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3.ヨモツ
しおりを挟むそこは、見たことのない世界だった。
「ここは……どこだ……」
私は、なぜここにいるのか。
私は、何者なのか。
私は、何だ。
「そこのお兄さーん」
どこかから声がしてあたりを見渡せば、少し離れたところに小さい子どもがいた。
ーー私を呼んだのは、あの子か?
そう思いながら歩いて子どものところへ行けば、その子どもは満面の笑みでこちらを見てきた。
「お兄さん、ここで何してるの?」
「それは……俺も聞きたい」
頭を掻きながら、ここが何処なのか、俺は何ていう名前なのかと問いばかりが思い浮かぶ。
「お兄さん、名前は?」
「……わからないんだ」
申し訳無さそうに答えれば、その子どもはしばらく沈黙した後、また笑顔になった。
「そしたらねー、名前つけてあげるよ!」
突然の申し出に呆気にとられながらも、既に目の前の子どもは唸りながら名前を考えてくれていた。
無碍に断るのも気が引けたため、そのまましばらく待つと、何かを閃いたように顔を上げた。
「お兄さん! ヨモツ! ヨモツってのはどう?」
ーーヨモツ。
まるで、あの世みたいな名前だ。
そう、黄泉醜女だ。神話の、伊邪那岐尊を追いかけた。
なんだかあまり嬉しくない、というのが本音だが、目の前の子どもはとても勧めてくる。
「えっと……由来は?」
とりあえず聞けば、笑顔で子どもは言った。
「ここが、此岸と彼岸の間だから」
思わず目を瞠った。
ーー俺は、死んだのか?
「ヨモツ。貴方は、もう死んでるよ」
心を読まれたかのように答えをもらう。
なんてことだ。死んだなんて。
目の前が真っ暗になる。でも、生前のことを何も覚えていないなんて、最初から生きてなかったんじゃないか、という錯覚さえ感じてしまう。
「ヨモツ! 君は、生まれる前に死んだんだ」
ーー生まれる、前?
「そう。お母さんの、お腹の中で」
だから、記憶がないのか。
妙に納得した。
「だけど珍しいことに、君の魂は前世のおかげか、言葉を知っている。だから、今話せているんだよ!」
なるほど……理解した。今更だが、ところでこの子どもは何者なんだ。
そう思っていると、笑顔で答えてきた。
「僕は、門番の草葉。あの世へ行くための門の番人。たまに、門の手前で倒れている人がいるから、こうやって声をかけるんだけど、ヨモツはちょっと違うね」
「違う?」
訝しげに尋ねれば、草葉は笑顔のまま言った。
「そう、ヨモツは此岸にも彼岸にも行けない。生まれる前に死んでしまったから、恐らく魂がとても清らかで、清らかすぎて、門をくぐれない」
そんなことがあるのか? と不思議に思えば、初めてのことだよ、と返された。
「前例がないから、わからないけど……多分、そう」
草葉は、この此岸と彼岸を分かつ川が三途の川であること、通常この川を渡る人は六文銭で渡し舟に乗ってくること、渡し舟に乗れば何もせずとも門をくぐれることを教えてくれた。
だが稀に、渡し舟に乗れず、もしくは川に流されてこの岸にたどり着いてしまう人たちがいる。
そういう人たちは、此岸に未練を持っていて、何某かの心残りを晴らさない限りは、門をくぐれないのだと。
「それは大変だな……」
「そうなんだ。だけど、ヨモツ。君は、何が未練なのか、そもそも未練があるのかわからない。未練なんかないかもしれない。もしくは、あるかもしれない」
考えても答えが出ないことではないか、と思いながらも、ずっとこのなにもないところに居たいわけではない。なんとかしないと。
すると、草葉が提案と言わんばかりに指を立てて言った。
「ここで、ここに流れ着いてしまった人の未練を聞いていらうちに、何か自分の未練を思い出せるかも! わからないけど」
なんて適当なんだ。
だが、笑顔ですべて流される。この川のように。
「いつか、自分の心残りを見つけるために、色んな人と出会ってみる、いいと思うけどな。君には記憶がない。だから、色んな人の人生の話を聞いて、疑似体験してみてはどうだろう」
なるほど。それなら楽しそうだ。
ーー記憶がないなら、なんでも新鮮だ。
「人間の記憶は、食と結びつくことが多い。思い出の料理、思い出の飲み物……どうだろう、ここで振る舞ってみては」
「俺は記憶もないから、料理できないんだが?」
完全に本末転倒なことを言えば、またも草葉は大丈夫! と指を立てた。
「君に少しだけ能力をあげるよ」
「能力?」
草葉は俺にしゃがめと言ってきた。
言われたとおりにしゃがめば、額に指を当ててくる。
「ここに辿り着いた人の望む品を、生み出せる能力」
そういえば、何かが脳内に流れてくる。
少し目眩がして尻もちをつけば、眼の前で草葉は笑っていた。
「ヨモツのところへ、迷い人はやってくる。ヨモツは、迷い人の望みを叶えられる能力を今手に入れた。これで、大丈夫だね!」
何が大丈夫なのかわからないが、飲食店にでもなった気分で、もてなせばいいのだろうか。
そんなことを思えば、また心を読まれたようで、草葉はうんうんと頷いた。
ーー生まれる前に死んだ、俺の未練。
それがなんなのか、知りたいというのは本音だ。
「いっちょ、やるか」
「そう来なくっちゃ! 飲食店なんだから、丁寧な話し言葉にしてね!」
敬語の能力ももらい、かくして俺は、ここで黄り泉ち酒場を始めることになった。
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