上 下
8 / 94

8 夫の奇行

しおりを挟む

「……さん。レーベンさん。『アナリーズ・レーベンさん』!」

「あ、ハイッ! ごめんなさい、少し考え事をしていて」

「ああ、いや……それはいいんだけど。真面目な君が仕事中に珍しいね。どうかしたの?」


 アナリーズは同僚からフルネームで呼ばれて、ようやく声をかけられているのが自分だということに気が付いた。

 結婚してアナリーズ・サンティマンから夫の姓であるアナリーズ・レーベンへと変わったものの、旧姓と比べると馴染みが薄いせいか、名字で呼ばれるとどうしても反応が鈍くなる。

 ――それも、ジョイとこのまま結婚生活を続けていければいずれ解消されるのだろうが――。


 アナリーズは自然とそんなことを考えてしまい動揺した。


(ジョイと結婚生活を続けていければって……嫌だわ、縁起でもない。『続けていければ』じゃなくて、『続けていけば』でしょ。続けていけるに決まっているじゃないの)


 余計な考え事のせいで、いつの間にか仕事の手も止まっていたようだ。今の時期はまだ急ぎの仕事がないとはいえ、仕事をため込んで後々大変な思いをするのはアナリーズ自身なのに。

 アナリーズは声をかけてきた営業職の同僚から交通費の請求を受け取ると、慌てて支払いの処理をした。


「その……ちょっと気になることがあって。でも、大したことじゃないの。はい、貴方が立て替えた分の交通費」

「ありがとう。……でも、本当に大丈夫か? 顔色が優れないけど。僕に出来ることなら相談に乗るよ。もしかして……獣人の旦那さんのこと?」

「ええと、その……。……実は、貴方にちょっと聞きたいことがあるんだけど。お昼に少しいいかしら?」


 心配そうに。アナリーズの答えを聞き逃すまいと耳をぴくつかせている同僚の姿を見たら、つい、そんな言葉が出てしまった。

 彼は夫と同じ猫獣人の男性だ。

 同じ商会の経理課と営業課。所属は違えど日頃からさり気なく獣人の習性なんかを話してくれるので、昔から彼とは世間話をすることが多かった。おかげでアナリーズは他の獣人商会員との仲も良好だ。

 そういった意味では獣人であるジョイと仲良くなれたのも、彼のおかげであると言える。

 そして、彼からの助言もあって、結婚してからは匂いを気にするジョイの為に彼との個人的な交流は避けていた。獣人は自分のテリトリーに他の獣人の匂いを持ち込むのを嫌うらしい。

 けれど、現在ジョイは留守にしているし、行き先を考えればこちらへ帰るのは少なくとも一カ月後。
 しかも、相談したいのは他ならぬ夫であるジョイの事だ。

 獣人の中でも夫と同じ猫獣人の彼なら、ジョイの不可思議な行動も理解できるかもしれない。そんな思いで縋るように同僚を見上げると。


「……っ、もちろん。じゃあ、昼休みにね」


 そう言って、交通費を受け取り尻尾をゆっくりと揺らしながら去って行く同僚を見ていると、どうしても様子のおかしかったジョイの事が思い出される。


 ――が、今は仕事中だ。

 アナリーズはもやもやとした気分を切り替えて、早く昼食に入るために日々の業務に没頭していった。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

やり直すなら、貴方とは結婚しません

わらびもち
恋愛
「君となんて結婚しなければよかったよ」 「は…………?」  夫からの辛辣な言葉に、私は一瞬息をするのも忘れてしまった。

真実の愛は素晴らしい、そう仰ったのはあなたですよ元旦那様?

わらびもち
恋愛
王女様と結婚したいからと私に離婚を迫る旦那様。 分かりました、お望み通り離婚してさしあげます。 真実の愛を選んだ貴方の未来は明るくありませんけど、精々頑張ってくださいませ。

