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Act 8. 夏の小鳥
押し問答
しおりを挟む「今日の夜は何かやる事あるのか?」
「学会も終わったし、特にないかな」
「俺の部屋に来ないか?」
その言葉に誘われ、夕食後薫の部屋でゆっくりする事になった。
薫の部屋はベッドと勉強机の他に小さなテーブルと一人掛けソファが置いてある、シンプルな部屋だ。部屋の大きさからは想像出来ない大型テレビが壁に取り付けられており、サウンドもサラウンド8chの仕様になっている所は寮のリビングと似ていた。
俺は一人掛けのソファに座り、薫はベッドを背に座っていた。伽耶さんから食後のデザートにと渡されたお茶を飲みながら、2人で皿に盛られた葡萄を一粒つまみ、丁寧にそれを剥いていく。
「どうかしたのか?」
心配そうにこちらを見つめる薫と視線が合った。時折、こちらを心配そうに見つめる薫の視線に気づいていたが、雅人や伽耶さんの前で切り出さなかったのは薫が2人になるタイミングを見計らっていたからなのだろう。
「何が?」
さっきの出来事が煮え切らず悶々と考えていたのも、きっと薫は分かっているのだろうが、今回ばかりは簡単に相談出来る内容でもないのが事実だった。
「……話したくないなら無理には聞かない」
「別にたいした内容じゃないんだ」
「……そうか」
薫がジッとこちらを見ていた。
「本当にたいした内容じゃないから大丈夫。悩んでもどうにもならない事は分かってるんだ」
言い訳する様に言葉を並べたてれば、薫がゆっくりとその言葉一つ一つに頷いてくれる。
「でも諦められないから、悩んでいるんだろう」
結局の所はそうなのだ。
人生に諦めはつくりたくない。そう思って歩んだ二度目の人生。だからこそ、諦める決意をする時には大きな葛藤も同伴する。
でも、こればっかりは諦めるしかない問題なのも分かっている。
俺はもう寛人ではない。
伊織である限り、俺は寛人であって寛人ではない。
この哲学のような押し問答をもう何度繰り返しただろうか。
それ以上薫は踏み込んで来なかった。
心配してくれているのに、と申し訳ない気持ちになる。大画面に映し出される映像は、薫にしては珍しく、日本のドラマだった。男女が入れ替わるという設定のストーリーというのは、見始めて10分ぐらいした所で分かった。
「ある日目が覚めたら、自分じゃなかったら、薫はどうする?」
ふと浮かんだ疑問をそのまま口に乗せた。
「難しいな……」
薫が考え込んだ。
「それは一時的に、という事か?」
「戻れない、もしくはこのドラマみたいに分からない場合」
「そうだな……。嘆いてもどうにもならないから、必死に生きる、としか言えないな。だが、一つ言えるのは、自分の好きな事を変えるつもりはない。このドラマの場合、ヒロインはヒーローの好きな事を好きになろうと努力するが、ヒロインは趣味という趣味がないからこういう事が出来るんだろう。俺は自分が好きな事を諦める事は出来ない。生活態度や習慣を改めざるおえない部分は多少あるだろうが」
いつになく饒舌に薫が答える。
普段は言葉数が少ない薫だが、意見がない訳ではないというのは、一緒に生活しているうちに分かった事だ。聞いたらどんなにつまらない質問でも、いつも真面目に答えてくれる。
「でも諦めざるを得ない状況だったらどうするんだ?」
「難しい質問だな」
と薫が眉根を寄せた。
「制約があって出来ないって事か?」
「仮にそうだと仮定して」
「……相手の要求以上の事をする方法を考えて妥協点を探るか、時間が解決しそうな問題なら待つ」
「そうだよな」
「答えになってるか?」
「なってるよ。すごく面白い」
「そうか。仮定として話せるから面白いと感じるが、実際にそういう状況になったらと考えると俺は辟易するな」
その意見に、確かにそうだ、と笑った。
確かに斯波みたいに客観視出来るポジションなら面白いと思えるが、実際だとそう軽くもなれないのは事実だ。
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