上 下
104 / 131
ブラック & ホワイト

10

しおりを挟む
 事件は解決した。
 とはいえ、それは街で騒がれていたアートマン事件であって、ぼくの周りで起きた問題がすべて滞りなく解決したわけではない。
 翌日の火曜日、昼休みになるのを見計らって、メールで石神さんを呼び出した。少し気まずさはあったが、借りていたエアブラシを返却しなければならかったのだ。
「もういいんだ?」
 そう言いながら、石神さんはエアブラシを受け取った。
「うん。ありがとう、役に立ったよ」
「そ」
 石神さんは短くそう返事すると、口を閉ざしてしまった。いまだご機嫌斜めなのは、やはり昨日、保健室で黛さんと二人でいる所を見られてしまったからだろう。
 そんな風に思っていたぼくは、次に石神さんが放った言葉に面食らった。
「なんで、普通に教室で声かけない訳?」
「え?」
 言っている意味がわからず、ぼくは首を捻った。
「だから、これ、借りてた物返したいなら普通に声かければいいじゃん。なんで、ケータイでわざわざ人気のない場所に呼び出すのよ。あんたのそういうこそこそした所、ほんと嫌い」
「だって、恥ずかしいじゃん」
「は? ウチと話すことが恥ずかしいって言いたいの?」
「いやいや、そうじゃないよ。石神さんが、ぼくと話している所をクラスメイトに見られたら恥ずかしいでしょって言ってるの」
 そう言うと、まるで洞窟に潜んだ獣の声かと疑うほど、深淵から吐き出された溜息を石神さんが吐いた。
「ウチ、一度でもあんたにそんな態度見せた? つーか、昨日話したこと全然理解してないじゃん。あんたがそうやって自分のことを落とす態度を取って、傷付く人間がいるってなんでわからないのよ」
「そんな人、どこにいるのさ?」
「ここにいるっつーの!」
 叫び声が、屋上へと続く踊り場に響いた。
 あまり大声を出したら、流石に人が来てしまうかもしれない。だけど、石神さんのヒートアップした口調は収まらない。
「人のことバカにするのもいい加減にしろ。ウチがどれだけの言葉を、態度を尽くせばあんたは理解するのよっ。いつになったら、あんたはあんたを認められるの? ねえ、そこまで追い込んだのはウチ? それとも、クラスの連中? それとも、もっと昔の―――」
「やめてくれ」
 ぼくは咄嗟に彼女の言葉を制した。
「誰の所為でもないよ。ぼくが悪いんだ」
 そう、すべてはぼくの責任。
「昔からそうだった。なにもしていなくても、ぼくは相手をイラつかせてしまうんだ。小学校でも、クラスメイトからのけ者にされた。その持ち上がりで中学に上がったから、相変わらずぼくの居場所はクラスになかった。ううん。役割は確かにあったんだ。クラスの連中がむしゃくしゃしたときに、サンドバックになるっていう、役割が」
 いま思い返すと、地獄のような九年間だった。
 特に、中学時代のことを考えるといまでも目の前がかすむ。
 息苦しいし、嫌な汗がにじみ出てくる。
 ―――ああ、まただ。また、キモいって言われる。臭いって、マクベ菌ってバカにされる。もう嫌だ、どうしてぼくばかりこんな目に遭わないといけないんだ。悪いのは誰だ。いじめなんてこのクラスにある訳がないと高をくくっていた教師か? 見て見ぬふりをした、女子連中か? ぼくにプロレス技をかけて笑っていた、男子連中か? 
 どす黒い感情が、当時のぼくを支配していた。この行き場のない感情を、誰にぶつけたらいいだろう。なにを壊したら、ぼくのこの苦しみは終わるのだろうか。毎日、そんなことを考えて過ごした。
 独白するような心の内を聞いていた石神さんは、溜まりかねたように口を開いた。
「そんなのって、酷い」
 さっきまで怒気がこもっていた口調が嘘のように、石神さんの声は弱く、かすれていた。
