燕の軌跡

猫絵師

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フィーの誕生会当日の昼頃に参加者の馬車が次々と到着した。

「アダリーお姉さま!」

フィーは馬車から降りてきたリューデル公子夫人を見つけて真っ先に駆け寄った。

ゲリンの手を借りて馬車を降りてきたリューデル公子夫人は、少し屈んで可愛い義妹を抱きしめた。

「フィリーネ。私の贈ったドレスを着てくれたんですね。とってもお似合いですよ」

「ありがとう、お姉さま!ねぇ、赤ちゃんは?赤ちゃんどこ?」

「うふふ。ここにいますよ」と答えてリューデル公子夫人はフィーに自分のおなかを指さした。

開校式の後に懐妊が判明したそうだ。

彼女は身体を締め上げるコルセットのドレスを諦め、ウエストの高い妊婦のドレスを着ていた。

フィーの誕生会も来れるかどうか分からない状態だったが、本人の希望で参加を決めていた。

「ご参加ありがとうございます、リューデル公子夫人。控えの部屋も用意してますから無理せずにお過ごしください」

「あら、男爵、意外と気が利くのね。ありがとうございます」

「フィーが!お姉さまの案内してあげる!」と言ってフィーがリューデル公子夫人の手を引っ張った。

「お、お嬢様、ゆっくりでお願いします」とゲリンが慌ててフィーにお願いを口にした。ゲリンは嫁さんが心配で気が気じゃないのだろう。

そんな夫の姿にリューデル公子夫人は明るく笑って応えた。

「大丈夫よ、ゲリン。今日は調子が良いもの」

「でも急に動いて転んだりしたら…」

「大丈夫よ。靴だってヒールのないものだし、私も気をつけるわ。

でも何かあるといけないから、貴方は私の傍を離れないでね」

「かしこまりました」と言うゲリンの旦那らしくない返答にリューデル公子夫人は笑って、フィーの手を握った。

俺も少し不安だから、そのまま走り出しそうなフィーの背に声を掛けた。

「フィー、走るなよ?ゆっくりご案内するんだぞ」

「うん!お姉さま、後で赤ちゃん触らせてくださいな」

「えぇ、もちろん。いっぱい話しかけて下さいな」

嬉しそうにフィーと手を繋いだリューデル公子夫人は、ゲリンを伴って屋敷に入って行った。

三人を見送った後、すぐにまた別の馬車が到着した。一角獣の紋章をあしらった豪勢な馬車から降りてきたパウル様と挨拶を交わした。

「久しぶりだな。息災か?」

「俺もテレーゼも変わりないですよ」

「そうか、それは良かった。フィリーネは中か?」とパーティーの主役の姿を求めたが、フィーはお姉さまとお腹の中の赤ちゃんに夢中だ。

「リューデル公子夫人を案内すると言ってさっき席を外したところです」

「なるほど。まぁ、後で挨拶できるだろうから、今は譲るか」と肩を竦めて見せて、パウル様は馬車に向かって声を掛けた。

馬車に乗り合わせていたヴェルフェル侯爵夫人と一緒に、別の家族が降りてきた。

「お久しぶりです!叔父様!」と元気に挨拶したのはガリオンだ。

背も高くなり、顔つきも貴公子らしく凛々しいものになっていた。ガリオンの妹もかわいらしく成長していて、ご令嬢らしく淑やかに会釈で挨拶してくれた。

