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Ⅳ ノルンの魔女

第59話 約束

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 アリス様の姿を見て、シノもわたしもげっそりしている。マドカ先輩が、合図を送った。『私は先にゲートに向かいます』という合図。わたしたちにしか分からない合図で。
 この混乱の状況に応じて、マドカ先輩が忽然と立ち去った。誰も知らない。誰もがこの状況と空気に、追いつこうと精一杯にもがいている。
 わたしたちも、この混乱に乗じて立ち去ろう。そっと足音立てずにこの場を去る。みんなの影が見えなくなるまで安心できない。静かに、でも速く動いた。そのときだ。
『生きて帰れ、約束だ』
 頭の中で、リュウのその一言が響いた。
 もう、何も聞こえなくなった色褪せない世界に、その一言は、唯一色褪せる。黒だった世界に色が芽生える。でもそれは一瞬で、その声だけ。
 消え入りそうな、でも鋼のように強い声を初めて聞いた。これから契を結ぶんだ。たった一人の約束も、守れないじゃあ話にならない。絶対、約束守るよ。

 心の芯から体がポカポカする。今なら何でも出来そうだ。リュウに背中を押され、わたしはゲートがある道を突っ走る。
 マドカ先輩とは、それ程時間差はないのに全然合流しない。もう、ゲートに辿りついているのだろうか。

 他の先生方も魔女協会もいなくて、良かった。つくづく強運だと思う。そして、あっという間にゲートに辿りついた。広い室内。上下左右見渡してみても、真っ白な壁が続いている。
 宇宙空間と同じ。果てがない。果てがあるのか分からない。けど、建物だから果てがある。そう言える理由は、人間の視覚的誤差。実際は果てが存在する。
 広い室内に、大きな門が存在している。幾つもこちらを反射させる大きな鏡のよう。ゲートは閉じていて、鎖が敷いてある。かなり頑丈に。
 マドカ先輩がゲートの外に立っていた。やっぱりもう、着いていたんだ。
「マドカ先輩っ!」
 声をかけると、マドカ先輩はゆっくり振り向いた。笑みをかけるかと思いきや、怪訝な表情を。眉間にシワを寄せて、怒っている。
 わたしたちが、あまりにも遅かったから、怒っているのだろうか。でも、そんな怒りすぎじゃない。怒る沸点があまりにも、低いような。
「どうして、いらっしゃるのですか?」
 そんな、キツイ言葉かけなくても。普通にいるよ。わたし、実は嫌われていたのかな。しょんぼりしていると、わたしの背後からシノではない気配が。
 びっくりして振り向くと、マドカ先輩が全部向けて言ってたのはわたしではなく、ハヤミ先生に言ってたんだ。
「輪を抜け出して、こんなとこにいるお前たちこそ、聞きたい。何している」
 まさか、ハヤミ先生に悟られていたなんて。完全に出し抜くことはできなかった。わたしたちの跡をつけてきたんだ。わたしたちのせいで。
「私たちは、今からゲートを通ります」
 マドカ先輩が、強く言った。
 ノルン襲撃、からの混乱と困惑の世界、誰もがこの状況でゲートを通るなんて考えもしないだろう。
 それは、散々リュウから正論を言われた。ゲートを通ってどうする。会話なんてできるわけがない、と。
 ハヤミ先生も、リュウと同じ反応をした。呆れてものも言えない様子。わたしたちの行動は、非難される。
「マドカ、君という者がいながら、後輩をそんなところに」
 ハヤミ先生は、どうやら発案者がマドカ先輩で、わたしたち後輩は巻き込まれた、と見てる。実際は違うのに。
「違います! わたしが最初に言い出したんです! マドカ先輩じゃない!!」
 わたしは前に乗り出した。ハヤミ先生は、呆れている。重いため息をもらしている。
「君たちは、何をしているのか分かっているのか?」
 呆れてやっと言えた一言が、これ。
 ハヤミ先生は、頭を手で抑えていた。ずっとお世話になっている人を、そんな苦しませたくない。けど、これだけは分かってほしい。みんな、もう決めたことだと。
 その覚悟は、もう誰にも折れないと。
 わたしたちの、覚悟を決めた目を見てハヤミ先生は考えこんだ。
 いっぱい悩んで、考えて結論出たその答えは、わたしたちの背中を全力で押すこと。
「人類からも約束してくれ、ただの契じゃない。アリス様を返し、もう二度とノルンが降りてこないこと。行き来できないよう、世界を二つに。しかし、かわりに代償が必要」
「代償……!?」
 ハヤミ先生の言葉を、わたしたちはオウム返しに口にした。
「何かを為すためには、代償が必要だ。千年以上も、また契を結ぶために代償を献上したと」
 考えていなかった。ただ、契を結べば帰れると思っていた。確かに何かを為すためには、代償が必要だ。
 残酷で、現実味帯びたそれは、いつも、わたしたちの前に巨大な壁で現れる。  
「千年前はどんな代償を?」
 シノが訊いた。
「千年前は、アリス様だった。アリス様を人間界に。ただし、行き来できていた。今のノルンたちが降りてくるのはその為だ。今度は世界を完全に断片しろ」
 世界を〝完全〟に二つに別けろ、その言葉が妙に引っかかった。二つに別けたら、本当に世界は平和になるのか。それで、平和になるのか。疑問が湧いた。
「完全に断片しましょう」
 マドカ先輩が強く言った。
 マドカ先輩の胸の中では、もうすでに決まっている。ノルンに対して、憎悪と怒りが速攻決断している。対してわたしは、発案者のくせにそこの覚悟が決まっていない。
「ほんとに、断片してもいいの?」
 後の祭り。信じられない台詞を言ったと、自分でもびっくり。
 ハヤミ先生も、マドカ先輩もびっくりして、体が硬直している。シノは飄々としていたけど。
「その、根拠は何ですか?」
 やや、棘がある口調で訊かれた。寛容なマドカ先輩が、怒っている。自分でも、信じられない。世界を〝完全〟に別けたくないなんて。
「世界を二つに別けたら、平和になるの? 本当に? 一緒に、共に暮らすことは?」
「無理です。ノルンたちと共に暮らすなんて、ノルンに対して復讐心がある人なら信じられないでしょう。私も然り」  
 マドカ先輩がすぐに否定的を言った。ハヤミ先生も首をふった。やっぱり。わたしがおかしいのかな。完全に別けたら、もうウルド様にも会えないのに、それでいいのかな。
 でも、その中でたった一人だけ、わたしに賛同してくれた人がいた。シノだ。
「私は、ユナの言うとおりだと思う。世界を完全に断片したら、これよりももっと酷くなりそう。ウル……アリス様が抑え込んでいた欲望が、膨大になってテロとか、殺人とか、人間側が不利になりそう。世界を完全に、ではなく、行き来できないよう門を建てるとか。代償は……私たちの体なら差し出すけど」
 シノは#聡明_そうめい__#な人物で、どんな状況でも流されない人物だと思われていた。そのシノが、この一件に賛同するとは。
 マドカ先輩もハヤミ先生も驚いている。
 わたしが言いたかったものは、それだ。世界を完全に断片したら、神が有利でこちらが不利。そんなのは、契じゃない。
 お互い、生きやすい時代をつくろう。

