彼女の優しい理由

諏訪錦

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真っ赤な嘘5

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 別に施設から出ていったわけでもないし、オレが再びこの門をくぐることに躊躇なんてする必要がないのになぜか足が重い。
 施設の職員にも子供たちにも、オレが一番荒れていた時期を見られていて、たくさん迷惑をかけてきたし、怖い思いもさせてしまったから、その負い目があるのかもしれない。
 オレが同じ部屋にいるだけで空気が凍りつき、みんな居心地が悪くなる。だったらオレはいない方がいいと考えるようになり、だんだんと施設に帰る頻度が減っていった。幸い、街で困ってる奴を助けたりしていたら、お礼にと衣食住を提供してくれたりするから、生きていくのには困らなかった。
「ここがアカサビさんの育った施設なんですね」
 サーヤがそう言って門の脇にある銅製のプレートを見る。そこには『喜楽園』と文字が彫られている。
 オレひとりだったら、この後もうだうだと施設に入ることを躊躇していたかもしれない。隣を歩いてくれることが心強く感じて、オレは一歩踏み出した。
 正門をくぐり中庭を歩く。時刻は現在午後十四時。まだ学生たちは学校に行っている時間のため、元気よく駆け回る子供の姿はない。そのまま進んで行くと、無骨な造りの灰色がかった建物が近づいてくる。中に入って廊下を進み、右手に見えてきた扉に設置されている小窓から中を覗き込む。
 そこに見知った顔、と言っても施設の職員は全員知っているのだが、その中でも一番付き合いの長い職員を発見し、扉を開いた。
 音に気づいてこちらを見た女性職員は、オレの姿を見て少し驚いた表情をしたかと思うと、すぐに柔和に微笑んで言った。
「おかえりなさい」
「ああ、久しぶりだな」
 オレがそう答えると、笑みをたたえた口元を引き結び、険しい表情をする。
「ただいま、でしょう」
 隣にサーヤもいるし勘弁してほしいのだが、昔から礼儀に関してはうるさい人で、言い出したら聞かない。
 オレは仕方なく、言いなおす。
「ただいま、かぁさん」
「え、アカサビさんのお母さんですか?」
 たまらずといった様子でオレの耳元でサーヤがそう呟いたので、同じくらいの声量でオレも答える。
「この人は施設の職員だよ。オレがガキの頃から働いていて、いつからか施設の子供たちからかぁさんって呼ばれるようになったんだ」 
「ご紹介ありがとう」
 聞こえてんのかよ、地獄耳だな。
「で、そちらの女性は?」 
 かぁさんの言葉に、サーヤは佇まいを正した。
「はじめまして。アカサビさんの友人のサーヤといいます」
「アカサビ?」
 そう言いながら、怪訝な表情でかぁさんはオレを見た。
 オレには親はいないが、なんだか親にあだ名がバレたときのような気まずさがある。
「オレのことはどうでもいい。それより、かぁさん、ちょっと聞きたいことがあるんだけどいいか?」
 オレは今日ここにきた理由を説明した。現在、街で動物が殺される被害が発生していること。その事件に関与していると思われる人物の子供が、最近この施設に預けられたということ。
 話を聞いたかぁさんは、すぐに思い当たったのか、言った。
「きっと歩美あゆみのことね。最近施設に預けられた子供はあの子だけだわ」
「やっぱり、オレの知らない子だな」
「あなたがぜんぜん帰ってこないからでしょう。帰ってきても、夜遅くに着替えを取りに戻ったりするだけで、子供たちを避けるから」
 それは仕方のないことだ。オレは子供が苦手だし、子供たちもオレの見た目が怖くて苦手だろうから、避けてしまうのは当然のことだ。
「その歩美って子供、どんな子なんだ?」
 オレの質問に、かぁさんは少し困ったように俯く。彼女にしては珍しい姿だ。
「なにかあるのか?」
「ちょっとね。年齢はまだ六歳の普通の女の子よ」
 その口ぶりからは、どう考えても普通の女の子だとは思えなかった。
「なにかあるなら教えてくれ、かぁさん」
 そう頼み込むと、少し躊躇いがちにかぁさんは口を開いた。
「歩美がここに来たのが、いまから一ヶ月くらい前の話。母子家庭で生育されていた歩美を児童相談所が強制的に連れてきたそうよ」
 漆木のところで見たSNSに、投稿者が『娘が誘拐された』といった内容を投稿していたのを覚えている。そのことか。
「問題が長期化すると判断した児童相談所から喜楽園に連絡が入って、歩美の面倒をここで見ることになったんだけど、歩美の体には明らかに人為的に付けられたとしか思えない傷跡が見られたの」
「母親からの虐待か?」
「児童相談所も私たちも最初はそう思ったわ。でもどうやら、そうじゃなかったみたいなの」
 その後、かぁさんから聞いた話は信じられないものだった。
 児童相談所が少女を保護する切っ掛けになったのは、近隣住民からの匿名連絡によるもので、保護に踏み切ったのは少女の体に明らかに人為的な傷跡が見られたからだった。だが、施設にやってきた少女を観察していると、保護の決定打になっていた体の傷が増えていたことに気づいた。
「施設に来てからも傷が増えていたってことは、少女が自分で傷つけていたということになりますね」
 サーヤがそう言ってかぁさんの言葉を奪った。言いづらそうにしているのを感じたためだったようだ。
 だが、それを聞いたオレは釈然としなかった。自分自身を傷つけることなど、六歳の少女にできるのだろうか、と。
 その疑問が表情から伺えたのか、かぁさんが言う。
「自分を傷つけたり、仮病を演じることで周囲の注目を集めたいと思う心理状態はそう珍しいものではない。それの行き過ぎたものが、ミュンヒハウゼン症候群という精神疾患よ」
 つまり、自分を傷つけて同情を引きたいってことか。オレには理解できない話だ。このまま本人不在で話をしていても埒があかないだろう。
「その歩美って子に会えるか?」
「たぶん、隣の部屋で他の子たちとお絵描きしてるわ。行ってみる?」
 正直、大勢の子供がいる場所は苦手なんだが仕方ない。
 オレとサーヤは、かぁさんの後に続いて部屋を移動する。室内に入ると、まだ小学校に通っていない年齢の子供たちがそれぞれ思い思いに遊んでいる。
 かぁさんが、子供たちの面倒を見ている職員に話しかけて世話を代わると申し出た。
 その間に、オレは子供たちの中で唯一見覚えのない少女に近づいた。目の前に立つ少女の腕や足には包帯が巻かれ、指先など数多くの絆創膏が貼られていて、その痛々しい姿に思わず渋面を作ってしまう。だが、隣に立っていたサーヤに肘を小突かれ、オレは怖がらせまいと表情を柔らかいものにしようと心がけ、話かける。
「お前が歩美か? その怪我のことだが」
 そのとき、油断していたオレは脇腹に激しい一撃を食らい文字通り言葉を失う。サーヤの奴、オレをサンドバッグかなにかと勘違いしているのか?
「ちょっと、デリカシーとか一ミリも持ち合わせていないんですか? 私が話すから黙っていていてください」
 そう言って、サーヤはしゃがみ込むと、少女と同じ目線で話しかけた。
「こんにちは、あなたが歩美ちゃんでいいのよね?」
 少女が頷くのを見て、サーヤは続ける。
「お絵描きしてるの?」
 オレはそのとき、初めて少女がスケッチブックに絵を描いていることに気づいた。
「どんな絵を描いているか、お姉ちゃんたちに見せてくれる?」
 サーヤの問いに歩美という少女は無言で頷き、スケッチブックを差し出した。
 それを受け取ると、サーヤは過去に描かれたであろう絵をパラパラと捲っていく。ページ毎にそれぞれ人物と思われる姿が描かれているのだが、そのどれもが本来の色とは違い黒や灰色といった暗い色で塗られている。物によっては体に包帯が巻かれており、目は血を流しているように赤く描かれているものもある。
「……おい、これって」
 その絵の異様さに、思わず声を漏らしかけたオレだったが、サーヤに腕を掴まれたことで言葉を飲み込む。
 そして、オレとサーヤは最新の、というよりいまさっきまで描いていた絵を見て、首を傾げる。
 その絵は、画用紙の真ん中に四角形が描かれ、その中に少し小さい四角形が描かれたシンプルなもので、絵というよりはなにかのマークのように見えた。
「ねえ歩美ちゃん。聞いていい、これはなにを描いたの?」
 サーヤはその絵について聞いた。
 子供なんだし、描いた絵にそれほど意味などないだろう。そんなことよりも、動物殺害に関係している可能性のあるこの子の母親について聞く方が先決なのではないか。そう思い、話に割って入ろうとしたところで、背後からオレたちを呼ぶ声がした。その声の主は、オレたちと一緒に部屋に入ってきたかぁさんだった。
「ごめんなさい。もうそろそろ子供たちをお昼寝させる時間なの。話があるなら手短にお願い」
 かぁさんの言葉に頷いたオレは、
「サーヤ、そろそろ本題に入らせてもらうぞ」
 そう言い、少女の目線に合わせるように屈む。隣でサーヤが、「まんまヤンキーじゃないですか」と言っていたが、気にせずに少女に話かける。
「怖がらせて悪かったな。急に話しかけてきて、このお姉ちゃん怖かっただろ」
「いやどう考えてもアカサビさんでしょ!」
 少しは場の空気も柔らかくなって、少女も話しやすくなっただろうか。
 その瞬間、少女は持っていた色鉛筆を振りかぶり、鋭利な先端を自分自身の腕目掛けて振り下ろした。
 あわやというところで、オレが手を伸ばして少女の腕を掴んだ。伸ばした手が少しでも遅れていたら、少女の腕に刺さっていたことだろう。
「歩美っ、なにをやってるの!」
 かぁさんがそう言って駆け寄ってきて、少女の手から色鉛筆を取り上げる。
 すると、少女はさっきまで大人しく机に向かって絵を描いていたのが嘘のように、意味のわからないことを口にしながら泣き叫び、暴れ出した。
 かぁさんが押さえ込んでいるのをオレとサーヤはただ見ていることしかできなかった。
 甘く見ていた。心に傷を負った子供に接するというのはこういうことなのだ。
 オレとサーヤは部屋を出て廊下で待っていた。その後、応援にやってきた職員たちによって他の子供たちは移動させられ、歩美が落ち着いて眠るまでかぁさんがついていた。
 そして歩美を見ているように若い職員に頼み、かぁさんはオレたちの方へと歩いてきた。
 オレは申し訳ない気持ちになり頭を下げる。
「悪かった。オレたちが来たせいでこんなことになってしまって」
「別にあなたたちのせいじゃないわ。あの子が不安定なのをわかっていたはずなのに、先端の尖った色鉛筆なんて使わせるべきじゃなかった。一歩間違えれば大変なことになっていたわ」
 そう言うと、かぁさんは逆にオレに礼を言った。
 
 オレとサーヤは施設を後にした。
 二人で並んで歩いていると、ぽつりとサーヤが口を開く。
「正直、ショックな光景でした。あんなに小さい子供なのに」
「確かにそうだな。とても話を聞けるような状態じゃなかった」
「最後、歩美ちゃんが暴れてるときに言っていた言葉わかりましたか?」
 なにか言っていたのは聞こえたが、オレは内容まではわからなかった。
「サーヤは聞き取れたのか?」
「ええ」
 と、どこかばつが悪そうに表情を曇らせたサーヤは、言葉を絞り出すように、
「『うまくやるから』って、そう言ってましたよ」
 その言葉に、オレは首を捻る。
 うまくやる、とはなんのことを言っているのだろう。もしかしたら、描いていた絵のことだろうか。歩美が描いていたなにかのマークのような絵をオレもサーヤも理解することができなかった。だが、そのくらいのことであれほど暴れてしまうものだろうか。
 考えたところで答えは出なかった。あの少女のことは心配だが、喜楽園はとても献身的な場所で安心だ。特に、施設職員の中でも責任者を務めるかぁさんに任せておけば大丈夫だという安心感もある。
 だからこそ、いまは動物殺しのことを気にかけるべきだろう。

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