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第一章 ナルス

守るためにできること

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ーーー

 夏能殿の作った空間で、朱己の暴走を見たわしらのもとに、聞いたことのない声の者が音もなく入ってきた。

「あなたは……」

 わしがそう尋ねるのと同時に、父が彼の名を呼んだ。

「香卦良! なぜここに? 体は大丈夫なのかい」

 香卦良。紙束に残っていた、あの。
 思わず目を瞠れば、夏能殿や夏采殿も同じように驚きを隠せないまま父を見ていた。

「大丈夫だ、白蓮。先程壮透と百夜が来た。生憎、そんな簡単に敵に捕まるほど落ちぶれてはいないから、心配はいらない。葉季、お前のセンナを見せなさい」

 なるほど、叔父上と百兄は時雨伯父上のところへ行く前に香卦良のところへ寄ったのか。
 唖然としているわしの目の前まで来ると、香卦良は薄浅葱色の瞳をこちらに向けてきた。

「確かに、これはボロボロだ。時雨にやられたのかい」
「は、はい」
「そうか。ふむ……」

 少しだけ緊張しながら答えれば、香卦良はわしの胸に手を当ててきた。その手は音も感覚もなく、胸の中に入ってきた。
 わしに埋め込まれた香卦良の手から、謎の光が放たれる。周りの父たちは呆然としながらその光景をただ見ていた。徐々に体中の痛みが無くなっていき、どこからともなく力が漲ってくるような気持ちになる。

「これで、大丈夫だ」

 笑顔でこちらを見てくる香卦良と、驚きを隠せないでいる父たちの表情の違いが面白く思えて、少しだけ笑ってしまった。香卦良は立ち上がると、父の方を見た。

「急いだほうがいい。朱己は恐らく、自らの闇の力で体の均衡を保っているが、あの子の性格だ、闇の力をセンナに撃ち込みかねない。それはつまるところ、魂解きになってしまう」

 父が目を見開く。父だけじゃない、香卦良以外の全員が目を見開いている。

「葉季。私と同じく、お前は風だね。朱己を止められるのはお前しかいない。炎と風は一蓮托生だ。かつて姉らを止められなかった、私のような後悔はしないでおくれ」
「香卦良……様、わしは」
「香卦良でいい。さあ、早く」

 少しだけ寂しそうな顔をする香卦良が、急かすように手を振ったその時だった。
 また閃光とともにけたたましい音が空間を揺らす。

「まさか!」

 香卦良が外を見れば、巨大な火柱とそれを取り囲む闇の力が、折り重なるようにして天まで昇っている。

「あれは……朱己だ」

 青ざめる香卦良は、夏能殿を見て叫んだ。

「この空間をあそこへ繋げ! 間に合わなくなる!」

 夏能殿は少し狼狽え、すぐに空間の出口を朱己たちが居るであろう場所に繋げた。

「香卦良! 君は無理をしてはならない。体に響く」

 父の言葉に、香卦良は笑った。

「白蓮、ありがとう。大丈夫だ、私は死なない。死ねるものなら一度くらい死んでみたいがね。……さあ、行こう」

 空間から出れば、時雨伯父上と壮透叔父上が目にも留まらぬ速さで戦っていた。遠くに居るはずなのに、衝撃波が皮膚に振動となって伝わってくる。
 そして、その炎と闇の柱のすぐ近くで、百兄と朱公が顔を青くしていた。

ーーー

 自分のセンナに、闇の塊となっている右手を撃ち込んだ瞬間。
 
 激しく慟哭したセンナは、爆発するように私の体を破壊した。
 それでも最後に形を取り留めた気がしたのは、薬乃の玉のおかげかもしれない。一緒に消し飛んでしまったが。
 痛みや痺れ、そういった感覚はぼやけているのか、あまり感じない。いま自分がしたことは、恐らく魂解きに近いのかもしれない、と朧気な意識の中で理解する見つめて
 自分のセンナを喰らう、自分の力。
 でも、仮にこれで私の暴走が止められるなら伯父上の思惑は、一つ崩れる。勝手だとはわかっているが報われる気がした。
 一つだけ、心残りがあるとしたら。
 葉季に、謝らないと。
 謝れないかもしれない。私に残された道は、このまま、センナが壊れていくのを待つだけだ。
 遠くに、幻影なのか葉季が見えた気がした。
 死ぬ前に見える走馬灯か何かなのだろうか。

