上 下
19 / 239
第一章 ナルス

秘密基地

しおりを挟む
ーーー

 同刻。
 私は光蘭の墓前で花を添えていた。
 心地良い風が吹いて天気もよく、私の朱色の髪は風に乗って靡いた。自然と顔が綻ぶ陽気だ。
 
「こうちゃん、この前いつものように対戦したら、葉季に怒られたよ。頼れって。……いつの間にか頼り方も忘れてたみたい」

 墓前でしゃがみ、返事のない墓に話しかける。
 何かあるときにはここへ来る。だれとも会わない私の秘密基地だ。
 しばらく無言で景色を眺めていると、聞こえるはずのない声が聞こえて思わず肩が跳ねた。

「朱己ではないか。ここで何をしておるのだ?」

 まるで信じられないものを見るかのような目で振り返ると、葉季が怪訝そうな顔をして立っていた。

「……なんでここを知っているの?」

 彼からの質問に答えるでもなく、質問を返してからしまったと思ったが、思ったことが口から出てしまったものは仕方ない。しばらくの沈黙の後、私の問に目の前の彼が頭を掻きながら口を開く。

「ここは、昔父上から教えてもらっての。何か考え事があるときにはここにくるのたが、まさかお主が知っておったとは思わなんだ」

 思いもよらない答えに、しばらく動けずにいた。
 確かに、白蓮伯父上が知っていてもおかしくはない。ここは、長が一番出入りする執務塔の裏の細道を抜けた先にある、辺鄙な場所だからだ。かく言う私も、父から小さい頃に教えてもらったのだから。

「して、お主は……」

 沈黙している私にもう一度尋ねようとして、ふと私の後ろの小さい四角い石と数種類の花が見えたのか、少しだけ目を見開いた。

「……そうか、そうか」

 彼は小さく笑うと、立ち尽くしている私の横に行き、石の前でしゃがみこむ。

「わしも手を合わせていいか?」 

 立ち尽くす私の返事を待つことなく手を合わせる。その石がただの石であることは彼も承知の上で、静かに目を瞑った。

「ここは景色も良いところだから、光蘭も嬉しかろうの」

 立ち上がると、まだ固まっている私を見て、彼は突然吹き出し始めた。呆気に取られた私を見て、軽快に笑う。

「お、お主なんて顔をしておるのだ?」

 腹を抱えて笑い始める葉季を見て、やっと頭の整理が追いついてきたのか、私も少しだけ笑えた。

「葉季は、何か考え事をしていたの?」

 私の問いかけに、千草色の髪の毛が少し揺れた。少し息を吐き出すと、彼は私を見てから口を開く。

「婚約の話があっての。どうしようかと思って、少し一人になりたくてここに来たのだ」
「あ、……そうなのね。ごめんなさい、そしたら私はもう行くから……ごゆっくり」

 何故か、誰との婚約かなど聞くのは野暮な気がして、私は目をそらし深く追求することなく、この場を去ろうと背を向けた。
 葉季が突然私の腕を掴んできたことに驚き、振り返えると我に返ったように手を離す。

「あ、すまぬ。……何でもない」

 扇子で口元を隠しながら、ほっほっほといつものように笑った。なぜ今、彼は手を掴んできたのか、どれだけ考えても答えが見つからない。

「葉季、何かあった? なんだか変よ。婚約の話、乗り気ではないとか?」

 いつもの葉季では到底し得ない振る舞いを不思議に思い、彼に問いかける。

「何というか、……そんなようなものだ」
「……よくわからないけど、私は貴方が幸せになってくれるなら嬉しいし幸せ。辛い思いをしてきた貴方には、幸せになってほしいと思ってる」

 貴方には、というかみんなに幸せになってほしいけどね、と言って笑った。すると、葉季は何か思い詰めたように私を見つめてくる。

「わしは、お主にも幸せになってもらいたい。お主にこそ、幸せになってほしい」

 私は目を瞠った。その後、少しだけ微笑む。

「ありがとう。なんだか、今日の葉季は本当に変ね。早く休んだほうがいい。それとも、気晴らしに手合わせでもする?」

 私は少し意地悪く笑って、今回は一対一だから負けられないわね、と言った。
 葉季は少し考えてから、手を叩いて、口を開いた。

「もう夕方か……。今日はもう業務はないし……よしのった! 考えるのはやめだ! 柄でもないしのう。わしも負けんぞ」
「そうこなくっちゃ! 葉季らしくないわ」
「わしらしい、か」