「ご無沙汰しております、ロンメル男爵。この度はお招き下さりありがとうございます」と家長であるアーベンロート伯爵が爽やかに挨拶して握手を求めた。

それに応じて挨拶を交わすと、アーベンロート伯爵夫人もカブリエラ様と並んで挨拶をしてくれた。

以前ひと悶着あっただけあって、アーベンロート伯爵夫人は少し緊張していたが、俺はもうあの件をほじくり返す気は無い。それに今日はめでたい娘の誕生会だ。

「妻や娘たちも皆様の到着を楽しみに待ってました。どうぞ挨拶してやってください」と彼らを歓迎して、パーティーの用意が整っている広間に案内した。

広間に向かうと、楽しそうに談笑する声が聞こえてくる。

今日はいい日だ。

温かな笑顔で満ちた広間を眺めて、そんな年寄りみたいな感傷を覚えた。

✩.*˚

ロンメル家の誕生会の警備などで出払っている《燕の団》の拠点に、陽気な男が顔を出した。

「今日から世話になるぜ」と言いながら、《赤鹿の団》から来た男は、小さい馬車に乗る程度の荷物を拠点に持ち込んだ。

「マジでお前が来たんだな」

「まぁな。ゲオルグの奴はガキがいるし、旦那の所を離れるなんて無理だ。それに、俺は割とここ気に入ったからよ。まぁ、これからよろしくな」

軽い感じで答えて、二つ名持ちの傭兵は《燕の団》に腰を据えた。

《赤鹿の団》と交わした約束の一つに、《隊長を任せられそうな人物の斡旋》と条件を出していたのだが、ヴェンデルは随分気前の良く優秀な人材を《燕の団》に寄越してくれた。

《縄掛けフーゴ》こと、フーゴ・アドラー。

実力も経歴も申し分ない。《赤鹿の団》では隊長職も経験しているし、今の《燕の団》に必要な人材だ。

「今日はブルームバルトはお祭りなのか?」

「そうだよ。ご領主様の愛娘の誕生会だ」

「へぇ、そりゃいい時に来たな。ご領主様も酒ぐらいご馳走してくれるんだろ?」

フーゴはそう言って祝い事の振る舞いを期待をした。まったく、来て早々調子のいい奴だ。

調子のいい陽気な男を前に、俺の御守で残っていたディルクも呆れたようにため息を吐き出した。

そんなのはお構いなしで、「あぁ、そうだ。旦那から預かって来たぜ」と言って、フーゴは懐から手紙を取り出した。

それを預かって中身を確認した。

簡単な挨拶から始まった手紙は、フーゴの移籍の件と、先輩としてのアドバイスが書かれていた。

「へぇ…」

「なんだって?」ディルクが手紙の中身を気にして訊ねた。

「俺に《あまり前に出るな》ってさ」

「そりゃ、真実だな」と、ディルクは頷いていた。

「《団長としてちゃんと線を引け》って先輩の言葉だ。

でもなぁ、《燕》は《赤鹿》ほど人がいないんだ。俺だって働かなきゃ回らないんだよ」

「普段、いくさが無い時は《燕の団》は何してんだ?ロンメルの旦那が仕事くれるんだろ?」と、フーゴが平時の様子を知りたがった。

「そうだよ。ロンメル男爵家がうちの出資者だからな。

でも仕事って言ったって、えり好みできないし、悪党の始末や警備の仕事以外にも、土木作業や家畜の世話、屋根の修理までなんでもやってるよ。最近はロンメル男爵夫人の学校の手伝いが多いけどな…

