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第一章 ナルス

遠くに見える現実

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ーーー

 誰かが呼ぶ声がする。

「……無事か?」

 声が、聞こえる。
 辺りを朧気な眼で見渡せば、夏采殿や夏能殿がいた。

「……ここは」

 わしは、確か。
 夏能殿からもらった呪符を届けるために瞬移で書斎に行ったはずが、時雨伯父上の謎の空間に引きずり込まれた。
 戦っていたはずが、時雨伯父上の戦力が桁外れだと感じて。記憶がない。そこから。

「葉季、わかるかい」

 父の声がする。
 声がした方を見れば、父は大怪我を負いながらわしのことを支えていた。

「ち、父上……!」

 意識が鮮明になる。
 どうしたというのだ、父のこの惨状は。

「無事かい、良かった。……時雨兄上が来てね。私達のいた執務塔ごと、吹き飛ばして行ったんだ」

 若干呼吸が荒い父は、いつもどおりの笑顔だった。薬乃の玉があるはずなのに、傷が治っていない。
 焦りで父を見上げれば、父は笑って言った。

「大丈夫、薬乃の玉はもう壊れちゃったけど、まだセンナ自体は無事だから傷は治せる。ここは、夏能の闇属性の空間。ほら、市松の襲撃のときに見たあの空間だよ」

 なるほど。だからなにもないのか。
 どこが果てかもわからない空間。

「夏能、ありがとう。夏能がいなかったら、空間を作って防御なんて思いつかなかったよ。さすが後付のセンナだね」
「おい白蓮、お前それ褒めてんのか?」
「褒めてるさ。夏采も、間に合って良かった。兄上を見つけて帰って来てくれたのに、着いた瞬間爆破されるなんて、ついてないよね」

 父は自分の側近を見ながら笑っている。
 夏采殿は、どうやら父の命令で時雨伯父上の居場所を国内くまなく探していたらしい。それだけ探しても見つからなかった時雨伯父上の隠れ方がうまいというよりは、わしが引きずり込まれたあの空間で移動していたと考えるほうが自然だ。誰とも会わずにすむ。
 ふと、戦う前のそもそもの目的であった、朱己の呪符を思い出して我に返る。

「朱己に呪符を渡していない! 父上、呪符は」
「兄上が破壊して行ったよ」
「し、朱己は……無事、なのですか?」

 嫌な予感というには、あまりにも残酷な景色しか思い浮かばない。そう、何よりも自分が一番知っているのだ、彼女の暴走を止めるために特攻したのは自分だ。

「まだ朱己は暴走していない。だけど時間の問題だ」
「なら早く……ぐっ」

 体に傷がないはずなのに、体中が痛む。
 
「君は、行かせられない。センナが兄上との戦闘でボロボロだ。壮透と百夜に向かってもらっているよ」
「でも、暴走を止められるわけでは……」

 膝の上で手を握りしめる。
 炎は十二の属性でも、光や闇と並ぶ稀有な属性。相性のいい属性が少ない。壮透叔父上の氷雪属性や百兄の土木属性は炎との相性は悪い。
 父は眼の前で無慈悲な顔をして口を開いた。

「暴走したら、朱己は死ぬよ。壮透もそれはわかっている」
「どういう……ことですか?」
「朱己のセンナは前回の暴走でヒビが入ったね。センナの傷はそう簡単には治らない。まだヒビが入ったままだよ、表層のヒビは繕ったかもしれないけどね。仮に治ったとしたら、それは奇跡としか言いようがない。有り得ないことだ」
「なん……それではこのまま暴走など、しようものなら!」
「間違いなく砕ける」

 父が断言するということは、間違いない。
 目の前が真っ暗になるというのは今のようなことを言うのだろう。頭に手を置いて、深い溜息をついた。自責の念に駆られるのは、自らが時雨伯父上に負けたせいか、それとも。
 後ろから肩を叩かれ振り返ると、夏能殿が苦笑していた。

「葉季、まだ朱己は死んだわけじゃねえ。壮透と百夜は、暴走させないために向かったんだ」
「薬乃であっても、センナを回復させることはできない。安静にして、少しでも早く回復させる他にない、ヒビの修復はもっと時間がかかるからね」

 今、わしにできることはないのか。
 そう思った瞬間だった。
 夏能殿の闇属性の空間を揺らす、激しい轟音と衝撃。
 
「な、なんだ!?」

 夏采殿が夏能殿に外を見せろと言う。
 夏能殿はあれこれと空間を弄って、やっと一部だけ外が見えるようになった。

「あれは……なんだ?」

 そこに見えたのは、十二本の色彩豊かな天まで続く柱と、中心にいる怪物のような様相の何か。
 その目の前に、朱己がいた。

「あれは兄上か……!」

 父が小さく叫ぶ。
 朱己が狙いだと言った伯父上。
 そして伯父上の目の前にいる朱己。
 朱己が怪物のような伯父上に弾き飛ばされ、見えなくなる。

「朱己……!」

 ここで見ているだけで終わるのか。
 守ると言ったのではなかったか。
 今のわしは、酷く無力だ。
 再度、空間が激しく揺れる。捕まるところもなくただ揺れに耐える。
 そして、閃光とともに激しい衝撃波が発生し、紅く染まる炎が見えた。

「朱己、まさか……」

 次の言葉が、出せなかった。酷く絶望的だ。
 認められない。認めたくない。
 暴走だとしたら。
 それは彼女の死を意味するのだから。

「壮透……間に合え、頼む……!」

 夏能殿の祈るような声が聞こえる。
 何故、何もできないのだ、わしは。
 見える朱己と思しき炎は、あのときのように周りを焼き尽くすかと思いきや、本人が燃えているだけだ。
 何かに抗うように、揺らぐ炎が見える。

「まさか、朱己は暴走に抗っているのか?」

 父が信じられないと言わんばかりに、遙か先の炎を見つめる。

「朱己!」

 こんな情けない神頼みが許されるなら。
 どうか助けてくれ、朱己を。
 祈ることしかできない自分を、酷く罵りたかった。
 目を瞑った瞬間、誰かから呼ばれた。

「お前が、葉季か」

 目を見開けば、隣の父は驚いた顔をしてその人を見た。他の二人も、突然空間の中に現れたその者に、目を見開いていた。

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