魔王と勇者のPKO 2

猫絵師

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一触即発

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暗い部屋の中に蝋燭の光が揺らめく。

その灯りは不気味に揺らめき、締め切った部屋の中に居る人の気配を伝えていた。

一人や二人ではない…

ぼんやりとした灯りに浮かび上がる顔の面々は、一様に苦々しい表情を浮かべていた。

それもそのはずだ…

「これは王国の存亡をかけた戦いである」

低くよく通る声が薄明かりの部屋の中に響いた。

「憎き魔王に人類の希望を奪われた。

さらに、非公開ではあるが、勇者奪還のためアーケイイック・フォレストに渡った、我が国の英雄アドニス・グラウス・ワイズマン、ルフトゥの神官ウェントゥス・レーニス、大魔導師ガリウス・エッセの訃報がもたらされた。

我が国始まって以来の危機的状況である」

彼は忌々しくそう告げると、目の前に並ぶ諸侯に身振りを伴い熱く語りかけた。

「彼の地に溢れる暴虐無知な魔物共を駆逐せねば、我々に未来はない!

 アーケイイックの魔物達と魔王は必ず屠らねばならぬ。

大賢者アンバー・エリオット・ワイズマンがもたらした繁栄を、今一度取り返すのだ!」

その場の一同が、おぉ!と声を揃えた。

伝説に等しい大賢者の名に皆熱を感じた。

彼らの仕える国は、大神ルフトゥの加護を受けた神聖オークランド王国である。

現在の王はラッセル朝ジョージ五世。

政治に無関心なこの王は、宰相であるテューダー公ダグラスに国を任せ、自分はご馳走と美女に夢中になっていると噂されていた。

王が国務を宰相に丸投げしているが故に、この国はまだ倒れずにいる。

皮肉な事だ…

議長であるテューダー公爵は議場を見渡した。

薄明かりの中、一人の老貴族が口を開いた。

「テューダー公はアーケイイックと戦争するおつもりですかな?

しかし、奴らが定めた国境には随分高い塀が築かれており、巨人族が常駐している砦もあるとか…

どのように戦するおつもりですかな?策はおありで?」

「戦についてはトーマス将軍から話して頂く」

テューダー公爵に指名され、「はっ!」とキレのいい返事をしたのは大柄なクマのような巨躯の持ち主だった。

「先ず、アーケイイックの後ろ盾となっている、フィーア王国と名乗る愚か者共に鉄槌を下します」

「あの異教徒の国か…」

「左様、奴らもまた、我が国にとって魔王に次ぐ大敵です。

彼らは互いに通じ、国境には警備隊程度しかおらず、アーケイイックと通じております」

「そもそも国などと大仰に騙っておりますが、彼の地は邪神に仕える異教徒が逃げ込んだに過ぎず、王と名乗る者もまた罪人です。

愚かにも魔物共と協力する卑しい者たち。

彼らも我らの平穏と安寧のために取り除かねばなりません。

幾度と無く無益な抵抗を重ねる奴らですが、今回は十八万の軍で進行し、異教徒の屍を足がかりにアーケイイックに踏み込むこととします」

「フィーアとアーケイイック両方と戦うのか?」

「アーケイイックはフィーアとは国交があるようですが、現時点では細々とした交易程度で、軍事的な同盟関係にはないとの事です。

まず足がかりに、我々オークランド軍主力がフィーア南部を攻撃し、我々に呼応する形で北からゴルトベルク王国軍を南下させます」

「フィーアの南部には一角獣の巣があるのだぞ。

その作戦では我が軍の被害が甚大となるのでは無いか?」

「メイヤー伯、フィーアの一角獣とはヴェルフェル侯爵家のことですかな?」

そう言ってトーマス将軍は鼻で笑った。

先程発言したメイヤー伯爵は真顔で「そうだ」と答えた。

「現に五年前に我々はオークランドの南東地域を奴らに奪われている」

「ヴェルフェル侯爵が動かせる軍総数は多く見積っても五万弱です。

篭城したとて三倍以上の敵を前にして耐えれるわけが無い!」

トーマス将軍の言うことは最もらしいが、さらにもう一つ問題がある。

進軍の際の最大の問題だ。

「しかし…そもそも、十八万の大軍を維持する兵站へいたんはどうするおつもりか?!」

兵站とは、戦場で後方に位置して、前線の部隊のために、軍需品・食糧・馬などの供給・補充や、後方連絡線の確保などを任務とする機関やその任務を指す。

最も根本的で重要な事だ。

「十分な数を用意するつもりだ。

足りなければ異教徒から奪えばいい」

「そんな相手頼みの作戦では失敗する!

