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第一章 ナルス
必要を切り捨てる建前(上)
しおりを挟む葉季への想いに気づかないふりをしたまま、気がつけば一日が過ぎようとしていた頃。白蓮伯父上からの忠告もあって、私の内心は凪を知らない海のようだった。
だが、薬乃のところで治療を続けた側近、久岳が目を覚ましたと連絡があり、心が晴れ渡るように嬉しく、足取り軽く駆けつけた。
「朱己様、ありがとうございました」
薬乃の治療の甲斐もあって、意識が戻らなかったのが嘘のように顔は血色が良く安心感がある。
「目が覚めて良かった。……記憶はあるか?」
「それが、夏能様から力を集めるように言われた直後、何やら体が浮いたように軽くなってからは何もわからずで……気がついたらここでした」
「なるほど。……ありがとう、ゆっくり休んでしっかり治してくれ。無事で、本当によかった」
二人が頭を下げたのを笑顔で返してから、執務室に戻る。
ーー白蓮伯父上に会ったのが今日の昼過ぎ。もう太陽は傾いているし、残った仕事を片付けたら夜だな。
少し秘密基地に籠もりすぎた、と自分に対して悪態をつきながら早足で戻る。
「おい朱己! お前もう大丈夫なのかよ」
自分の執務室の前で高能に会う。
「ええ、夏能殿は大丈夫? 昨日、治療も受けずに戻られたから」
「父上は問題ねえよ。融和できなかったのが悔しかったのか、今日は休みもらってずっと稽古場だってよ」
「元気ね……」
思わず苦笑してしまう。
根本的なところは高能と親子だと感じざるを得ない。だが、六芒の市松という時雨伯父上傘下の敵。夏能殿が融和ができないほど、闇に特化した能力ということなのか。光でこじ開けたのは光琳だが、あれができるのは、光琳くらいしかいない。
そう、光琳。
そこまで思考が進んで、思わず叫ぶ。
「光琳は?!」
突然叫んだ私に驚きつつ、高能は眉をひそめた。
「あの後、妲音に怒られながら部屋に戻ったって聞いたぜ。まあ過保護な嫁だからな」
彼の言葉に一先ず安堵する。
光琳と妲音は夫婦だ。こうちゃんの悲願だった、彼の病気の完治のためにも必ず糸口を見つけないと。妲音の悲しむ顔は見たくない。
胸を撫で下ろすのもつかの間、何もなかったかのように高能が口を開く。
「それより、葉季が探してたぜ」
「っ! げほっごほっ」
「うわっきたねーな! 何むせてんだよ」
むせ込む私に純粋に嫌悪を示す高能を横目に、今一番聞きたくない名前が聞き間違いであることを願ってもう一度聞いた。
「だ、誰が探してたって?」
「あ? 葉季だよ。よ う き」
思わずため息が出てしまう。会いたくない。合わせる顔がない。頭に手をあてながら、どう回避するかばかり巡っていく。
「……わかった」
「お前ら、なんかあったのか? 痴話喧嘩か?」
「痴話じゃない!!」
「あ? ああ。そ、そうか」
珍しく叫んでしまった、と思ったのは私だけではなかったようで、目の前の高能も呆気にとられた顔をしていた。
「……ごめん。仕事片付けたいから、もし葉季に会っても、夜までは空かないと言ってほしい。なんなら明日とかにしてほしい」
こういうとき、普段なら仕事を理由にしないのに。仕事を言い訳にでもしないと、何も断る理由がないのが歯がゆい。
彼は訝しむように眉を潜めた。
「お前にしては珍しいじゃねえか、仕事を理由にするなんてよ」
何故いつもは鈍感なのに、こういうときには気づくのか。彼の特殊能力に感動さえ覚える。
小さくため息を付き、部屋に入ろうとすると、高能が止める。
「よくわからねーけどよ、たまには素直になってもいいんじゃねえの。妲音みたいに」
思わず高能を見上げた。
高能は不思議そうにこちらを見ている。
妲音みたいに。そうだ、いつも私は妲音が羨ましかった。素直に何でも言える芯の強さと、屈託のない笑顔と自信。感情を素直に表に出せる生まれつきの能力。
私は、それができない。
常に「長として」という言葉が呪いのようにくっついて離れない。感情に従っていたら、いつか壊れてしまうから。いずれなる長として、鎧をまとい続けなければ、崩れてしまうから。
唯一、何も気にせずに感情をさらけ出せた相手はもうこの世にいない。
その立ち位置に来て欲しい人は、今手放そうとしている。いや、私が都合よく解釈しているだけだ。葉季は誰にだって優しい。誰にだって温かく、誰にだって道を示す。
彼が私を特別だと言ったのだって、彼が。
ーーわしとして傍に居たい。
彼の本音に気づいてしまったから、彼が気になっているのか。
それとも。もうすでに、私は。
でも婚約者が亡くなってまだ一年と数ヶ月。
もう、一年と数ヶ月。
どちらなのだろう。
私は、どうしたいのだろう。
否、答えは決まっている。白蓮伯父上とも約束をした。
彼が、全属性でありながら色名でなかった理由。
私が色名である理由。わかっている。
「……生きる世界が、違う」
「は? おい、どうした」
「なんでもない」
「おい、お前なんか変だぞ。なんかあったのか」
隣から少し苛立ちを交えた声がしても、今の私には心を揺さぶるには足りないのだ。
もうわかっている。本当は。
「なんで、私なんだろうな」
「は?」
駄目だ、このままでは。泣いてしまう。
「おい、朱己」
「高能、……ありがとう。葉季によろしく」
咄嗟に顔を伏せて勢いよく扉を開け、執務室に隠れた。
もう何も、気づきたくないのだ。
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