普段から動ける団員は70人くらいだ。臨時にかき集めて、せいぜい300が良いところだな…」

「まぁ、思ってたよりちゃんと団員いるみたいだな」

「俺の親衛兵の《犬》が20人、カミルに預けてたのが20人、カイとアルノーに任せてるのがそれぞれ15人ってところだ。

あんたはアルノーの代わりだから、これから部下が15人つく」

「へぇ…これは責任重大だ…」

「頑張れよ、隊長さん」俺の激励にフーゴは無精髭の目立つ顎に頬杖を着いた。

「団長さんよ、あんたの親衛兵は誰が隊長だ?」

「《犬》の管理はディルクとイザークに任せてる。でも今はカミルが離れてるから、カミルの部下はイザークに預けてる」

「ふぅん…カミルって、《両利き》のカミル・ベルナーか?あんたの所の看板だった奴じゃねぇか?あいつどうしたんだよ?」

「《黒腕のゲルト》を解雇したんだ。ゲルトが世話になった奴らを回るってんで、それに着いていくんだってさ」

ゲルトを解雇したことで、カミルも《燕の団》を去るのではないかと心配したが、カミルは残ると言ってくれた。

ワルターがゲルトを引き取ってくれたという事が大きいだろう。ライナもいるし、もう会えないわけでもない。

『俺まで離れたら、親父さんが心配して《燕》に戻ってきちまう』と、カミルは冗談交じりに言っていた。

「OK。まぁ、なんとなく様子は分かった。旦那が俺をこっちに寄越した理由もなんとなく分かった…」

1人で勝手に納得したようにそう告げて、フーゴはおどけたように諸手を上げると、視線をディルクに向けた。

「お前も年長者として、ちゃんと手綱取ってやらにゃいかんだろ?」と苦言を呈して、フーゴは苦く笑って俺に視線を戻した。

「まぁ、小さい団だからさ、今はそれでもいいだろうよ。あんたの実力やカリスマ性も、旦那は一目置いているんだ。

だが、団長としてやってくなら、それじゃいけねぇや」

「どういうことだよ?」

「あんたの度量はまだ隊長クラスってことさ」と軽い口調で答えると、フーゴは言葉を続けた。

「俺もあんたとやり合うつもりは無いんだぜ。でも、まぁ、耳の痛い話だが聞いてくれよ。

団長ってのは、《傭兵の王様》だ。

絶対取られちゃなんねぇのさ。お前さんは団の一番後ろでどっしり構えてなきゃいけねえんだ。

前に出て戦うなんて論外だ。そりゃ腕に自信があるのは良いこったが、傭兵が命かけるのはなんのためだと思う?」

「...《金》か?」

「お!分かってるじゃねぇか?

そうだよ、《金》だ。それってどこから来る?」

「まぁ、雇い主だろうな」

俺の返答に満足したように、フーゴはうんうんと頷くと話を続けた。

「話が分かるようで安心したよ。

ぶっちゃけ、金払いを保証するのが団長の仕事だ。前線で戦うのは金目当ての馬鹿の仕事だ。そこんところ忘れちゃなんねぇよ。

今のあんたに足りてないのはそこんところだな」

言いたいことを全部言って、フーゴは満足そうに笑った。

「でも、今まではそれで上手くいってた」

「そりゃ、あんたの後ろでどっしり構えてた《黒腕》や、上手く調整してくれてた奴のおかげだろ?