「き……朱己、朱己!」

 少しずつ聞こえてきた声は、確かに葉季だった。
 私は、死ぬ前に自分の望んだ走馬灯を見れるのか。段々とはっきりして聞こえる声は、走馬灯などではなく現実だと言わんばかりに、私の意識を呼び戻してきた。
 同時に体中が激しく痛み、自分の体が朽ち始めているのがわかった。痛みのあまり体中を抑えたくなる。
 
「朱己聞こえるか! 左手で玉結びを! 玉結びをセンナに撃ち込みなさい! 早く!」

 葉季の隣で白蓮伯父上が叫ぶ。
 自分の体が朽ちかけている中、もはや玉結びをも自分に撃ち込んで、果たして無事でいられるのだろうか。だが現に、センナがかなり消耗しているはずなのにもかかわらず、まだ右手は闇の塊をまとったままだ。
 それならば、このまま暴れ狂うよりも試すしかない。
 半ば朦朧とする意識の中、左手で玉結びのための光属性を練り上げれば、右手の闇と反発を始めた。
 抑制のきかない力同士のぶつかり合いは凄まじく、体が真ん中から真っ二つになるような痛みを伴う。

「ぐうぅっあっうぅっ……」

 この左手を、センナに。
 思い通りに動かない左腕に、無理やり体を近づけていく。
 右手の闇の塊を、思い切り振り切って投げ飛ばせば、自分のことを覆っている大きな柱にぶつかってけたたましい音とともに爆ぜた。
 塊が小さくなった右手で、反発する左手を無理やり掴む。もう体の形などほとんど残っていない体に、無理やり左手の光を撃ち込んだ。
 センナが弾けるような衝撃に、体が跳ねた。
 見たこともない色の光と衝撃波が、炎と闇の柱を閃光とともに包み込み、やがて柱は消滅した。空中から、なんの支えもなくなり自然落下する自分の体を、葉季がすぐに抱きかかえてくれたのが見える。

「朱己!」

 泣きそうな顔をしている葉季に腕を伸ばしたいが、腕がない。
 声を出したいが、声も出ない。
 体が痛みすぎて、そもそも体がどれほどの形を保っているのかわからない。

「香卦良!」

 葉季が香卦良と叫んでいる。
 目の前に現れたのは本物の香卦良で、少しだけ目を瞠った。

「か……」
「無理に喋るな。朱己。無理をしすぎだ」

 センナに触れられているのがわかった。
 このまま、死ぬのだろうか。
 看取られて死ぬのなら、悪くはない。
 時雨伯父上に襲われたはずの葉季は無事だった。
 時雨伯父上に狙われていたはずの香卦良も無事だった。

 ふと、袖に入れていたものを思い出して、葉季に渡そうと動けば、腕がないのを思い出した。

「朱己、今は動くでない」

 葉季に言われて、少し笑ってしまった。
 顔があるのかは、わからないが。

「朱己……お前にセンナを埋め込む他に、お前のセンナを助ける方法がない」

 香卦良の顔が歪んでいるような気がした。
 正直よく見えていないため、なんとなくそう思っただけだが。

「センナを埋め込むなど……できるのですか?」

 葉季が問う。
 香卦良は、袖からセンナの欠片を取り出すと、これを埋め込むときに玉結びをすれば、今のセンナに紐づくと言っていた。

「この状態で、生きているのはあり得ないことだ。センナがよくここまで砕けずに保った。朱己のセンナでなければ、無理だった」

 香卦良が白蓮、と呼べば、伯父上がすぐ横に来た。

「朱己のセンナにこれを」

 そう言って、香卦良が伯父上にセンナの欠片のようなものを渡した。

「いいのかい、これは……成功するかは、賭けだよ」
「いいんだ、壮透を信じろ。さあ、時間がない。朱己がすぐ回復するかはわからない、時雨と壮透の戦いが終わる前に」
「……そうかい」

 少し躊躇うように眉間にしわをよせた伯父上は、深呼吸してからその欠片ごと、私のセンナに玉結びを施した。
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