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第二章 朱南国
落ちる影
しおりを挟むヴィーの宮殿を後にして、ビライトの工場をどう攻めるかを相談するためにヴィオラと合流した。ヴィオラは地図を写しながら、蕾様がくれた地図も空中に並べる。
「……なるほどね、聴こえてる情報と合致したわ。ビライトの工場ね。近くに、朱己、あんたの側近もいるわ」
「朱公が!? ……やっぱり、ビライトにいたのね」
思わず手を握りしめた。
薄々そうではないか、と思っていたのだ。今更落ち込むことではない。だが、心がどこか穏やかではない。
見かねたように、ヴィオラが目の前で手をひらひらと振っている。
「安心しなさい、どうやら銀朱には歯向かってるみたいだし、あたしたちの味方ではあるようよ。さて、白蓮と時雨……この工場で国際指名手配犯を、どうするつもりで送り込んだのかしら? 蕾様は」
ヴィオラがあんた何か知ってるんでしょ、と言わんばかりの顔で師走を見やる。師走は眉間に深い皺を刻みながら、溜息を小さくついた。
「……やることは一つだろう。時雨は、白蓮に邪魔をされたくない。白蓮は、時雨の思惑を解明したい」
「時雨の思惑って? ってとこまで、気づいてんでしょ? 具体的に言いなさいよぉ」
「貴様とて気づいているだろう」
にたにたと笑うヴィオラと、今にも戦いが勃発しそうな師走の顔の皺は、二人の仲をこれでもかというほど、如実に表している。
今まで口を閉ざし続けていた父が、ゆっくりと口を開いた。
「……姉上、か」
「そうだろうな」
すぐに師走が首肯する。やはり予測していたようだ。
時雨伯父上の双子の妹、偲様。
確かに銀朱は、ナルスが崩壊した戦争のときに、私達に対して「父様や、偲叔母様のことは何一つ理解してないのよね」と言った。銀朱が言ったことを加味すれば、時雨伯父上と偲様にはそれぞれ願いがあり、時雨伯父上は何某かの想いのために戦っていることになる。
その思いとはなんだ。
偲様のことがわからない。
優しかった、という話しか聞いていない。
だが、私の親たちに、そして周りの人に大きな影響を与えたことは確かだ。同じ空間の中で話を聞いている薬乃や、先程合流した夏能殿も。夏能殿へ視線を移した瞬間に交わって、思わず目を見開いてしまった。夏能殿は頭をかきながら、軽く舌打ちして、口を開いた。
「……工場は、俺が見た工場で間違いねえ。俺が壮透に渡した地図とも合致する。だが、時雨の思惑はわからねえ。……偲絡みなんだろうけどな。偲がああなって、一番壊れたのは時雨なのは間違いねえ」
「夏能殿……すみません、ありがとうございます」
「怒ってねえよ。昔の話だ、記憶が改ざんされていてもおかしくねえから、進んで言いたくはねえけどな」
口角だけ僅かに上げて、微笑んでみせた夏能殿が酷く儚く見えた。最期の高能の顔が重なって、胸が苦しくなるほどに。
時雨伯父上の狙い。漆黒の牙の狙いと重なっているのだろうか、それとも。仮に重なっていたとしたら。
漆黒の牙が復活することが、時雨伯父上の狙いだとしたら。偲様のセンナを追うことが不可思議だ。何か関係があるのか? 訝しむように、口元に手を当てて考えこんでいると、隣で同じ体勢の師走が、徐ろに口を開けた。
「……偲のセンナは、どこにある」
「香卦良のところにあるはずだ」
「……はず?」
「ああ、今あるかは確認していないが、香卦良が移動させるとも思えん。ならば、香卦良のところにある。白蓮兄上が香卦良に預けたと言っていた」
「つまり、壮透。貴様は自らの目で確認してはいないということか」
まさか。
師走を見上げると、小さく溜息をついたのを私は見逃さなかった。
以前、師走が曆との対戦の合間に言っていたことが頭をよぎる。
ーー自らの目で見たもの以外、稀に見たものでさえも、虚構であるかもしれぬことを常に頭に置け。
「師走……」
「朱己。香卦良の下へ行き、確認しろ。偲のセンナがあるかどうか」
師走の眼は、鋭く私を貫いた。
事実は自らが確認しなければならない。
そう言われている気がした。
「行ってくるわ、ここからならすぐだものね」
「ああ」
この師走の空間は、紅蓮様が作った香卦良の空間とも繋がっている。確認ならすぐだ。
私は駆け出して、すぐに足を止めた。
皆、私が足を止めたのを訝しむように、私へ視線を向けたのがわかった。
そして、私と同じような顔をしたことだろう。信じられないものを見るような、喜びと驚きと焦りが入り混じったような、言葉にならない感覚で。
目の前に現れた、彼を見て。
「よ……葉季……葉季……!!」
「朱己!! よく見ろ!!」
彼に駆け寄ろうとした私を、師走が物凄い勢いで止めに入った。
次の瞬間、暴風が吹き荒れ咄嗟に腕で顔を庇う。
「よう……き?」
風の向こうにいる彼は、虚ろな瞳をしていた。そして、彼は無秩序に鎌鼬を仕掛けてくる。格段に鋭くなった切れ味で。
師走が腕を振ると、鎌鼬に炎がぶつかり見事に相殺された。
「……漆黒の牙だな」
「え?」
「葉季と戦ったのはカヌレ。おそらく回収し、玄冬の元で改造……いや、玄冬のセンナの特殊能力で、力を与えたのだろう」
葉季が、生きていたという事実は、変えようのない喜びと幸せであり、朗報だ。しかし、師走の読みが当たっていた場合……いや、今回は十中八九当たっているとしたら、私にとってこんなに不幸なことはない。
脳裏をよぎる不幸な予測を、ゆっくりと確認する。願わくば、杞憂であることを願って。
「つまり……葉季を倒さないと、玄冬の特殊能力は……」
「無論、そう考えるのが筋だろう。此奴を殺さない限り、開放されることはない」
杞憂であって欲しいと願ったことが、変えようのない事実となった。
目の前の彼を見ながら、震える足で必死に地面を押し返していた。
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