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37 伯爵夫人の嘘
しおりを挟む『アナリーズ、君がアミティエ伯爵に色目を使っていると聞いたのだが本当だろうか』
アナリーズが番の交流会に参加をするようになってから数カ月。
あの部屋からの帰り道に、アナリーズはジョイから衝撃的なことを言われて自分の耳を疑った。
「私がアミティエ伯爵に色目を使っているって……ねえ、ジョイ。いったい貴方はそれを『誰』から聞いたのかしら?」
「え…それは、その――――ティア、…から……」
「……でしょうね」
予想通りの名前に、アナリーズは深いため息を吐く。
あの部屋から帰るとき。珍しく伯爵夫人がニヤニヤと機嫌良さそうに笑っていたのを不審に思っていたのだが、どうやらコレが原因だったらしい。
ジョイにあることないこと吹き込んで、アナリーズを陥れるつもりだったようだ。
「なっ!? アナリーズ、認めるのか! まさか君は本当に伯爵と」
「そんなわけないでしょう!」
見え見えの嘘にすっかり乗せられているジョイに対し、アナリーズはつい声を荒げてしまう。
元々の性格もあるが、自分が年上であるという自覚が強いアナリーズは、ジョイに対してあまり口うるさく言うことはない。珍しく感情をあらわにするアナリーズにジョイは一瞬たじろぐが、それでも彼は尚もアナリーズに言い募ってくる。
「で……でも! ティアは泣きながら『アナリーズは部屋で伯爵と二人で食事をしている』と!」
「ええ、そうね。『貴方と伯爵夫人が二人でレストランに行っている』間に、部屋で留守番をしているからよ」
「……っ、だったら君も来ればいいじゃないか!」
「私が行ったら行ったで『赤の他人の部外者が伯爵家の血税にたかりに来たのか』『恥ずかしくないのか』『ここはお前のような平民が来るような店じゃない』『食欲が失せた』『ジョイが可哀想』……そうやって貴方の番さんから言いたい放題に責められるのに?」
「そ……それは」
「それに、目の前でイチャイチャと恋人同士のように過ごす二人の姿を見せつけられて、食欲なんてわく訳がないでしょう! 私がそれを見てどれだけ傷付いているか……ううん、私だけじゃないわ。伯爵様だって同じよ。どうして私達がお店に同行せずに留守番をしているか、一度でも考えたことがあるの!? ……ぅ…っいい加減にしてちょうだい!」
「ご……ごめん! ごめん、アナリーズ! 泣かないで、俺が悪かった」
(ああ、嫌だ。泣くつもりなんてなかったのに)
ぽろぽろと涙を溢すアナリーズを見て我に返り、慌てて抱きしめてくるジョイ。季節は冬。ジョイが着ているコートがアナリーズの涙を吸い取っていく。
『休日出勤』と言ってアナリーズを騙していた時とは違い、今は商会へと出勤するときのような恰好はしていない。気楽な私服、でも高級住宅街へ行くのに浮かない程度の服装をしている。
これからは夫婦二人で支え合っていくとアナリーズが決めて、誤魔化す必要がなくなったからだ。
たった一人で家に置き去りにされていた時よりはいいけれど。それでも嘘を信じて責められるのはやっぱり傷付く。
ジョイだって言われれば気付くのだ。今だって、アナリーズが涙を流したことで我に返り反省してくれた。
だとしても、アナリーズは泣きたくはない。
泣けば相手を騙せると思っているような相手と同類と思われたくはないからだ。可愛げがないし不器用なのはアナリーズ自身も解っているが、それがアナリーズなのだから仕方がない。
――正直。伯爵夫人がアナリーズを嫌っているように、アナリーズだって伯爵夫人の事が好きではないのだ。あんな風にジョイへの執着を隠しもせず、妻であるアナリーズを貶めてくる相手に好意を寄せられる筈がない。
それでも歯を食いしばってあの部屋へと足を運んでいるのは、アナリーズがジョイを愛しているからだ。番に泣かれたからと言って、その気持ちまで疑って欲しくはない。
…それ、なのに…………ッ……。
「ごめん……アナリーズ、本当にごめん。ただ、その……君が、伯爵の分もお弁当を用意しているのを知っていたから……少し、ヤキモチを焼いてしまって」
言いづらそうに。ぽつりぽつり、とこぼすジョイ。
ああ、そうだったのか、とアナリーズは思う。確かに少し不用意だったかもしれない。
「…それは……ごめんなさい。それについては私も悪かったわ。でも、ちゃんと先に貴方に伝えたわよね? 何も口にしない伯爵様のことが心配だから、少し多めに作って行って、食べられるようなら食べてもらうって。ジョイも賛成してくれたじゃない」
「うん……それでも、やっぱりヤキモチは焼いちゃうんだよ。君が、そんな人ではないと分かっていても……愛しているから」
「ふふ……もう。自分はあれだけ伯爵夫人とイチャついておいて、勝手なんだから」
「ごめん――」
「いいわ。でもこれからは簡単に騙されないで。そして、もう二度と私を騙そうとしないで。もし次に騙されたら、私は貴方との未来を考えられなくなってしまうから」
「…………」
「ジョイ?」
「……ああ。分かったよ、アナリーズ……」
どんなに喧嘩をしても、しっかりと話し合いその日のうちに解決するのが二人で決めたことだ。言葉が足りずお互いの理解が得られないままにすれ違ってしまうのは嫌だから。
この日も無事仲直りできた。
二人で解決できた。
そう、思っていた。
けれど、ジョイがアナリーズの言葉に反応を示さなかった時点で――――何かに気が付くべきだったのかもしれない。
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