焦土作戦を取られれば飢えて死ぬのは我が軍の方だぞ!」

トーマス将軍は老将の言葉に舌打ちした。

「メイヤー伯、卿は昔は勇敢な武人であったはずだが…

老いぼれたな…」

「無謀な作戦は若さゆえであろう?

宰相閣下、この作戦では我が軍の敗北は目に見えております!

此度の戦、我が騎士団や民を参加させられませぬ。

フィーア、アーケイイック討伐軍遠征はじっくりと時間をかけてご再考なされよ!」

メイヤー伯の喝に一同が、しん、と静まり返った。

そんな中、宰相であるテューダー公爵が沈黙の後、静かに口を開いた。

「メイヤー伯爵は前副宰相のアトラス侯爵と旧知の間柄だったな…」

「左様にございますが…

それが何か?」

「アトラス侯は卿を良い武人と評価していた。

私もそれは認める。

貴殿は両手で数え切れないほどの勲章を下賜されておる」

メイヤー伯の軍服には、色鮮やかな宝石と金銀の細工で飾られた勲章が所狭しと並んでいる。

一目瞭然の彼の姿に軍事面での功績を疑う者はいない。

「残念だ…

卿を失うのは我が軍の痛手だが、アトラス侯を手にかけた罪を償ってもらおう」

テューダー公爵は部屋の出入り口に立つ兵に合図を送った。

急な展開にメイヤー伯爵は驚きを隠せない。

「何だと!何の話だ!」

「アトラス侯は卿との意見の対立で殺された。

あぁ、そうだ…私の勘違いかもしれない。

殺さずに牢に幽閉しておけ。

メイヤー伯、もし何か私に伝えたいことがあれば門番を通して私に進言せよ」

「こんな脅しをして何になる!

