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第二章
大事にしろよ
しおりを挟むコンコン、とノックをすると、すぐに中から「どうぞ」と返事が返ってきた。
「失礼します」
「おぉ、レオンハルト。見送りは終わったのか?」
「はい。今日はお忙しい中お時間をいただき……」
「いい、いい。堅苦しいのはよせ。俺がお前の奥方に会いたいと言ったんだ。連れてきてくれてありがとう。差し入れも助かるよ。ここは身なりに頓着のない奴も多いから」
「いえ……」
クラウス団長は、堅苦しい式典やら礼節やらを嫌う。それは本人曰くクラウスが平民だからだという。移民の三代目である彼は幼少期から色々苦労が絶えなかったらしい。レオンハルトの歓迎会の際に聞かされた身の上話だ。
「いい嫁さんをもらったな。お前らの世界じゃそういう言い方はしないか」
「さぁ、よく分かりません。僕は肩書だけはありますが、貴族社会のことはよく知らないので……妻も、似たようなものです」
「そうなのか。まぁ、少なくともここではマナーやらしきたりやらをうるさく言ってくるやつはいねぇし、ちょうどいいな。奥方……ルーナ様と呼ぶべきか? お前のことをしっかり見てるし、よく気にかけてる。なにより美男美女でお似合いだ」
「……あの、団長は、ルーナが王都で“魔女”と呼ばれていることはご存知ですよね?」
ずっと気になっていたことをこの際ぶつけてしまうと、団長はふむ、と目線を外して手で顎を摩った。
「知ってるぞ」
「ルーナが魔女と知っているから、会いたがっているのかと思いました」
「お前の奥方が魔女だったら、なぜ会いたがるんだ?」
「……それは分かりませんが、たとえば噂の魔女を一目見てみたいという好奇心だったり、王家に対する忠誠心からルーナ自身に圧力をかけたかったり……?」
「なんだそりゃ。くだらねぇな」
その答えを聞いて、レオンハルトはひそかに安堵した。団長がルーナに下品な好奇心や敵意がないことが分かって安心したのかもしれない。
「こんなことを言ったら不敬だとお前は怒るかもしれないが、元々移民家系の俺には王族への忠誠心も、光の女神やら神殿やらへの忠誠心もねぇ。神殿がルーナ様が王女を殺すって言ったから、なんだ? ルーナ様は実際に王女を殺したがってるのか?」
「……まさか」
思い出すのは、花祭りでリチャードに絡まれて、ルーナが平手打ちをした帰りの馬車のこと。
ルーナは自分がどうやって王女を殺すかも分からないと言ってわんわん泣いていた。
常識的に考えれば、おかしな話だ。
ルーナが生まれた時、ナディア王女はこの世に存在すらしていなかった。なのに、生まれたばかりの赤ん坊が、まだ生まれてもいない王女の命を危ぶむと告げられるなんて。でもルーナの母親はルーナを生んだ時、炎に包まれて死んだ。これも実際には分からない。ルーナ本人に聞くわけにもいかないし。
そして、レオンハルトはこの国で生まれ、この国で育った、この国の貴族だ。レオンハルトにとって王家は絶対的な支配者で、光の女神は信仰の対象だ。光の女神が神託でそう告げたのなら、それが正しく、真実なのだ。
「大体魔女魔女言うけどな、俺には可愛らしい嬢ちゃんにしか見えねぇよ。お前はいっしょに暮してて魔女だと思うのか?」
「……思おうとしたんです。でも、」
ナディア王女が大事だ。幼い頃から、あの方を守る為に生きてきた。母を失い、新しい家族からも受けられなかったものを、ナディア王女だけが与えてくれた。
レオンハルトの命は、ナディア王女の為にある。だから、魔女と結婚するのも怖くなかった。誰もが恐れ忌み嫌う魔女といっしょに暮らすことも、ナディア王女の為と思えば苦じゃないはずだった。
それが実際に魔女と結婚してみたらどうだ。
魔女は美しく、よく笑い、かと思えば声を上げてわんわん泣いて、レオンハルトの為に怒って、平手打ちなんかして。名門貴族の令嬢なのに、大口を開けて笑う。なのに、カーテシーはとびきり綺麗だ。
花に詳しくて、ガーデニングが好き。レオンハルトの母の話を初めて聞きたがった稀有な女。ひとつしか年齢が変わらないくせに、年上ぶってレオンハルトをすぐにからかってくる。
そんなルーナとの生活を、レオンハルトは苦しいどころか楽しんですらいる。
どう見たって、ルーナは人間だ。どんなに突き離そうとしてもするりと懐に入って来て、レオンハルトの腕に触れて、こっちはドキドキしているのにルーナはちっとも気にしていなくって。いつまでもブランコを押させようとするし、きっとルーナはレオンハルトに触れる時よりも、カエルにびっくりした時の方がドキドキしていた。
レオンハルトはルーナのことを知れば知るほど、ルーナがただの人間なのだと知ることになる。
「ルーナはどうしたって、人間です。たった18の、おてんばな令嬢です」
「それでいいんだよ。神殿やら王族やら、なにもかも抜きにしてお前が見たものだけ信じろ」
「……」
「自分の人生を生きろよ。自分の気持ちに正直でいろ。じゃないと自分が苦しむ」
「だけど、誓ったことを覆すのは不誠実じゃないですか?」
しん、とレオンハルトとクラウスの間に沈黙が落ちた。
「……なんだ、浮気か?」
レオンハルトはぎくりと肩を震わせた。正式には浮気じゃない。だって、レオンハルトのナディア王女への想いは、一方的なものだから。しかしレオンハルトは今まで、幾度となく光の女神に誓ってしまったのだ。
この先ずっと、ナディア王女のことを想い、ナディア王女に尽くしますと。
「結婚前からほかに愛人でもいたか? 意外だな。まぁ貴族なんてそんなもんか?」
「ち、違います! そんな人いません……誓いというのも、僕の中で勝手に誓ったことというか……ともかく、誰にも言ってはいませんが、女神様にはすでに誓ってしまいました」
「ならいいじゃねぇか。人の気持ちなんて毎日変わるもんだ。女神様とやらにはまた違うことを誓えばいい」
「そういうものでしょうか」
「目に見えねぇ女神やら神託やらより、目の前にあるもんを大切にするんだな。もいちど言うが、自分の気持ちに嘘をつくことが一番つらいことだぞ。だから、あの子のことを大事にしろよ」
「……はい」
移民三世の平民であるクラウス団長の考えは、この国の大多数の人間とは少し違っているかもしれない。これを王都の街中で言おうものなら白い目で見られるだろう。 しかし、レオンハルトの心にはクラウス団長の言葉がやけにしっくりと来た。
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