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60 日常の崩壊
しおりを挟むまるでいつかの再現のように。ジョイのシャツのボタンに絡みつく女性の長い髪。
誰の物かは考えるまでもない。艶やかな毛並みをした耳と同じ、オレンジ色の長い髪はアナリーズもよく知るものだ。
最初は一つ。次は二つ。その次は三つ。
月を経るごとにそれは増えて行き、最終的には全てのボタンに番の髪の毛が絡まるようになった。夫が子爵領から戻る度に。震える手で絡みつく髪を取り、夫のシャツを洗濯するアナリーズ。
そして――。
番からアナリーズへの挑発とも思える行動が始まると同時に。
「ごめん、ティアが行きたいところがあるって言うから、次は着替えを多めに入れてくれる?」
『伯爵夫人』から『ティア』へ――。再びジョイが番を愛称で呼ぶようになっていた。
ボタンに絡みつく髪の毛が、夫に絡みつく番から思いのように感じられて。
(気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い……)
吐き気を抑えて洗濯をしても、アナリーズをあざ笑うかのように執着の絡みつくシャツの枚数が増えていく。
とうとう気持ち悪さに耐え切れずに、アナリーズは洗濯をしながら吐いてしまった。
「大丈夫か!? 後は俺がやるから、アナリーズは寝てて」
「ごめん……ジョイ、ありがとう。そうさせてもらうわ」
「うん。あーあ……これ、ティアに買ってもらった、気に入っているシャツなのに……はぁ……汚れキレイに落ちるかなぁ」
「!!」
ポツリと。ジョイの呟くような言葉が聞こえて、再び吐き気がこみあげてきたアナリーズはトイレへと駆け込んだ。
夫に悪気はない。が、無意識に出た言葉だけに夫の中の優先順位が容易に察せられて――アナリーズの内部に蓄積された不快感が増していく。
ようやく胃が空になっても、夫はお気に入りのシャツをまだ洗い続けていた。
今後もこれが続くのか……そう思ったらアナリーズは絶望的な気分になった。これ以上は耐えられない。
アナリーズはジョイに髪の毛の件を伝えた。
けれど。
「ごめん……ティアに悪気はないんだ。嫉妬から来るちょっとしたイタズラ心だと思う。大丈夫、アナリーズは無理しないでいいよ。次からは俺が取るよ。番の髪だし、俺は全く気にならないから。髪の毛くらい可愛いもんじゃないか」
ジョイのひと言で更に心が抉られた。
番からの執着の証とも言えるソレを平気で触る夫の姿など見たくない。そして、たとえ取り去った後だとしても、そのシャツに触るのは嫌だ。
仕方なくアナリーズは日常使いの夫のシャツと子爵領へと向かう時の夫のシャツを完全に分けることにした。そして、贅沢だとは思ったが、出張時に使用したシャツは毎回クリーニング業者に出すことにした。
月に一度とはいえそれなりの枚数になるため支出はきついが、日々の食費を節約すればどうにか捻出できるはずだ。
それに気づいたジョイは喜んだ。
「ありがとう! 良いシャツだからさ、出来れば素人が洗うよりもクリーニングに出したかったんだよね。でも、アナリーズが節約に励んでくれているから言い出しにくくて」
誰に買ってもらったのか。気づけば、ジョイが子爵領へと持って行く服は全てが高級品に変わっていた。
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