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前編
しおりを挟む「アクアステイブル伯爵、貴様は王宮職員としての立場を悪用して私腹を肥やした。王宮の秩序を乱したとして本来ならば死刑がふさわしい。しかしながら、長年にわたり水道事業に尽力してきた功績もある。国王陛下からの温情として、毒杯を賜ることを許された」
法廷内に裁判官の声が響く。
ああ、なんてことだ。前世の反省から一滴も酒を飲むことなく真面目に仕事一筋に生きてきたのに。無実の罪で――結局はまた、酒で命を落とすことになるのか。
前世の俺はいわゆるアル中だった。うまい話に騙されたとか、家族を早く亡くしたとか、妻に先立たれたとか。色んな言い訳はあるが、ただ単に俺の心が弱かった。酒に逃げた。
そのあげく、子供には迷惑をかけた。辛いと言っては酒を飲み、寂しいと言っては酒を飲み、楽しいときでも酒を飲んだ。そして、子供の声を聞きたくなったら酒を飲む。既に結婚して家を出ていた子供には呆れられていて、素面ではとても電話する勇気が出なかったからだ。
朝も昼も夜も、好きな時に酒を飲んで電話した。「もう飲むな」と言われても寂しい思いをさせるお前が悪いと子供を責めた。言いたいことを言うだけ言ったら電話を切る。そして、また酒を飲む。最終的に酒で命を落としたときの、葬式での娘の顔が忘れられない。怒るでも悲しむでもなく、ただ、ほっとしていた。親の葬式で、そんな顔をさせたのは間違いなく俺のせいだ。死んだ後、神様的な何かにそれを見せられ、ただただ泣いた。
だから。
転生したとき俺は決意した。今世では決して酒は飲まない。それが、前世迷惑をかけた人たちへの俺なりの贖罪だ。
ただ、それは思ったよりも大変なものだった。転生先は中世のようなファンタジー世界。水道事情が悪い中、みんながみんな、まるで水のような感覚でワインを飲む。そんな中で断酒を貫くのは大変だった。なにせ、生まれた伯爵家の領地の主産業が酒造りなのだ。長男でありながら試飲することすらできないのだから話にならない。しかも、社交に酒はつきものだ。飲めない俺では家の役には立てない。幸い、二男、三男と代わりはいたので、家督は弟に譲り、俺は王宮に働きに出ることにした。
それでも。王宮に出仕しても夜会や集まりで酒は出る。どっぷりと酒に依存していた俺にとって、そんな環境で飲まない選択をし続けることがそもそも大変だった。「飲めない」のではない。あえて「飲まない」のだから。
そんな俺を知ってか知らずか、実家と同じ酒造りを主産業としているライバル家の嫡男に目を付けられて、事あるごとに絡まれた。
「おやおや、君は自分の家で作っている酒も飲めないのかい。それはきっと素晴らしい出来なのだろうね。ところで普段君は何を飲むんだい? ママのおっぱいか?」
「ほら、ウチで作っているワインだよ。王宮のワインはほとんどウチが取り扱っているからね。これなら飲めるんじゃないか?」
「なんだ君は、口もつけずに失礼じゃないか! 人がせっかく勧めてやっているのに」
夜会の度に。パーティーの度に。何度断ってもライバル家の嫡男は無理矢理酒を飲ませようと絡んできて困った。正直ムカついたが飲めないと言っても、飲まないと言っても酔っ払いには通じない。前世、まごうことなき酔っ払いだった俺には分かる。勿論それとは別にまったく別の者から善意や好意で酒を勧められることもあった。
そんな風に酒に接する機会は山ほどあった。その上で精神的に依存している物を精神的に耐えなくてはならないのだ。それがつらい。正直、何度もくじけそうになった。それでも。そんな時は葬式での娘の顔を思い出すことでどうにか耐えた。
そもそもの環境を変えようと、俺は仕事の傍ら水の浄化の研究を始めた。元々、領地では前世の記憶と今世での知識を融合させて、安全な水を作り出すことに成功していた。領地という狭い場所だからこそできたことだが、工夫すれば技術を広めることだってできるはずだ。そうして、王都にも前世の簡易的な浄水システムとスライム浄水場を融合させた、浄水施設を作ることに成功した。使用後の水も浄化施設を作って徹底的に水質の向上に努めた。結果的に、市民や貧困層の病気も減り、俺はその功績から単独で伯爵位を与えられた。
安全な水を恒久的に確保できたことで安心し、俺は王宮職員としての仕事にも力を入れた。前世では酒で失敗するまでは自営で働いていたのだ。帳簿管理も自身でしていたので、その経験からこちらでの仕事の効率化も行った。その中でおかしな金の動きに気が付いた。酒類の納入数と支払額が少しおかしい。気になって調べれば調べるほど怪しい数字が出てくる。どうやら組織ぐるみでの不正が行われているようだった。疑惑の先はあの、やたら俺に絡んでくるライバル家の嫡男だ。俺は証拠を集め提出し――それが、いつの間にか俺自身が不正を行っていたことにされていた。実家の酒造りには一切かかわっていなかったのに、実家に便宜を図るためにライバル家を嵌めた、とされたのだ。資料を見れば一目瞭然なのに、なぜか俺の訴えは全て無視された。裁判では一方的に判決を出され、牢に繋がれた。唯一の救いは単独犯とされ、実家に迷惑をかけないで済んだことだろうか。
そして、今日。牢にいる俺にいつもより少し豪華な食事と共に毒入りのワインが運ばれた。刑の執行日が来たようだ。
はは、肉とワインとか最高の組み合わせじゃないか。毒入りだけど!
目の前には神殿から派遣された神官がいる。見届け人だそうだ。見学にでもきたのか牢の外にはライバル家の嫡男がいた。ワイン持参で、毒杯を前にした俺を肴にニヤニヤと笑いながら飲んでいる。悔しさをぐっとこらえて今日までの間に何度か練習させられた、祈りの言葉を食事前に口にする。
「罪ある者には赤き制裁を。罪なき者には白き許しを。毒杯をもって我に裁きを」
温情とやらだろうか。肉はとてもうまかった。酒を目の前にして、言われなくても手を出しそうになるこの思いをもう我慢しなくていいんだ。そう思うのに、悔しくて悔しくて堪らなかった。酷いよ、神様的な何か。俺、今度こそ酒で失敗しないようにと頑張ったのに。記憶がある分辛かった。飲みたくなるのを必死に堪えて、今日まで生きてきた。それなのに。これも含めて、前世で酒におぼれて周囲に迷惑をかけた俺への罰なのか?いっそ斬首で殺してくれた方がマシだった。
最後の食事を終え、毒杯に手を伸ばし一気に呷る。
懐かしいアルコールの味が口に――広がらなかった。あれ?おかしいな。ただの水??
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