そうでなきゃ、いくらお前さんが強くて有能でも、そのうち上手くいかなくなるだろうよ。

あんたのすべきことは、偉い人から仕事を貰ってきて、ぶら下がってる奴らに報酬を確実に分配することだ」

フーゴの言い分には引っ掛かるものがあったが、それと似たような話をゲルトにもされた気がする。

ずけずけと言いたいことを言いきって、フーゴは頭を掻きながら俺の出方を見ていた。こいつにも俺の度量を試されているような気がした。

正直、今の話にうんざりしていたが、ここで言い返せば自分の度量の狭さを証明するようなものだ。

「…他に、思うところあるか?」と訊ねると、フーゴは少し驚いたような顔をしていた。

「何だよ?お前は俺に足らない事教えてくれるんだろ?」

「まぁ、そうだけどさ…あんたもうちょっと大人げないと思ってた」と、フーゴは言いたい放題だ。俺に忖度しないその言葉が、昔から知ってる仲のようで妙に耳に馴染んだ。

こいつは良い奴だと、俺はよく知らないこの男を信頼する気になっていた。

ヴェンデルは良い奴を譲ってくれたと思う。

「まぁ、あんたが聞く耳持ってるって知れただけでも安心したよ。こういっちゃなんだが、もっと無茶苦茶で我儘なガキだと思ってたからさ…」

「お前さ、言いたい事全部言うよな…」

「こういうのは初めが肝心なんだぜ。俺だって命かけて働くんだ。馬が合わない奴の下で働くのは御免だぜ。

まあ、ここは居心地は悪くなさそうだからよ。しばらく厄介になるさ」

そう言って悪びれずにヘラヘラ笑う男は楽しそうだ。

「とりあえず、よろしくな」と差し出された手を断る理由はなかった。

✩.*˚

少ない荷物を片付けて、新しい雇い主の案内でブルームバルトの街に繰り出した。

前に来た時も思ったが、この街は決して大きな街じゃないが充実していた。

街を行く人の顔も明るく、街の表通りも割と小綺麗だ。

路地を覗けば、娼婦らしい女の影などはあるものの、他所でよく見るような浮浪者や孤児の姿は見当たらなかった。

「ここが学校」と説明少なく案内された建物は真新しい。

三階建ての大きな建物や塀に囲まれた庭には、甲高い子供の声が響いていた。

「俺たちは門の警備や警邏を任されてる。怪しいヤツはとっ捕まえて、憲兵に渡すだけの簡単な仕事だ」

「ふーん...暇そう」

「まあな。普段何も無いけど、万が一問題が起きたらワルターにぶっ殺されるからな。

なんせ自分の命より大事な嫁さんが作った学校だ。

この間、街で大暴れした悪漢なんか、生きたまま凍らされたんだぜ。万が一テレーゼに何かあったら、それこそ街ごと凍らされるよ」

「...あのご領主、そんなにヤバい奴なのか?」

「普段はヘラヘラして家族も領民も大事にする温厚な領主様だよ。

でもワルターはキレたら怖いんだ。《カナルを凍らせて冬を呼んだ》って噂は噂じゃなくて本当の話だ。俺の目の前で起きたことだし、一緒に見た奴もいる」

「…うへぇ…やばいところに来ちまった…」とぼやいたがもう遅い。やっぱり適当な事を言って、他の奴に押し付けるべきだったか?

「じゃぁ、万が一、今日何か問題があったら…」

「多少の事なら問題にしないだろうけど、愛娘の誕生会を台無しにされたら確実に冬に逆戻りだ」と、《黒い妖精》は俺を脅した。

《氷騎士》の噂は聞いていたが、せいぜい《祝福》を持ったお貴族様の箔をつけるために尾ひれがついたものだと思っていた。

あの男がねぇ…

《赤鹿》と《燕》の喧嘩に顔を出した領主様の印象は決して悪いものでは無かった。貴族なんて似合わない、どちらかというと、こちら側に近い印象だった。

まぁ、厄介ごとに巻き込まれないようにおとなしくしてるか…

そう決め込んで、歩き出した団長の後ろを着いて行くと、突然人混みから悲鳴が上がった。

「泥棒!」と聞きたくない声を聞いちまった…

「泥棒だってよ」と言って、新しい雇い主は俺を試すように笑いながら俺の出方を見た。

わあわあと騒がしい声の上がる人混みから、荷物を抱えて刃物を手にした男が転がり出て逃げる姿が見えた。

腰に下げていた雑嚢ざつのうからボーラを取り出して握った。

刃物に怯えた一般人が盗人から逃げようと距離を取ったのを確認して、タイミングを合わせてボーラを放った。

潰れるヒキガエルみたいな悲鳴を上げて、ボーラに捕まった盗人は足の自由を奪われて石畳の上を転がった。

周りの騒ぎを聞きつけて集まって来た警邏中の憲兵が、まだ逃げようとしていた男を捕まえて引き取って行った。

「やるじゃん、《縄掛けフーゴ》」と褒める《黒い妖精》はご機嫌だ。

「俺は着任早々氷漬けは御免なんでね…」

エラいところに来ちまった、と腹の中でぼやいて回収したボーラを腰の雑嚢にしまった。

まあ、唯一いいところは、この男の下で働く間は退屈だけはしなさそうだ…

✩.*˚

フィーの誕生会は問題なく進んでいるように思えた。

子供たちは楽しそうにしているし、来賓も談笑しながらこのめでたい席を楽しんでいた。

アーベンロート伯爵はあまり王都を離れる事が無いらしく、伯爵家の兄妹はこのお出かけが初めての長距離の外出だったらしい。

「私も仕事で忙しく子供たちと出かける時間を作れなかったので、今回のお招きには感謝しているのですよ」と義兄は嬉しそうに語った。

「ワーグナー公爵閣下のお許しが出るか心配でしたが、快くお許しいただけました。私自身遠出をする機会はないもので、年甲斐にもなく道中興奮していました」

「以前にカナルに来た時はご公務でしたね」

「えぇ…あれは旅行というより、運搬されたみたいな…とにかく急ぎで来て帰ったのでほとんど記憶に残っていません。

今回の旅行は妻や子供たちとゆっくり話す機会もできて楽しかったです。帰りの道も楽しみです」と、アーベンロート伯爵は上品に微笑んで見せた。

彼は根っからの貴族だし、精錬された王都の出身だ。こんな芋臭い田舎のもてなしなど話にならないだろうが、それが逆に新鮮だったのかもしれない。

「そういえば、来る途中でヴェルヴェル侯爵閣下が男爵に預けている仔馬を自慢していらっしゃいましたよ。息子も見たいと言っていたので、また後程ご披露いただけますか?」

「あぁ、ナハトの事ですね」

「母親も素晴らしい馬だとか。馬に対して目の肥えている侯爵閣下が褒めるのですからきっと素晴らしいのでしょうね。

私も馬は興味があるのですが、王都では馬車での移動が多く、お恥ずかしながら子供の頃から乗馬は苦手でして…」

まぁ、そう言う事もあるだろうと思いながら話を聞いていると、「何やら楽しそうじゃないか?」とパウル様がやって来て話に加わった。

「ナハトの話をしてたんですよ」

「あぁ、フィクスの子供か。しばらく見てないうちに大きくなっただろう?」

「大きくもなりましたが、父親に似たのかやんちゃで困ります。この間も隙を見て脱走して庭を走りまわって気が済んで帰ってきました」

「おや?さすが親子だな。フィクスも手のかかる仔馬でな。血統は良かったのだが、手が付けられないという事で、処分されそうになっていたのを私が引き取ったのだ。

しかしこれが軍馬としては優秀でな。若いころから物怖じしない性格で、大きな音にも飛んでくる矢にも怯まなかった。なかなか血気盛んでな。戦場であれに助けられた事は一度や二度ではない」とパウル様は楽しそうに話を続けた。

ようには、馬が合ったのだろう。

フィクスシュテルン号はあの気性だが、パウル様の武勲の陰にはあの白馬があったのだ。

「そろそろフィクスもいい歳だ。次の馬を用意するつもりだったが、あの馬を知ってしまうと従順な馬では物足りなくてな…

ナハトがフィクスに似ているならなおさら私の馬にしたい」

パウル様はそう言って、やんちゃな仔馬に期待しているようだった。

また後でアダムに連れて来させたら子供たちも喜ぶだろう。

そんなことを考えながら三人で話を続けていると、慌てた様子でケヴィンが駆け寄って来た。

「お話し中失礼いたします。旦那様、お話が…」と尻すぼめになるケヴィンの言葉に嫌な感じかした。

「なんかあったのか?」

「その…お客様がいらっしゃいまして…旦那様とフィリーネ様にご挨拶をしたいと…」

「客?」ケヴィンの言葉に違和感を覚えた。

誕生会に招いた来賓は既に到着して会場に入っている。欠席と返していた招待客が予定を変えて来てくれたのだろうか?