考え直すのは貴方の方だ!」

両脇を屈強な兵に固められ、議場から引きずり出された。

老将の突然の退場に議会もザワついたが誰も何も言えない。

彼の行先は城内の牢獄だ…

固く閉ざされた扉の向こうからメイヤー伯の怒号が遠ざかって行く。

議場に取り残された諸侯は固唾を飲んだ。

「アトラス侯の件も片付いた…」

独裁者に相応しい冷たい視線で諸侯を眺め、テューダー公は言葉を続けた。

「まだ私に意見のある者は話を聞こうか?」

誰も何も言えない、言えるはずがない…

諸侯の沈黙を嬉しそうに眺め、テューダー公は大きく頷いた。

こうでなくては。

この国の最高権力者は王ではない、宰相の私だ。

「では、意見も一致したところで異教徒討伐の準備を進めよう。

トーマス将軍、作戦の続きを…」

「は、はい…」

相手の恐怖を浮かべた視線がたまらない。

最高権力者としての心地よい愉悦感が彼を支配する。

彼はその心を映すかのように歪んだ笑みを浮かべていた。

✩.*˚

朝というのは誰にでも平等に訪れる。

歳をとると朝が早くなると言うが、私は割と遅くまで寝てしまうタチだ。

分厚い日光を遮るカーテンが勢いよく開く音と、窓から差し込む朝日の容赦ない攻撃に耐えかね、朝日に背を向けた。

師匠せんせい、朝ですよ。

早く起きてください」

「エルフのお嬢さん方が来たら起きるよ」

「そんなこと言って…

美女をベッドに連れ込むと長くなるからやめてください」

苦笑いをしながらウィルが私の肩を揺さぶった。

「身支度をしてください。

私はヘイリーのお世話があるので…」

「お前たちこそ、こんな所まで来てイチャつくなよ。

仮面の意味がなくなってしまう」

せっかく用意した《隠者の仮面》が無駄になるじゃないか。

着替えをしようとしていると、侍女たちが訪ねてきた。

朝の用意に必要な物を揃えに来た彼女たちは、顔を洗うためのお湯を用意し、高級な香油で髪を整えてくれた。

「こちらは陛下からの贈り物です」

そう言って出してきたのは着替え一式だった。

肌触りの良いシルクのブラウス。

黒と臙脂えんじ色のベスト。

すみれ色の長めのジャケットには丁寧な金糸の刺繍が施され、ボタンには宝石があしらわれている。

スカーフは鮮やかなマーブル模様で、光沢の眩しい絹で出来ている。

上はなかなか趣味がいい。

下はダークブラウンのズボンと白のソックス。

まぁ普通だな…

「丈は問題ありませんでしょうか?」

「ピッタリだ。

陛下にお礼を申し上げたい」

「ご公務で午前中はお会いできません。

御用向きは私共が伺います」

「なら、折角だから誰か私と一緒に散歩してくれないか?

花の綺麗な場所はどうだろう?」

ここの侍女達は粒揃いだ。

さすが王の居城で働いているだけのことはある。

昨日目をつけた金鳳花の美女も侍女の中にいた。

「やあ、私のお花ちゃんブルーム

今朝も美しい」

彼女に歩み寄ると、彼女は恥ずかしそうな表情を見せて会釈した。

サラリとした長い髪を優しく手に取って挨拶の代わりにキスをした。

彼女の髪からは花のような優しい香りがする。

「君がいい。

私のために城の庭園を案内してくれないか?」

「あ、あの、私…」

答えられずに狼狽える姿がまたそそる。

どうせ口説くなら初心うぶな乙女の愛らしい表情を見たい。

「フィン、閣下のご要望よ。

お応えして差し上げて」

仕切り役の女性がそう言うので彼女は小さく「はい」と返事した。

「すぐお食事のご用意を致しますので、早めにお戻りくださいませ」

「あぁ、ありがとう。

それでは行こうか?」

腕を差し出すと、彼女は迷ってからその手を取った。

白い長い指先が腕に触れる。

すぐにでも離れてしまいそうだったので「こうするといい」と手を正しい位置で握らせた。

初めて男の腕を握ったのか、初心な彼女の顔は煙が出そうなくらい真っ赤になっている。

こういうのがたまらない…

「どっちに行ったら庭に出れるかな?」

「お…お部屋を出て右へ…

突き当たりの階段を降ります」

「なるほど、了解した。

ところで少し尋ねてもいいかな?簡単な事だ…」

「何でしょうか?」

「君たちは勇者の世話もしているのかね?」

「ミツル様のことでしょうか?

私達には任されていません。

ミツル様のお側でお仕えできるのは陛下の腹心であるベティ・グレ様だけです」

「あぁ、昨日の…」

会食の席にいたあの娘のことか…

子供みたいな容姿をしていたが、侮れない殺気だった。

「一人でお世話しているのかね?大変だ」

「必要があれば私達もお手伝いしますが、私達はお部屋に入ることが叶いませんので…」

「彼女しか入れないのかい?」

「他にも出入りするには陛下の許可が必要になります。

私共はほとんどミツル様と接点がございません」

「なるほど。

朝の挨拶をしてこようかとも考えていたが、無理そうだな…」

この様子じゃ接近するのも難しそうだ…

勝手をしてあのメイドに見つかったら厄介では済まなそうだし…

やれやれ、やっぱり今回は大人しくしておくか…

「そういえばここの者達は随分勇者と親しげだ。

本来であれば勇者はこの国にとって忌避する存在だろう?

