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Beautiful spirit
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ぼくは、昨夜からずっとあることが頭から離れなかった。
それは、バイトで与儀さんのアトリエを清掃しているときに見つけた写真のことである。
与儀さんに写真を渡すと、彼女は自分の若かりし頃の写真を見て、柄にもなく『きゃーきゃー』騒いでいた。
なんか本気で恥ずかしがっているみたいで、うん、なんだろう……興奮する。
大事なことだからもう一回言っておこう……興奮する。
とまあ、女性の羞恥の顔に心くすぐられるという、ぼく自身知らなかった性癖が明らかになったわけだけれど、別に彼女の羞恥に赤らむ顔が昨夜からずっと頭から離れなかったわけではない。そこまで気合いの入った変態じゃない。
頭から離れないのは、その後、二枚目の写真を見たときの、彼女の態度である。
それまで騒いでいた与儀さんが、不良グループの集合写真を目にした途端、眉間にしわを寄せ、思わずといった様子で目を逸らした。そして、手にしていた写真をひっくり返すと、カウンターに置いてしまう。
「あの……与儀さん?」
あまりの態度の変わりように、触れてはいけない写真だったのだと理解する。
本当は、なぜ写真に鍛島の姿があるのか聞いておきたかったが、とてもこの話題に触れられるような雰囲気ではない。
お互い黙り込んでいると、やがて与儀さんが沈黙を破った。
「ごめん。今日はもう帰ってくれる? 掃除もここまででいいし、次のシフトも、こっちから連絡するまで休みにして」
そう言い切られたぼくは、なにか悪いことをしてしまったのではないかと思い、すぐに謝ろうとした。だって、バイト初日に、連絡あるまで来るななんて言われたら、誰だって自分の仕事ぶりが悪かったのではないかと思い、反省するだろう。だが、謝罪の言葉をぼくよりも先に口にしたのは、与儀さんだった。
「ごめんね、間久辺。本当に、ごめん」
与儀さんがなぜ謝ったのか、そして、あの写真のなにが、彼女をあんなに追い詰めた顔にさせていたのか、ぼくにはわからない。そして不思議と、考えてもわからないことというのは、頭の中からなかなか消えてくれないものだ。
「ーーーくべ、間久辺っ!」
ダン、と机を叩かれ、ハッとしてぼくは我に返った。
そこはいつもの見慣れた教室。
目の前に立つ石神さんの不機嫌そうな顔も、ぼくにとってはお馴染みのものだ。彼女は基本的に、ぼくに笑顔を向けることはない。
「あ、ごめん。なに?」
「なにじゃない。無視すんなし」
別に無視していた訳ではないのだが、彼女の様子からして何度かぼくを呼んでいたのは明らかなので、もう一度謝っておくことにした。
謝罪を聞いた石神さんは、「聞いとけっつの」とぼやきながら、前髪を気にしたり、咳払いをしたり、どこか落ち着きがない。そのくせ、別に興味なさそうな態度を装いながら、「そういえば」と口を開き、言った。
「あんた、クリスマスって、なにか予定あったりするの?」
はいセンセー、ぼく、たった今いじめを受けました。
言葉の暴力です。
『あんた(ごとき矮小なクソニート予備軍が)クリスマスって、なにか予定あったりする(わけないわよねwww)?』
そんな飛躍した被害妄想に苛まれるくらい愚問だ。
「我が家は、敬虔な仏教徒なんです」
「は? だから?」
「えと、つまり異教徒の文化とかあまり意識してないというか」
「ふーん。で?」
駄目だ、現代っ子は相手の言動から心意を読み取る能力に欠けている。石神さんもご多分にもれないようだ。
仕方なくぼくは、理論武装を解除した。
「………予定、ないです」
「あ、そう」と素っ気ない返事でぼくのボッチ発言を軽く受け流す石神さん。
あれ、なんなのこれ、特になし?
ただ単にぼくの心を抉ってくるとか、とんだサディストだよこの人。
ーーーっと思っていたのだが、一向にぼくの前からいなくならない彼女。
まあ、そうだよな。わざわざそんな嫌がらせみたいなことするほど性格ねじ曲がっちゃいないだろう。そう思える程度には、ぼくは彼女を理解しているつもりだ。
それから、なかなか次の言葉が出てこない石神さんを見かねたぼくは、こちらから会話の続きを返すことにした。向こうが質問してきて、こちらがそれに答えたのだから、次はこちらが同じ質問を投げ掛けるのが筋ではないだろうか。
そう思い、ぼくは、「石神さんは予定あるの?」と聞いてみた。
だが、質問してからなんてバカなことを聞いてしまったんだろうとぼくは自らを恥じた。だって、相手はあの石神冴子だ。クリスマスイブに彼女を誘いたい男なんて、それこそ山のようにいるだろうし、実際にアタックしたという話も耳にしている。言い方に語弊があるかもしれないが、男子の間ではある種の肝試し、というか度胸試しとして石神さんを誘うような側面があるらしい。読者モデルに相手にされる訳がないとわかっていながら、万が一にもオッケーされることがあるのではないかと期待し、誘う男子。
断られるとわかっているのなら、その予想が事実になったとしても、受けるダメージは比較的少なくて済む。さらに、男子たちにとっては、石神さんにフラれたという武勇伝が付与されるのだ。
だが、そんなものは男子の勝手な自己満足でしかなくて、その軽はずみな誘いをいちいち断らなければならない石神さんの気持ちは、誰も考えちゃいない。
そんなやつらに、石神さんを誘う権利はないと、ぼくは思う。
まあそもそも、考えてみると男子たちの誘いに石神さんがオッケーする可能性なんて、まったくのゼロに決まっている。
だってそうだろう?
彼女には、もう特定の相手がいる。
まだ噂にはなっていないが、名探偵マクベスことぼくの目を誤魔化すことはできない。彼女には、江津がいるんだ。
だから、ぼくの「石神さんは予定あるの?」という質問に、いまこうして彼女が頷いたのも当然のことなんだ。
「予定ある、つかさ、ウチらクラスで集まれるやつみんな誘ってクリスマスイベントやるのよ。去年みたいに」
「去年?」
確か、ぼくと石神さんは一年生のときも同じクラスだった。
だが、どれだけ記憶をたどってみても、誘われた覚えがない。
彼女もそのことに気付いたのか、慌てた様子で、「あ、あんた去年休んでたんじゃん?」と適当なことを言う。こうみえてもぼく、皆勤賞だ。
「で、どうする?」
石神さんはそう言うと、少し前屈みになり、ぼくの机に体重を預けた。
いきなり距離を詰められ戸惑うぼくに、彼女は、教室内の喧騒の中でぼくだけに聞こえるくらいの声でこう言った。
「ウチは、間久辺が来てくれたら嬉しいな」
「……えーと」
ぼくが言葉に窮していると、教室の端から石神さんのことを呼ぶクラスメイトの声がして、彼女は身を離した。「いま行く」と答えると、再びぼくの方に目を向け、「終業式の日だから」と言い捨ててぼくの答えも聞かずに去ってしまった。
どうしたらいいんだろう?
放課後の美術室。
ぼくは、頼れる友達二人に、「石神さんからクリスマスイベントに誘われたんだけど、どうしよう?」と相談してみた。
すると、
「知るかバカ!」
「か、勝ち組め!」
と罵られた挙げ句、裏切り者呼ばわりされた。
「いやいや、違うって。ほら、こんなのきっと社交辞令だから。『一応あのオタクも形式として誘っておこうか』っていう、気遣いみたいなものだよ」
中西は首をひねりながら、「そ、そうかなー?」と疑問符を浮かべる。
「だ、だって石神って、社交辞令とか言わなそうじゃん」
ぼくは首を横に振りながら、答える。
「そんなことないよ。石神さん、ああ見えても優しいんだよ」
「お、俺にはそうは思えないけど。だ、だって俺らのこと見るときの、い、石神の目、ぜ、絶対零度だし」
「そこまで冷たい?」
ぼくと中西の会話を黙って聞いていた廣瀬は、不意に「また石神なんだな」と言った。
ぼくははたと目を瞬かせ、廣瀬を見た。
すると彼は言った。
「マクベス、最近よく石神のことを話題にあげるよな」
「そうかな?」
首をひねるぼくに、廣瀬は少し口調を強める。
「そうだろ。石神と一緒に出掛けたとか、家に呼んだとか話してたじゃないかよ」
思い返してみると確かにそうだったかもしれない。
別に自慢しているとか、そういうことではなく、自然と石神さんの名前が口から出ていた。ただ、それだけのはずなのに、
「もしてかしてマクベス、石神のこと好きなんじゃねえの?」
廣瀬のその言葉に、ぼくの心臓は大きく跳ねた。
そんなこと、あるわけない。
だって、石神さんはぼくたちみたいなオタクを毛嫌いしているし、実際に何度も嫌味を言われてきた。そんな彼女のことを、どうして好きになんてなるというんだろうか。
ぼくが好きになるのは、そう、
「優しくて可愛くて、まるで二次元のキャラみたいな相手」
ぼくの考えを読み取ったかのように、廣瀬は言う。
「前にマクベス、そう言ってたもんな。そうだよな。確かにいいよな、二次元のキャラクターって。だって」
ーーー絶対に、裏切らないもんな。
その言葉が、心に突き刺さってきた。
そんな心境を表情から読み取ったのか、すぐに廣瀬は言葉を継いだ。
「わかるぜ。アニメのキャラは俺たちの理想の現れだ。だから俺たちを傷つけるようなことは言ってこないし、やってこない。俺だって遠からずマクベスと同じ気持ちだよ。だから、いままではなにも言ってこなかった。でも、このままじゃ駄目なんだよ」
「ちょ、ちょいちょい、廣瀬。な、なに熱くなっちゃってんの。ヒ、ヒートアップし過ぎ」
「こいつには言わないと駄目なんだって。中西もわかってるだろう?」
止めに入った中西も、廣瀬の語調に気圧され、沈黙する。あるいは、その言葉になにか思うところがあったのか、黙り込んだままだ。
そう、いつになく真面目な口調の廣瀬。
まるでぼくの過ちを諭すように。
まるでぼくの間違いを正すように。
廣瀬は言った。
「マクベスは相手と触れ合うことに極端に怯え過ぎだ。前に話してくれたことあったよな。中学時代に結構ないじめを受けていたって」
ーーーーうるさい。
「そのことがあったから、ずっと、言わないようにしていたんだけど、このままじゃきっとマクベスのためにならない。だから言わせてもらうけどさ、マクベスのその鈍感な振りはただの逃げだ」
ーーうるさいっ。
「そりゃ現実に存在しないキャラクターを愛せば楽さ。自分は傷つかずに済むし、なにより相手と触れ合わずに済む。だけど、そんな風に相手の気持ちだけじゃなく、自分の気持ちにも鈍感でいようとすれば、いずれ本当に理解したい相手が現れたときに、心が働かなくなるぞ!」
「うるさいっ!!」
ぼくは勢いのまま立ち上がると、廣瀬を睨み付けた。
「なんでそんなこと偉そうに言われなくちゃならないんだよ!」
「偉そう? 違うな。俺たちは対等な間柄だ。だから言いたいことを言うんだよ。文句あるか?」
文句なら沢山ある。
頭にもきている。
だけど、返す言葉が見つからなかった。
逃げるように立ち上がり、美術室の扉に手をかけたぼくに、背後で廣瀬が「またそうやって逃げるのかよ!」と言い放ってくる。
「……うるさい」
一瞬立ち止まったぼくは、その言葉を返すので精一杯だった。
違う、違う、違う。
ぼくはちゃんと現実と向き合っている。
廊下を走るように進みながら、念仏のように唱え続ける。
「加須浦さんは女神……加須浦さんは女神……加須浦さんは女神」
彼女は孤独だったぼくに声をかけてくれた。
そして、居場所を見つけさせてくれた。
優しくて可愛くて、まるで、そう。
「二次元の、キャラクター?」
ぼくは思わず立ち止まる。
あれ? こんなの、おかしい。
だって、これじゃあまるで、加須浦さんがキャラクターみたいだから、彼女のことが好きと言っているようじゃないか。
『アニメのキャラは俺たちの理想の現れだ。だから俺たちを傷つけるようなことは言ってこないし、やってこない』
廣瀬の言葉が再び頭の中で再生される。
『キャラクターを愛せば楽さ。自分は傷つかずに済むし、なにより相手と触れ合わずに済む』
違う違う違うっ!
そんな理由で、加須浦さんを好きになったわけじゃない。
何度もリピートされる言葉に、ぼくは、心の中でそう否定した。
けれどなぜだろう。
この間からずっと頭から離れてくれない光景。
江津に告白され、戻ってきた石神さんは、照れたような表情を隠すように、ぼくから目を逸らした。
「………石神、さん」
気付くと、口をついたのはその名前だった。
彼女の名前を口にすると、なぜか心が締め付けられた。
それは、バイトで与儀さんのアトリエを清掃しているときに見つけた写真のことである。
与儀さんに写真を渡すと、彼女は自分の若かりし頃の写真を見て、柄にもなく『きゃーきゃー』騒いでいた。
なんか本気で恥ずかしがっているみたいで、うん、なんだろう……興奮する。
大事なことだからもう一回言っておこう……興奮する。
とまあ、女性の羞恥の顔に心くすぐられるという、ぼく自身知らなかった性癖が明らかになったわけだけれど、別に彼女の羞恥に赤らむ顔が昨夜からずっと頭から離れなかったわけではない。そこまで気合いの入った変態じゃない。
頭から離れないのは、その後、二枚目の写真を見たときの、彼女の態度である。
それまで騒いでいた与儀さんが、不良グループの集合写真を目にした途端、眉間にしわを寄せ、思わずといった様子で目を逸らした。そして、手にしていた写真をひっくり返すと、カウンターに置いてしまう。
「あの……与儀さん?」
あまりの態度の変わりように、触れてはいけない写真だったのだと理解する。
本当は、なぜ写真に鍛島の姿があるのか聞いておきたかったが、とてもこの話題に触れられるような雰囲気ではない。
お互い黙り込んでいると、やがて与儀さんが沈黙を破った。
「ごめん。今日はもう帰ってくれる? 掃除もここまででいいし、次のシフトも、こっちから連絡するまで休みにして」
そう言い切られたぼくは、なにか悪いことをしてしまったのではないかと思い、すぐに謝ろうとした。だって、バイト初日に、連絡あるまで来るななんて言われたら、誰だって自分の仕事ぶりが悪かったのではないかと思い、反省するだろう。だが、謝罪の言葉をぼくよりも先に口にしたのは、与儀さんだった。
「ごめんね、間久辺。本当に、ごめん」
与儀さんがなぜ謝ったのか、そして、あの写真のなにが、彼女をあんなに追い詰めた顔にさせていたのか、ぼくにはわからない。そして不思議と、考えてもわからないことというのは、頭の中からなかなか消えてくれないものだ。
「ーーーくべ、間久辺っ!」
ダン、と机を叩かれ、ハッとしてぼくは我に返った。
そこはいつもの見慣れた教室。
目の前に立つ石神さんの不機嫌そうな顔も、ぼくにとってはお馴染みのものだ。彼女は基本的に、ぼくに笑顔を向けることはない。
「あ、ごめん。なに?」
「なにじゃない。無視すんなし」
別に無視していた訳ではないのだが、彼女の様子からして何度かぼくを呼んでいたのは明らかなので、もう一度謝っておくことにした。
謝罪を聞いた石神さんは、「聞いとけっつの」とぼやきながら、前髪を気にしたり、咳払いをしたり、どこか落ち着きがない。そのくせ、別に興味なさそうな態度を装いながら、「そういえば」と口を開き、言った。
「あんた、クリスマスって、なにか予定あったりするの?」
はいセンセー、ぼく、たった今いじめを受けました。
言葉の暴力です。
『あんた(ごとき矮小なクソニート予備軍が)クリスマスって、なにか予定あったりする(わけないわよねwww)?』
そんな飛躍した被害妄想に苛まれるくらい愚問だ。
「我が家は、敬虔な仏教徒なんです」
「は? だから?」
「えと、つまり異教徒の文化とかあまり意識してないというか」
「ふーん。で?」
駄目だ、現代っ子は相手の言動から心意を読み取る能力に欠けている。石神さんもご多分にもれないようだ。
仕方なくぼくは、理論武装を解除した。
「………予定、ないです」
「あ、そう」と素っ気ない返事でぼくのボッチ発言を軽く受け流す石神さん。
あれ、なんなのこれ、特になし?
ただ単にぼくの心を抉ってくるとか、とんだサディストだよこの人。
ーーーっと思っていたのだが、一向にぼくの前からいなくならない彼女。
まあ、そうだよな。わざわざそんな嫌がらせみたいなことするほど性格ねじ曲がっちゃいないだろう。そう思える程度には、ぼくは彼女を理解しているつもりだ。
それから、なかなか次の言葉が出てこない石神さんを見かねたぼくは、こちらから会話の続きを返すことにした。向こうが質問してきて、こちらがそれに答えたのだから、次はこちらが同じ質問を投げ掛けるのが筋ではないだろうか。
そう思い、ぼくは、「石神さんは予定あるの?」と聞いてみた。
だが、質問してからなんてバカなことを聞いてしまったんだろうとぼくは自らを恥じた。だって、相手はあの石神冴子だ。クリスマスイブに彼女を誘いたい男なんて、それこそ山のようにいるだろうし、実際にアタックしたという話も耳にしている。言い方に語弊があるかもしれないが、男子の間ではある種の肝試し、というか度胸試しとして石神さんを誘うような側面があるらしい。読者モデルに相手にされる訳がないとわかっていながら、万が一にもオッケーされることがあるのではないかと期待し、誘う男子。
断られるとわかっているのなら、その予想が事実になったとしても、受けるダメージは比較的少なくて済む。さらに、男子たちにとっては、石神さんにフラれたという武勇伝が付与されるのだ。
だが、そんなものは男子の勝手な自己満足でしかなくて、その軽はずみな誘いをいちいち断らなければならない石神さんの気持ちは、誰も考えちゃいない。
そんなやつらに、石神さんを誘う権利はないと、ぼくは思う。
まあそもそも、考えてみると男子たちの誘いに石神さんがオッケーする可能性なんて、まったくのゼロに決まっている。
だってそうだろう?
彼女には、もう特定の相手がいる。
まだ噂にはなっていないが、名探偵マクベスことぼくの目を誤魔化すことはできない。彼女には、江津がいるんだ。
だから、ぼくの「石神さんは予定あるの?」という質問に、いまこうして彼女が頷いたのも当然のことなんだ。
「予定ある、つかさ、ウチらクラスで集まれるやつみんな誘ってクリスマスイベントやるのよ。去年みたいに」
「去年?」
確か、ぼくと石神さんは一年生のときも同じクラスだった。
だが、どれだけ記憶をたどってみても、誘われた覚えがない。
彼女もそのことに気付いたのか、慌てた様子で、「あ、あんた去年休んでたんじゃん?」と適当なことを言う。こうみえてもぼく、皆勤賞だ。
「で、どうする?」
石神さんはそう言うと、少し前屈みになり、ぼくの机に体重を預けた。
いきなり距離を詰められ戸惑うぼくに、彼女は、教室内の喧騒の中でぼくだけに聞こえるくらいの声でこう言った。
「ウチは、間久辺が来てくれたら嬉しいな」
「……えーと」
ぼくが言葉に窮していると、教室の端から石神さんのことを呼ぶクラスメイトの声がして、彼女は身を離した。「いま行く」と答えると、再びぼくの方に目を向け、「終業式の日だから」と言い捨ててぼくの答えも聞かずに去ってしまった。
どうしたらいいんだろう?
放課後の美術室。
ぼくは、頼れる友達二人に、「石神さんからクリスマスイベントに誘われたんだけど、どうしよう?」と相談してみた。
すると、
「知るかバカ!」
「か、勝ち組め!」
と罵られた挙げ句、裏切り者呼ばわりされた。
「いやいや、違うって。ほら、こんなのきっと社交辞令だから。『一応あのオタクも形式として誘っておこうか』っていう、気遣いみたいなものだよ」
中西は首をひねりながら、「そ、そうかなー?」と疑問符を浮かべる。
「だ、だって石神って、社交辞令とか言わなそうじゃん」
ぼくは首を横に振りながら、答える。
「そんなことないよ。石神さん、ああ見えても優しいんだよ」
「お、俺にはそうは思えないけど。だ、だって俺らのこと見るときの、い、石神の目、ぜ、絶対零度だし」
「そこまで冷たい?」
ぼくと中西の会話を黙って聞いていた廣瀬は、不意に「また石神なんだな」と言った。
ぼくははたと目を瞬かせ、廣瀬を見た。
すると彼は言った。
「マクベス、最近よく石神のことを話題にあげるよな」
「そうかな?」
首をひねるぼくに、廣瀬は少し口調を強める。
「そうだろ。石神と一緒に出掛けたとか、家に呼んだとか話してたじゃないかよ」
思い返してみると確かにそうだったかもしれない。
別に自慢しているとか、そういうことではなく、自然と石神さんの名前が口から出ていた。ただ、それだけのはずなのに、
「もしてかしてマクベス、石神のこと好きなんじゃねえの?」
廣瀬のその言葉に、ぼくの心臓は大きく跳ねた。
そんなこと、あるわけない。
だって、石神さんはぼくたちみたいなオタクを毛嫌いしているし、実際に何度も嫌味を言われてきた。そんな彼女のことを、どうして好きになんてなるというんだろうか。
ぼくが好きになるのは、そう、
「優しくて可愛くて、まるで二次元のキャラみたいな相手」
ぼくの考えを読み取ったかのように、廣瀬は言う。
「前にマクベス、そう言ってたもんな。そうだよな。確かにいいよな、二次元のキャラクターって。だって」
ーーー絶対に、裏切らないもんな。
その言葉が、心に突き刺さってきた。
そんな心境を表情から読み取ったのか、すぐに廣瀬は言葉を継いだ。
「わかるぜ。アニメのキャラは俺たちの理想の現れだ。だから俺たちを傷つけるようなことは言ってこないし、やってこない。俺だって遠からずマクベスと同じ気持ちだよ。だから、いままではなにも言ってこなかった。でも、このままじゃ駄目なんだよ」
「ちょ、ちょいちょい、廣瀬。な、なに熱くなっちゃってんの。ヒ、ヒートアップし過ぎ」
「こいつには言わないと駄目なんだって。中西もわかってるだろう?」
止めに入った中西も、廣瀬の語調に気圧され、沈黙する。あるいは、その言葉になにか思うところがあったのか、黙り込んだままだ。
そう、いつになく真面目な口調の廣瀬。
まるでぼくの過ちを諭すように。
まるでぼくの間違いを正すように。
廣瀬は言った。
「マクベスは相手と触れ合うことに極端に怯え過ぎだ。前に話してくれたことあったよな。中学時代に結構ないじめを受けていたって」
ーーーーうるさい。
「そのことがあったから、ずっと、言わないようにしていたんだけど、このままじゃきっとマクベスのためにならない。だから言わせてもらうけどさ、マクベスのその鈍感な振りはただの逃げだ」
ーーうるさいっ。
「そりゃ現実に存在しないキャラクターを愛せば楽さ。自分は傷つかずに済むし、なにより相手と触れ合わずに済む。だけど、そんな風に相手の気持ちだけじゃなく、自分の気持ちにも鈍感でいようとすれば、いずれ本当に理解したい相手が現れたときに、心が働かなくなるぞ!」
「うるさいっ!!」
ぼくは勢いのまま立ち上がると、廣瀬を睨み付けた。
「なんでそんなこと偉そうに言われなくちゃならないんだよ!」
「偉そう? 違うな。俺たちは対等な間柄だ。だから言いたいことを言うんだよ。文句あるか?」
文句なら沢山ある。
頭にもきている。
だけど、返す言葉が見つからなかった。
逃げるように立ち上がり、美術室の扉に手をかけたぼくに、背後で廣瀬が「またそうやって逃げるのかよ!」と言い放ってくる。
「……うるさい」
一瞬立ち止まったぼくは、その言葉を返すので精一杯だった。
違う、違う、違う。
ぼくはちゃんと現実と向き合っている。
廊下を走るように進みながら、念仏のように唱え続ける。
「加須浦さんは女神……加須浦さんは女神……加須浦さんは女神」
彼女は孤独だったぼくに声をかけてくれた。
そして、居場所を見つけさせてくれた。
優しくて可愛くて、まるで、そう。
「二次元の、キャラクター?」
ぼくは思わず立ち止まる。
あれ? こんなの、おかしい。
だって、これじゃあまるで、加須浦さんがキャラクターみたいだから、彼女のことが好きと言っているようじゃないか。
『アニメのキャラは俺たちの理想の現れだ。だから俺たちを傷つけるようなことは言ってこないし、やってこない』
廣瀬の言葉が再び頭の中で再生される。
『キャラクターを愛せば楽さ。自分は傷つかずに済むし、なにより相手と触れ合わずに済む』
違う違う違うっ!
そんな理由で、加須浦さんを好きになったわけじゃない。
何度もリピートされる言葉に、ぼくは、心の中でそう否定した。
けれどなぜだろう。
この間からずっと頭から離れてくれない光景。
江津に告白され、戻ってきた石神さんは、照れたような表情を隠すように、ぼくから目を逸らした。
「………石神、さん」
気付くと、口をついたのはその名前だった。
彼女の名前を口にすると、なぜか心が締め付けられた。
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