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62 諦めと救いの手

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 アナリーズとジョイが夫婦として幸せな生活を送るためには、今後も番である伯爵夫人の協力が必要となってくる。


 番と過ごしたジョイが子爵領から戻ると、ジョイはそれまでの穴を埋めるかのように、情熱的にアナリーズに愛を求めてくる。

 それからしばらくは平穏に過ごして、最後の一週間ほどはソワソワと落ち着かなくなる。

 そして子爵領に旅立って番と過ごした後は、再び情熱的に妻であるアナリーズに愛を囁くのだ。

 毎回毎回、その繰り返し

 夫婦でいるために番の協力が必要なのはアナリーズだって理解している。

 けれど――。

 妻への愛情を維持するのに番の存在が必須なら、夫にとってアナリーズの存在は何なのか。

 番がいないと成立しない愛情に意味はあるのか。

 それならば――――


 夫が本当に必要としているのはアナリーズではなく番の方ではないのか。


 夫が子爵領へと旅立つたびにアナリーズの心が少しずつ傷つき血を流して、夢見ていた美しい未来に赤いシミが出来ていく。




「はぁ……」

 昼休み。アナリーズはいつものように商会近くの公園で弁当を広げたものの、どうしても手を付ける気にならずそのまま蓋をした。

 これは持ち帰って今日の夕食として食べるしかないだろう。大丈夫、職場には最新式の魔石型冷蔵箱が置いてあるし、弁当に入れているのは傷みづらいものばかり。

 ここのところはずっとそうだ。

 最近のジョイは毎日残業をしている。番のもとで少しでも長く過ごすためだ。ジョイからの愛情は安定しているものの、休日はあちらでまとめて取っている為、アナリーズとのんびりと休日を過ごすことはなくなって久しい。

 でもまあ、それでいいのかもしれない。

 夫が子爵領へと通うようになって一年以上の月日が過ぎた。アナリーズも既に30歳。望んでいた未来は諦めている。
 おそらくこの先もずっとこんな生活が続くのだろう。

 ――番の元へと向かう夫の後ろ姿を見送り続けて。




「悪いけど、もう見ていられないよ」


 不機嫌な声に顔をあげると目の前に猫獣人の同僚がいた。痛ましそうな目でアナリーズを見て。けれど、苛立ちを隠しきれない彼のしっぽはブンブンと千切れそうなほど激しく揺れている。

 そんな同僚――フランクに手首を掴まれ、アナリーズは座っていた公園のベンチから無理矢理立ち上がらされたかと思うと――。


「え? ちょ……」


 フランクはアナリーズをひょいと横抱きにしてスタスタと歩き出した。


 あまりのことに思考が追いつかず、同僚の腕の中でお弁当の包みを抱えて呆然としているアナリーズ。すぐ目の前には、苦しそうな――今にも泣き出しそうな顔をした同僚の顔がある。

 ――いつだって。
 陽だまりに目を細める老猫のように穏やかで優しかった同僚。

 …彼は、こんな顔をする人だっただろうか……。



「そんなに痩せてさ、もう見ていられないよ。食事もほとんど手を付けないし、たとえ手を付けても吐いちゃうし。僕が気付いてないとでも思った? 一度ちゃんと医者に診てもらった方がいい」

「わ……分かった! 分かったから、とりあえず下ろして! 自分で歩けるわ」

「駄目だね。ここまで軽くなるまで自分を放置する人の事は信用できない。もしかして死にたいの? 君は自分の生存本能に無頓着すぎるよ。ああそれと、今日医者に連れていくのは商会長の指示だから。君は半休扱いになっているから午後の仕事は気にしないでいい」


 どうやら。事情を知る商会の仲間にも相当な心配をかけてしまったらしい。連れて行かれた病院で大人しく診察を受けると、お医者様にも叱られた。

 診察を終えたアナリーズが診察室を出ると、同僚が待っていた。彼もアナリーズと一緒に半休を取っていたらしい。

 アナリーズが病院へ来るのなんて、いったいいつ以来か……迷惑をかけて申し訳ないと思いながらも、見知った顔を見ると安心してしまう。


「病気じゃないって」

「はあー…良かった~…」


 アナリーズの言葉に大きく息を吐き、椅子に座ったまま天を仰いでだらしなく脱力する同僚。アナリーズ以上に自分のことを心配してくれている様子に温かな気持ちになる。

 愛する夫はアナリーズのことなどもう気にもしないのに。


「お医者様のお話を聞かれているかと思ったわ」

「あーうん。僕も頑張ったんだけどさ。その、流石に病院は防音対策が厳しいらしい……」


 耳をぴくぴくと動かしながら。申し訳なさそうに目を逸らす同僚の姿にアナリーズはくすりと笑う。


「……職場に戻りましょう」




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