なぜ皆受け入れているんだ?」

「あの方は陛下御自ら呼び寄せた方です。

先王陛下も宝物を下賜され、その存在をお認めになりました。

それに何より、私共の敬愛するペトラ様をお救いくださいました。

この城であの方を悪く言う者は居りません」

なるほど、事情は分からないがミツルは随分上手いことやってるようだな。

何を餌に釣るか悩むところだ…

フィンを伴い廊下を歩いていると、階下から早足で駆け上がって行く銀髪のエルフの男性とすれ違った。

「これは…イール殿下」

壁側に寄り道を開け会釈した。

彼は確かペトラ王女の双子の弟だ。

男女の差はあれど、顔の作りや特徴は紛れもなく兄弟だ。

「朝から従者ではなく女を連れて呑気なものだ」

彼は忌々しそうに私を見て毒を吐いた。

彼はあまり友好的ではないようだ。

獣並に用心深い性格で勘が鋭い。

私が城の中を散策していることが気に入らないのだろう。

「少し外の空気を吸いに出たかったので、彼女に案内を頼んだ次第です」

「変な疑いをかけられたくなければ早めに部屋に戻ることだな」

「何かありましたか?」

随分イライラしているな。

「…お前には関係ない。

関係してたら即刻縛り上げて国境の川に沈めてやる」

取り付く島もなく、ピシャリと言い放つ言葉は穏やかじゃない。

弟子たちが関わってないといいが…

そのまま早足で去って行くイール王子の背を見送ったが、彼は何を怒っていたのだろう?

知る由もない。

イール王子は立ち去ったが、フィンは酷く怯えた様子だった。

女性の前であんなに威圧しなくても良いだろうに…

「君を付き合わせて悪かった。

怖かっただろう?大丈夫かね?」

「はい…」

「残念だが戻ろうか?

嫌な思いをさせてすまなかったね。

もし何か言われたら私が無理強いしたと言いたまえ」

彼女の立場が悪くなるのは可哀想だ。

王はともかく、王子や王女達はどうも歓迎してくれない。

いや、一人だけ変わった王女が居たな。

仮面を付けた少女の姿をした不死者リッチ

あの子はよく喋るし、人懐っこい。

まあ、挨拶する機会くらいあるだろう。

そんなことを思いながらフィンの手を取って部屋に戻ろうとした時だった。

イール王子の登って行った階上から彼の怒鳴り声と争う物音が聞こえてきた。

「アドニス!貴様血迷ったか?!」

何事かと、彼女を抱き寄せて階段から離れた。

階上から物々しい音が飛び交い、猿のような身のこなしで金髪の青年が上から降ってきた。

手には剣を握っている。

彼は私を見ると驚いた表情をしたが、睨みつけていきなり襲いかかってきた。

一緒にいるフィンの姿は眼中に無い様子だ。

「この黒狐!よくもあんなデタラメを!!」

「きゃあ!」

「《盾の拳ベティカル・ファスト》」

反射的に魔法石の指輪で魔法の盾を出して防いだが、すごい力で弾かれた。

良い突きだが、褒めてる場合じゃないな…

彼女を抱えたままでは不利だ…

「待ちたまえ!彼女は関係ない。

彼女は見逃してくれ」

「そんなこと言って逃げる気か!

伯父上は死んでなどいない!死んでなるものか!」

何の話か、誰の話なのか私にはさっぱりわからん。

「待てと言ってるだろう!

私は君の伯父貴なんぞ知らんぞ!」

私の言葉に過剰に反応した彼は思いがけない名前を口にした。

「アトラス侯ヘンドリックだ!」

「っ!貴様!オークランド人かっ!」

何で敵のはずのオークランド人がいるのか?

あの魔王、何か隠し事しているな…

「《大盾ゴーザー・シルト》」

指輪に供給する魔力を増やして大盾を作って押し返した。

彼女を逃がせるように距離を稼ぎたい。

相手は僅かにがらよろめいたものの、すぐに体制を立て直して間合いを詰めてくる。

なかなか手練だ。

彼と接近して戦えば彼女を危険に晒す。

なかなか悩ましい状況だ…

『何事ですか?!』

不意に足元の影から濁った声が聞こえた。

弟子の使い魔だ。

勝手に影に潜めていたらしい。

「ウィル、彼女を安全なところに運べ」

『御意』と短く応じると、影に隠れていた使い魔が姿を現した。

黒い化け物の姿をした獣があっという間にフィンを抱き抱えて別の影に潜って消える。

影を伝って移動するので、魔法でもなければ捉えることは不可能だ。

「さて…もういいぞ」

防御してた魔法の盾を解除し、両手に嵌めていた別の指輪を発動させた。

拳に白い雷光が宿る。

「私は殺し合いが本職だ。

オークランドのガキが!死ぬ気で来い!」

「人を誑かす狐が偉そうに!」

オークランド人の青年は毒づいたが、そんな台詞聞きあきるほど聞いてきた。

強烈な突きを躱し、すれ違うように前に出る。

「《雷の拳ドンナー・ファスト》」

カウンターで腹に一発電撃を食らわせた。

内蔵を焦がす一撃だ。

人間なら一撃死、魔物でものたうち回って立ち上がることすら出来なくなる。

「やれやれ…とんだ災難だ…」

こんな所で刺客に会うなんて…

相手が取りこぼした剣を拾うために屈むと、驚いたことに、まだ彼は生きていた。

拳の一撃を体を捻って直前に急所を外したのだろう。

大した奴だ。

また襲ってくると厄介だ…

首を跳ねるか頭を潰すか…

「それでは服が汚れるな…」

せっかく陛下自ら用意して下賜された服だ。

首に足をかけた。

このままへし折ろう…

確実だし、服もこの場を汚さずに済む。

後片付けが楽だ。

踏み抜こうと力を入れようとした時、階段の上から「止めろ!」と声が響いた。

「ワルター!止めてくれ!」

「…やあ、ミツルおはよう」

足はそのままで階段から降りてくる勇者に視線を向けた。

何故私を止めるのだろう?

「騒がしくして済まないね。

オークランド人が襲ってきたから返り討ちにしてトドメを刺すところだ」

「だから…止めてよ、お願いだから!

アドニスが死んでしまうだろ?!」

「アドニスというのか?

どこかで聞いたことがある気もするな…

彼は私を殺そうとしたから殺すんだ。

彼はオークランド人だ」

「もう意識ないじゃないか!

これ以上はやり過ぎたよ!過剰防衛だ!」

何だかよく分からない事を言う子だ。

だが、私も譲る気は無い。

これは私に認められた自力救済フェーデという権利だ。

「今は良いが、また起き上がったら私を殺そうとするだろう。

オークランド人とはそういうものだ。

君は少し優しすぎるな…」

「止めて…人を殺すんだよ…

何とも思わないの?」

「何を言ってるんだ?

私が清らかな人間だとでも思っていたのかね?

彼は私が殺した大勢のうちの一人になるだけだ。

怖いなら目を閉じて耳を塞いでいるといい」

「ワルターこそ!何言ってるんだよ!

お願いだからその足を退けてよ!」

私に掴みかかろうとするミツルを、後ろから来たイール王子が羽交い締めにした。

「ミツル!落ち着いて聞け!

そのバカの事は諦めろ!

ヴェストファーレンの方が正しい」

さすが王子だ。よく分かっている。

それに対してミツルはイール王子を振りほどこうともがいていた。

「嫌だ!アドニスは悪くない!僕が悪いんだ!」

「何を…」

「彼に伯父さんの話をしたのは僕だから…

彼を傷つけたのは僕だ!僕が悪い!」

「無茶苦茶なことを言うな!お前もバカだな!

話なら後で聞いてやるからまずは落ち着け!

アヴァロム!このバカを抑えてろ!

私はヴェストファーレンに話がある!」

イール王子はそう言って召喚獣を呼び出すと、暴れる勇者を黒い巨大な狼に預けた。

「さっきの獣は何だ…」

「獣?」

「しらばっくれるな!

お前の影から出て女を攫って行った獣だ!

昨日の夜にあの獣を城内で徘徊させていたのは知ってるんだぞ!」

「待ってくれ!そんな話は知らないぞ…」

ウィルめ!勝手をしたな!

「アヴァロムが匂いを間違えるはずがない。

物陰で点々と匂いが飛んでいたから見つからなかったが、やっと見つけたぞ!」

「すまない、私は報告を受けていないんだ。確認させてくれ」

「勝手に城を物色して、ミツルの部屋を探してたんだろう?!

