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第二章 朱南国

敵か味方か(下)

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「何故泣いている」

「泣いてないわ……師走」

 師走は黙って私に視線を送り続けている。答えろと。振り絞るように、息を飲み込んでから言葉を零した。

「……怖い」

「我がか?」

「違う」

「ではなんだ」

 矢継ぎ早に繰り出される質問と、似つかわしくない彼の顔。無表情で腕を組みながら、いつものように壁にもたれかかる。

「……」

「諦めるか? 尻尾を巻いて逃げてもいいが、貴様の臣下たちは貴様が強くなると言ったから、意を決して今しごかれているぞ」

「え?」

 顔を上げて彼を見れば、彼は真っ直ぐこちらを見ていた。

「誰がとは言わんが。我にとっては取るに足らんことだ。しかし、貴様にとっては取るに足ることだろう」

 皆も頑張っている。私を信じて待ってくれているのか。腕に爪を立てて、目を瞑り心のなかで皆に謝った。弱音を吐いたことを。

「明日から貴様は、生死をさまようことになろう。生き抜くことだけ考えろ」

「ええ」

 お礼を言おうと、彼がいる方向へ顔を向けると、いつの間にか目の前に移動してきている。

「ひっ!!」

「貴様、いい加減その反応は何とかならんのか」

 彼は私の横に腰掛けると、腕だけでなく足を組み、無表情のまま顔だけこちらを見ている。
 あまり近くに来られると、警戒せざるを得ないが、こうも警戒するのも失礼か、等と余計なことを考えてしまう。だが口は正直で、そのまま思っていることを彼に投げかけた。

「なに」

「貴様は生き抜く覚悟がないのか」

 彼の言葉に目を見開く。
 大きく脈打つ心臓が、まるで師走の言葉を肯定しているかのようだった。唇を結んで、つま先を眺める。必死に答えを探すように。否、答えなどとっくにわかっている。

「……私は弱いから、死ぬかもしれない……のが、怖い」

 弱さを突きつけられてきた。今までも、そしてテシィに来てからは尚更、自分の弱さを突きつけられている。
 生きると決めた。しかし、だからこそ死ぬのが怖い。こんなに怖いのは、初めてだ。民のためなら、死ぬことだって厭わない。そう思っていたはずなのに。

「死ぬ勇気があるなら、生き抜く覚悟を持て」

「……え?」

 隣で相変わらず無表情の彼は、目を瞑っている。まるで眠っているかのようだ。
 しばらくして瞼を押し上げた彼は、ゆっくりこちらに視線を動かしてきた。

「昔テシィを建国したときに、父に言われた言葉だ。それにしても貴様は、随分と自己肯定感が低いな」

「そうかもしれないわね」

 驚いた。師走が、いきなり自分の過去の話をするなど。そして、彼は読めない表情のまま、私に言葉を投げ続ける。

「死ぬのは一瞬だ。諦めた瞬間、それは訪れる。だが死に抗うこと、それが生きることだ。死ぬことを許容する、死の覚悟ができた者は確かに強いが、そこまでだ。死んだら終わる。超えるには、生きるしかない。死の恐怖を乗り越え、生きろ。生き抜く覚悟を決めろ」

 彼は、とても美しい目をしていた。見つめられれば心臓が跳ねるほど、美しい深紅の瞳だ。

「貴様は、自分の強さを知らん。故に弱い。何より、まだ恐怖に勝てていない。故に弱い。だが、克服すべきことが見えている。故に強くなるためにすべきことがわかっている」

「……そうね、ありがとう、師走」

 どうやら、彼なりの方法で私を慰めてくれているようだ。もしかしたら私の都合のいい解釈かもしれないが。
 少しだけ、彼の優しさのようなものを垣間見て、心が凪いだ。

 彼は小さくため息をつくと、私の手を引いた。突然のことで完全に体勢を崩した私は、そのまま師走の胸になだれ込んだ。彼は私の首に噛みつくと、私が逃れないようにするためか、強く抱きしめてきた。予想以上の首の痛みに動揺し、酷く狼狽えた。

「いっ……!!」

「……」

「いい……ったい! あの……っ」

「黙れ」

 突然の展開を問いただしたいが、黙れという一言の圧力に言えなくなる。ただ静かに師走が噛みつき終わるのを待った。やがて、激痛だった歯が外れ、視界の隅で彼の髪の毛が揺れた。

「……おい」

「は、はい」

「……センナの味が少しはマシになったが、まだ少し揺れているな」

 やはりセンナを吸っていたのか。というか口からでなくても吸えるならそうしてほしい。口はやめてほしい。そんなことを思いながらも、彼の言葉の続きを待った。

「心が揺れればセンナが揺れ、死に直結する。明日までに生き抜く覚悟を決め、そのみっともないセンナの揺らぎを抑えておけ」

「……ええ」

「明日センナが揺れていたら死ぬと思え」

「わかったわ」

 それができたら苦労しない、と口から零れそうになったが、必死で止めた。

「師走、……ありがとう」

 彼は私の首から頭を離すと、私の頭を引き寄せて来た。反射的に顔を背ければ、そのまま頬が師走の胸にぶつかった。

「しばらくこのままでいろ」

「……えっと」

「黙ってこのままでいろ」

「……は、い」

 彼の、言いなりにならざるを得ない強制力の正体が何なのか、自分でもわからない。しかし少しだけ、体温は心地よかった。さっきよりも、心が凪いでいくのがわかる。

 しばらくして、師走は突然舌打ちをして私の体を引き剥がし、明日に備えて寝ろ、と言い残して部屋から去っていった。自由奔放で掴みどころがない。それでいて、心配しているのかなんなのかわからないところに、振り回されているものの、救われている自分がいることも自覚していた。

 ーー死ぬ勇気があるなら、生き抜く覚悟を持て。

「そのとおりね……」

 生きると決めた。あとは、自分次第だ。
 布団に潜り込み、目を瞑った。少しでも、優しい夢を見れるように願って。

ーーー

 朱己の心が揺らいだまま明日を迎えると、曆が相手では朱己は確実に死ぬ。せめて揺らぎを抑えなければと思っていると、部屋の外で待つ空気を読まない曆の気配。
 しばらくしても気配は消えず、待っているのがわかる。舌打ちをして、部屋を出れば弥生が笑顔で待っていた。

「僕と神無月、暴れた水無月を止めたんだから、報酬は弾んでよね?」

「……それを言うために待っていたのか」

「ううん、朱己が心配だっただけ。師走が心配して来てくれてるとは、ね」

「何が言いたい」

 きつめに睨めば、身なりが少年の彼は笑顔のままこちらを見た。

「なんにも? 師走、これでも僕は曆のNo.6だから、師走が気にしてることもわかるよ。でも、死んじゃったらそこまでだったってことでしょ。そんなに朱己の死を気にすること? ……それとも、気にしなきゃいけないことが他にある、ってこと?」

「弥生。深追いをするな。必要になれば言う」

 弥生は笑顔のまま、ため息をついて体の向きを変えると、はーいと返事をして姿を消した。

「……我以上に、曆が浮き足立っているとはな」

 ため息を吐きながら、窓の外の月を見上げた。

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