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第一章 ナルス
秘密基地
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ーーー
同刻。
私は光蘭の墓前で花を添えていた。
心地良い風が吹いて天気もよく、私の朱色の髪は風に乗って靡いた。自然と顔が綻ぶ陽気だ。
「こうちゃん、この前いつものように対戦したら、葉季に怒られたよ。頼れって。……いつの間にか頼り方も忘れてたみたい」
墓前でしゃがみ、返事のない墓に話しかける。
何かあるときにはここへ来る。だれとも会わない私の秘密基地だ。
しばらく無言で景色を眺めていると、聞こえるはずのない声が聞こえて思わず肩が跳ねた。
「朱己ではないか。ここで何をしておるのだ?」
まるで信じられないものを見るかのような目で振り返ると、葉季が怪訝そうな顔をして立っていた。
「……なんでここを知っているの?」
彼からの質問に答えるでもなく、質問を返してからしまったと思ったが、思ったことが口から出てしまったものは仕方ない。しばらくの沈黙の後、私の問に目の前の彼が頭を掻きながら口を開く。
「ここは、昔父上から教えてもらっての。何か考え事があるときにはここにくるのたが、まさかお主が知っておったとは思わなんだ」
思いもよらない答えに、しばらく動けずにいた。
確かに、白蓮伯父上が知っていてもおかしくはない。ここは、長が一番出入りする執務塔の裏の細道を抜けた先にある、辺鄙な場所だからだ。かく言う私も、父から小さい頃に教えてもらったのだから。
「して、お主は……」
沈黙している私にもう一度尋ねようとして、ふと私の後ろの小さい四角い石と数種類の花が見えたのか、少しだけ目を見開いた。
「……そうか、そうか」
彼は小さく笑うと、立ち尽くしている私の横に行き、石の前でしゃがみこむ。
「わしも手を合わせていいか?」
立ち尽くす私の返事を待つことなく手を合わせる。その石がただの石であることは彼も承知の上で、静かに目を瞑った。
「ここは景色も良いところだから、光蘭も嬉しかろうの」
立ち上がると、まだ固まっている私を見て、彼は突然吹き出し始めた。呆気に取られた私を見て、軽快に笑う。
「お、お主なんて顔をしておるのだ?」
腹を抱えて笑い始める葉季を見て、やっと頭の整理が追いついてきたのか、私も少しだけ笑えた。
「葉季は、何か考え事をしていたの?」
私の問いかけに、千草色の髪の毛が少し揺れた。少し息を吐き出すと、彼は私を見てから口を開く。
「婚約の話があっての。どうしようかと思って、少し一人になりたくてここに来たのだ」
「あ、……そうなのね。ごめんなさい、そしたら私はもう行くから……ごゆっくり」
何故か、誰との婚約かなど聞くのは野暮な気がして、私は目をそらし深く追求することなく、この場を去ろうと背を向けた。
葉季が突然私の腕を掴んできたことに驚き、振り返えると我に返ったように手を離す。
「あ、すまぬ。……何でもない」
扇子で口元を隠しながら、ほっほっほといつものように笑った。なぜ今、彼は手を掴んできたのか、どれだけ考えても答えが見つからない。
「葉季、何かあった? なんだか変よ。婚約の話、乗り気ではないとか?」
いつもの葉季では到底し得ない振る舞いを不思議に思い、彼に問いかける。
「何というか、……そんなようなものだ」
「……よくわからないけど、私は貴方が幸せになってくれるなら嬉しいし幸せ。辛い思いをしてきた貴方には、幸せになってほしいと思ってる」
貴方には、というかみんなに幸せになってほしいけどね、と言って笑った。すると、葉季は何か思い詰めたように私を見つめてくる。
「わしは、お主にも幸せになってもらいたい。お主にこそ、幸せになってほしい」
私は目を瞠った。その後、少しだけ微笑む。
「ありがとう。なんだか、今日の葉季は本当に変ね。早く休んだほうがいい。それとも、気晴らしに手合わせでもする?」
私は少し意地悪く笑って、今回は一対一だから負けられないわね、と言った。
葉季は少し考えてから、手を叩いて、口を開いた。
「もう夕方か……。今日はもう業務はないし……よしのった! 考えるのはやめだ! 柄でもないしのう。わしも負けんぞ」