陛下の信頼を裏切る行為だ」

これはこれで立場が悪くなった…まずいな…

「なら、こちらからも是非、このオークランド人の青年についてお聞かせ願いたい」

イール王子の顔が苦々しく歪む。

隠し事をしていたのは同じようだ…

痛い脛の蹴り合いになってしまった…

最悪だ…

「とりあえず、この男は始末させてくれ

安心して話し合いもできない」

「承服しかねる。

その男はどうなっても私には関係ない話だが、例の獣がお前の影からでてきたのを見てる証人だ!

殺されては言質がとれない」

「ではこの人間を助けると?

人間嫌いな貴方の言うことではないでしょう?」

イール王子は人間が嫌いなので有名だ。

死にかけた人間を殺すなと?耳を疑う。

「勇者を随分甘やかしてる様子ですな」

「彼は私と私の姉の恩人でもある。

あいつはバカもバカも大バカだ。

勇者なんぞ大っ嫌いだがミツルに救われた奴は大勢いる。

その人間の首はしばらく私が預かる」

「私と部下の安全の保証は?」

「それは《錬金術師の王レクス・アルケミスト》の名に誓って私が保証する。

陛下は貴殿らの《使者の生命・発言・権利》を保証しておいでだ。

それは私達にも覆せない」

くそ真面目な男だ。

オークランド人を殺せなかったのは残念だが、これ以上ゴネてもいい事は無さそうだ。

こちらとしてもつつかれると痛い事がある。

ここは一旦引くべきだな…

瀕死の青年の首にかけていた足を退けて、数歩後ずさって距離をとる。

「これもお返しする」

オークランド人の持ち物の剣を床に置くと、イール王子はやっと警戒を解いた。

巨大な狼を自分の影の中に戻すと勇者を解放した。

「アドニス!」

悲鳴にも聞こえる声で動かない青年に呼びかける。

死体のような青年に、ミツルは見たことの無い治癒魔法のアイテムを使っていた。

魔法を刻んだ動物の骨で折るだけで発動するようだ。

簡単で便利なものがアーケイイックにはあるのだな。

あれなら下級兵士でも扱えそうだ。

「どうしよう?どうしたらいい?

こんなのじゃ全然効かないよ!」

「ミツル、私がここに居るからお前はマリーを呼んでこい。

私は専門外だ」

「わ、分かったよ…」

ミツルが頼りない返事をして治療のできる者を呼びに行った。

イール王子と二人残される。

「私は部屋に戻らせてもらう。

構わないかね?」

「今欲しいのは治癒能力がある者だ。

貴殿じゃない」

イール王子はそっぽ向いたまま無愛想に答えた。

さっさと失せろと言うことか…

黙って肩を竦めてその場を後にした。

本当に今回は散々だな…

「ご無事で何よりです」

部屋に戻った私をウィルが出迎えた。

「フィンは?彼女はどうした?」

「他の侍女たちが落ち着かせてます。

帰ってくるなり女の話とは余裕ですね」

「彼女には悪い事をした」

師匠せんせいのせいではありませんよ。

誰も予想できない事です」

「お前はしれっと涼しい顔をしてるがな、お前も余計な真似をしてくれたな」

「お叱りはまた後ほど…

まさかグレンデルを補足できる魔物が居たのは驚きです」

あの王子の使い魔は余程鼻が利くのだろう。

暗殺や隠密行動に特化したグレンデルを見つけるなんて優秀な狼だ。

「全く、危うくアーケイイックとも戦闘になる所だった。

お前がヘルリヒトのパートナーでなければあの王子に突き出していたところだ」

「面目次第もございません」

「アーケイイック王が何故あのオークランド人を保護してるのか分からん。

役に立ちそうにはないし、どう見てもお荷物だ」

「勇者のお人形でしょう?

寂しくないように与えたのでは?」

まぁ、そういう考え方もあるか…

この国にはほぼ人間が居ないからな…

「何にせよ全て憶測の域を出ないな。

午後は荒れそうだ」

あの王様のことだからいたずらに事を荒立てたりはしないだろうが、それでも多少揉めることになるのは目に見えている。

午後のことを考えるとさすがの私でも憂鬱な気持ちになった。
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