23 / 239
第一章 ナルス
葉季の答えと白蓮の思惑(上)
しおりを挟む六芒の市松の襲来のあと、朱己は治療もそこそこに姿を消した。何となく直感的に探しに行くと、思ったとおり例の秘密基地にいた。
辺りはまだ真っ暗で、朝方と言うには早い時間帯だ。
ーーまたこやつは……。すぐ抜け出すのは相変わらずだのう。
昔から、治療を受けてはすぐに抜け出すのはもはや癖なのだろう。
「朱己! もう大丈夫なのか?」
わざと音を立てるようにして歩いて近寄るが、足を抱えて顔を伏せたまま反応がない。
ーーまさかこの格好で、寝ておるのか?
訝しげに横から朱己を覗くが、顔は見えない。
しゃがんだままなのも変かと思い、隣に腰掛けて無言で目の前の草原を眺める。
自身の千草色の髪の毛が風に揺らされる。心地いい風が、秘密基地を包んでいるようだった。
ーー確かに、眠くなってきたかもしれん。
目を瞑ると同時に、隣から声がした。
「……止めてくれて、ありがとう」
相変わらず顔は伏せたまま、朱色の髪の毛だけ風になびいている。表情はわからんが、なんとなく声が震えている気がした。
「なんも。お主も久岳も無事で何よりだ」
「……あの時、時雨伯父上を見て、殺してしまいたいと思った。冷静に判断できなかった。前の襲来のときに私が狙いだってことがわかっていたのに、相撃ちでも良いから殺してしまいたかった」
顔を伏せたまま、腕を強く握りながらゆっくり言葉を吐き出す朱己は、いつもより小さく見えた。
彼女の背中に重くのしかかる責任と個人的な思念が、酷く彼女を苦しめていることだけは火を見るより明らかだった。
隣の彼女は見ずに前だけを見る。なんとなく山の向こうが白んできた気がした。隣りにいる彼女の輪郭が、少しだけはっきりしてきた気がする。
一度息を吐き、目を瞑ってゆっくりと吸い込んだ。
「のう、朱己。わしは、お主が居なくなるのはしんどい。悪いが相撃ちなんて御免だのう」
変わらず顔を伏せたままの朱己に言う。
彼女は今も、独りで戦っているのだろう。孤独や、責任と。わしにできることは何だ。わしにしか、できないことは何だ。
安い同情や激励など、今の彼女には必要ないのだ。それは一番、わしがわかっている。
少しずつ影もはっきりと生まれてきて、朝の訪れを告げる鳥が鳴く。夜通しここに独りで居たのかと思うと、名も無い憤りさえ感じる。
なんと声をかけたら、朱己は顔を上げてくれるのだろうか。
「……わしも優しい人ではないから、久岳とお主が血まみれであの空間から出てきた時、お主の傷が久岳ほどでなくて良かったと思ったよ。そうでなければ、冷静にお主を連れ出せなかったろうと思う」
「……葉季でもそんなことあるのね。いつも冷静に俯瞰して見ていると思ってた」
「そんなことはないよ。わしとて人だ」
顔を伏せたまま、朱己が目を擦る。なんなら鼻もすすっている。
朱己を泣かせずに済むにはどうしたらいい。いつも泣かせてばかりだ。いつだって一人で。
気がつけば、心の声が口から勝手に出ていた。
「誰かを失うのは怖い。だが、お主を失うのはなんというか、怖いししんどい。わしにとってお主は特別なのだ」
「……それは、私が貴方の従兄妹で、いづれ長になるからでしょう? 貴方は十二祭冠だものね」
「違う!」
少し語気が強くなったわしの言葉に驚いたのか、朱己が少し顔を上げたのが目の端に映る。
朱己の瞳は濡れていた。
「頼むから……一人で、泣くな」
「え?」
彼女をしっかりと見つめた瞬間、すでに体は動いていた。
「わしの前ではいくらでも泣いて構わぬから、勝手にどこかへいなくならんでくれ。お主を一人で泣かせたくない」
「……っ」
この胸を駆り立てる入り乱れた感情に名前があるのなら。独占欲でもあり、愛おしさでもあり、焦燥感でもあって、苦しく、孤独だ。
頼む、誰か教えてくれ。
いや、本当はもうすでに、わかっている。
何故か必死に朱己の肩を抱き寄せていた。髪から香る朱己の匂いも、周りの草木の青い匂いも、この国も。全て失いたくない。朱己の髪に顔を埋めて、ただ目を瞑った。
なんと言えば、朱己に伝わる。
なんと言えば、失わずに済む。
「わしはお主を失いたくない。従兄妹でも十二祭冠でもなく、わしとしてお主の傍に居たいと願う」
「よう、き……」
名を呼ばれ、腕の中で硬直する朱己を見て我に返り、ぎこちなく引き剥がした。
「すまぬ、苦しかったな! ……先に戻る。ゆっくり休め」
そう言い残し、足早に秘密基地を後にした。
帰りながら無性に冷静になる。あれでは完全に朱己は気づいた上に、言い逃げではないか。いや、そもそも朱己に言う前に、片付けねばならんことがあるはずなのに、想いが先行してしまった。
自分の行動の浅はかさに辟易する。考えれば考えるほどため息が次から次へと出てくる。
まずは婚約の話を、断らねば。それからでなければ、朱己に何かを伝えるなど言語道断。朱己から断られたらその時また考えれば良いだけのこと。
「もうこれ以上、自分自身にも嘘は付きなくないのだ……父上」
まるで青二才だ。
風が心地よく吹いていたはずなのに、今は熱くて仕方がない。もっと吹いてくれとさえ願うほどに。
空を見上げ息を吐き出すと、足早に父の部屋へと急いだ。
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説
愚かな父にサヨナラと《完結》
アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」
父の言葉は最後の一線を越えてしまった。
その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・
悲劇の本当の始まりはもっと昔から。
言えることはただひとつ
私の幸せに貴方はいりません
✈他社にも同時公開
私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?
新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。
※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!
旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます
結城芙由奈
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】
ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
私の運命は高嶺の花【完結】
小夜時雨
恋愛
運命とは滅多に会えない、だからこそ愛おしい。
私の運命の人は、王子様でした。しかも知ったのは、隣国の次期女王様と婚約した、という喜ばしい国としての瞬間。いくら愛と運命の女神様を国教とするアネモネス国でも、一般庶民の私が王子様と運命を紡ぐなどできるだろうか。私の胸は苦しみに悶える。ああ、これぞ初恋の痛みか。
さて、どうなるこうなる?
※悲恋あります。
三度目の正直で多分ハッピーエンドです。
ずっとあなたが欲しかった。
豆狸
恋愛
「私、アルトゥール殿下が好きだったの。初めて会ったときからお慕いしていたの。ずっとあの方の心が、愛が欲しかったの。妃教育を頑張ったのは、学園在学中に学ばなくても良いことまで学んだのは、そうすれば殿下に捨てられた後は口封じに殺されてしまうからなの。死にたかったのではないわ。そんな状況なら、優しい殿下は私を捨てられないと思ったからよ。私は卑怯な女なの」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる