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第一章 ナルス

葉季の答えと白蓮の思惑(上)

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 六芒の市松の襲来のあと、朱己は治療もそこそこに姿を消した。何となく直感的に探しに行くと、思ったとおり例の秘密基地にいた。
 辺りはまだ真っ暗で、朝方と言うには早い時間帯だ。

 ーーまたこやつは……。すぐ抜け出すのは相変わらずだのう。
 昔から、治療を受けてはすぐに抜け出すのはもはや癖なのだろう。

「朱己! もう大丈夫なのか?」

 わざと音を立てるようにして歩いて近寄るが、足を抱えて顔を伏せたまま反応がない。
 ーーまさかこの格好で、寝ておるのか?

 訝しげに横から朱己を覗くが、顔は見えない。
 しゃがんだままなのも変かと思い、隣に腰掛けて無言で目の前の草原を眺める。
 自身の千草色の髪の毛が風に揺らされる。心地いい風が、秘密基地を包んでいるようだった。
 ーー確かに、眠くなってきたかもしれん。
 目を瞑ると同時に、隣から声がした。

「……止めてくれて、ありがとう」

 相変わらず顔は伏せたまま、朱色の髪の毛だけ風になびいている。表情はわからんが、なんとなく声が震えている気がした。

「なんも。お主も久岳も無事で何よりだ」
「……あの時、時雨伯父上を見て、殺してしまいたいと思った。冷静に判断できなかった。前の襲来のときに私が狙いだってことがわかっていたのに、相撃ちでも良いから殺してしまいたかった」

 顔を伏せたまま、腕を強く握りながらゆっくり言葉を吐き出す朱己は、いつもより小さく見えた。
 彼女の背中に重くのしかかる責任と個人的な思念が、酷く彼女を苦しめていることだけは火を見るより明らかだった。
 隣の彼女は見ずに前だけを見る。なんとなく山の向こうが白んできた気がした。隣りにいる彼女の輪郭が、少しだけはっきりしてきた気がする。
 一度息を吐き、目を瞑ってゆっくりと吸い込んだ。

「のう、朱己。わしは、お主が居なくなるのはしんどい。悪いが相撃ちなんて御免だのう」

 変わらず顔を伏せたままの朱己に言う。
 彼女は今も、独りで戦っているのだろう。孤独や、責任と。わしにできることは何だ。わしにしか、できないことは何だ。
 安い同情や激励など、今の彼女には必要ないのだ。それは一番、わしがわかっている。
 少しずつ影もはっきりと生まれてきて、朝の訪れを告げる鳥が鳴く。夜通しここに独りで居たのかと思うと、名も無い憤りさえ感じる。
 なんと声をかけたら、朱己は顔を上げてくれるのだろうか。

「……わしも優しい人ではないから、久岳とお主が血まみれであの空間から出てきた時、お主の傷が久岳ほどでなくて良かったと思ったよ。そうでなければ、冷静にお主を連れ出せなかったろうと思う」
「……葉季でもそんなことあるのね。いつも冷静に俯瞰して見ていると思ってた」
「そんなことはないよ。わしとて人だ」

 顔を伏せたまま、朱己が目を擦る。なんなら鼻もすすっている。
 朱己を泣かせずに済むにはどうしたらいい。いつも泣かせてばかりだ。いつだって一人で。
 気がつけば、心の声が口から勝手に出ていた。

「誰かを失うのは怖い。だが、お主を失うのはなんというか、怖いししんどい。わしにとってお主は特別なのだ」
「……それは、私が貴方の従兄妹で、いづれ長になるからでしょう? 貴方は十二祭冠だものね」
「違う!」

 少し語気が強くなったわしの言葉に驚いたのか、朱己が少し顔を上げたのが目の端に映る。
 朱己の瞳は濡れていた。

「頼むから……一人で、泣くな」
「え?」

 彼女をしっかりと見つめた瞬間、すでに体は動いていた。

「わしの前ではいくらでも泣いて構わぬから、勝手にどこかへいなくならんでくれ。お主を一人で泣かせたくない」
「……っ」

 この胸を駆り立てる入り乱れた感情に名前があるのなら。独占欲でもあり、愛おしさでもあり、焦燥感でもあって、苦しく、孤独だ。
 頼む、誰か教えてくれ。
 いや、本当はもうすでに、わかっている。
 何故か必死に朱己の肩を抱き寄せていた。髪から香る朱己の匂いも、周りの草木の青い匂いも、この国も。全て失いたくない。朱己の髪に顔を埋めて、ただ目を瞑った。
 なんと言えば、朱己に伝わる。
 なんと言えば、失わずに済む。

「わしはお主を失いたくない。従兄妹でも十二祭冠でもなく、わしとしてお主の傍に居たいと願う」
「よう、き……」

 名を呼ばれ、腕の中で硬直する朱己を見て我に返り、ぎこちなく引き剥がした。

「すまぬ、苦しかったな! ……先に戻る。ゆっくり休め」

 そう言い残し、足早に秘密基地を後にした。
 帰りながら無性に冷静になる。あれでは完全に朱己は気づいた上に、言い逃げではないか。いや、そもそも朱己に言う前に、片付けねばならんことがあるはずなのに、想いが先行してしまった。
 自分の行動の浅はかさに辟易する。考えれば考えるほどため息が次から次へと出てくる。
 まずは婚約の話を、断らねば。それからでなければ、朱己に何かを伝えるなど言語道断。朱己から断られたらその時また考えれば良いだけのこと。

「もうこれ以上、自分自身にも嘘は付きなくないのだ……父上」

 まるで青二才だ。
 風が心地よく吹いていたはずなのに、今は熱くて仕方がない。もっと吹いてくれとさえ願うほどに。

 空を見上げ息を吐き出すと、足早に父の部屋へと急いだ。
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