私も貴方を愛さない〜今更愛していたと言われても困ります

せいめ
恋愛
『小説年間アクセスランキング2023』で10位をいただきました。  読んでくださった方々に心から感謝しております。ありがとうございました。 「私は君を愛することはないだろう。  しかし、この結婚は王命だ。不本意だが、君とは白い結婚にはできない。貴族の義務として今宵は君を抱く。  これを終えたら君は領地で好きに生活すればいい」  結婚初夜、旦那様は私に冷たく言い放つ。  この人は何を言っているのかしら?  そんなことは言われなくても分かっている。  私は誰かを愛することも、愛されることも許されないのだから。  私も貴方を愛さない……  侯爵令嬢だった私は、ある日、記憶喪失になっていた。  そんな私に冷たい家族。その中で唯一優しくしてくれる義理の妹。  記憶喪失の自分に何があったのかよく分からないまま私は王命で婚約者を決められ、強引に結婚させられることになってしまった。  この結婚に何の希望も持ってはいけないことは知っている。  それに、婚約期間から冷たかった旦那様に私は何の期待もしていない。  そんな私は初夜を迎えることになる。  その初夜の後、私の運命が大きく動き出すことも知らずに……    よくある記憶喪失の話です。  誤字脱字、申し訳ありません。  ご都合主義です。  

どうぞご勝手になさってくださいまし

志波 連
恋愛
政略結婚とはいえ12歳の時から婚約関係にあるローレンティア王国皇太子アマデウスと、ルルーシア・メリディアン侯爵令嬢の仲はいたって上手くいっていた。 辛い教育にもよく耐え、あまり学園にも通学できないルルーシアだったが、幼馴染で親友の侯爵令嬢アリア・ロックスの励まされながら、なんとか最終学年を迎えた。 やっと皇太子妃教育にも目途が立ち、学園に通えるようになったある日、婚約者であるアマデウス皇太子とフロレンシア伯爵家の次女であるサマンサが恋仲であるという噂を耳にする。 アリアに付き添ってもらい、学園の裏庭に向かったルルーシアは二人が仲よくベンチに腰掛け、肩を寄せ合って一冊の本を仲よく見ている姿を目撃する。 風が運んできた「じゃあ今夜、いつものところで」という二人の会話にショックを受けたルルーシアは、早退して父親に訴えた。 しかし元々が政略結婚であるため、婚約の取り消しはできないという言葉に絶望する。 ルルーシアの邸を訪れた皇太子はサマンサを側妃として迎えると告げた。 ショックを受けたルルーシアだったが、家のために耐えることを決意し、皇太子妃となることを受け入れる。 ルルーシアだけを愛しているが、友人であるサマンサを助けたいアマデウスと、アマデウスに愛されていないと思い込んでいるルルーシアは盛大にすれ違っていく。 果たして不器用な二人に幸せな未来は訪れるのだろうか…… 他サイトでも公開しています。 R15は保険です。 表紙は写真ACより転載しています。

婚約者の浮気相手が子を授かったので

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ファンヌはリヴァス王国王太子クラウスの婚約者である。 ある日、クラウスが想いを寄せている女性――アデラが子を授かったと言う。 アデラと一緒になりたいクラウスは、ファンヌに婚約解消を迫る。 ファンヌはそれを受け入れ、さっさと手続きを済ませてしまった。 自由になった彼女は学校へと戻り、大好きな薬草や茶葉の『研究』に没頭する予定だった。 しかし、師であるエルランドが学校を辞めて自国へ戻ると言い出す。 彼は自然豊かな国ベロテニア王国の出身であった。 ベロテニア王国は、薬草や茶葉の生育に力を入れているし、何よりも獣人の血を引く者も数多くいるという魅力的な国である。 まだまだエルランドと共に茶葉や薬草の『研究』を続けたいファンヌは、エルランドと共にベロテニア王国へと向かうのだが――。 ※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。 ※完結しました

貴方といると、お茶が不味い

わらびもち
恋愛
貴方の婚約者は私。 なのに貴方は私との逢瀬に別の女性を同伴する。 王太子殿下の婚約者である令嬢を―――。

比べないでください

わらびもち
恋愛
「ビクトリアはこうだった」 「ビクトリアならそんなことは言わない」  前の婚約者、ビクトリア様と比べて私のことを否定する王太子殿下。  もう、うんざりです。  そんなにビクトリア様がいいなら私と婚約解消なさってください――――……  

ずっと好きだった獣人のあなたに別れを告げて

木佐木りの
恋愛
女性騎士イヴリンは、騎士団団長で黒豹の獣人アーサーに密かに想いを寄せてきた。しかし獣人には番という運命の相手がいることを知る彼女は想いを伝えることなく、自身の除隊と実家から届いた縁談の話をきっかけに、アーサーとの別れを決意する。 前半は回想多めです。恋愛っぽい話が出てくるのは後半の方です。よくある話&書きたいことだけ詰まっているので設定も話もゆるゆるです(-人-)

処理中です...