「そうこなくっちゃ! 葉季らしくないわ」
「わしらしい、か」
少し感慨深げに笑う彼が、やはりいつもの彼ではなくて。違和感をうまく言語化できず、彼の顔を覗き込むと、今度は彼が目を見開いた。
「葉季。……あまり無理をしないでね。貴方は背負いすぎるわ」
「うーむ、お主には言われたくないことだがのう」
彼が少しだけ笑うのが、まだ無理をしているように見えて。気がつけば千草色の髪に手を伸ばし、思い切り撫で回していた。
「葉季のくせに! もう!」
「わわわ! なんだ、これ!」
「ちょっとは頼ってよね! 私と貴方の仲でしょう!」
しばらく彼の髪を乱していると、彼が痺れを切らしたように私の腕を掴んで止めた。彼は微笑んだ後、少しだけ真剣な顔をして、思わず彼に目が釘付けになる。
「……わしは、いつもお主に助けられておるな」
風が吹き抜ける。彼の髪が頬に当たる距離で、僅かにくすぐられ目を細めると、また少しだけ微笑み私の頬を撫でる葉季に何故か胸が高鳴った。
「……私も、葉季にいつも救われているわ」
「そうなら、いいのだがの」
「なに、私は嘘をつかないわ」
腕を掴まれたままなのが少し気恥ずかしくなり、気がつけば目をそらしていた。
「朱己、かたじけない」
「え?」
「今お主とここで会えて良かった」
改まって言葉にされたのに、私はただ彼を見つめることしかできない。この感情が何か、まだ見つけられなかったから。ただ少し彼の言葉に不安になり、気がつけば問いかけていた。
「葉季。……どこにも、いかないよね?」
「ん? ああ、予定はないが?」
「そう、良かった。貴方は、居なくならないでね」
葉季は少しだけ目を見開いて、深呼吸する。
「そうだのう。お主もな」
「ええ、約束するわ」
「ああ。頼む。できることなら永久にこんな時間が続けばいいのにのう」
彼の言葉に、僅かに肩が跳ねた。
言葉にできない胸のざわめきをかき消すかのように、踵を返す。特別な意味などないのに、彼が真剣な顔ばかりするから。
「そうよね! ……さ、行きましょう! 稽古場へ!」
私はそう言って促し、ぎこちなく歩きながら稽古場へと向かう。彼は私の様子を見ながら、くつくつといつも通り笑っていた。
同刻。
私は光蘭の墓前で花を添えていた。
心地良い風が吹いて天気もよく、私の朱色の髪は風に乗って靡いた。自然と顔が綻ぶ陽気だ。
「こうちゃん、この前いつものように対戦したら、葉季に怒られたよ。頼れって。……いつの間にか頼り方も忘れてたみたい」
墓前でしゃがみ、返事のない墓に話しかける。
何かあるときにはここへ来る。だれとも会わない私の秘密基地だ。
しばらく無言で景色を眺めていると、聞こえるはずのない声が聞こえて思わず肩が跳ねた。
「朱己ではないか。ここで何をしておるのだ?」
まるで信じられないものを見るかのような目で振り返ると、葉季が怪訝そうな顔をして立っていた。
「……なんでここを知っているの?」
彼からの質問に答えるでもなく、質問を返してからしまったと思ったが、思ったことが口から出てしまったものは仕方ない。しばらくの沈黙の後、私の問に目の前の彼が頭を掻きながら口を開く。
「ここは、昔父上から教えてもらっての。何か考え事があるときにはここにくるのたが、まさかお主が知っておったとは思わなんだ」
思いもよらない答えに、しばらく動けずにいた。
確かに、白蓮伯父上が知っていてもおかしくはない。ここは、長が一番出入りする執務塔の裏の細道を抜けた先にある、辺鄙な場所だからだ。かく言う私も、父から小さい頃に教えてもらったのだから。
「して、お主は……」
沈黙している私にもう一度尋ねようとして、ふと私の後ろの小さい四角い石と数種類の花が見えたのか、少しだけ目を見開いた。
「……そうか、そうか」
彼は小さく笑うと、立ち尽くしている私の横に行き、石の前でしゃがみこむ。
「わしも手を合わせていいか?」
立ち尽くす私の返事を待つことなく手を合わせる。その石がただの石であることは彼も承知の上で、静かに目を瞑った。
「ここは景色も良いところだから、光蘭も嬉しかろうの」
立ち上がると、まだ固まっている私を見て、彼は突然吹き出し始めた。呆気に取られた私を見て、軽快に笑う。
「お、お主なんて顔をしておるのだ?」