しかし、それならそうとシュミットから報告があるはずだ。ケヴィンの様子から見ても、厄介ごとのような気がした。

「客ってだれだ?」

「その…バッハシュタイン伯爵と名乗っていらっしゃいます。

お嬢様のお祝いに参じましたとおっしゃって、父がお断りしたのですが、どうにもご納得いただけず…」

「招待客ではないのか?」とパウル様も眉を寄せて俺に訊ねた。

「バッハシュタイン伯は西山候の臣下ではありませんか?私も以前ご挨拶をした記憶があります。記憶違いでなければ、西部でも指折りの名家のはずです」

話を聞いていたアーベンロート伯爵が情報をくれた。彼は文官として国中の貴族を把握している。アーベンロート伯爵のおかげで、この招かれざる客が何者かは分かったが、問題はその押しかけて来た目的だ。

「分かった。俺が行く」とケヴィンに応えて、二人に席を外すと伝えて会場を後にした。

ケヴィンの案内で現場に向かうと、門扉の方から偉そうな怒号が聞こえてきた。腹の中にざわつくような苛立ちが湧く。

今日が何の日か分かってんのか?

「待たせたな、シュミット」

門を死守していたシュミットに声を掛けて失礼な訪問者を睨んだ。それでも相手は自分が歓迎されていると勘違いしているようだった。

「おぉ、ロンメル男爵。お久しぶりですな」

どうやら俺はどっかでこの男に会っているらしいが、どうしても思い出せない。だが、今回の件でこの顔と名前はしっかり記憶した。

「お嬢様のお誕生会と聞いて立ち寄ったのです。不躾とは思いますが、お祝いさせて頂きたい」と言いながら、バッハシュタイン伯爵は傍らに佇んでいた子供を引き寄せた。

フィーと同じぐらいの年頃の男の子を見て、頭に血が昇りそうになる。

こいつ!子供まで連れて来やがった!目的なんて確認するまでもない!

「帰れ!」と怒鳴りつけなかったのは子供がいたからだ。相手に遠慮したのではない。

深呼吸をして自分を落ち着かせると、何とか笑顔を取り繕って、「お帰り下さい」と無礼な訪問者に回れ右を促した。

「既にお招きしているお客様のご迷惑になります。お祝い下さるお気持ちは嬉しいのですが、どうぞお引き取り願います」

格下からそんな言葉が出ると思っていなかったのだろう。これだから偉い奴は嫌いなんだ。

拒否されたバッハシュタイン伯爵は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしたかと思うと、今度は顔を真っ赤にして憤慨して俺の無礼を咎めた。

あー…うるせぇ…

何でこんなめでたい日にこんな奴の相手をしなきゃならんのだ?ここは俺の家だぞ?

板挟みにされている子供が可哀想ではあるが、この男を通すわけにはいかない。俺が悪者になることでフィーの誕生会を死守できるなら望むところだ。

理屈をこねくり回す男を前に、心に蓋をして右から左に聞き流していると、別の柔らかい声に名前を呼ばれた。

「ロンメル男爵、フィリーネ嬢がお父上を探していらっしゃいますよ」

何食わぬ顔で現れた義兄はそう言って、俺に会場に戻る口実を与えた。

来賓でもない男の説教に飽き飽きしていた俺にとって、義兄の言葉は渡りに船だ。

「失礼。主役に呼ばれましたので」と薄情にその場を離れようとした。

「待ちたまえ、ロンメル男爵!

我々がせっかく訪ねてきたのに!この子が可哀想だと思わないのか?一目会うだけでも良いだろう?!」

置き去りにされそうになった男の本音が洩れた。

どうせフィー狙いだろ?

この親子はお祝いではなく、縁談を有利に進めたいがために来た招かれざる客だ。

俺が腹立たしさをぶちまける前に、アーベンロート伯爵は俺を制するように肩を叩いて、門扉の前に立った。

「失礼。先程から聞くに耐えませんね。ここに来る途中も卿の声は聞こえておりました。

同じフィーア貴族として、卿の振る舞いは目に余ります」

「何を言う?ロンメル男爵こそ、伯爵である私をないがしろにしているのだ!