「だって、それじゃあぜんぜん報われないじゃん。あんたなにも悪くないのに、追い詰められて、追い詰められて、心を守るためには、現状を変えるためになにかを壊さなきゃならなくって……だけど、あんた優しいから」
 石神さんは、瞳に涙をにじませながら、途切れ途切れに必死に言葉を紡いでいるように見えた。
「優しいからーーー自分の心を壊すことにしたんでしょうっ?」
 人に言われて、初めてはっきりとわかることがある。
 ああ、そうなんだ。ぼくの心は壊れてしまっていたのか。
 だけど、そんなの自分じゃわからないよ。
 だって、もう何年も前から、ぼくはずっとこうなんだ。
 ぼくには価値がない。だから、みんなぼくを嫌う。だから虐げられるんだ。
 そうでも思わないと、虐げられていた日常を受け入れることができなかった。
 一時、こんな無価値なぼくは消えてなくなった方がいいのではないかと本気で考えたことがあった。だけど、できなかった。こんなぼくにも家族はいるから、きっとぼくが消えたら迷惑する。悲しむかどうかわからないけれど、迷惑することは間違いないから、ぼくは惰性のように生きてきた。
 夜、静かな部屋で眠ろうとすると、なぜか息苦しくて目が冴える。だから、深夜、薄暗い部屋でボリュームを絞ったテレビ番組を、茫然と眺める。
 バラエティー番組は嫌いだ。お笑い芸人の耳をつく笑いが、クラスメイトの嘲笑を想起させるから。
 ドラマや映画は嫌いだ。そこに人間を感じてしまうから。
 だから、アニメは好きなんだ。生々しい人間を感じずに済むから。
 ああ、いいなぁ。ぼくも、異世界に行けたらいいのに。
 別に、チートもハーレムも、本当はいらないんだ。
 ただ、どこか別の世界に行けたらいいのに。誰にも迷惑をかけず、不愉快に思われない場所。ぼくがここにいてもいいんだよって、それだけを認めてくれるような場所に、
「―――行きたかったんだよ」
 そう口にした瞬間、ドン、という衝撃で壁に背中を打ち付けられた。
 バランスを崩し、そのまま背中を壁につけたまま、するすると体が滑って地面に尻もちをついた。
 耳元にかかる吐息に交じって、嗚咽が聞こえる。
 ぼくの独白を聞き終えるや否や、石神さんは飛びかかるみたいにぶつかってきた。そして、そのまま両腕でぼくの体を包み込むと、覆い被さるように地面に倒れ込む。
「いいんだよっ。ここにいればいいんじゃんっ。あんたの居場所、ウチが作るからっ。だから、そんな悲しいこと言わないでよっ!」
 その言葉は、ぼくにとって頭をガツンと殴られたくらい衝撃的なものだった。きっと、ずっとその一言をぼくは待っていたんだ。
「ぼくの、居場所を?」
「うん。作ってあげる。ウチの隣だよ」
 それだけ言うと、あとは涙声になってなにを言っているのかわからない石神さんの背中を、あやすようにしてぽんぽんと叩いた。
 彼女は、ぼくを優しいと言った。
 だけど、こんなぼくのために涙を流してくれる彼女の方がずっと優しいと思う。
 石神さんは、見た目はチャラチャラして近付き難いけれど、心根の優しい人なんだ。
 壊れてしまった心が修復されるのかはわからない。だけど、それでもぼくは思ってしまった。彼女の隣にいたいと、心から、そう願ってしまった。
 本当に、苦しかったんだ。
 誰にも言えなかったんだ。
 あの九年間、助けてって、誰にも……。
 もしも、過去の自分に一言だけ言えるとしたら、言ってやりたい。
 お前のことを認めてくれる人が現れるって、言ってやりたい。
 それがどれだけ自分にとって救いになるか、言ってやりたい。
 報われないと言って、ぼくのために涙を流してくれた石神さん。君に出会えたことで、きっとぼくは報われたのだと、いまならそう思えた。
 
