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第二章 朱南国
ナルスの至宝(下)
しおりを挟む彼ーーヴィオラは、なぜいきなり、昔の話をしてくれたのか。
不思議に思っていると、彼は海の遥か遠くを長めながら、少しだけ寂しそうに笑った。
「それからも紫杏とは会うたび喧嘩しててね。喧嘩友達だったのよね。だから、ナルスにもよく行ったのよ。でも、息子の紅蓮に長を引き継ぐと同時に、死んだのよ」
「え……確かに、紫杏様は短命であられたけど……」
基本的に、センナの能力が開花した者は、数百年から千年ほど生きていける。
だが、紫杏様は僅か五十歳にもならないうちに亡くなった。私は原因を知らない。
そして紅蓮様は、白蓮伯父上に長を継いだあと、しばらくして姿を消した。父いわく、放浪の旅、らしいが。真相は謎のままだ。
私の母の父である、五条家の当時の当主と不正取引をした故、だと言われている。
「本当、朱己は何も聞いてないのね。葉季、あんたは知ってる? 紫杏は、あんたの曽祖父でもあるんでしょ?」
「いや、わしもよくは知らぬ。ただ、怪しい亡くなり方をしたと……」
「あっそう。……ま、そんなもんよね。あたしの直感だから事実は知らないけど、紫杏は、その人工的なセンナの研究のしすぎで、命を縮めたんだと思ってるわ」
「な……!?」
思いもよらぬ言葉を聞いたせいで、自分から思っていた以上の大声が出たことに、更に驚いた。
「あたし、ナルスによく行ってた、って言ったでしょ。晩年の紫杏はね、センナの不協和音がすごかったのよ。ある時から、朱己、あんたみたいな寄生型のセンナが上乗せされて、不協和音を奏でていた。でも、言っても治させてくれなかったのよ。ま、当時のあたしが、今みたいに本当に治せたかは……わからないけどね」
笑ったままのヴィオラは、私達に眼差しを向けると、寂しそうに目を細めた。まるで、私達の奥に紫杏様を重ねるように。
何も知らないことに、少しだけ心が痛んだ。
ーー私は、ナルスのことをどれほど知っていたのだろうか。まだまだ、何も知らない、守られ続けているのかもしれない。
私まで切なくなってきたところで、ヴィオラが手を叩いたために、強制的に現実に引き戻されられる。
「ま、いいわ! これだけは覚えておいて、この海を二度と汚すことは許さないわよ。もう紫杏が残したナルスじゃないから、うちが遠慮する理由もないしね」
「ええ。約束する、朱南は海を汚しはしない」
私の言葉に、彼は少しだけ息を詰まらせたあと、深く息を吐き出した。
しばし目を瞑った彼が再び目を開くと、いつもどおりの目になった。
「ま、なんかわかったら連絡するわよ。うちの情報網、期待して来たのもあるんでしょ?」
「お見通しってことね、ありがとうヴィオラ。青東とビライトの傀儡について、何か情報が入ったら教えてほしいの。私も何かわかればすぐに連絡する」
「対価は高いわよぉ。覚悟してなさいよね」
苦笑いして返す。
「朱己に接触する対価はやめていただこう、ヴィオラ」
横から釘を刺す葉季に、抜け目のなさを感じる。
ヴィオラはにんまりと微笑むと、葉季の唇を指で叩きながら言った。
「あんたが体で払ってくれるならいいわよぉ」
語尾がねっとりとしている。
体中に鳥肌が立ったのか、青ざめた葉季の腕を引きながら、それじゃ、と言ってその場をあとにした。
ーーー
「ヴィオラ様、よろしかったのですか?」
「フルート、珍しいじゃない。何が言いたいの?」
彼はフルート。あたしの側近で、メガネが似合う、執事のような身なりの男だ。
「いえ、お話しながらも、朱己様のセンナを随分と気にしていらしたようでしたので。前回のように、触れられるのかと、少しばかり気兼ねしておりました」
「……ふっ、随分察しがいいじゃない。さすがあたしの側近ね」
思わずにやける。
そう、紫杏の話をしたのは、センナの揺れや動きを観察するために過ぎない。
過去の思い出話にさして価値などない。
ーーにやけるほど、あのセンナは価値がある。
「先のナルスとビライトの戦で露見した、あの子のセンナ。各国が狙ってるわ、ナルスの至宝ってね」
ある者は畏怖し、またある者は渇望している。
ナルスという大国が、宇宙界の表舞台に立たせまいと、今まで隠し通していた至宝。
今なら、ナルスが見せたくなかった気持ちがよくわかる。
「あんなセンナの持ち主よ。なのに本人は気づいてない。宝の持ち腐れもいいところだわ。あたしならちゃんと使い倒してあげるのに」
片手に持ったグラスを傾けて、光を透かせた。
「フルート、知ってる? 朱己が宇宙界の闇界隈で、なんて呼ばれてるか」
闇界隈。
俗に人身売買、薬などの不正取引が行われる闇市を、あたしたちは闇界隈と呼んでいる。勿論あたしたち長は取り締まる側だが、同時に闇界隈から得られる情報は、あたしたちにとって価値があるものばかりだ。
どこの国が戦争を企てているとか、何を狙っているとか、新しい兵器の開発だとか。
そのため、何人か闇界隈へ臣下を送り込んで情報収集している。
「いえ、存じ上げません」
「朱色の雫。彼女のセンナを形容してるんでしょうね。闇界隈のやつらが、なんで朱己のセンナの色を知っているのかは……わからないけど」
普通のセンナは、能力の顕出の有無に関わらず、無色であることが多い。
突然変異や、何かおかしなことでもしない限りは、色などつかない。
ーー白蓮は、戦争になって各国が朱己に注目することを察して、寄生型のセンナで、表面をコーティングした。つまり、パッと見、無色化したつもりなんでしょうけど……あたしの目は誤魔化せないわ。
あのセンナがあれば、宇宙界の均衡などいとも容易く崩せるだろう。
「……ヴィーの蕾殿が警戒するのも、わかるわねぇ」
でも。
渡さない。
彼女は、あたしがもらうの。
あたしは性的欲求は女には感じない。
どちらかといえば、性的欲求を満たしたい相手は葉季だ。簡単に堕ちそうにない目はあたし好みだ。
「葉季も手に入れたいところだけど……朱己を手に入れれば、勝手についてくるでしょ」
葉季と朱己。
あの二人の関係性は興味深い。
相乗効果になる相性、センナ同士が強い共鳴を示している。だが、それは互いに、互いを失えば力は半減するということだ。
今は純粋に、朱己の力を使い倒してみたい。
好奇心と、畏怖と、興奮。
「最後に笑うのはあたしよ」
「はい、ヴィオラ様」
美しく弧を描くあたしの唇が、グラスに映った。
そう、奪われたり脅かされるわけにはいかないのだ。
彼女は、あたしが先に見つけたのだから。
彼女を使い倒すためなら、どんな敵国からも守ってみせるわ。
あたしの、大切な、玩具。
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