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4.届けたい言葉
しおりを挟むあれは今から、少し前のこと。
草葉と出会い、黄り泉ち酒場を始めてから少し経った頃のことだ。
ーーー
「あれ、草葉。どうしたんですか?」
すっかり敬語が板につき、草葉にも敬語になってしまったある日、草葉が遊びに来た。
「やっほー! どう、楽しい?」
相変わらず子どもの容姿で、笑顔を振りまいている。
「ええ、こちらは楽しくやっていますよ。ちゃんと迷子はお話聞いて、門に送り届けてますし」
笑顔で返せば、草葉は親指を立てて頷いた。
他愛もない世間話に花を咲かせていると、川のせせらぎとは違う波の音がした。
そちらに目を向ければ、一人の少年。
「……賽の河原に行けなかったのかな? いや、抜け出してきた……?」
笑顔の消えた草葉がつぶやく。
賽の河原。親より先に亡くなってしまった子供が行くといわれているところ。河原で石を積み、鬼が来ては壊していくという、あの賽の河原か。
「でも、三途の川のほとりにある……という話ですよね、賽の河原は……ここも、三途の川のほとりではあると思うんですが、見たことがありません。どこにあるんでしょうか?」
「此岸側にあるよ。ここは彼岸側。三途の川を渡らせてもらえない子どもたちが、たどり着くところだからね。基本的には、ある時点で地蔵菩薩様が門まで運んできてくれるんだけど……」
なるほど。となると、あの子は何かがあって、ここにたどり着いたということになる。
「聞いてみますか」
川から上がって、肩で息をする少年に近づく。こちらが近づいてきたのに気づいたのか、目だけこちらを見る。
「どうされましたか」
警戒心丸出しの相手を、なるべく刺激しないように笑顔で話しかける。手を差し出せば、しばらく警戒されたあと手を掴んできたので、そのまま立たせた。
「……ここは、どこ」
顔を背けながら、言葉を吐き捨てるように言う少年に、色々な疑問を持ちつつも笑顔で答える。
「ここは、三途の川の渡し舟に乗れなかった方々が来るところです。何かしらの未練がある方々が来られます」
未練、という言葉に反応したのを見逃さなかった。
ーー心当たりはあるようだ。
少し様子を見ていると、その少年はこちらを見上げてきた。
「賽の河原に行くと思ってたら、ここに来た。ここで積めばいいの? 石」
思いがけない言葉に、咄嗟に振り返り草葉に助け船を出した。草葉もわかっていたようで、こちらに笑顔で歩いてくる。
「こんにちは! 君、ここは賽の河原じゃないんだ。折角だから、ちょっとお店で休んでいかない? 話を聞かせてよ」
そう言って俺に目配せをしてくる。
小さく頷いて、店の準備をした。
突如現れる屋台。二人しか座れない、小さい屋台だ。
「いらっしゃいませ。ここは黄り泉ち酒場。飲みたいものなどございましたら、なんでもお出しします」
いかがですか、と問えば、その少年は不思議そうな顔をして、しばらく考えたあと思い出したように言った。
「……ホットミルク。ビスケットもつく?」
思わず笑顔になるような注文に、かしこまりましたと返して作り始める。
「君は、どうして亡くなってしまったの?」
ホットミルクを出して早々、草葉が核心に触れる質問をした。
その少年は目を逸らした後、下を向きながら話し始めた。
「僕は、親と一緒に死んだんだ。親と一緒に買い物に行った帰りに、事故に巻き込まれた、多分それで死んだと思う」
親と。そうか、親も一緒に亡くなったなら、悲しませたと言って賽の河原に行くわけではないということなのだろうか。
ーー親は、真っ直ぐいけたのだろうか。
「僕は、わがままを言って買い物に連れてってもらって。わがままを言って、お菓子を買ってもらって。その帰りだった」
見た感じ、草葉と同じくらい、十歳程度に見える。まだ甘えたい盛りだろうと思うと、少し胸が苦しい。
まあ、俺は記憶がそもそもないから、その年齢が甘えたい盛りなのかはわからないが。
「弟と喧嘩して、ムカついたから、買い物についてったんだ」
「弟さんがいらしたんですね」
彼は黙って頷いた。
ホットミルクのマグカップを握りしめながら。指先には力が入っているのか、白くなっている。
「買い物に行く直前、喧嘩したんだ。帰ったら謝ろうと思って、その時に、買ってもらったお菓子もあげようって。でも、そのまま。一緒に買い物に行ったママも死んじゃったんなら、弟は一人きりになっちゃう。うちはパパがいないから」
母子家庭。そうか、弟が独りになってしまう、それが未練か。
切ない表情を浮かべる少年の手を握り締めて、草葉が言葉をかける。
「そうか、辛かったね。大丈夫とは言えないけど、今の弟の様子なら少しだけ見せられるよ」
ーーえ、そんなことできるのか?