しおりを挟む
感想 210

あなたにおすすめの小説

三姉妹の姉達は、弟の俺に甘すぎる!

佐々木雄太
青春
四月—— 新たに高校生になった有村敦也。 二つ隣町の高校に通う事になったのだが、 そこでは、予想外の出来事が起こった。 本来、いるはずのない同じ歳の三人の姉が、同じ教室にいた。 長女・唯【ゆい】 次女・里菜【りな】 三女・咲弥【さや】 この三人の姉に甘やかされる敦也にとって、 高校デビューするはずだった、初日。 敦也の高校三年間は、地獄の運命へと導かれるのであった。 カクヨム・小説家になろうでも好評連載中!

幼馴染と話し合って恋人になってみた→夫婦になってみた

久野真一
青春
 最近の俺はちょっとした悩みを抱えている。クラスメート曰く、  幼馴染である百合(ゆり)と仲が良すぎるせいで付き合ってるか気になるらしい。  堀川百合(ほりかわゆり)。美人で成績優秀、運動完璧だけど朝が弱くてゲーム好きな天才肌の女の子。  猫みたいに気まぐれだけど優しい一面もあるそんな女の子。  百合とはゲームや面白いことが好きなところが馬が合って仲の良い関係を続けている。    そんな百合は今年は隣のクラス。俺と付き合ってるのかよく勘ぐられるらしい。  男女が仲良くしてるからすぐ付き合ってるだの何だの勘ぐってくるのは困る。  とはいえ。百合は異性としても魅力的なわけで付き合ってみたいという気持ちもある。  そんなことを悩んでいたある日の下校途中。百合から 「修二は私と恋人になりたい?」  なんて聞かれた。考えた末の言葉らしい。  百合としても満更じゃないのなら恋人になるのを躊躇する理由もない。 「なれたらいいと思ってる」    少し曖昧な返事とともに恋人になった俺たち。  食べさせあいをしたり、キスやその先もしてみたり。  恋人になった後は今までよりもっと楽しい毎日。  そんな俺達は大学に入る時に籍を入れて学生夫婦としての生活も開始。  夜一緒に寝たり、一緒に大学の講義を受けたり、新婚旅行に行ったりと  新婚生活も満喫中。  これは俺と百合が恋人としてイチャイチャしたり、  新婚生活を楽しんだりする、甘くてほのぼのとする日常のお話。

服を脱いで妹に食べられにいく兄

スローン
恋愛
貞操観念ってのが逆転してる世界らしいです。

Bグループの少年

櫻井春輝
青春
 クラスや校内で目立つグループをA(目立つ)のグループとして、目立たないグループはC(目立たない)とすれば、その中間のグループはB(普通)となる。そんなカテゴリー分けをした少年はAグループの悪友たちにふりまわされた穏やかとは言いにくい中学校生活と違い、高校生活は穏やかに過ごしたいと考え、高校ではB(普通)グループに入り、その中でも特に目立たないよう存在感を薄く生活し、平穏な一年を過ごす。この平穏を逃すものかと誓う少年だが、ある日、特A(特に目立つ)の美少女を助けたことから変化を始める。少年は地味で平穏な生活を守っていけるのか……?

可愛すぎるクラスメイトがやたら俺の部屋を訪れる件 ~事故から助けたボクっ娘が存在感空気な俺に熱い視線を送ってきている~

蒼田
青春
 人よりも十倍以上存在感が薄い高校一年生、宇治原簾 (うじはられん)は、ある日買い物へ行く。  目的のプリンを買った夜の帰り道、簾はクラスメイトの人気者、重原愛莉 (えはらあいり)を見つける。  しかしいつも教室でみる活発な表情はなくどんよりとしていた。只事ではないと目線で追っていると彼女が信号に差し掛かり、トラックに引かれそうな所を簾が助ける。  事故から助けることで始まる活発少女との関係。  愛莉が簾の家にあがり看病したり、勉強したり、時には二人でデートに行ったりと。  愛莉は簾の事が好きで、廉も愛莉のことを気にし始める。  故障で陸上が出来なくなった愛莉は目標新たにし、簾はそんな彼女を補佐し自分の目標を見つけるお話。 *本作はフィクションです。実在する人物・団体・組織名等とは関係ございません。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

小学生をもう一度

廣瀬純一
青春
大学生の松岡翔太が小学生の女の子の松岡翔子になって二度目の人生を始める話

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。