腹を抱えて笑い始める葉季を見て、やっと頭の整理が追いついてきたのか、私も少しだけ笑えた。
「葉季は、何か考え事をしていたの?」
私の問いかけに、千草色の髪の毛が少し揺れた。少し息を吐き出すと、彼は私を見てから口を開く。
「婚約の話があっての。どうしようかと思って、少し一人になりたくてここに来たのだ」
「あ、……そうなのね。ごめんなさい、そしたら私はもう行くから……ごゆっくり」
何故か、誰との婚約かなど聞くのは野暮な気がして、私は目をそらし深く追求することなく、この場を去ろうと背を向けた。
葉季が突然私の腕を掴んできたことに驚き、振り返えると我に返ったように手を離す。
「あ、すまぬ。……何でもない」
扇子で口元を隠しながら、ほっほっほといつものように笑った。なぜ今、彼は手を掴んできたのか、どれだけ考えても答えが見つからない。
「葉季、何かあった? なんだか変よ。婚約の話、乗り気ではないとか?」
いつもの葉季では到底し得ない振る舞いを不思議に思い、彼に問いかける。
「何というか、……そんなようなものだ」
「……よくわからないけど、私は貴方が幸せになってくれるなら嬉しいし幸せ。辛い思いをしてきた貴方には、幸せになってほしいと思ってる」
貴方には、というかみんなに幸せになってほしいけどね、と言って笑った。すると、葉季は何か思い詰めたように私を見つめてくる。
「わしは、お主にも幸せになってもらいたい。お主にこそ、幸せになってほしい」
私は目を瞠った。その後、少しだけ微笑む。
「ありがとう。なんだか、今日の葉季は本当に変ね。早く休んだほうがいい。それとも、気晴らしに手合わせでもする?」
私は少し意地悪く笑って、今回は一対一だから負けられないわね、と言った。
葉季は少し考えてから、手を叩いて、口を開いた。
「もう夕方か……。今日はもう業務はないし……よしのった! 考えるのはやめだ! 柄でもないしのう。わしも負けんぞ」
「そうこなくっちゃ! 葉季らしくないわ」
「わしらしい、か」
少し感慨深げに笑う彼が、やはりいつもの彼ではなくて。違和感をうまく言語化できず、彼の顔を覗き込むと、今度は彼が目を見開いた。
「葉季。……あまり無理をしないでね。貴方は背負いすぎるわ」
「うーむ、お主には言われたくないことだがのう」
彼が少しだけ笑うのが、まだ無理をしているように見えて。気がつけば千草色の髪に手を伸ばし、思い切り撫で回していた。
「葉季のくせに! もう!」
「わわわ! なんだ、これ!」
「ちょっとは頼ってよね! 私と貴方の仲でしょう!」
しばらく彼の髪を乱していると、彼が痺れを切らしたように私の腕を掴んで止めた。彼は微笑んだ後、少しだけ真剣な顔をして、思わず彼に目が釘付けになる。
「……わしは、いつもお主に助けられておるな」
風が吹き抜ける。彼の髪が頬に当たる距離で、僅かにくすぐられ目を細めると、また少しだけ微笑み私の頬を撫でる葉季に何故か胸が高鳴った。
「……私も、葉季にいつも救われているわ」
「そうなら、いいのだがの」
「なに、私は嘘をつかないわ」
腕を掴まれたままなのが少し気恥ずかしくなり、気がつけば目をそらしていた。
「朱己、かたじけない」
「え?」
「今お主とここで会えて良かった」
改まって言葉にされたのに、私はただ彼を見つめることしかできない。この感情が何か、まだ見つけられなかったから。ただ少し彼の言葉に不安になり、気がつけば問いかけていた。
「葉季。……どこにも、いかないよね?」
「ん? ああ、予定はないが?」
「そう、良かった。貴方は、居なくならないでね」
葉季は少しだけ目を見開いて、深呼吸する。
「そうだのう。お主もな」
「ええ、約束するわ」
「ああ。頼む。できることなら永久にこんな時間が続けばいいのにのう」
彼の言葉に、僅かに肩が跳ねた。
言葉にできない胸のざわめきをかき消すかのように、踵を返す。特別な意味などないのに、彼が真剣な顔ばかりするから。
「そうよね! ……さ、行きましょう! 稽古場へ!」
私はそう言って促し、ぎこちなく歩きながら稽古場へと向かう。彼は私の様子を見ながら、くつくつといつも通り笑っていた。
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