強くなれる」

 わしの肩に触れる光蘭の手は、温かかった。

「本音に気づいた葉季は誰よりも強い。漆黒の牙ニゲルデンスの呪縛に負けないでくれ」

「うむ、……だが、どうすれば」

「最初に言ったことを忘れたか?」

 そう言って笑う彼は、両手を広げた。

「光蘭……!! それしか、ないのか」

「少なくとも、今は」

 唇を噛む。
 また、会えるか、と言葉が零れそうになった。心が弱くなる。
 鉄扇を開いて、深呼吸した。

「すまぬ、かたじけない。光蘭」

「いい。さあ早く、朱己が死にかけてる」

「ああ。朱己のことは、任せよ」

 朱己。お主は気づいておったのだろう。
 わしの情けない部分も全て、お主はわかった上で傍におってくれたのだな。
 わしは、強くなる。そして、お主の傍で共に生きよう。必ず。

「風華!!」

 無数の花びらが光蘭を襲うように、風が包み込んでいく。
 弾けるように、マーブル状の球体が輝く。
 わしは耐えられぬ程の光を浴び、反射的に目を瞑った。

ーーー

「よ、葉、季」

 彼に伸ばした手を、頬に当てる。
 息ができないことよりも、彼が傷つき続けることが苦しい。

「葉季……っごめん……!!」

 彼の顔を思い切り殴り飛ばして退かし、手が首から離れた瞬間、空気が一気に入ってきてむせ返る。
 直様立ち上がり、葉季に抱きついた。

「葉季!!」

 目を覚まして。漆黒の牙ニゲルデンスに負けないで。そう願いながら、背中に回した腕で風を巻き起こす。

「朱己!! 危ない!! ちょっと師走いいの!?」

「手を出すな。朱己の戦いだ」

 ヴィオラと師走の押し問答が聞こえる。
 恐らくそう秒数を数えることもなく、葉季から攻撃されて私は重傷になるだろう。
 それでも、彼に魂解き以外でもとに戻ってもらう方法など、もう何も思いつかない。魂解きはだめだ。本能が拒否した理由はわからないが、駄目だ。
 残るは、神頼みくらいだ。それも、神がいるならの話だが。

「戻ってきて!! 葉季!!」

 我ながら阿呆だ。
 呼んで戻ってきてくれたら、苦労なんてしないのに。
 それでも、失うよりはいい。みんなに怒られるかもしれないけど、いくらだって重傷になるから。
 だから、葉季。戻ってきて。

「葉季ーーー!!!!」

 風が巻き上がり、擦り合わさった何かが静電気を起こしたのか、火花が散り、一気に空間内で激しい爆発が起こる。
 四方八方で爆発音がなり、目を閉じて必死に葉季にしがみついた。
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