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第三章

疑心

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 呆気に取られていたレオンハルトは、カイがルーナの手を急に握ったのを見て、我に返った。
 咄嗟にカイの腕を掴んで手首をぎりりと握る。

「っ?! いたっ……」
「勝手に触らないでもらえるか」
「あ、すみません……?」

 頭上にハテナマークを浮かべながら、カイがレオンハルトの圧力に負けたようにルーナの手を握っていた手をぱっと離した。
 レオンハルトはカイの腕を振り落とすように払うと、ルーナとカイの間に割って入る。

「あの……? レオンハルトさんが、なんで……」
「僕はルーナの夫です」
「えっ……?! 夫……結婚?! ルーナ、結婚したのか?!」

 レオンハルト越しにカイがルーナを見た。レオンハルトが振り返ると、ルーナはこくこく頷いている。

「えぇ、そうよ。私、レオンの妻ですのよ。いくらあなたでも、許可なく人妻に触れてはいけません。分かった?」
「人……妻……」

 カイの顔がみるみるうちに絶望に染まっていく。デジャヴを感じると思ったら、さっきのエミリーの様子とまるきり同じだ。

「カイも分かったようだから、前に出てもいいかしら? このままでは話しづらいわ」
「しかし……」
「あなたが隣にいるなら大丈夫でしょ? 騎士様」

 急に飛び付かんばかりの勢いで駆けてきた男の前にルーナを出すのは嫌だったが、そこまで言われてしまうとノーとは言えない。

 渋々レオンハルトが体を退けると、ルーナがレオンハルトの隣に並び立った。

「ルーナ……」
「カイ、久しぶりね。何年振りかしら? あなたが南部を離れて……8年?」
「6年だよ……はは、変わらないなルーナは」
「あら、そうだったかしら? カイも変わらないわね。……と思ったけれど、とても背が伸びたんじゃなくて? 肩や腕も立派になって……」
「ははっそれはさすがにね! ルーナもとても綺麗になった。あの頃もすごく綺麗だったけどさ」
「まぁ、お上手ね。南部にはいつ戻ったの?」
「最近だよ。君の屋敷を訪ねたら、使用人しかいないから驚いて……この辺りに越したと聞いたんだ。まさか結婚してるとは思わなかったけど……」
「あら。使用人は私が結婚して屋敷を離れたのを言わなかったのかしら? いいえ言ったはずよ? あなた、昔から人の話を聞かないじゃない」
「さすが、ルーナはよく俺のことを知ってるなぁ」

 2人の会話を聞きながら、レオンハルトは悶々としていた。何なんだ、この会話は? 

 2人ともまるでレオンハルトが見えていないかのようだし、カイはずっとデレデレしているし、ルーナも心なしか嬉しそうにしている。

 この2人の姿を見ていると、無性に腹が立つ。胃がムカムカして、落ち着きがなくなって貧乏ゆすりが止まらなくなる。もしかして何かの病気か?

 というか、この男は本当にルーナの幼馴染なのか? カイは料理人だ。よほどのことがない限り貴族が料理人をすることなんてありえない。 

 立ち居振る舞いや発音なんかを聞く限り、カイは貴族ではないだろう。
 平民のカイがルーナと幼馴染……?

「とにかく懐かしいわ。あなたはここで働いてらっしゃるの?」
「あぁ、最近働きだしたんだ」
「じゃあまた会えるわね」

 レオンハルトはルーナの発言にギョッとした。また会いたいということか?! 夫の目の前で堂々と浮気宣言?!

「あ、あぁ! 会えるよ! いつでも!」
「次またレオンに会いにきたら、ついでに食堂に寄ろうかしら。ねぇ、レオン? 次は食堂で食事を摂ってみたいわ」

 ルーナがレオンハルトの腕に手を触れさせて、ぎゅうと腕につかまってきた。

 "ついでに"……。
 ルーナが再びこの男に会うのは嫌だが、あくまで"ついで"であること、ここに来るのはレオンハルトに会うことが目的だということがルーナの言葉からは読み取れて、急降下していた機嫌が少し上を向く。

「うん。じゃあ、そうしよう」
「レオンありがとう」

 ぎゅう、と強く腕に抱きつかれて、ささくれ立っていた心にふわりと優しい風が吹いた。

「じゃあ、私たちもう行くわね」
「えっ、あ、もう行くの?」
「今日は夫とお祭りデートなの。またの機会にお話ししましょうね」
「あ、でもルーナ……」

 カイが食い下がったとき、いつのまにか姿を消していたエミリーが向こうから駆けてきた。

「カイ~! あら、レオンハルト様……?! と、奥様……」
「エミリーさん、ごきげんよう」

 にこにこ笑うルーナに対して、エミリーが「ご、ごきげんよう……」と返した。どこか気まずげだ。

「エミリーさんとカイもお祭りを楽しみましょうね。レオン、行きましょう?」
「あぁ……」

 ルーナと腕を組んだまま、カイとエミリーの前を通り過ぎていく。横目でちらりと様子を見ると、カイはじぃっとルーナを見つめていて、その顔はどう見てもただの幼馴染に向けるような顔じゃなかった。

 やはり、カイがどうしても会いたくてここまで追いかけて来たという大切な女性とはルーナのことで間違いないだろう。

 一体2人はどういう関係なんだ。旧知の仲なんだろうこと以外何も分からなかった。
 聞いてもいいのだろうか? 鬱陶しいと思われるだろうか。あぁ胃がムカムカする……。

「レオン? レオンってば」
「……え? なんですか?」
「もう、ぼうっとしていたわね? ねぇ、バザーをやっているわ。見に行きましょうよ」

 レオンハルトの心はこんなにも暗雲に覆われているのに、ルーナはいつもと変わらない。レオンハルトだけが心をもやもやと曇らせているのだ。
 
 その落差に、余計に肩を落としたくなるような、あるいは地団駄を踏みたくなるような。
 
「……行きましょうか」

 カイのことは聞けなかった。
 祭りを楽しんでいるルーナに水を差したくない気持ちもあったし、カイとの関係を詮索するような真似をして、ルーナに鬱陶しがられたくはない。

 それに、もしも、レオンハルトがカイのことを聞いて、ルーナもカイを大切に思っていることが語られてしまったら……言葉にせずとも、その表情や仕草で、それが分かってしまったらと思うと、怖かった。

 カイがルーナを今でも想っているように、ルーナもカイのことを想っているとしたら……自分はどうすればいいのだろうか?

 ルーナと想いを通じ合わせたと思っていたのに、ルーナにはずっと想っていた相手がいたとしたら?
 その相手が、目の前に現れたとしたら?

 そう思うと心臓がズキンと痛んで、息もできないくらいだった。
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