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第二章 朱南国

修行前の暴露(下)

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「朱公? どうしたの、顔色が悪いわよ。私は、確かに朱色の雫ミニオスティーラと呼ばれたけど……」

「朱己様。傀儡の話を覚えていらっしゃいますか? お話した、工場の中核で……時雨様が、「あとは朱色の雫ミニオスティーラさえあれば……」とおっしゃっていたんです。その時は、なんの事かわかりませんでしたが……」

 それ以上は言うまでもなく、彼女は言葉を止めた。
 妲音が、私の横で眉間に皺を寄せながら、朱公が言わなかった言葉を続ける。

「まさか、時雨伯父上が朱己を狙ってらしたのは……その、工場を完成させるため、ですの? 工場の中の、何か重要な装置の中核を……」

 人工的なセンナを作る装置なのか?
 それとも、傀儡を作るための装置なのか。
 何を作るためなのかは、誰も明確にはわからない。

 ただ、これで私が伯父上から狙われていた理由が、少しだけ明確になった気がした。
 やはり、私のセンナでしようとしているのだ。
 そして裏を返せば、私のセンナはその何かを可能にする力がある、ということなのだろう。
 顔色が悪いままの彼女に、笑顔を向ける。

「ありがとう朱公、言いづらいことを言ってくれて」

「いえ、朱己様……」

 申し訳なさそうに俯く彼女の隣まで移動し、背中をさすった。

「大丈夫よ! 明日からの修行は、私が自分のセンナをちゃんと使えていないから、師走がそれじゃだめだと言ってくれたの。ちゃんと使いこなせるようになって帰ってくるから、心配しないで頂戴。修行で扱えるようになれば、同盟も組んでもらえるわ」

 俯いていた彼女は、ゆっくり私を見た。
 笑顔で頷けば、彼女も少しだけ微笑んだ。
 葉季が少し考えている素振りを見せながら立ち上がった。

「……大方わかった。あと少し、朱己と話がある。みな、他に話すことがなければ、明日からは朱己が居らぬ故激務となろう、今日は早く休んでくれ」

「ああ、そうする」

「そうだね、姉様。早く寝よう! 朱己姉、頑張ってね!」

 杏奈、神奈を筆頭に、ぞろぞろと部屋から出ていった。
 葉季とふたりきりになり、少しだけ沈黙が続いた。

 先に沈黙を破ったのは、私だった。

「ごめんなさい、葉季。その、突然、色々と任せることになっちゃって……」

 葉季は私の目の前まで来ると、椅子に腰掛けた。

「良いよ、理由はわかった。お主のセンナが特殊なのは知っておったが、宇宙界の中でも特殊というのであれば、これから狙われることもあろう。正しく使えなければかえって危険だ」

「ありがとう、葉季」

 真剣に考えてくれている葉季に、私はもう一つ重大な隠し事をしている。

 そう、師走と唇を重ねたことだ。
 完全に事故とはいえ。大変不本意ながら唇を重ねたことを、私はどう切り出したらいいのだろう。

「朱己、まだ何かあるな? どうした」

 ーー気づいている。良からぬことだと。
 彼の目が、私を疑っている。
 息を呑んで彼を見つめると、不安そうに瞳が揺れるのが見えた。

「あの……」

 口に出すのも憚られ、耐えかねて俯き目を閉じた。
 腿の上で拳を作る。
 固く握りしめた手のひらに、爪が食い込んだ。

「言わんでも良い」

「……え?」

 思ってもみない言葉に、目をまんまるにして、顔を上げた瞬間だった。

 後頭部に手が回されるのと同時に、彼の唇が触れた。
 私の、唇に。

「……っ」

 思わず硬直して、目を閉じるのも忘れて目の前の彼の顔を見つめれば、彼が瞼を上げてこちらを見る。

 途端に恥ずかしくなり、急いで目を閉じた。
 しばらく重なったままの唇は、師走との口付の記憶を掠れさせるには十分だった。
 ゆっくり唇を離した彼と、視線が交わる。
 彼は私の唇に指を滑らせながら、少しだけ眉間を寄せた。

「お主のここから、師走の香りがした」

「……あ、うぅごめんなさい」

「わしの風を舐めるなよ? 大方察しはついていた。……ったく、わしより先にお主の唇を……許さぬ」

 呟くようして毒を吐いた彼に、伝えたいことは沢山ある。しかし、今の感情をうまく言葉にできない。
 なにより、彼との初めての口付だと頭が理解してから、恥ずかしさで顔から火が出そうだ。
 顔を両手で覆い隠せば、目の前からくつくつと笑う声が聞こえた。

「どうした、お主初いのう! ほっほっほ」

「……だって、葉季との初めての……口付、だったのに……」

 こんな幸せな記憶が、忌まわしい出来事の直後とは。我ながら呆れる。
 葉季はいつも消毒ではないか? とさえ思ってしまう。

 なんだか腹が立ってきて、顔を隠していた手で彼の手を取る。目の前で虚を突かれたような顔をする彼。

「あの、……もう一回、して」

「は?」

 少しだけ視線を落として、なんの色気もない誘い方をしたと反省する。
 ーーこういう時、なんて言えばいいのだろう。

 恥ずかしさからか、涙がこみ上げてきたときだった。
 ふわりと彼の手が私の頬を包む。
 先程よりもしっかりと、重ねられた唇の温度を感じた。驚きで、またも目を開けたまま、彼の胸に手を置く。離れる唇に名残惜しさを感じながら、視線を落とした。

「こういう願いなら、いつでも大歓迎だがの」

「……それは、わがままになるから」

「良いではないか、わがままなどではないよ。わしは嬉しい」

 目の前の彼は、本当に嬉しそうに笑っている。
 彼が許してくれるならいいか。
 そう思ったら、自然と笑顔が溢れた。

「じゃ、わがままついでに……今日一緒に、寝てくれる? 貴方が添い寝してくれると、温かくてよく眠れるのよ」

「お安い御用だ。明日からしばらく忙しくなる、今のうちに充電しておかねばな」

 なんだかくすぐったいような、はるか昔に忘れた初々しい感情を、少しだけ思い出したような気がした。
 ーー自分の本音は、こんなところにもあったのね。

 また最初から始めよう。
 自分の想いとの付き合いを。

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