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第一章 ナルス
追憶の枝(上)
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「朱己、早く起きなさい!」
半ば怒鳴り声で現実に意識を呼び戻される。
薄明かりの中、自分を叩き起こしてきたのは自分の側近だった。
「あ……枝乃。おはよ」
にへら顔をすれば、彼女は鬼の形相でこちらを睨んでくる。
半ば同時に扉が開く音がして、扉の方を見れば、部屋に入ってきたのはもう一人の側近。
「お、朱己起きたか。おはよう」
「こうちゃん、おはよ」
書類を抱えたままのもう一人の側近に笑顔で返せば、やはり彼女は鬼の形相のまま、今度は彼に怒鳴った。
「ちょっと光蘭! あんたいつも甘やかしすぎなのよ!」
「朱己も疲れてるんだよ。知っての通り、未明まで壮透様と稽古して、早朝から執務が始まる。そりゃ休憩中にうたた寝することだってあるだろう」
「休憩終わっても寝てるから怒ってるんでしょうが!」
「まあ落ち着け、枝乃。朱己、机に突っ伏して寝るのは良くないぞ、体にも書類にもな」
笑顔で私に手を差し出す彼を見て、目の前の鬼の形相の彼女は、しばらく睨んだ後、諦めたようにため息を吐いた。
私の稽古から執務から、何から何まで彼らが手伝い、面倒を見てくれている。彼らは私の自慢の側近だ。私が幼い頃から、ずっと一緒にいる、大切な人たちだ。
枝乃。彼女は、私の母の側近である薬乃の一人娘だ。そして光蘭。彼は、私の父の側近である光尽殿の息子。そして、最近私の婚約者になった。
昔から枝乃は私に対して遠慮がない。
私はそれが嬉しかった。
私を私として見てくれている故だと、そうわかっていたから。
日常的に、宇宙界諸国からの来客や五家の者たちからも、「朱己」としてではなく、「長の娘」であり「次代長」としてしか見られない。彼らの特異なものを見る好奇な目は、いつまで経っても慣れない。
「朱己様、ご機嫌麗しゅうございます。今度ぜひ我が家で晩餐でも……」
「生憎主は忙しいので。失礼」
「朱己様! 我が国では珍しい宝石が採れます、今度献上させていただきますので」
「結構だ。主は所望していない」
私が応える前に、全て枝乃が断る。私が思っていることを全て把握しているかのように、断る文言を選んでくれている。本来なら私が断るべきなのだろうが、こちらのことを理解して動いてくれる、枝乃の行動を嬉しく思っていた。
「枝乃、ありがとう」
思わずはにかめば、枝乃は相変わらずの仏頂面で、横目でこちらを一瞥してまた歩き始めた。
ーーー
朱己は、私の主だ。
私に無いものを持っている恵まれた存在。
そんな朱己を、恨めしく思うことなんてしょっちゅうある。それはもう、毎日のように。
私の初恋だった彼が、朱己の婚約者になったときも。
私のほうが優勢な水属性の扱いも。
私のほうが長けていた剣術も。
私が習得するのにかけた時間の半分以下で、彼女は習得していった。
しかも、私より遥かに高度な水準で。
彼女に辛く当たるのは、悔しさと羨ましさでまみれた情けない自分を隠すため。
八つ当たりとでも言うのだろう。
私が辛く当たったところで、朱己には慰めてくれる彼がいる。私がいなくなったところで、朱己には側近がいる。
私は、替えがきく存在。
だから、気づかなかった。
朱己が外交や定常業務を必死に勉強していたことも。朱己が人知れず努力し続けた末に、力の制御ができるようになったと言うことも。
私は、朱己は何もしなくても、何でもできるのだと、何でも手に入れられるのだと、信じて疑わなかった。
そんなある日。
私は、一日暇をもらい、ナルス中央の繁華街へ出かけていた。
基本的に打診すればいつでも暇をくれる朱己。その対応さえも、私は必要ないのだと勝手に苛ついていた。まさか光蘭にもそうだなんて知らなかったから。常に一緒にいると信じて疑わなかった。
繁華街の裏路地は、密売などの犯罪行為が盛んに行われる場所だ。何度か、朱己と乗り込んで捕まえたことがある。
しかし捕まえたくらいではなくならない。どこからでも、何故か湧いて出てくるものなのだ。ありとあらゆる方法を駆使して。
買い物ついでに裏路地を覗いて帰るか、と思ったのが間違いだった。裏路地に入った瞬間、少し離れたところに居た密売人たちと目があった。裏路地に来るとは、すなわち二択に絞られる。
買う者か、狩る者だ。
買う者の場合、基本的に紹介者がいる。極稀に飛び入りもいるが、そんな身の程知らずには売らない。ギリギリを攻めつつ、けして捕まらないように攻めるのが彼らの常套手段だ。
つまり、ここにいる私は。
どう考えても、狩る側の者として認識されただろう。
我ながら引きが強いというか、こんなに早く現場が見つかるとは。
案の定、目の前の彼らは臨戦態勢に入っている。
簡単な装備しかしてこなかったのに、ここへ来てしまった自分を、心の中でこれでもかというほど叱った。
「おい、ねーちゃん。ここは、あんたみたいないい身なりのやつが来るところじゃねえよ」
「そうみたいね。失礼」
「おい、あんた見たんだろ」
「なんのことかしら。暗くてよく見えなかったわ」
いや、言い逃れできるわけない。
ここに、裏路地に入ってきた時点で。
心もとない装備をすぐに使えるよう構えれば、彼らは一斉にかかってきた。
生憎、朱己たちのように各属性の能力を具現化して剣にするような芸当は苦手だ。
そのため、いつも鋼の剣を持ち歩き、剣に属性の力をまとわせて戦う。鋼の剣はすぐに壊れるし、具現化された剣に比べて強度は落ちる。しかし、能力の具現化は安定させ続ける必要があるため、その点については、鋼の剣はその苦労なく安定して使えると言えよう。
「生憎今日は、短剣しかないってのに……!」
両手に一本ずつ持つ短剣を握る。
いつも使っている剣は光属性が練り込まれた武器のため、使うだけで力が増幅される代物だが、今日の短剣にはそんな力はない。
降りかかる相手を睨んで、地面を蹴った。
見るからに相手は手練の三人。
「なら……丸め込まれる前に、断つ!」
短剣と相手の拳がぶつかる。
相手の拳を落とせるはずが、私の短剣が欠けた。
「拳の強化……まさか土木系か?」
土木系の石化能力は、練り上げ方によっては鋼鉄よりも硬くなる。石英の構造を模擬して作り上げるとより強化される、という話を聞いたことがある。
仮に土木系ということであれば、水属性の私は分が悪い。
武器も大してない、力も相性が悪い可能性が大となれば、あとはどう切り抜けるか。
なんとか剣戟で道を切り開くか。
少したじろぎながら、相手を睨んでいたときだった。
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