 契を結ぶ理由は、断片ではなく、行き来できる橋をもう一度建てること。共存は無理でも、数年後、またその数十年後、未来の人たちがわたしたちの願いを、答えてくれるはず。
 代償は、差し出せるものならば差し出そう。命はだめ。リュウに『生きて帰れ』と約束したから。生きて帰る。

 わたしたちは、ゲートを通った。
 複雑な気持ちを込めて。ゲートのほうは、壊された形跡はない。やっぱり誤報だったんだ。やっぱりノルンは、母親の胎内を引きちぎって。
 いや、今、過ぎたことを考えるな。そんなことより契を結ぶほうを考えよう。ゲートを開くと、モクモクと白い湯気が。
 冷たい冷気が肌を伝う。
 宇宙空間だったら、自然と魔女具は生み出せるけど、ノルンと遭遇しても、絶対殺さないこと。契を結ぶんだから、もう、殺戮を繰り出さないこと。

 ゲートを通り、宇宙空間にわたしたちは進む。漆黒の世界が見えた。鼓動が速く脈打っている。緊張と不安で吐きそう。無意識に、体が震えている。
 どうして? 戦う前も震えなかったのに。初めてのことに、恐れているんだ。わたしは震える体を抑えて、前に進んだ。
 
 ゲートを完全に通ると、キィと低い音をたててゲートが閉じた。その先に広がる漆黒の世界、点々と煌めく星、星の間を走っている川。
 そして、宇宙空間にわたしたち以外の人間がいた。
 そこに、女性が立っていた。
 背筋はシャキとして、佇まいも凛としている。神話に出てくる女神様のように、白い服を着ている。顔立ちも美しくて、精霊のように感じた。その女性は、わたしたちをずっと待っていたかのように、目の前に存在しいた。

 ちゃんと、人間の姿形したモノ。
 出会い頭に先に、知性型ノルンに遭遇するなんて。マドカ先輩が魔女具を生み出した。わたしはその前に乗り出す。
「だめです! 約束しましたよね!? ノルンと遭遇しても殺傷しないって」
 マドカ先輩は、それでも魔女具を消さなかった。当然だ。ノルンを目に己の武器も出さないなんて、命の保証がない。
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