 少し感慨深げに笑う彼が、やはりいつもの彼ではなくて。違和感をうまく言語化できず、彼の顔を覗き込むと、今度は彼が目を見開いた。

「葉季。……あまり無理をしないでね。貴方は背負いすぎるわ」
「うーむ、お主には言われたくないことだがのう」

 彼が少しだけ笑うのが、まだ無理をしているように見えて。気がつけば千草色の髪に手を伸ばし、思い切り撫で回していた。

「葉季のくせに! もう!」
「わわわ! なんだ、これ!」
「ちょっとは頼ってよね! 私と貴方の仲でしょう!」

 しばらく彼の髪を乱していると、彼が痺れを切らしたように私の腕を掴んで止めた。彼は微笑んだ後、少しだけ真剣な顔をして、思わず彼に目が釘付けになる。

「……わしは、いつもお主に助けられておるな」

 風が吹き抜ける。彼の髪が頬に当たる距離で、僅かにくすぐられ目を細めると、また少しだけ微笑み私の頬を撫でる葉季に何故か胸が高鳴った。

「……私も、葉季にいつも救われているわ」
「そうなら、いいのだがの」
「なに、私は嘘をつかないわ」

 腕を掴まれたままなのが少し気恥ずかしくなり、気がつけば目をそらしていた。

「朱己、かたじけない」
「え?」
「今お主とここで会えて良かった」

 改まって言葉にされたのに、私はただ彼を見つめることしかできない。この感情が何か、まだ見つけられなかったから。ただ少し彼の言葉に不安になり、気がつけば問いかけていた。

「葉季。……どこにも、いかないよね?」
「ん? ああ、予定はないが?」
「そう、良かった。貴方は、居なくならないでね」

 葉季は少しだけ目を見開いて、深呼吸する。

「そうだのう。お主もな」
「ええ、約束するわ」
「ああ。頼む。できることなら永久にこんな時間が続けばいいのにのう」

 彼の言葉に、僅かに肩が跳ねた。
 言葉にできない胸のざわめきをかき消すかのように、踵を返す。特別な意味などないのに、彼が真剣な顔ばかりするから。

「そうよね! ……さ、行きましょう! 稽古場へ!」

 私はそう言って促し、ぎこちなく歩きながら稽古場へと向かう。彼は私の様子を見ながら、くつくつといつも通り笑っていた。
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

愚かな父にサヨナラと《完結》

アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」 父の言葉は最後の一線を越えてしまった。 その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・ 悲劇の本当の始まりはもっと昔から。 言えることはただひとつ 私の幸せに貴方はいりません ✈他社にも同時公開

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈 
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

孕ませねばならん ~イケメン執事の監禁セックス~

あさとよる
恋愛
傷モノになれば、この婚約は無くなるはずだ。 最愛のお嬢様が嫁ぐのを阻止? 過保護イケメン執事の執着H♡

私の運命は高嶺の花【完結】

小夜時雨
恋愛
運命とは滅多に会えない、だからこそ愛おしい。 私の運命の人は、王子様でした。しかも知ったのは、隣国の次期女王様と婚約した、という喜ばしい国としての瞬間。いくら愛と運命の女神様を国教とするアネモネス国でも、一般庶民の私が王子様と運命を紡ぐなどできるだろうか。私の胸は苦しみに悶える。ああ、これぞ初恋の痛みか。 さて、どうなるこうなる? ※悲恋あります。 三度目の正直で多分ハッピーエンドです。

ずっとあなたが欲しかった。

豆狸
恋愛
「私、アルトゥール殿下が好きだったの。初めて会ったときからお慕いしていたの。ずっとあの方の心が、愛が欲しかったの。妃教育を頑張ったのは、学園在学中に学ばなくても良いことまで学んだのは、そうすれば殿下に捨てられた後は口封じに殺されてしまうからなの。死にたかったのではないわ。そんな状況なら、優しい殿下は私を捨てられないと思ったからよ。私は卑怯な女なの」

処理中です...