思っていることが、そのままバレてしまうような顔をしていたようで、草葉が得意気な笑顔を向けてきた。
「でも、俗に言うあの世へ行くときに、門を通ったら全て忘れてしまうから、ここでだけの記憶になるけど、いいかな?」
あの門はそういうものだったのか。俺が納得してしまった、なんて思っていると、目の前の少年はしっかりと頷いた。
「わかった、それじゃ見せるね!」
そう言うと、草葉はどこからか取り出して、画面を付けた。タブレットというらしい。
そこには、黒い服を着た大人や子供が映っていた。
「喪服……これは、お葬式だね」
お葬式、とはなんだ。
正直、俺は黄泉醜女は知っていたが、本当に此岸のことは知らない。
不思議そうな顔をしていたのか、草葉と目が合うと笑われた。
「そうだね。知らないよね。お葬式っていうのは、残された人の心の整理のために行われる儀式だ。亡くなった人への未練を断ち切るためのね」
亡くなった人への、未練を……。
そう思いながら、タブレットとかいう四角い板に映る人たちを見ると、なんとも悲しい気持ちになる。
「これは、君とお母さんのお葬式だね。ということは……この子が、弟?」
草葉が指をさすところには、まだ幼い弟が壮年の人たちに手をひかれながら歩いていた。
「そう、弟……泣いてるね」
目の前の少年は、今にも泣き出しそうになっている。それもそうだ、弟が一人ぼっちになってしまったのだから。
「ねえ、君。弟くんが君への未練をいつか断ち切るように、君も此岸……弟くんへの未練を断ち切らないといけない。どうしたら、未練は断ち切れるかな?」
草葉が優しく、下から覗き込むように見つめながら問う。
涙を浮かべた少年は、しばらく考えたあと静かに口を開いた。
「……弟と食べるはずだったお菓子を、一緒に食べたい。謝りたい」
草葉は、迷うことなく親指を立てた。
その仕草に唖然としていると、草葉がこちらにウインクしてくる。
「良いよ。望みを叶えてあげよう! だけど、此岸には連れていけない。未練がある人を此岸に連れて行ってしまったら、そこに居続けようとしてしまうから。だから、このタブレットで、願いを叶えるよ!」
とても得意げに提案する草葉。
ーーどうする気なんだ……。
ついつい疑問を持ってしまう。そんなことも草葉はお見通しのようで、それで、と続けてきた。
「このタブレット、実は此岸にいる人に想いを届けられるんだ! ただし、一回、一言だけね」
ーーなんだ、その機能。知らなかった。タブレットにはそんな機能があったなんて。
開いた口が塞がらなくなった俺は、黙って草葉の行動をただ目で追うだけになっていた。
「この、此岸宛ってところをクリックしてー、ほら、名前があるでしょ? ここを選んで、……はい! 一言だけ打てるよ」
もはや若干胡散臭い感じもするのか、少年は訝しげに草葉を見た。
「これ、本当に届くの?」
完全に疑っている。俺は純粋に信じたが、もしかして普通は疑うものなのか?
そんなことを思っている俺は置き去りになっていて、少年な質問に草葉が笑顔で頷いていた。
「届けたい相手の睡眠中に、夢にお届けするんだよ」
なるほど。夢か。
「……わかった」
意を決して、文字を打ち込む。
「ねえ。本当に、その一言でいい?」
タブレットを渡される前に、画面も見ずに草葉が尋ねた。
その言葉に少年は目を見開いた。
「謝りたい、と言っていたけど、本当は、もっと言いたいこと、あるんじゃないかな? 未練ていうのは、何個も何個もあるものじゃない。本当に伝えたいことって一言だけなんだ。それが言えなくて、未練になる」
虚を突かれたような顔で、しばらく目を見開いたまま固まってしまった少年は、その後しばらく考えていた。
そして、一つだけ教えて、と言って草葉に聞いた。
「ねえ、僕は弟の夢に出れる?」
草葉は笑顔で頷いた。
ーー出れるのか。そうなのか。
「わかった! ……よし、できたよ!」
そう言って、タブレットを草葉に渡した。
草葉は画面の文字を見るでもなく、送信ボタンをトンと一回押して、タブレットの電源を落とした。
「……うん、良かった! 未練は断たれたみたいだね」
草葉が笑顔で少年を見ると、少年も笑顔を見せた。
なぜ草葉は解るのか、などと聞くのは野暮だろうからしないが、不思議でならない。
そうこうしているうちに、少年の近くに門が現れた。
草葉が門まで誘導し、門の前で少年に手を振る。
「ありがとう、お兄さんたち!」
そう言って少年は門の中へ消えていった。
「なんで、文言見てないのにそれでいいのかーなんて言えたんですか?」
どうしても気になって、お店の片付けをしながら草葉に尋ねると、草葉は得意気な笑顔で、人差し指を立てながら言った。
「へへーん。大体、顔見ればわかるんだよねー」
……俺はそれがどういうことなのか、全然わからないんだよね。
なんてことは言わないしなんとなく言いたいことはわかるが、難しい。
「ねえ、ヨモツ。いいんだよ、未練はあったって」
まるで本末転倒なことを言っている草葉に、全く理解出来ないと言わんばかりにしかめっ面を見せた。
「人の心は、そんなに簡単じゃない。未練の中身が、自分じゃない人は特に。だから、少しでも心が軽くなればいいんだ。結局、自分を救えるのは自分だけで、自己満足でしかないからね」
この少年のような身なりで、言うことが玄人すぎる。一体どのくらい前から門番をしているのだろう。
考えていることは筒抜けのようで、僕は永遠の十歳だよ! と叱られた。
「ここに迷い込んだ人が、少しでも未練を晴らして、すっきりして門をくぐることができるようにする。それが、君と僕の仕事だよ」
そうか。きっと、心が重いままでは、門をくぐったあとも後悔してしまうから。
少しでも前を向けるように。
「……そうですね」
そう言うと、草葉は親指を立てて歯を見せながら笑った。
そうして、また私はお店の支度を始めた。
次のお客様が、いつ来てもいいように。
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