私はバッハシュタイン伯爵だぞ!」

「おや?これは申し遅れました。

私はワーグナー公爵閣下より宰相秘書官兼公文書記録秘書官を拝命しております、アーベンロート伯爵エアネストと申します」

その名乗りを聞いて、バッハシュタイン伯爵は明らかに怯んだ。

伯爵という爵位こそ同じだが、二人は決して同格ではない。むしろアーベンロート伯爵はワーグナー公爵の直臣ではなく、王家の直臣というエリート中のエリートだ。田舎貴族の伯爵からすれば雲の上の人だ。

まさか、新参の男爵家の祝いにこんな大物がいるとは思ってなかったのだろう。

顔色が悪くなったバッハシュタイン伯爵を前に、アーベンロート伯爵は上品な微笑みを浮かべたまま言葉を続けた。

「せっかく遠方よりお越し頂いたようですが、日が悪かったようですね。本日は他の招待客のご迷惑になりますのでご遠慮ください。後日、ロンメル男爵と相談のうえでご訪問する日取りを決めることをお勧めいたします」

アーベンロート伯爵はやんわりとだが、はっきりと拒絶してくれた。これで引き下がると思ったが、相手も意地からか、必死で食らいついてきた。

「し、しかし、せっかく来たのです。

私たちからフィリーネ嬢への言祝ことほぎを申し上げる事だけでもお許し頂きたい。これではあまりに息子が不憫です」

子供を引き合いに出されて、アーベンロート伯爵の眉が少し動いた。それが不愉快という感情だとバッハシュタイン伯爵は気付いていないのだろう。

息子をだしにするなんて卑しい親父だ…

門の前でうんざりしていると、凛とした女性の声が背中に響いた。

「そこまでですわよ!バッハシュタイン伯!」

その声に振り返ると、そこには背の高いご令嬢と線の細い貴公子の姿があった。二人の姿を見て、バッハシュタイン伯爵の顔に恐怖に似た感情が張り付いた。

「ろ…ローヴァイン公子…何故、このようなところに?」

「ロンメル男爵夫人から、ヴェルヴァルト伯爵令嬢のパートナーとしてご招待いただきました。

それより、これはどういうことでしょうか?ヴェルヴェル侯爵からお話を聞いた時は自分の耳を疑いましたよ。

このような恥ずかしい行為を、父上にどのように申し開きされるおつもりですか?」

ローヴァイン公子の登場に、面倒な親父の先ほどまでの威勢も粘りも何処へやら…

すっかり小さくなって、ローヴァイン公子に謝罪を繰り返す姿は滑稽だ。

「ロンメル男爵。家臣がご迷惑をおかけして申し訳ございません。この件は私に預けて頂けませんか?父上には私から申し上げますので、どうぞご容赦ください」と、ローヴァイン公子は問題を引き受けてくれた。

俺としてはこの場が丸く収まるなら問題はない。喜んで引き取ってもらった。

「父上が、ご迷惑をおかけいたしました」

帰り際に、ずっと黙っていた幼い少年が詫びて頭を下げた。この子の方が父親よりしっかりしていた。

「フィリーネ様にお祝いをお伝えください」

「分かったよ。伝えとくな」と、目線を合わせて応えると、少年はもじもじしながらもう一つお願いをしてきた。

「あの…《英雄》のロンメル男爵閣下にお願いが…僕と握手していただけないでしょうか?」

これまた可愛い申し出だ。どうやら男の子は女の子より《英雄》の肩書に興味があったらしい。

門扉の隙間から伸びた小さな手を握り返すと、少年は嬉しそうに頬を染めて父親と馬車で帰って行った。

とんだ邪魔が入ったが、何とか丸く収まった。

やれやれと肩を竦めて、義兄らとフィーの待つ会場に戻った。
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